『セントウ開始』

第4回(最終回)

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★

 オトギイズム王国の湯源郷『イーユダナ湖』。
 今まさにこの瞬間に、湖中央の火山島の山を登っていく老人がいる。
 青空を背景に岩石だらけの黒い峰をヒイコラ言いながら登る老人『フレックス』。
 赤とオレンジと白を基調にした服を着ている彼は火口をめざしていた。
「老人の身体では思ってた以上に疲労が激しいんじゃよー。こいつは予想外のケーブルガイじゃったー……。ひりつくのー」
 ぼやきながらフレックスが枯れた様な肢体で昇っていく。
 多くの人の推測によれば、彼は不死鳥、フェニックスのはずだ。
 とすれば、この老人がかつてはこの火口から来たという証言は、彼が再び溶岩のあぎとに身を投じて若返らんとしていると予想出来るのだったが……。

★★★

「……なんやと? こらアカンわ、やられてしもーた!」
 叫んだビリー・クェンデス(PC0096)はセットアップした『空荷の宝船』に乗り込んだ。
 フレックスの動向に眼を配っていたはずだったが『盲目の守護者(ブラインド・ガーディアン)』に興味を向けていた最中に老人に虚を突かれた形になってしまった。
 大幅な単独先行を許してしまったのだ。
「兄ぃ! ご一緒させてもらいまっせ!」
 『レッサーキマイラ』も大きな身体で宝船に飛び乗った。
「さて、善いフェニックスなのか悪いフェニックスなのかが問題ですが……過去の乱倫状態はフェニックスが原因だとしたらまずいですわね」
 見めよいサングラスをかけたクライン・アルメイス(PC0103)は最後に乗り込み、宝船が浮かび上がる。
 クラインはサングラスの奥の眼を輝かせる。
 盲目の守護者が眼帯をしていたのにはフェニックス対策の意味もあったとすれば、不死鳥には性的なものの幻覚をみせる能力があると想定出来る。なので、彼女は社員旅行でのレジャー用に用意していたサングラスを着用した。幻覚能力が発動された場合に幻覚にかかったふりをして老人を色仕掛けで油断させる。それで接近してきたら隙をついて電撃鞭をくらわせればよい。
 クラインの手には、フレックスに取りつけた発信器の電波受信器がある。ガラケーによく似たそれは今も不死鳥の位置を表示している。
 このペースなら火口へ着く頃には追いつけそうだ。
 急上昇に近い角度で飛空船は風を切る。
 彼は本物のフェニックスだと操縦手のビリーの直感は告げるが、それでも不安は募るばかり。
 火口に飛び込むなんて大事をする以上、間違いではすまされない。
 仮に『鱗型のアミュレット』を使って彼の真贋を計ろうとしても、当人が信じ込んでいれば区別出来ない。
 空荷の宝船は限界まで速度を上げ、しばらくすると黒い山肌にポツンと白い肌が見えてきた。赤とオレンジと白の衣装を身にまとう、フレックスだ。クラインの受信器でもそれは間違いない。
 もう火口の縁だ。
 宝船は老人の行く手をふさぐ様に空から突撃し、寸前で急ブレーキをかけた。
 噴煙はないが溶岩の熱さがサウナめいた火口で追跡者は先行者に追いついた。
「なんじゃなんじゃ。私の前途をふさぐ、不良高校の学生は誰じゃー」
 フラフラの身体で抗議するフレックスの前で、熱さ対策の『沙漠用戦闘服(子ども用)』に着替えたビリーは黒い斜面に飛び降りた。
「爺さん、探したで。正体の見当はついとる。やりたい事もあるんやろうけど、ここは一旦、落ち着こうや」
「嫌じゃ嫌じゃ。私発の平和の祭典、火山へのレッツ・ダイブ!を邪魔する輩ははさんでつまんで鉄のカーテンのあちら側にポイッしてやるんじゃよー!」
 ダバダバと暴れ出して歩く速度にターボがかかったフレックス老は、宝船を迂回して火山口へ飛び込もうとする。
 その前に立ちふさがったのは水着姿の肌を汗で輝かせた若い美女。
 サングラスの暗いガラスに溶岩の赤熱を反射させたクラインは裸の背中をフレックスにさらした。
「ここは暑いですわ……せっかくの温泉ですし、水着を脱がしてくださらないかしら」
「わあい」
 まるで幼児の様な無邪気さでクラインのまろみにとびつく老人。
 そしてその後頭部を黒い岩肌と靴の踵の間でサンドイッチにされる未来が待っていたという。
「幻覚にでもかかったとお思いかしら。ちょっとあなたに訊きたい事があります」クラインは脚をどけてフレックスを無理やり立たせた。「昔、このイーユダナ湖が乱倫状態にあったというのはフェニックスであるあなたが原因なんでしょうか」
「何ですと」フレックスが記憶を探る様に眼を泳がせた。「らんらんりんりん」
「乱倫状態ですわ。この温泉湖は一時あなたのせいでエロチックな状態に置かれたのではないかと訊ねているのですよ」
「若い頃の私の生命の風にあてられたとしたら、ありえる事じゃよー。でも私ばかりが悪いわけじゃないんじゃ。精力に満ちあふれたエネルギーにあてられたとしてそれを実行するかどうかは本人次第じゃよー。いわば若かった私は気づかずにちょっと炙っただけ。その火を消さずに延焼させたのは当人達の心構えなのじゃよー」
「自分が原因なのは認めますのね……」クラインは溜息をついた。「で、あなたはイーユダナ温泉街の当時の町長が召喚した盲目の守護者に撃退されて、温泉を追われた、と」
「それは合わんのじゃ。私がこの温泉を離れて旅に出てからしばらくしたらあの白い巨人が現れて、火山島へ渡れないようになってしまったのじゃよ。おかげでこの年になるまで火口へ戻れずに難儀しておったんじゃ」
「でも、それだとあんたが温泉を去ってからもエロエロ状態が続行してたっちゅう事で計算が合わねえんじゃあねえのかい」口をはさんだのはレッサーキマイラ。
「だから心構えじゃよ。私が去っても続いてたのはこの温泉にすっかりそうゆうムードに染まっていた、いわば慣性なのじゃよー」
「じゃあ、盲目の守護者が鉄の眼帯で視覚の封印をしていたのは」とクライン。
「うん。私とは関係ない」
 クラインは迷った。この老人がフェニックスなのは間違いない。といって完全なる邪悪でもなく放っておけるほど善良でもない様だ。
 とりあえず彼女は『雷撃の鞭』を取り出し、フレックスの前でいつでも放てるように構えた。
「うわーん! お前は悪い子じゃぁ」老人は泣いた。
「あなたが乱倫の頃を懐かしがっているのは事実。その頃に戻したがっているのならこちらも直接的な解決をしなければなりません」
「昔の平和を懐かしがって何処が悪いんじゃあ。男女皆、上もなく下もなくくんずほぐれつで争いなどなかった時代じゃよー。……そっちがそう来るならこっちにも考えがあるんじゃ。くらえ、太陽拳!」
 フレックスの叫びにクラインは固く眼を閉じた。淫靡な幻覚が来るかもしれないが、それに対しても自ら視覚をふさぐ。サングラスをかけているのだから眼を閉じている事に気づかれはしないだろう。
 クラインは永い事、眼を閉じ続ける。もう幻覚は去っただろうか。
 薄眼を開けてみる。
 すると眼の前にフレックスはいなかった。
 眼を全開して周囲を探すと、彼は自分の背後で今まさに火口へ飛び込もうとしているところだった。
「フェイント!?」
 身体を振り向かせると、その瞬間に老人は衣装をはためかせながら火山へ飛び込んだ。
「待つんや! 爺さん!」
「待って下せえ、兄貴! その爺さんに本懐を遂げさせてやってくだせえ!」
 『神足通』でテレポートして老人の身を救出しようとしたビリーの身にすがりついたのは、鬱陶しいほどに身体が大きなレッサーキマイラだった。
「何や、お前!? 離さんかい! 爺さんがピンチなんじゃい!」
「爺さんは人生を退場するんやない! 不死鳥は炎を浴びて蘇る! ここが爺さんの最大の見せ場なんや! 特殊な才能を使わずじまいやったら『怪物』の存在意義はなんぼのもんやっ!」
 何故か涙を流してすがりつくレッサーキマイラの邪魔をくらって、ビリーは神足通のタイミングを失った。
「ああ〜……!」
 二人と一匹に見送られる形で溶岩へと落下していくフレックス。
 火口の縁に立ち、座敷童子と女社長と三つ頭の怪物は足下の溶岩地獄を見下ろした。
 眼下にある溶岩の溜まりに、枯れた色白の老人の身が着地し、一瞬、ボウォッ!と明るく燃え上がる。
 そして、それきり。
「……上がってきませんね」
「……上がってきいへんな」
「…………」
 二人が呆然と呟き、怪物一匹は自分の判断ミスが取り返しのつかない事態を招いたのに愕然とした。
 その時、溶岩にまるで鏡の反射の様な強い光が瞬いた。
「キーン!」
 自分で飛行音を口で叫びながら、丸っこい物が急上昇してくる。
 まるで日の出だ。
 赤とオレンジと白に塗り分けられた羽毛の身体を持つ、それは確かにフェニックス。
 しかし、誕生間もない雛鳥だった。
 頭でっかちの二頭身。
 コメディーアニメの様にスーパー・デフォルメされた不死鳥だ。
「お待たせしたでち! フレックス、確かに生き返ったでち!」
 全然、緊張感を持っていない喋り方で空中停止した新しいフレックスに、火口縁で待っていた者達は呆れた顔で出迎えるしかなかった。
「……何や、全然キャラが違うやないか」
「いやぁ、前の人生は人間の姿になって失敗したでち。老いるのは速いし、器質限界で脳は考えるのにどんどんボーっとなっていってでち」
 ビリーの呆然を無視して、新フレックスは愛嬌を振りまく。
「器質限界?」
「肉体の限界でち」クラインの疑問に答える明るい新フレックス。「不死鳥という偉大な存在でも心と身体は切り放せないでち。潜在意識が幾ら頭よくても肉体の脳みそ以上の事は出来ないでちよ。人間の脳みそが老いていくとどんどん子供みたいになってって、前のフレックスではろくに物が考えられなくなっていたでち」
「今でもガキそのものやんか」呟くレッサーキマイラ。
「まあ、確かに幼鳥に生まれ変わったから、今の僕の脳みそも子供そのものでち。でもこれから育っていくでちよ」
「……あなたはまだ周囲に乱倫を及ぼす様な『若い生命の風』とやらを吹かせているのでしょうか……?」クラインはブラスターの雷撃の鞭に手元でしごきをいれる。
「吹いているでち」新フレックスはあっさり認めた。「でも、前に言った通り、情熱の甘い熱風に最後まで身を任せるかは当人の心がけ次第でちよ」
「ともかく若返ったし……」ビリーは熱風を顔に受けながら訊ねる。「これからどうするんや」
「しばらく何年かはこの火山口で溶岩を飲んですごすでち。ある程度、大きくなって脳みそがまともになったら……ま、その時はその時で考えるでち」
「お別れになるんやなあ」ビリーは感慨にふけった。
「あ、でも皆さんがこの火山島にいる内はお供してもいいでちよ。ただ、身体には触らないでくだちい。溶岩よりも熱いでちから」
「じゃあ、宝船に乗せるわけにはいかへんな。ともかく新フレックスを皆にお披露目せんとな」
 新フレックス以外を乗り込ませた空荷の宝船は宙に浮き、今度は炎の幼鳥を並飛行させて山のふもとをめざした。
 幼フェニックスの飛行速度はそれなりで、宝船は緩速巡行を余儀なくされる。
 下のジャングルでは盲目の守護者の問題は解決してるだろうか。
 クラインはほのかに熱っぽい胸元を飛行の風にさらして、火照りを冷ましながら気がついた。
(あ、しまった。フレックスにつけていた発信器を失ってしまいましたわ)
 まあ、発信機はまだあるからいいですか、と彼女は簡単にあきらめた。
 新フレックスの放っている若い生命の波動は、全てをなあなあですませたくなるムードを作るのかもしれない。
 上手くいけば境界区分をなあなあですませられる有用なおおらかさだが、性愛方面ではあまりにおおらかすぎると……乱倫状態になるのだと今のクラインには解っていた。

★★★

「これがあのフレックス老人ですか。随分とちっちゃくなってしまいましたね」
 アンナ・ラクシミリア(PC0046)は火山の上の方に行っていたビリーの飛空船が帰ってきたので迎えに来た。
 そして新たなマスコットキャラが増えていたのにちょっと驚き、羽根を撫でようとして体温の熱さに手を引っこめる。
「まるで炎ではないですか」
「だって火の鳥でち」
 羽毛の赤、オレンジ、白が陽炎の如く揺らめく新フレックスが皆を先導し、白い巨人が寝床として使っている崖の割れ目へ行く。
 ここには温泉レジスタンスの面面も全員、集まっている。
 七mもの巨人がぎゅうぎゅうに身を納めていびきを立てて寝ている。狭い方が具合がいいらしい。
 そして壁の割れ目の中にはいささかの宝飾品や貨幣がつまった宝箱が口を開けていた。
「これを守れって言っていたご主人様が元町長ってコトなんでしょうね。町長って意外とえらくエビトバ系キケンって感じ?」
 姫柳未来(PC0023)は宝箱を上から覗き込みながら推理を述べる。もしかしたら盲目の守護者が怒るかもしれないので中身には皆ノータッチだ。
「ゼア・イズ・ノー・ダウト・ザット・ザ・フォーマー・メイヤー・イズ・ア・サモンニング・デザイナー」ジュディ・バーガー(PC0032)はひとしきり米語で唸った。「元町長が召喚デザイナーだというのは間違いないワネ」
「あ、ここで不死鳥コソコソ噂話でち」新フレックスが羽ばたきながら黄色いくちばしを開いた。「本格的な魔術では正しくは『召喚』とは術者の身の内側に魔術的存在の力を降ろすのを言うのでち。自分の外側に従僕的な存在を呼び出して使役するのは正しくは『喚起』でち。この二つは世間では取り違えられているのが多いでち」
「じゃあ、あの盲目の守護者は正しくは元町長に召喚ではなく喚起されたというのですのね」
「そうでち」
 新フレックスがアンナの言葉を肯定する。
「そんな細かい事どうでもいいじゃない」未来は腰に拳をあて、超能力で宙に浮く。「ともかくあの巨人はちゃんと他人とコミュニーション出来る、そここそが重要なんだから。マジ卍」
「ヒー・ワズ・ウエイクアップ。盲目の守護者が眼を醒ましたヨウですワヨ」
 ジュディが皆に告げた通り、白い巨人が眼を醒ました。随分と睡眠時間は短かった。もしかしたら最低限の睡眠以外はずっと湖を見張っているのかもしれない。
「うー……!」白い巨人は唸った。そして、その赤い眼でここにいる温泉レジスタンス達を見回した。そして疲れ切った様な顔をする。「おとこでもおんなでもないものがたくさんいる……! おれ、どうすれば……!」
「……もういい! 休め……!」
 思わず未来は白い巨人を慰めていた。
「このままでは帰らぬ主人を待ち続ける忠犬の様であまりにも不憫ですわ」アンナは哀しげな眼で巨人を見つめる。「出来る事なら元の世界に帰してあげたいところですわ。それが叶わなくても少なくとも番人の役目からは解放してあげたいですわ」
 しかし元町長はとっくの昔に亡くなってるそうだから、どんなアプローチが出来るというのだろうか。降霊術とか、か。
 ジュディも同じ気持ちで出来るなら盲目の守護者を休ませてやりたかった。
 さっきの様に自分のグラマラスな部分をさらして強制終了させる事も出来たが、それはさすがにやめておこうと思った。
 正直なところ盲目の守護者の初初しい反応が面白く、さっきはあえて悩殺ポーズを披露した。つい悪戯心から弄ってしまったが、決して悪意は無かったと弁明したい。教育上よろしくなかったと反省している。
 ……と、反省はするけど、なんとなくジュディの今の気分はスッキリしている。
 ストレス解消とも微妙に異なるが、ある種の解放感すら覚えてしまっている。
(これがクセになったら、いろいろ困った事になりそうネ♪)
 そんな悪魔ッコな事を考えるジュディと一緒に未来とアンナは巨人にしがみついていた。
 白い巨人は脱力してジャングルの茂みの上に座り込んだ。
「えっと……何か困ってるなら相談に乗るよ」未来は膝を抱える盲目の守護者に優しく声をかける。「とりあえず、いきなり人をぶん投げるのはやめて、みんなと仲良くした方がいいんじゃないかな」アドバイスを送るエスパーJKは巨人が泣いているのに気がついていた。
「さすがに降霊術を使える人間はこの中にはいらっしゃらないですよね」アンナはレジスタンスの人間にざっと眼線を配る。反応はなかった。「とにかく男女別はそのままでも構わないので、彼の為に男でも女でもない第三の選択肢の場所を作りたいですわね」
「そうだよ。選択肢を増やした方が巨人もきっと楽しいよ。入浴客とももっと仲良くしてさ」未来は巨人に明るく話しかける。「大体、守護者もどうして宝箱を守っているのさ。ご主人様って誰? どうして男湯と女湯にこだわっているの」
「たからばこをまもるのも……おとこゆとおんなゆをまもるのも……ごしゅじんさまにいわれた……」盲目の守護者が呟く様に言う。
 そんな巨人の背後に立ち、ジュディは腕を組み、フームと唸る。
 意外な素顔を持つ盲目の守護者の正体は、異世界から召喚された性別の番人と判明。与えられた使命に盲従し、でも知性は未発達らしい。
 情緒面は子供と変わらない印象を受けた。心身がアンバランスでそこにジュディの母性本能を刺激されたかもしれない。
 守護者を召喚した『ごしゅじんさま』とは、おそらく故人の元町長だろう。
 召喚主の死去で召喚術が解除されるケースも多いけど、まだ継続しているということは、たとえば魔法陣が稼働中とか?
 与えられた使命は守護者にとってアイデンティティにも等しい。それは勝手に取り消せないはず。
 でも新しい解釈を付け加えることは可能か?
「ヘイ。ホワイトガイ。ジェンダーレス・ワンズ、性別のない者達はエクセプション、例外として扱えばいいんじゃナイ。ライク・ア・ホットウォーター・シャークス、湯ザメみたいニ」
 そもそも性別のない者は想定外な存在。
 つまり、匂いを感知出来なかった湯ザメと同じく、使命の対象外として扱えばいい。
 安直な理屈になるが、とりあえず矛盾は解消出来るだろう。
「れいがい……」
「YES! エクセプション! 例外!」
「……それはできない……」寂しそうな声で盲目の守護者。「たからばこをまもる。おとこゆとおんなゆをただしくわける。それはしめい、そんざいいぎ。れいがいはみとめられない。ごしゅじんさまがとりけすまでまもらなければいけない……」
「ご主人はとっくに死んで、取り消す事なんて出来ないのですよ!」とアンナ。
「例外を認めるなんて簡単じゃない」と未来。
 だが彼にとっては簡単ではないようだった。
 命令と現実の狭間でこの白い巨人が苦しんでいるのが解る。
「この巨人を束縛してる喚起の魔法陣とか紋章とかのデザインをぶっ壊せばいいんじゃないでちか」
 突然、温和そうな丸っこいデザインの不死鳥、新フレックスがくちばしをはさんだ。
「契約のデザインなんて何処にあるのよ」
「それはもう、ここで一番守られている所でしょうね」
 未来の疑問にアンナが即答する。
「つまり……」
「……この宝箱の中か」
 二人の眼が闇夜の猫の様にキラーン!と光った。
 アンナと未来は次になすべき行動を瞬時に覚った。
 それはこの場にいる全員もほぼ同時だった。
 つまり盲目の守護者もだ。
「たから、まもる」
 全員がアクションを起こした。
 アンナと未来が割れ目の中に置かれている宝箱にとりついた。
 二人をそれから引きはがそうとする白い巨人。二人を捕まえれば遠くへ放り投げる事が出来るのは間違いない。
 アンナが宝箱の中を探ればすぐに怪しい物が見つかった。赤い焼き物用塗料が仰仰しい魔法陣を描いている大きな白い皿だ。
 そのまま戦闘用モップで叩き割ろうとするが、全力の打撃を皿ははね返した。
「普通の攻撃じゃ割れへんようになってるんや! 魔法的攻撃やないと!」
 ビリーは叫ぶ。
 ピンクの服の襟をつままれたアンナは、盲目の守護神に放り投げられる寸前にパスを出した。
 皿が岩壁にぶつかって跳ね返った所を、瞬間移動した未来は受け取った。
 未来は空を飛んで岩の割れ目から出て、盲目の守護者が後を追いかける。
「パス、パス!」
 ミニスカJKは空を飛びながら一斉に走り出した五〇人ほどのレジスタンス達に皿をパスに出す。
 巨人が追いつこうとするギリギリでレジスタンスは仲間内でパスを回す。
 複雑な一筆書きを書く様なレジスタンス内のパス回しに、猛然と走る巨人も追いつかないようだ。
 皆がジャングルを走り抜ける。
 と、その五〇人にブレーキがかかった。
 ジャングルが切れ、投げられた皿は黒い崖から温泉湖の方へと飛び出した。
 このままでは皿は深い温泉湖へ飛び込んで沈んでしまう。
 盲目の守護者は崖から猛ダッシュで跳躍する。空中で皿を確保できるスピードだ。
 だが飛んだ皿の先には大胆な走力で先回りしたジュディが崖で待っていた。
 フライングソーサーは胸を強調する様に上半身をかき抱いていたその豊かなバストにとびこんだ。
 皿がぶつかり、跳ね返ったショックで迷彩ブラの紐がほどけた。ダッダ〜ン!と弾力あふれる美乳が温泉の空気を大きく震わせる。勿論、トップはニップレスが貼られているのだが……。
 瞬間、盲目の巨人は鼻血を大量に噴きだした。跳躍がその噴出との合成ベクトルとなり、跳ね返った皿を手で?まえる前に速度が落ちる。
「はいっ!」
 クラインの構える小型フォースブラスターがその射線に皿を捉えた。
 放物線の頂点で、射的。
 皿は空中で魔法陣ごと粉粉に。
 巨人を束縛していたものは消えた。
 温泉湖へと飛び出した白い巨人の姿がまるで湯気と一体化する如く薄れていく。
 空中で泳ぐ様なバタバタと動く手足。先端から徐徐に消える。
 あ・り・が……。
 こちらを振り向いた口は確かにそんな言葉を言っていた風に見えた。
 盲目の守護者は湖面に湯飛沫を上げる前に完全に消滅した。
 やってきた異世界へと帰っていった。
 それが彼の消滅を見ていた者達の、迷いようのない確信だった。

★★★

 青い空とあふれんばかりの日差しと。
 イーユダナ湖。湖畔のきらびやかな温泉街。
 湯ザメと盲目の守護者という二大障害が排除されたこの歓楽街と宿場町は、かつての栄光を取り戻すように大勢の者達が働き、そして客は遊びに興じていた。
 マニフィカ・ストラサローネ(PC0034)は退治された湯ザメの墓石を湖畔に建立した。
 年月が過ぎ去れば、いつの日か観光資源と化すかもしれない。
 彼女が思い起こせば、倒された湯ザメの女王の巨体は、静かに湖底へと沈んでいく、その光景が眼に焼きついている。
 マニフィカは強敵に敬意を払うべく、古から伝わる作法に従い、戦利品としてその女王の牙を頂戴した。
 ああ、女王に相応しき見事な牙。
 最も深き海底に坐す母なる海神よ、ご照覧あれ!
 ひとしきり感慨にふけると懐から『故事ことわざ辞典』を取り出す。
 紐解けば「死んでしまえは皆、仏」という記述が目に入った。
 仏教的な死生観が胸に響く。
 再び頁をめくると「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」の文言が現れた。
 なるほど。
 湯ザメの女王は牙を残してくれた。
 粗末に扱わぬと誓い、その魂が鎮まる事を願って祈りを捧げる。
「お墓を作ってもらえてぇ、女王様も喜んでるでしょうねえ」
 湖畔に椅子とテーブルを並べた白いテラスで、リュリュミア(PC0015)は豆腐と湯葉の精進料理を食べている。
「やっぱり温泉はさっぱりとしながらもコクのある大豆料理に限りますねぇ」
「いえ。それは初耳ですけれども。と言いますか、リュリュミア、何故、外でわざわざ豆腐料理を」
「だってぇ、陽射しが強くて光合成が気持ちいいじゃなぁい」
 マイペースの光合成淑女につきあってテラスから湯ザメの墓碑を眺めていたマニフィカは辞典を片手でたたんだ。
 このテラスがある大きな温泉宿には、その大ホールにリーダー『アシュラン・ボンゴ』も含めた温泉レジスタンス全員が整列させられていた。
 彼らを彼女らをまるで検察する様な態度で傍らに並んでいるのは、このイーユダナ湖温泉街の町長、及び彼らにこれまで迷惑をこうむってきた温泉街の顔役的立場にある宿の店長達。
 クラインは大きな宿屋の巨大なホールにレジスタンスと『エタニティ』社員を集合させて、町長達の説教を聞かせている。まるで社内研修だ。
「これまで温泉街の皆さんに迷惑をかけていたのですから、しっかりとボランティアしなさい」
 女社長はレジスタンス達を一から出直させる形で罪を清算させようとしていた。
「ジェンダーの価値を押しつけるのではなく、お互いの価値を尊重していくべきですわ。結局のところジェンダー問題は住み分けが大事ですわ。自分の価値観を大事にしたいなら、相手の価値観も尊重しなければいけませんわ」
 彼女はイーユダナ湖周辺を性差別の無い行政特区として国王に申請し、ジェンダー主義者の聖地としたいと考えていた。
 過去の犯罪行為は無理やり黙認し、不満を持つジェンダー主義者を一か所に集めて管理すれば、王国として一種のガス抜きをできデメリットがほとんどない。
「そこに私の会社の利権をかませてメガ電池研究部署をねじ込めればなお良しですわ」
 温泉湖はマニフィカのアイデアも取り入れて、現在の東西分断から更に南北も区分して四分割し、バッファーゾーン(緩衝地帯)の設置を目指す。
 追加される二つの区画は、水着着用の混浴ゾーンと、性別の区別が曖昧な者を対象とするゾーン。
 多様性の棲み分けでイーユダナ湖の更なる繁栄と共存を目指す。
 そもそも今後の方針に悩むレジスタンスの指導者アシュランの呟きを耳にした時のマニフィカは、なにやら強いチグハグ感を覚えていた。
 性差別への反発という感情が、原動力になっているのは理解出来る。
 しかし、たとえば湯ザメを引き込む事で、イーユダナ湖の現状を改善出来たか。
 単なる嫌がらせでは、溜飲が下がるかもしれないけど、それではそれだけだ。あまり建設的な行為とはいえない。
 結局、温泉レジスタンス達はここで解散する事になった。
 解散しても過去の罪状は消えないはずだが、温泉街の人間達はおおらかな態度で彼らを無罪放免にしてくれた。あの宝箱を町に寄付した事も効いたのだろう。
 あの新しく生まれ変わった幼フェニックスが温泉湖全体に放っている『若い生命の風』とやらは、皆の性衝動を煽っていると同時におおらかな態度にする効果があるらしい。境界や区分にとらわれない大らかな態度はこのゆったりとした大温泉に湯浴みに来る者達にはありがたいものなのかもしれない。ちょっと雰囲気がエロエロな衝動に走りがちになるのでそこは気をつけなければならないが。
 まあ性的行為に関しては双方同意の上でが基本なので一方的な暴走はない……はずであるが。

★★★

「まあ、生き物がちょっとエロエロになるくらいなら通常運転なのNE☆ 相変わらず温泉は気持ちいいし。エモいわ〜☆ ンフフフフフ☆」
 バスタオルを巻いた姿で未来は温泉湖につかり、気持ちよさそうな声を挙げる。湯気の中で時折姿勢を変える長風呂はとっても快感で、エスパーJKはほくほくした美味しそうなむきゆで卵。
 え? バスタオルのまま温泉につかるのはマナーがよくない?
 でも、今未来が今、入浴しているのは男湯なのだ。
 また間違えてしまったが、移動するのもおっくうになるくらいの気持ちよさで未来はここに居つこうと決めていた。
「出来る事なら、あの盲目の守護者と一緒に入りたかったな〜☆」
 そんな事を呟く小悪魔天使的女子高生だったが、勿論これもバスタオル姿で入浴する事を前提に言っているのだ。
 と、そんな長湯をしていると周囲から青春の風にあてられた男性当時客がこっそり囲む様に近づいてくるのに気がつく。
「あーもう。移動するのは無粋だけど、こっそり近づいてくる輩がいるなら仕方ないよね。エロエロも最低限双方の同意が不可欠らしいけど、それでもね」
 未来はそう言って、瞬間移動でここから遠く離れた沖へと転移する。
 ぶしつけな男性客達が鉢合わせしたのは、誰もいない湯の女子高生の残り香だけだったという。

★★★

「というわけでイーユダナ湖の四分割と行政特区化をお願いしに来ました」とクライン。
 オトギイズム王国・王都『パルテノン』。
 久久にゲストを迎えた王城のサロンで、マニフィカとクラインとリュリュミアは『パッカード・トンデモハット』国王と『ソラトキ・トンデモハット』王妃と一緒に緑茶を飲んでいた。
 今日の菓子は、濃厚な枝豆豆腐に黒蜜をかけた冷や菓子。リュリュミアが育てた大豆による物だ。
「湖の四分割は構わん。費用を持てと言うのなら持とう」パッカード王は竹串で緑の豆腐を切り、黒蜜にまみれたそれを口に運ぶ。「行政特区化は今ここでは何とも言えんな。一度に二つも特別領が増えるのもな……検討はしてみるが」
「一度に二つも?」
 マニフィカは芳醇な豆腐を口にしようとし、王の言葉に手を止めた。
「いや。何でもない。というかもうすぐ皆に知られる事になるだろう」
 王は言葉を曖昧にし、場を濁した。
「場の雰囲気が過剰に性的になるというのはちょっと考え物でありんすね」濃い緑茶を一口飲むソラトキ王妃。「それが犯罪的に悪いとは一概に決めつけられないでありんすが、この国には既にヨシワラという遊郭都市がありんすからねえ」
 午後の茶会の時間は過ぎていく。
 空気の変化を感じた者達は青い空を見ながら。もうすぐ雨が降りそうだと予感した。

★★★