『セントウ開始』

第1回

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★
 『オトギイズム王国』王都『パルテノン』。
 今日も今日とて神様見習いの座敷童子ビリー・クェンデス(PC0096)は、広い王立公園の片隅で相棒な『レッサーキマイラ』とBBQに舌鼓を打っている。
 幾ら美味でも、こうもワンパターンな食生活が続くと流石に飽きる事は必然。
 バチが当たっても不思議ではない。まさに贅沢の極み。
「高級肉のバーべーキューも毎日だと口が奢ってくるでやんすなぁ。こういう時にこそ大根の味噌漬けが甘じょっぱくてすっげー美味く感じるでげすよ」
 レッサーキマイラの獅子頭がぼやくのは「もう今日で何回目だ?」の高頻度リピートだ。
「文句言わんでさっさと食べんかい。ただで出した肉だというてもお残しはゆるさへんで」
 ビリーは『伝説のハリセン』で獅子頭をスパコーン!とはたく。
「そーいえば、こんな情報知ってまっか」
 山羊頭が巨大なる露天温泉『イーユダナ湖』の話を持ち出した。
 すっかり退屈な日常を持て余していた怠け者達にお得そうなインフォメーションが届く。
「何や、名前からしてリフレッシュ出来そうな雰囲気が伝わってくるやないか。きっと地上の楽園なんやろーなー」
 ビリーは俄然、食いつき気味だ。
 では諸君、温泉だ!。
 いつ行くべきか?
 今でしょ!
「せやな、鉄は熱いうち打たんとアカンで。蜜あふるる約束の地が、今や遅しと待ち侘びとるわけや」
 というわけで福の神見習いと合成魔獣の人生のこれからの行く先が決まった。
 思い立ったが吉日なり。
 善は急げとも。
 凸凹コンビはいそいそと旅仕度を整える。
 この始末……はてさて、どうなります事やら?
(TO BE CONTINUED)

★★★
 青い空。
 中央に緑濃き火山島を浮かべた湯源境(とうげんきょう)イーユダナ湖。
 湯ザメ騒ぎで客足が遠のいているとはいえ、それでも初めての客から見れば岸辺の空気まで温む別天地だ。
「この『エタニティ』は体育会系ホワイト企業ですから、社員旅行は全員出席ですわ」
 『オトギイズム王国』初の会社組織であるエタニティの社長クライン・アルメイス(PC0103)。
 イーユダナ湖の大旅館で開いた社内温泉旅行の大宴会の席で、彼女自らも含め幹部達が社員達にねぎらいの酌をして回る。
「いやぁ、女社長自らに酌をしてもらえるとは光栄ですな。何かの陰謀でなければよいのですが……おっとっと」
 酒膳でクラインにビールの酌をしてもらっている『鷺巣数雄』がこぼれそうなコップに唇を迎えに寄せた。
 空飛ぶ『羅李朋学園』を降りてエタニティに入社した鷺洲を責任者に据え、クラインは『メガ電池』の研究部署を立ち上げた
「オトギイズム王国ですから、メガ電池とデザイナーを絡めてみてもいいかもしれませんわね、そのうち王家の方にも話を通しておきますわ」
 クラインはメガ電池開発のピッチを上げていた。
 そんな中での会社の慰安旅行だったが、その予定にとびこむ様に起こった湯ザメの騒動はまさに寝耳にお湯だった。
 折角の慰安にお湯を差すこの騒動に、クラインの決断は早かった。
「宴会のメニューを報酬で豪勢にしますわよ!」
 彼女は即刻イーユダナ湖の地元と交渉し、社員から希望者を募り、町の依頼を会社が冒険者として依頼を受け、達成の為に船と鮫釣り用の餌と道具を地元に用意してもらった。報酬は全て宴会の費用に回す算用だ。
「水中の敵は居場所さえ特定出来れば優位に立てますわ」
 たゆんとした黒いビキニ姿でイーユダナ湖西側、男湯に浮かべた船の縁に立ったクラインは『サイ・サーチ』を使って、湯中のフォースの流れから付近の物を探知しようとした。
 残念だがクラインの記憶に湯ザメという物は詳しくない。ここに来る前に町の者からその生物がどういう物かレクチャーを受け、絵図鑑から詳細を得たつもりだったが、探している目的の物がリアルに記憶されている物ではないので視界内でなければ何があるかは大まかにしか解らなかった。
 せいぜい、このような鮫が海底の温泉ならともかく、川を遡ったにしてもこんな湖にいるのはおかしい、という疑念を抱けたくらいだ。
 それでも視界内の湯ザメらしき物を大まかにでもつかめたのは大きかった。
 たとえ背びれを湯面に突き立てなくても湯中のサメ集団の動きを把握出来る。指揮種も特定したかったがそれはこの視界にはいなかった。指揮種がいればの話だが。
「ようやく電撃の鞭の本領を発揮出来そうですわね」
 体長二mの湯ザメが五匹二列、兵隊の様に整然と並んで速やかに向かってくるのを船上で待ちながらクラインは『雷撃の鞭』を手でしごいた。
 船上の社員達は各各三人一組で釣り竿を持ち、細いワイヤーを湯に垂らしている。水面まで引き寄せたところを社長の電撃の鞭を叩き込むというのがこの船の基本戦法だ。
 白い湯気の立つこの熱い湖面で、エタニティが社の総力をあげて迎え討つ一大の湯ザメ退治が始まろうとしていた。
 ……そう言えば鷺巣の顔が、今はその船の中では見られないようだが。

★★★
 マニフィカ・ストラサローネ(PC0034)の出身世界『ウォーターワールド』にも海底温泉は存在した。
 行楽地として世界屈指の人気スポットだったが、温水を利用した食糧生産性の高さから支配権を巡って人魚同士の争奪戦が繰り広げられた歴史も。
 ただし、それはマニフィカ達よりも数世代を遡った過去であり、今となっては古老が伝える昔話の一つにすぎない。
 最も深き海底に坐す母なる海神は黙して何も語らず。その微睡(まどろ)みを妨げる事なかれ……。
 そんな記憶のあるマニフィカはオトギイズム随一の蔵書量を誇る王立パルテノン大図書館に足繁く通っていたが、偶然にも書庫の片隅で一冊の観光旅行記を手にする事が出来た。とある道楽者の貴族が、己の趣味を一冊の本として出版したものらしい。
 オトギイズム各地の観光名所が記されており、当然の如く温泉地イーユダナ湖の事にも触れられていた。
 男女の混浴を禁じる不文律。それは如何なる経緯で現地に根づいたのか。
 それは民俗学や比較文化論といったアカデミックな観点からも実に興味深い事柄だった。
 マニフィカがイーユダナ湖を訪れたのはそんな知的好奇心が切っ掛けだ。
 まさに水中は人魚の種族的な得意エリア。
 それが温泉湖という特殊な環境であっても例外ではない。
 はぁるばる〜きたぜ函〇へ♪
 キャぁラメ〇あけたら箱だけ〜♪
 独特の音程で歌いながら温泉地イーユダナ湖に到着したマニフィカは、現地でのフィールドワークを開始する前にまず温泉気分を楽しもうと考えた。
 自分も含めた水棲人類にとって、やはり二重の意味で命の洗濯は欠かせない。
 しかし完全予想外。すわ何事かと身構えて、音程の狂った鼻歌がこぼれる上機嫌も我先に砂浜から逃げ出す湯治客との遭遇で霧散してしまう。
 鮫ですか? これが噂に聞くあの湯ザメなのですか?
 悪逆な鮫の一族であれば高貴なる人魚の王族とすれば相手にとって不足なし。
 現地の『冒険者ギルド』に駆け込んだマニフィカは、湯を伝う音波よりも速く、つまり超音速で湯ザメ退治の依頼を引き受けた。

★★★
「湯ザメが出ましたわーッ!」
 逃げ惑う湯治客で混乱する湖畔のほとりをジュディ・バーガー(PC0032)は人の流れに逆らいながら湯ザメの群をめざす。
 大柄でグラマラスな迷彩柄のビキニは 酸素シールド&重力発生装置つきの『特殊水着』。その上から黒い革ジャンを羽織って小粋にテンガロンハットを被ったジュディは、既に地元の冒険者ギルドで退治クエストを受諾済だった。
 とにかく先手必勝。
 軍隊じみた統率が脅威なら、まず群を率いる個体から倒すべし。
 名馬ロシナンテを自称し、老騎士『ドンデラ・オンド』公&従者『サンチョ・パンサ』ら遍歴の騎士一行として諸国漫遊を満喫するジュディは温泉地として名高いイーユダナ湖に立ち寄った。
 御老公に湯治してもらうのが第一目的だ。
 高潔な騎士にも休息は必要不可欠。ましてや高齢の身なればこそ。
 ところが現地に到着して思わぬ誤算が生じてしまう。
 どうやら性別に関して厳格なルールが存在するらしい。
 この温泉湖は入浴者の性別で東西のエリアに区別しており、つまり女であるジュディは二人とは別行動を余儀なくされる。
 西側に男湯。
 東側に女湯。
「おーまいがっ!?」とジュディは心の無念を声にした。
 御老公の背中を洗ってあげるつもりが、実に残念なり。
 というわけで泣く泣くお役目をサンチョに託したが、正直なところ、水着姿なら別に混浴でも構わないとは思う。
 しかしこの事態は友人の人魚姫が愛読書を紐解けば、おそらく『ローマに行けばローマに従え』と啓示されるはず。
 とにかく気持ちを切り替え、温泉湖をレッツ・エンジョイ♪と心を決めた途端、新たなるトラブルが巻き起こったのだ。
 熱い湖を襲う海棲生物湯ザメの群。
 それらが温泉湖で心身の慰安を慈しむはずの客達と観光事業で生活する地元民の平安を奪っている。
 この事態にジュディは愛用のチェーンソー『シャーリーン』を手に取った。
 世界の法則に従えば、鮫やゾンビを退治する為に最も理想的なデザインの武器はチェーンソーと断言出来る。
 そしてジュディはシャーリーンを所有している。
 この論理へと導かれる運命の流れはまさに天の采配と言えるだろう。
『湯ザメなんかにゃ〜負けないぞぉ〜♪ 斬りっ刻め! 斬りっ刻め!』
 海兵隊マーチの替え歌が脳裏でドルビーサウンドによって再生されるのもむべなるかな。
 すっかり気分はもうフ○メタルジャケットとなったジュディは女湯に突撃していったのだった。

★★★
 青く広がる空の下。
 視界一杯の男湯を風が冷ますも地熱に追いつけず、波立つ湖面から白い湯気が湧き続ける。
 湯が噛みつく。男達が熱い風呂を表現してそう呼ぶ。
 イーユダナ湖の西半分はむくつけき男の世界だった。
 浜際に点在する熱くゆだった男達の赤い顔。
 浜ではたるんだ腹の中年従者サンチョ・パンサが、彼が主であるドンデラ・オンド公の背を洗い、石鹸の泡を湯で流していた。老公は痩せてあばらの浮いた身体を湯気にさらして満ち足りた顔をしている。
 そのすぐそばの温泉では鷺巣数雄が半白髪頭に手ぬぐいを乗せ、浮かべた木桶の徳利とお猪口で熱燗を味わっていた。
 お猪口の日本酒に唇を寄せ、すすっとぬるいそれをすすると、口内に熱い酔いの香りと辛い痺れが舌へと喉へ身体中へとカーッと広がっていく。
「キくゥ〜!」鷺巣がお猪口を空にして唸った。「会社の皆は社長以下頑張ってるみたいだけど私は頭脳労働専門だからな。大体、温泉に鮫など温泉レジスタンスによるデマじゃないのか」
「そうねぇ〜。温泉煮しめは温泉プレジデントの二度手間かもしれないわねぇ」
「え!? オンナ!?」
 鷺巣が突然の女性の声に思わず、木桶をひっくり返しながら湯から飛び上がる。
 湯気の中から現れた声の主はリュリュミア(PC0015)だった。鷺巣にとっては羅李朋学園以来の見知った顔だ。
「何故、男湯に女のリュリュミアが? それ以前に何故、着衣のままで湯につかっている!?」
 鷺巣のパニックは男湯全体に広がっていった。
「リュリュミアさんじゃないっぺか」とサンチョが岸辺で驚き、
「ここは男湯だ! 湯から出なさい!」ドンデラ公が全裸の腰に手ぬぐいだけの姿で憤る。
「えぇーっ、何で止めるんですかぁ、リュリュミアは温泉にゆっくり漬かりたいだけですぅ。ワンピースや帽子は体の一部だから脱げないんですよぉ」
 少少、服がふやけてしなしなになっている気がする着衣姿で緑色の植物淑女は反論する。
「え、こっちは男湯だから女湯に行けですかぁ。リュリュミアは植物で花粉も出せるんですけどぉ」
「植物だから雌雄同体の両性だと言いたいのか。しかしイチョウなんかはオスの木とメスの木に分かれてるしな……」
 鷺巣が冷静に分析した。
「でも両性だと言うんなら、ますますこの温泉には入れないんじゃないべか」とサンチョ。
「えぇ、どっちも入ったらいけないですかぁ。リュリュミアもぬるぅいお湯でぷかぷかちゃぷちゃぷしたいですぅ。でも思ってたよりも湯は熱いですねぇ。大雨でも降ってくればうめられてちょうどよくなるかなぁ」
 すっかりリュリュミアのマイペース空間になった男湯だが、その時、鮫の到来を知らせる男達の悲鳴が挙がった。
「湯ザメが出たぞーッ!」
 温泉につかっていた男達が我先にと浜に上がりだす。
「何だ、本当に鮫がいるのか」
 こちらに整然とした五つの黒い背びれが向かっているのを見て、自分も岸へ避難しようとする鷺巣。
 しかし、身体はすっかり酔っていて動きがスローモーだ。遠浅の湖で深い所からなかなか抜け出せない。
 並ん泳いできた五つの背びれは彼へとロックオンした様だ。
 鷺巣の顔は湯と酒で染まっていた赤色から、背に迫る絶対の恐怖に対しての青白い色を取り戻す。取り戻した、というのも彼は元から不健康に白かったのだ。
 湯ザメがV字型編隊になり、先頭の鮫が鷺巣を餌食にしようと牙が並んだ大きな口を開ける。
 青白い男は男らしからぬ悲鳴を挙げた。
 その時。
「クリティカル・ヒットぉ!」
 突然『魔白翼』を羽ばたかせていた槍を構えた姿が高空から急降下して、槍の切っ先を先頭の湯ザメの頭に突き立てた。
 湯が血で薄赤色に染まり、先頭の鮫は一瞬、断末魔の踊りを見せたもののすぐに湖底へと沈んでいく。
「謎の美少女仮面参上! 湯ザメは一匹たりとも生かして帰さないわ!」
 急上昇して、再び高空の一点に停止した華麗な姿は見慣れないファンタジー風のひらひらしたコスチュームをまとっている。
 顔をパピヨンマスクで隠した美少女戦士は特にひらひらしたミニスカからすらりと伸びた白い脚を温泉客に見せつけ、二度三度と槍による急降下攻撃で湯ザメを仕留めていく。
 水中からの攻撃が届かない確実なヒット&アウェイ。
 その快進撃は続くものと彼女を眺める観衆は思ったものだが。
「何だ、突然誰かと思ったら未来じゃないか。元気してたか」
「あなた、何処覗いて正体見破ってるのよ!」
 仮面の女戦士という設定で登場した姫柳未来(PC0023)は、いきなり無遠慮に正体を指摘してきた鷺巣を見下ろしながら怒りの声を挙げた。
「そりゃその声、そのミニスカ、その下着。見る者が見れば、正体は一発だろう」
 浅瀬まで逃げおおせた鷺巣が未来の長い脚をまじまじと眺める。
 先日、ノーパン騒ぎを起こしてしまった未来はあまりの恥ずかしさから、しばらく知り合いに顔を合わせられないと思っていた。だからコスチュームを変え、パピヨンマスクで変装をして鮫退治をしようと思ったのだが、いきなり出鼻をくじかれた。
「大体、何で鷺巣がいるのよぉ。……ってゆうか、ここって男湯!? ドジった! 間違えちゃった!」
 浜辺に並ぶほぼ裸の男達に気づいて、必死に戦っていた未来の顔は真っ赤になった。
「そこなる仮面のご婦人!」ドンデラ公がすがるサンチョをぶら下げながら裸で叫ぶ。「邪悪なる魚類を殲滅せんとするその偉業! この遍歴の騎士ドンデラ・デ・ラ・シューペイン、微力ながらお助けいたしますぞ!」
「ああーっ! 思ってたより無関係な人を巻き込んじゃてるし!」
「巻き込んでますよねぇ」
 嘆く未来にツッコミとも言えない感想を添えるリュリュミア。
「今夜は宿に泊まってる皆に、フカヒレをご馳走してあげるつもりでいたのにィ……!」
 既に正体が割れたとはいえ素顔をさらす気になれず、未来は仮面のままで嘆き続ける。
 ひとまず湯ザメの群が去った事もあり、男湯の岸辺には女性が混浴している光景に対して歓声じみた声援や口笛を送るなどカオスな風景が広がっていった。
「そういえばぁ、男湯に女が混じっていると具体的にどんなペナルティがあるんでしょうねぇ」
「うちの社長も男湯に入り込んだ女に数えられるんだろうか」
 ぽやぽや〜と疑問符を浮かべるリュリュミアの横で、鷺巣はこの男湯の沖に船を浮かべて社員総出の鮫退治をしているはずの同僚達に思いを馳せた。
 クライン達の船があるのは湯煙りを幾丈も重ねた遥かな湖面。ここからは見えないほどの沖のはずだ。
「そう言えば未来、何だそのご立派な槍は。前に会った時にはそんな槍持ってなかったはずだが」
「旅の途中で買ったのよ。五〇万イズムもしたんだから使わなきゃ損なのよ。鮫の五匹も倒せば報酬で元が取れるんだから安いもんね」
 鷺巣が問うのに未来は答えたが、
「……何だ、その怪しい催眠商法で買わされた様な値段は。何かの陰謀じゃないのか」
「怪しくないわ! ちゃんとそれっぽい使いやすさと切れ味だし。まあ、きっとデザインの勝利ね」

★★★
「どうも浜辺の方が騒がしい感じですわね」
 イーユダナ湖西側沖。
 男湯に浮かべたエタニティ社員総出の船の甲板で、クラインはどうも気になって手をかざしなが浜の方を眺めた。残念だが立ち上がる湯気によって浜の風景は見通せない。
 クラインの方は快進撃を続けていた。
 エタニティは湯ザメの連携の鍵は「音波による連絡」と「指揮官からの指揮系統」と考え、連携を乱す事を攻略の要点としていた。
「水上の騒音は海中でもかなりの騒音となりますわ。騒音が囮にもなりますが、私自身は水中では手出しで出来ないのがもどかしいですわね」
 船上では楽器を鳴らすなどして騒音を出し、湯ザメの音波を妨害する。もしこの軍隊らしく整然とした団体行動をする湯ザメ達に指揮種がいるなら、彼らは水中を走る音波によって統率されているのではないかというのがクラインの推測だ。
 水中でも出せる騒音や音波妨害に適した騒音の反射については、ダメ元で鷺洲数雄に計算を依頼していた。
 役に立つ計算結果を出してくれた鷺巣だが、永い間、黒板とチョークで数式と格闘していた彼の姿はこの船にない。
「全く、この大事な時期に何処へ行ったのやら……。社員の参加は任意だから強く言えないですけど」
 ぼやくクラインだが、彼が船上から湯中へ落ちたのではないらしい事にホッとしている。
 社員達が釣った湯ザメを水面近くまで引き寄せて、彼女は雷撃の鞭を打ちこむ。青い電撃が水面から覗いた尾びれや背びれを撃ち、その動きを止める。
 この電撃の連携ショック作戦で、既に撃墜マークを五つにまで増やしている。
 しかし、そこからスコアが伸びなかった。
「……やはり群を指揮している狡猾な指揮官がいるという事でしょうか」
 クラインはサイ・サーチに集中して鮫の連携の起点を捜索し、指揮種の場所を特定しようとする。
 その後は鮫が興奮する血まみれの生きた魚を餌として指揮種に投げ込み、釣れるのを待つ。勿論、指揮種の場所が特定出来たら、情報として仲間に周知するつもりでもある。
 しかしサイ・サーチによる走査は意外な結果を示唆していた。
 湯ザメ達の連携は、音波によるものではないらしい。
「もしかして……湯ザメ達も超能力の様なもので連携を!?」
 疑念を抱きながら、エタニティの面面を乗せた大きな釣り船は湖の中央の火山島へと近づいていく。
 どうも指揮種がいるのはこの近くらしい。
「あ、あれは何だッ!?」
 エタニティ社員の男が火山島近くの湯面を指さして叫んだ。
 その側の船べりに社員達が一斉に集まり、船が傾いた。
 クラインを含め、皆は見つけた。
 火山島を取り囲む深い湯の中。海流ならぬ温泉流によって囲まれた湯の中に揺らめく黒い魚影を。
 実にそれは全長二〇mもの巨大な女王ザメが一〇匹ほどの湯ザメを引きつれて、島の周囲をゆっくりと回遊している光景だった。
「なんてデカさだ!」「太古の鮫じゃないのか!?」の声が船内のあちこちで挙がる。
「ここで遭ったが百年目ですわ! 女王を釣り上げて社員の酒膳を豪華にするボーナス・ポイントにして差し上げますわ!」
 クラインは女王種を倒す為の生餌の投入を社員に指示しようとしたが、とんでもない展開がその時に起こった。
 とんでもないのは鮫ではない。
 一転、湖上の青空がにわかに掻き曇り、空の青を黒雲が塗り潰しはじめた。
 岩を転がす様な音が黒雲から聞こえ、今にも大雨が降る様な天候へと変わる。
 突然、火山島を覆う濃緑のジャングルの中から、まるで放り投げられる様な大跳躍で青い空を背景に白い影が跳び下りてきた。
 それは確実にクラインの乗った釣り船のすぐ脇に着湯し、七mはあろうかという身長の肩まで湯に埋めた。着湯の際の熱湯の大飛沫を浴び、船上の社員達は悲鳴を挙げる。
 肌が白い、歯を食いしばった巨人だ。筋肉質な肉体に体毛はない。両眼を鉄の眼帯で覆っていた。
「火山島の『盲目の守護者(ブラインド・ガーディアン)』だッ!!」
 社員の中から声が挙がる。殊勝にもこの温泉を解説する小冊子を熟読していた者がこの精霊とも悪夢とも知れない温泉の番人の名を正しく言い当てていた。
「な、何なんですの!?」
 さすがに冷静さを崩したクラインの傍で、湯中の白い巨人が鼻をひくひくさせ、顔の筋肉に力を込めて耳を扇ぐ様に動かす。
 そして何を確信したのか、釣り船に手をかけ、両腕で船体を頭上まで持ち上げて豪快なるフォームで放り投げるという凄まじいパワーを見せた。
 新たな悲鳴が挙がる船は湯面から遠く、湖の東側へと放物線を描いて飛んでいく。
 白い巨人は浜近くへと一気に大跳躍した。

★★★
 未来やリュリュミア、鷺巣とドンデラ老とサンチョといった男湯の岸にいた者達は、いきなり大跳躍で現れた白い巨人を前に大騒ぎになっていた。
 足の指の半分も埋まらないほど浅い瀬に着地した盲目の守護者は、しばし鼻や耳をひくひくさせていたが、湯を蹴って走り出した。
「え!? な、何!?」
 あまりも突然な出来事に、未来はまるでキングコングに捕まったヒロインの様に白く巨大な右手に握りしめられてしまった。
「あらあらぁ?」
 リュリュミアも左手に握りしめられた。
 そして二人はポイッ! ポイッ!と温泉湖の東側、女湯の方へ大放物線で放り投げられた。
 この展開に男湯の者達はとっさの対応が出来ず、鷺巣も老騎士もその従者も呆然と見送る事しか出来なかった。
 盲目の守護者が来た時と同じように凄まじい大跳躍で帰っていった。
 その何が凄まじいかというと、泳いで浜から一時間ほどかかる火山島への帰還を、白い巨人は一回の大跳躍で成し遂げてしまったのだ。
 天上では空の黒雲は消え去り、再びの青空が戻ってきた。

★★★
(ちょっと時間が戻る)
 湯ウミネコがみゃあみゃあと空で鳴いている。
 イーユダナ湖東側の女湯。
 アンナ・ラクシミリア(PC0046)は正式に湯ザメ退治の依頼を受けてイーユダナ湖にやってきていた。
 本当は水着が似合う風景なのだろうが、仕事なので『レッドクロス』で湯ザメ退治にいそしんでいる。
 アンナは湯ザメには温泉湖のお湯を全部抜いて対処したかったが、それは現実的でないと考え直した。
 相手のフィールドでの戦いという事で気を引き締め、せめて安全策は二重にも三重にもとろう。そういう心構え。
 ともかく温泉にゆっくりつかろうというのはこの仕事が終わるまでお預けだ。
 それよりは定置網や地引網の様な罠を仕掛けて、少しでも有利に戦えないかと地元の漁師達に相談してみる。
 漁師達に地引網について話してみたが「いや〜あ、男が女湯で作業するのはちょっと色色あってなぁ」とやんわり断られた。
「女の漁師はいないのでしょうか」
 そう尋ねると「いる事はいるが数少ない」「どっちかというと海女の方だろ」と漁師達から答が返ってきた。
 アンナはそういう知識に明るくなかったが、海女とはアシガラ地方に見られる、海に素潜りして貝やウニ等を採る女の漁師だと見当がついた。
「……そういう女性の方もいるのですね」
 海女は下半身にフンドシという布一丁の下着をキリリと絞めて下半身はほぼ丸出しだというのを聞いて、ちょっと赤面する。
「アンナ! そんなコトよりア・チェーンソー・ザット・ルックス・グッド・オン・シャークス! 鮫と戦うのはチェーンソーが一番デスヨ!」
 迷彩の水着を着たジュディが凄まじいバズ音をさせて湯ザメの一匹を豪快に斬り刻んだ。噴き上げる血と共に宙吊りの魚体に刻まれた長い傷から豪快に腸がこぼれる。
 これでジュディは三匹目を退治した。
 本当は指揮艦を倒したかったがその様なものはこの視界にはいない。
 女湯で活躍するジュディ、アンナ、マニフィカは半身を湯に沈めながら、湯ザメを次次と仕留めていた。
「二匹目でございます!」
 アンナは自分に向かってきた鮫の鼻面を戦闘用モップでしたたかに打ちすえた。一撃では沈まず、二撃目の追加を要した。
「悪逆たる鮫の一族にはきっついお仕置きが必要でございますわ!」
 マニフィカは鮫の弱点を突く為『水の精霊ウネ』お姉様に助力を頼み天候操作で湖面に落雷を招こうとする。
 精霊ウネが天へと両手を突き上げる。
 一転、湖上の青空がにわかに掻き曇り、空の青を黒雲が塗り潰しはじめた。
 岩を転がす様な音が黒雲から聞こえ、今にも大雨が降る様な天候へと変わる。
「あら。今回は黒雲が発生しましたわ。日によって違うのでしょうか」
 言いながら人魚であるマニフィカは知っていた。
 鮫は特徴として弱電流を感じる感覚器『ロレンチーニ器官』を鼻に有する。
 同じ鮫ならば湯ザメも電気に対してデリケートなはず。
「ウネお姉さま、雷撃をお願いしますわ」
「ちょっと・ウェイト! マニフィカ! ジュディ・アンド・ゲスツ・イン・ザ・レイク・アー・ウナイウレーション、温泉に雷を落とされたら湖にいるジュディ達も客も全滅ネ!」
「お待ちください! マニフィカさん!! 行動を急ぎすぎです!!」
 落雷を温泉湖に直撃させようとしたマニフィカを、湯につかっているジュディとアンナは止める。
 二人の慌てぶりに、確かに今このタイミングでする事でないとマニフィカは思い直し、ウネに対する要請をキャンセルした。
 雷撃中止。
 天上では空の黒雲は消え去り、再びの青空が戻ってきた。
 と、その時。
 遠くから悲鳴が聞こえてきた。この女湯へ思いがけない物が西側の空より放物線を描いて飛んできた。
 太陽を逆光として、巨大な黒い影と小さな二つの影が風切り音と共に落ちてくる。
「皆、伏せてください!」
 大勢の悲鳴の放物線。アンナの叫びと最初の巨大物体が大きな湯飛沫を上げて着湯したのはほぼ同時だった。
 湯霧が大きな虹をかけると共に、エタニティ社員を満載した大きな釣り船が一度は喫水線を沈みこませながらも激しく揺れながら波間に浮かび上がる。
「女湯まで飛ばされてきましたの!?」
 放り出されないように帆柱に掴まりながらのクラインは自分の今いる場所を把握する。
 遅れて空から飛来、女湯に着湯した二つの人影は未来とリュリュミアだった。とぷーんと二つの湯飛沫を上げる。
「やーん! 何よ、衣装がびしょびしょじゃない!」
 湯に入る予定ではなかった未来は怒る。
「随分と遠くまで投げ飛ばされたわねぇ。ここは女湯ぅ?」
 リュリュミアの声に怒りはなく通常運転だ。
 二人の元にアンナとジュディ、マニフィカは駆け寄った。
「怪我はないですか、二人共。一体、何があったのですか」
 精霊ウネに退去を願った後、マニフィカは遠く投げられてきた二人を心配する。
「アイム・サプライズド。これはさすがに想定外ネ」
 ジュディは湯を蹴散らして船からこぼれ落ちた人を助ける。
「湖の中央、火山島にいる白い巨人が私達、女を男湯へと強制転移させたのよ。多分」
 まだ混乱している船内に指示を出しながらクラインは女湯にいた者達に説明する
「火山島の周りに二〇mもの女王種が回遊しているのを見つけたから、それを狩ろうとしていた時分にこれよ」
「全くぅ。リュリュミアは性別関係ないのにねぇ」
 ぽやぽや〜と意見する光合成淑女に、未来は「いや、それじゃいけないでしょ」と軽いツッコミを入れる。
「湖を騒がす湯ザメはスルーで、湖を助けようとするクラインの船はひっくり返していくのですか!」
 アンナは別の視点で憤っていた。
 その時、クラインははたと気がついた。
 まだ男性社員の大多数はこの船に乗っているではないか。
 女湯に男の社員がいていいのか。またさっきの白い巨人が来て、船を今度は男湯の方に放り投げられてしまうのではないか。
「男性社員、総員下船! 早く女湯から出て!」
 慌てて叫んだ女社長に急かされて男性社員が下船する。
 男性全社員は三三五五、速やかに女湯敷地から出ていった。
「まだまだ残っている湯ザメは多いのに、女王までいるのですか……」
「ニュー・ヴァース、新局面ネ。ジュディのチェーンソーはブレーク・ゴッド・アパート、神だってバラバラにするワヨ」
 アンナとジュディは青空を背景にする緑濃きジャングルに覆われた火山島を見、それぞれの武器を肩に担いだ。

★★★
「なんでや! なんでボクだけ温泉に入れんのや! ありえへんやろ……嗚呼、この世に神も仏もおらんのかぁ!!」
 いや、あんた、神でしょ。
 神様見習いがそれを言っちゃ〜おしめえよ。
 そんなレッサーキマイラの無言のツッコミにも気がつかず、ビリーは血の涙を流さんばかりにオーバーアクションで号泣していた。
 この一線を越えれば湯源郷が待っているというイーユダナ湖温泉郷の入口で、福の神見習いと合成魔獣は立ち往生していた。
 騒がしい。イーユダナ湖温泉街ではピークの半分とはいえ、それなりににぎやかな落ち着いた旅館や実直なホテルやほんわりとした土産物屋や原彩色の屋台やらが並んで、歩く観光客を楽しませている。
 性別のないビリーはこの寸前で門前払いを食らわされた形になった。
 いや勿論、温泉湖ではなくこの町を歩く事は許されるだろう。
 しかし町のそこかしこにある『両性・無性は入浴お断り』の看板はビリーの心を容赦なく打ちのめすのだ。
 この状況にレッサーキマイラも困り顔。ちなみに、たとえ合成生物でも雄ならノープロブレムらしい。この三つ頭は『認められた者』だった。
 『持たざる者』ビリーはしょぼくれた。
 ダメなものは×と、まるで狼っぽいバンドの曲名みたいに不許可を喰らってしまった座敷童子は、レッサーキマイラと共にしょんぼり肩を落としながらもせめてイーユダナ湖の浜辺をトボトボと散策する。
 そして彼とはそこで出会った。
「このままでは、火山島に渡る事も出来ないのか……」
 沖合を三角の背びれの群が泳ぐのを見つめながら、赤とオレンジと白の衣をまとった枯れた老人がイーユダナ湖の浜辺で一人、呟いた。
「このままでは私の命は……」
「なんや爺ちゃん、どないしたん? 遠慮せんと、悩み事なら相談にのったるで」
 温泉湖の浜辺で沖を見つめるのはまるで出がらしの様な色白い一人の枯れた老人だった。
「のったるで?」
 ビリーへ振り向いた老人の顔は悲嘆に暮れる様が浮き彫りになっている。
「近日中に火山島に渡らないと私の命運がどうにかなってしまうのじゃよー。しかし島には推定身長七mの白い巨人がいて、おまけに温泉湖には鮫がいるという人生大ピンチの真っ最中。これは何者かの陰謀なのじゃよー」
 なんか騒ぎ始めた老人を前に声をかけた事をちょっと後悔するビリーとレッサーキマイラ。
「……爺ちゃん、名前を教えてくれへんか」
「フレックス」
 『フレックス』老はシンプルに答えた。
「あの火山島に渡りたいんか。まあ、出来ん事もないけどなぁ……う〜ん」
「ちょっとビリー兄ぃ」
「なんや」
「あの老人を助ける事にわしらに何もメリットがない風に思うんじゃけど……」
「困ってる人を見かけたら助けるんが神の道やろが。メリットデメリットで親切心を出したり引っ込めたりするのは本当の善意じゃない!って徳の低い魔法使いの人も言ってるんや」
「徳の低い人の言葉がありがたいんですかねえ」
「真理は貴賤に左右されるもんやない」
 ビリーは九〇歳ほどの老人の小さな姿を見ながら考える。
 『空荷の宝船』を使えば容易いが、火山島には盲目の守護者とかいうけったいな物がいるという噂も聞く。
 安全面が心配。さて、どうすべきか?
「おう。その爺さんもこの温泉のジェンダー差別に憤っているのか」
 突然、声がかけられ、皆は新しく浜辺にやってきた人物を見た。
「この温泉の性差別と戦おうってんなら話にのるぜ。同じ思想の奴は我らが同志だ。俺達の組織で共に戦おう」
 声をかけてきたのは身体の右半身が色っぽい女、左半身ががっちりした男になっているというけったいな人物だった。
「俺の名は『アシュラン』。温泉レジスタンスのリーダーだ。さあ一緒に戦おう。団結しようぜ」
「ちょい待ちや」
 ビリーは掌を突き出して、二色半半のローブを着たアシュランの顔のアップを制する。
「性差別と戦ってる組織っちゅうのは本当なんやろな」
「ああ、そうだ。日日戦っている。今度はあの火山島にいる白い巨人を倒すつもりだ」
「何やそれ……本当なんか」
「おう。火山島の白い巨人と湯ザメの女王種を戦わせて、共倒れを狙う」
 突然、大きな計画を聞かされてビリーとレッサーキマイラは顔を見合わせる。
「……そんな計画……具体的にはどうやるんや」
「具体的な方法はこれから考える」アシュランが青紫二色の胸を張った。「目標だけは出来ている。お前らもグッドアイデアがあったら遠慮なく俺に申し出てくれ」
 何だ、この何から何まで胡散臭い男は……と福の神見習いと合成魔獣は再び顔を見合わせる。
 慎重になった方がいい。
 そんな事を野生の本能が教えてくれたが、しかしフレックス老がフラフラ〜と出て、アシュランの手を取る。
「……同志」
「おう。俺の組織は貴様を歓迎するぜ」
 ええ〜!と驚く展開にビリー達は仰天するもののフレックス老は本気の様だ。

★★★