『ドンデラの男』

第3回(最終回)

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★
 正午に処刑される村長の娘救出に向かう皆の前に立ちはだかる、色色な意味で危険な男、岸堂那偉人(キシドウ ナイト)。
 キリステ教の聖騎士(パラディン)を自称するこの白馬の騎士に、ドンデラ・オンド公はまるで赤い布を見た闘牛の様に向かっていく気満満だ。
「ドウドウドウ!」
 馬の方がその言葉で制するのはおかしな気がするが、ドンデラ公を肩車するロシナンテことジュディ・バーガー(PC0032)は、神聖宗教騎士を自称する老人の意気を押さえるべくその場で足を踏み鳴らした。その足踏みに合わせてカポカポカポ!とココナッツを鳴らす従者サンチョ・パンサ。
「ア・リトル・ウエイト! ちょっと待っテ!」ジュディは老騎士の興奮を冷ますべく、自分が肩車しているパイルダー・オン状態のドンデラ公に声をかける。「レイザ−・ザン・デュエリング、決闘なんかするより、悪のゴ―レム・デザイナー退治を手伝ってもらう方がよくナイ?」
 脳筋の傾向が顕著とはいえ、ジュディは典型的なアメリカン合理主義者でもある。
 判断に迷う様なケースに遭遇したら、あまり難しく考えず、なるべくシンプルに優先順位を決めるのが肝心。
 村長の娘を救出するには、午後の処刑までという時間制限がある。
 決闘は、今すぐ実行する必要はないはず。
 つまり村長の娘の救出を決闘よりも優先すべきだと、ジュディの星条旗柄の脳細胞は答を導き出していた。
「馬鹿な! 異教徒の騎士とここで剣を交えずして、他の件を優先出来ようもないのである!」
 憤るドンデラ公。
 その老人に対し、馬上の年若き騎士、那偉人がエセクスカリバーの切っ先を向ける。どうでもいいが某有名聖剣と似たたいそうな名だが見た目はちょっと質のよい普通の剣だ。「わしも同感じゃ。据え膳食わねば男の恥、ということわざがあるが、それが現状にふさわしいかどうかは皆様の考えをうかがいたくて御意見絶賛大募集中なのじゃよー」意味不明な発言だが、彼も決闘という選択肢から退くつもりはないらしい。
「ナイツ・キャント・フォーギブ・イーブル、悪を放っておけないのが騎士ってもんデショ」ジュディは那偉人に対して騎士らしさというものを突きつける。「ペイジエン・イン・フロント、眼の前の異教徒との決闘と、バッドガイ・テイキング・ア・ウーマン・ホステージ、女性を人質にとっている悪人の討伐、どちらこそ騎士がプライオリティ、優先すべきと思ってるノ!?」
「何!? ナオンを人質にとってる悪人がいるじゃと!」那偉人の表情が驚きに変わった。「そいつは赦せんじゃよー! キリステ教の騎士としてナオンの危機を放っておくのは、せっかくもらったポイント二倍のクーポン券を使わないまま有効期限を切れさせるくらい、ありえない事じゃよー!」馬上で手足をばたばたさせる。
 わけの解らない男だがどうやらキリステ教としては悪の跳梁跋扈を赦す気はない様だ。
「ソー・ナウ・イッツ・ベター・トゥ・ゲット・リド・オブ・バッドガイ・ザン・デュエル、だから今は決闘よりも悪人の盗伐デショ!」
 ジュディは更にたたみかける。ともかく一時的にでも那偉人の興味を決闘から遠ざけるべきだ。
「そう! だから、わたし達は先に行きましょ!」
 JKエスパー・姫柳未来(PC0023)は突然ドンデラ公を肩車したジュディに触れると三人ごと超能力で瞬間転移した。一気にゴーレム・デザイナーの陣取る屋敷に行きたかったが、それは場所が解らず無理だったので視界いっぱいの遠方までテレポート。それを繰り返し、姿は麦畑の丘から丘へと道なりに遠方に姿が消えていく。
「待てー! 異教徒のくせして。わしから逃げんじゃねー!」
 那偉人が白馬を走らせて、どんどん遠ざかっていくドンデラ公達を追いかける。そして、その白い姿も麦畑の向こうへと疾(と)く消えていく。
 やかましい者達が消え、残されたのはリュリュミア(PC0015)とマニフィカ・ストラサローネ(PC0034)の二人の女性冒険者、そして従者サンチョの三人だった。
「さて、わたし達も急いで追いかけねばいけませんわねぇ」
「ところでわたしからあなた達に素敵なお知らせがありますわ。実はここに来る前『冒険者ギルド』で興味深い依頼が出ていましたの」
 手を貸すべき決闘者が視界から消えたところでぽやぽや〜と後を追おうとする光合成淑女に、人魚姫はにっこりと意味ありげな笑みを送った。

★★★
 マニフィカの脳裏には、冒険者ギルドでの出来事が回想されていた。
 まだ昨日、村へ行く前の時刻だ。
 領主館でミキトーカ・オンド嬢より衝撃の事実を知らされたマニフィカは、ドンデラ公の居場所が知りたくて冒険者ギルドへ寄った。
 そこで一旦、茶を飲み、気を落ち着かせたマニフィカはそこで今行われている『究極の二者択一』にあらためて悩んだ。
 導きを求めて『故事ことわざ辞典』を紐解けば、そこには「求めよ、さらば与えられん」という記述が。
「自分から積極的に努力する姿勢が大切、という意味ですわね」
 そう呟きつつもいまいち迷いを断ち切れず、再び頁をめくると「我田引水」という四字熟語が眼に入る。
 大義名分を必要とするなら、たとえへ理屈でも構わない、という示唆であると、彼女はそう感じた。
「ならば、是非もなし!」
 マニフィカじゃ茶の席に着いたまま、小さく叫んだ。
『この者を捕らえ、シュペーイン領主館に無事届けた冒険者には、一人頭五万イズムの報酬が出る』
『この騎士を正正堂堂とした決闘で殺害した人間には、一人頭二十万イズムの報酬が出る』
 相反したこの二つの依頼。
 選択肢を二つの依頼に限定するから袋小路に陥ってしまう。
 行き詰った現状をブレイクスルーするべく、彼女は発想の逆転を試みた。
 つまり第三の選択肢を用意する事。
 今回のケースでは、老騎士ドンデラ公を手助けする新たな依頼が必要。
 そんな酔狂な事を誰が?
 無論、マニフィカが依頼主として自腹を切る。
『この騎士を危機から救った者には、各人に十万イズムの報酬を出す』
 マニフィカはその様な依頼書を受付に提出した。
 そして大掲示板に速やかにその告知が貼り出された。
 ざわつく受付大ホールでマニフィカは大掲示板を見上げながら一人満足そうに腰に手を当てていた。
 回想を終わります。

★★★
「既に皆様の分は私が代理人という事で登録しておきましたわ」
「報酬なんかいらないわぁ。リュリュミアは『緑の魔道士』として騎士ごっこをしていただけですよぉ」
 冒険者ギルド常連ならではの大技を駆使してきたマニフィカの報告に、緑の魔道士リュリュミアは珍しく口をとがらせる。本来は誰かの依頼受託を本人以外が行うというのは、規約違反なのだろうがマニフィカとその仲間達は、実績とそのチームワークが中でもよく知られた仲なので、と特例許可が下りた様だ。
 ともかくドンデラ公の関係者となったPCは『捕縛依頼』でもなく『決闘依頼』でもなく第三の『護衛依頼』参加者になれたのだ。
「ドンデラ公を手助けし、ゴーレム・デザイナーを討ち、決闘を挫く大義名分が出来ましたわ」
「えぇー。でもぉ、勝手にそんな事をされてもぉー」
「これで大義名分をもって堂堂と騎士ごっこが出来ますわよ」
 マニフィカがそこまで言うのでリュリュミアは納得する事にした。
 マニフィカとリュリュミアも二人の騎士を追って、麦畑の向こうにある丘へと走りだした。
「待っておくれでげす!」
 慌てて出腹のサンチョも後を追いかける。

★★★
 アンナ・ラクシミリア(PC0046)は決闘をしている二人の騎士の事は放っておいて、先にローラーブレードを走らせてゴーレム・デザイナーが立てこもっている屋敷の前に単独先行していた。
 藪の陰から見守る。
 屋敷は木造の二階建てだ。
 規模からして一階は大きな部屋がざっと八部屋。前に四部屋。奥に四部屋。
 二階も八部屋という所だろう。
 全ての窓に鎧戸が閉められていて、中は見えない。
 村長の娘が囚われている部屋は解らない。
 屋敷の前の庭にあたる開けた場所には、まだ誰も架けられてはいない空の十字架があった。
 正午にはまだ少し時間がある。
 と、いう事は人質となっている村長の娘はまだ屋敷内にいるという事だ。バイアン・ダニスターという邪悪なゴーレム・デザイナーと、木製のマヌカン・ゴーレム十五体と共に。
 出来るならば奇襲が望ましい、とアンナは『火球の杖』を置いてあるバッグから取り出した。
 しかしそれを不可能にしたのは今、屋敷に駆けつけてきた騎士達のやかましさだ。
 空間から空間へ、まるで飛び石の如くテレポートして現れたドンデラ公を肩車するジュディ、そしてJK未来。
 それを追いかけて白馬をほぼ全速力で走らせてきた那偉人。
「やあやあ! 我こそは神聖宗教の騎士、ドン・デ・ラ・シューペインなるぞ! か弱き娘をさらい、処刑を企む邪悪の輩、ゴーレム・デザイナー、バイアン・ダニスターなる匹夫を懲らしめんとここに参上! さあ、いざここで尋常に勝負勝負、勝負ぅ!」
「うきゃきゃ! わしこそはキリステ教の最もイカス神聖騎士(パラディン)、岸堂那偉人 verEXLじゃぞー! か弱きナオンをさらい、エロゲみたいな諸行を企む極悪超人、バイアン・ダニスターとかいうらしい反社を処刑せんとわし、ここに光臨! うきゃー、いざここでわしが無敵状態になった気分に浸りつつ秒殺壊滅させたいので勝負勝負、勝負ぅじゃよー!」
 二人の騎士は己を誇示せんと屋敷に向かって大声で宣戦布告する。
 当然、奇襲にならず、やかましいったらありゃしない。
「宗教の勧誘はお断りだ!」禿げた頭に丸眼鏡、痩せた身体に黒ローブという中年男が屋敷のドアを開いて、外に飛び出してきた。
「貴様がバイアンか!」叫ぶドンデラ公。
「貴様が刀のサビか!」剣の刃を舌でねぶる那偉人。
「貴様らが我のウインドミル・ゴーレムを倒し、五体のマヌカン・ゴーレムを帰還不能にした正義ぶった輩か!」バイアンが叫ぶとドアから出てきた十体のマヌカンゴーレムが左右に並んだ。残る五体は屋敷の中で人質の傍についているのだろう。
「HEY! 人質をとってでしかセルファサーション、自己主張出来ない卑怯モノ!」公を肩車するジュディは頭の上がうるさいが、多少の事は我慢して突撃体制をとる。
「木の人形を代わりに叩かせるしかないチキン地味男にはふさわしい最期を迎えさせたげるからね! マジ卍!」未来は『サイコセーバー』の光の刃をのばし、構えた。
「うるさい! 行け、我がゴーレム達!」
 バイアンの命令に従って、杭の如き尖った指先を持つ十体のゴーレムが襲いかかった。
「たらたたったったー! チャージ!」
 真っ先にとびかかったのは白馬を走らせた那偉人だった。馬上で白剣を大きく振りかぶり、先頭のマヌカン・ゴーレムに斬りつける。
 しかし。
「うきゃー! なんじゃー!? わしのエセクスカリバーがただの棍棒じゃないかにゃー! エンチャンテッド・ウエポンしか効かないなんて貴様は木人拳の風上にも置けねー!」
 剣が当たったゴーレムはただ転んだだけで傷一つなくすぐに起き上がった。
 それに対し、大騒ぎしているのが那偉人である。魔力の込められた武器でないとダメージが行かないのだ。もしくはもっとよいデザインの武器など。
 神聖騎士は三体のゴーレムに周りを取り囲まれた。
 絶え間なく交差する鋭い指に苦戦する。
「グランパもエンチャンテッド・ウエポンがないとデンジャラス、ネ!」
 なまくらなのが確実なドンデラ公の剣など役に立たないだろうとジュディは警告する。
 しかし、老騎士の眼はそんな言葉などお構いなしに燃えている。
 その彼らのもとへ残り七体のゴーレムが襲いかかってきた。
 アンナは二人の騎士を手助けに藪からとびだした。
「おーい! 待ってくれでげす!」
 その時、リュリュミアとマニフィカとサンチョが後方から駆けつけてきた。三人とも息を切らしている。
「わたしはちょっと疲れたので休憩しますぅ。しばらくしたら起こして下さいねぇ。あ、バイアンとかいう人や那偉人とかいう人は、やれれば先に倒してくれちゃっても構いませんよぉ」
 早速リュリュミアは傍にあった木陰で横になった。戦況の緊迫を見ないのんきぶりは相変わらずだ。
「マニフィカ! 火球の杖を使いますから、炎はあなたの『火炎系魔術』で制御お願い!」
「もとよりそのつもりでしたわ!」
 アンナは火球の杖を自分に最も近いゴーレムに向けた。
 マニフィカは魔術を使う為の精神集中に入る。
 ゴーレムが鋭い指を構えて突進してくる。
 爆発に似た膨音がしてアンナの前方にいた三体のゴーレムが大きな火球に包まれた。この木製ゴーレムが火に弱い事は昨夜の戦いで解っていた。燃える三体は地面に倒れ、じたばたしながら消し炭になる。
 その炎はマニフィカの魔術による制御によって大きく揺らめき、次次と仲間に飛び火する。
 あっという間に五体のマヌカン・ゴーレムが火のついたマッチ棒の如くとなった。
「ご主人様! 松明でごぜーますだ! あとそっちのやかましい騎士も!」
 サンチョが火のついた二本の松明をそれぞれの騎士に投げた。
「異教徒の施しなぞ受けん! ……と、言いたいところだが、国家存亡の危急により受け取っておくのでありがたく思え、貴様ら!」
 那偉人が投げられた松明を手綱をとっていた手で受け取り、それで周囲のゴーレムをぶん殴り始めた。二体の頭部が火に包まれる。
 ドンデラ公が投げられた松明を取り損ねて落とした……と思ったところで、ジュディの手が受け止め、それを肩上の老人に渡す。
「使える馬よのう、ロシナンテ! 今、悪に正義の炎をくれてやらん!」
 火の粉散るドンデラ公の松明の一撃により、木製ゴーレムの一体が炎に包まれる。
 マヌカン・ゴーレム、残り二体。恐れの感情もなく依然、二人の騎士を襲うが、今や優勢は明らかだ。
 それぞれの馬上より松明が振られ、それをかろうじてかわすゴーレム。
 アンナはその隙にローラブレードの滑走で屋敷へと肉迫した。火球の杖の力で屋敷に火を着ける。前にサンチョが進言した通りに屋敷に火を着ける作戦を決行したのだ。
 あっという間に乾いた屋敷に火が燃え広がる。まだ人質が五体のゴーレムによって捕縛されているというのに。これでは人質が焼け死ぬのを敢えて見守る結果となる。
 だが、今回は未来がいた。
 炎の燃え広がる屋敷にいた人質の村娘を、未来はテレポートで直接屋内に飛び込んで身柄を確保、そしてまたテレポートで一緒に屋外へと脱出した。瞬間的な脱出劇である。
「うわー! マヌカン・ゴーレムズ! 我の身を守る為に戻ってこい!」
 バイアンが叫ぶと燃え上がる館の一階の窓を壊し、五体のマヌカン・ゴーレムが脱出してきた。
 だが、四体は既に炎に包まれ、そのまま地に崩れる。
 バイアンが騎士の相手をしてた残りのゴーレムも自分の周囲に呼び寄せる。そのまま三体のゴーレムを護衛に脱走を図ろうとする。
「逃さない!」
 『ブリンク・ファルコン』! サイコセーバーを構えた未来の身体が空中で急降下しながら分身。ゴーレムの全てをその光の渦に巻き込んで粉砕した。
「……『乱れ雪桜花』」
 アンナの呟きと同時に幻影の桜の花びらによって、ゴーレム・デザイナーの視界がホワイトアウトする。
 しかし、アンナからの一撃はない。
「ふぎゅッ!」
 その前に未来の背後からのかかと落としによって、髪のないバイアンが頭頂を強打され、脳震盪を起こしたらしく、その地に倒れ伏した。
「ウネお姉さま。消火を頼みますわ」
「よろしくってよ」
 呼び出された水の精霊『ウネ』がマニフィカの望みに応じて、屋敷の上に集中豪雨を降らせた。
 青空に呼び出された黒雲が滝の如き雨量を落とす。
 冷たい雨に打たれて、炎に包まれていた屋敷は見る見る内に鎮火していった。

★★★
 消し炭にされ、粉砕されたゴーレムの破片をアンナがモップで掃き清めている中、バイアンの眼が開いた。
 その光景は天地逆の逆さまのはず。
 何故ならば、彼自身がロープによって足首を縛られ、屋敷の前にある木の枝から逆さ吊りにされていたからだ。
「どうする? このヤバい奴?」
 逆さ吊りを提案した未来は、眼の前の中年男の黒いローブの裾が垂れ下がって、下着丸出しになっている無様な姿を眺めながら皆に聞いた。
 今更「殺そう」と言う者はいなかった。
 無様な男は、無様すぎるほどに無力だからだ。
「官憲に引き渡せば、牢獄に送られるでしょう。もしかしたら賞金首かも」
 アンナはモップで掃く手を止めて、男の無様さにため息をついた。
「じゃあ、重要案件は終えた事だしぃ、騎士達は決闘しましょうかぁ」
 リュリュミアは白馬を降りた那偉人とジュディの肩から降りたドンデラ公を眺めながら、掌で『ブルーローズ』の種から幼葉を育たせる。老騎士の加勢にまわる気満満だ。
 ドンデラ公と那偉人の眼がギラリと交差した。
 決闘か。
 そういえば、そんな問題が残っていた事を皆は思い出した。
「わしの信条は『汝、右の頬を打たれたら十倍返し』じゃよー」那偉人が白い剣を白い鞘に納めた。「……恩も同じく十倍返しじゃ。今回は貴様らの松明のおかげで助かったのじゃ。ナオンも救われたし。しかし、次はないと思え。今度会ったら今度こそ決闘で血の土砂降りが降るじゃろう。熱帯気候じゃ、異教徒よ!」
 燃えた煤がまだこびりついている黒い大地で白馬にまたがる。
「ハイヨー! ホワイトシルバー!」
 その声に応じ、白馬は長い首を反らして甲高い声でいななく。
「うきゃー! うるせー! 大きな声でわめくんじゃねー!」
 一人で大騒ぎし、キリステ教の自称神聖騎士は麦畑の並ぶ丘の方へと駆け去っていった。
 老騎士はただ、フン!と鼻を鳴らしただけだった。
「そういえば『ラマンチャ領のキホーテ公』を書いた小説も、異教徒との決闘は結果がうやむやになっていましたわね」
 マニフィカは自分が読んでいた小説を思い出した。
 黒い大地もやがてアンナに掃き清められ、火の熱を完全に失い、老騎士と村長の娘と一緒に冒険者達は村へと変える道を辿っていった。
 勿論、ロシナンテことジュディの肩車にドンデラ公は乗り、サンチョのココナッツが蹄の音を高らかに鳴らす帰り道だ。
 青空に太陽は正午に近くあった。

★★★
「前領主様が帰ってきたぞぉーっ!」
 シューペイン領主の館がにわかに騒がしくなった。
 玄関の前で彼らを出迎えた者の中には現領主と領主夫人のペネローペ・オンドもいた。
 そして八歳のミキトーカ・オンド嬢とそのお付きの執事マニエルも。
 ドンデラ・オンド公は捕縛などされていない。
 ジュディの肩車に乗って、サンチョのココナッツの殻を打ち鳴らす蹄音と共に堂堂の凱旋である。
 大勢の見物人が館の周りに集まっている。
 実はこの帰還は王国の大勢に既に知らしめられていた。
「悪のゴーレムデザイナーを裁いた」
「村娘を無事に連れ帰って、村人に感謝された」
 この二つの成果は各冒険者ギルドを通じて『オトギイズム王国』全土に知れ渡っていた。
 勿論、宣伝したのはアンナ、ジュディ、マニフィカ、リュリュミア、未来といった冒険者達だ。
 これで騎士『ドンデラ・オンド』の名は高まり、領主夫人は彼を幽閉などするわけにいかないだろう。
 ドンデラ公の助けをするというクエストの達成だ。
 依頼主のマニフィカにとっては依頼料金の消費は大きいが、惜しい散財ではないだろう。
 結局、捕縛も決闘も、二つの依頼の達成者はいなかった。
 アンナは決闘依頼を出した八歳の美少女に語りかけた。「齢をとる事は悪い事ではないのです。人生はあなたが考えるより全然長いし、何処が最高かなんて解らない。たとえ最高の時を過ぎたとしても、思い出があれば人は生きていけるのです」モップを携えた彼女は甲冑を着た老人を見やった。
「ここはシューペイン領主の館ですな。神聖宗教の騎士ドンデラ・オンド、この屋敷にしばらくの食事と寝台をお願いしたい。代わりに村人を困らせた邪悪なるゴーレム・デザイナーを捕獲した等、様様な冒険譚の全てを貴公らに語って聴かせる、それを土産としますので」
 ドンデラ公はここが自分の家である事、家族の事を忘れている様だ。
 ミキトーカと再会して彼は「これは美しいお嬢様ですな。我が心の姫ミキトーカの様にいつかはもっと美しくなりましょう」と自分の視点を語った。
 彼は『前領主ドンデラ・オンド』ではなく『神聖宗教騎士ドンデラ・オンド』として生きていくのだろう。
 いつかはまたこの館を旅立つ。
 このオトギイズム王国に天寿を全うして老衰で死ぬ事をめざしながら、たとえ命を失う様な決死行からも足を遠ざけない、二律背反の宿命を背負う騎士、冒険者の一人として。
 お付きの出腹のサンチョ・パンサと共に。
 周囲に大迷惑と正義をふりまきながら。

★★★
「……というわけですぅ」
 この冒険の全てをぽやぽや〜と語り終えたリュリュミアは、奇麗なガラスのグラスに注がれた美味しい冷水を飲んだ。
 ドワーフ製の大時計が告げる三時。
 王城のお茶会はドンデラ公の冒険を終えた冒険者達を呼んで行われれた。
 マニフィカは羅李朋学園製の熱い紅茶を唇へ傾ける。
「ふむ。結局、バイデンとかいう男は三十万イズムの賞金首であったか」
 パッカード・トンデモハット国王がスコーンをつまんだ後で茶を飲む。
 捕らえたバイデンを最寄りの衛士詰め所に届けた冒険者達は、彼が賞金首である事を初めて知った。
 スコーンが並べられた大皿を中央に、皆は紅茶を飲む。
 皆が囲む大テーブルは円い。
 壁際に衛士達が並ぶ、このサロンで茶会の時が過ぎていく。
「バイ・ザ・ウェイ、そういえば」と紅茶を飲み干した後でジュディが口を開く。首周りには『ラッキーちゃん』を這わしている。「……『ウィズ』。この名前に何か聞き覚えはありませンカ、国王様」
「ウィズか……」
 その名前を国王は平然と受け止めた。
「東方でもその名は『烏異図』として語られているでありんす」
 金髪を日本髪に結っているソラトキ・トンデモハット王妃がわらび餅を凍らせた物を抹茶で流し込み、口を挟んだ。その漢字を指先でテーブルに書く。
「ウィズとは」とパッカード国王。「そんなに遠くない昔から、一部の国民が信奉する様になった対象の名だ。曰く、混沌の女神。曰く、混沌の化身」
「信仰対象というか、思想、哲学でもありんす。『混沌』というものを陰的、つまりネガティブに解釈し、それを世界に広め、その宇宙規模での速やかな到来を助けようとする思想を人格化したものでありんす」
「ネガティブって、陰キャ?」
 未来は最近は流行が廃れつつあるタピオカ・ミルクティを飲みながら訊く。
 国王と王妃が二人して戸惑った。陰キャの意味が解らないらしい。
「俺も詳しい事は知らぬ。結束した集団であるとも、あくまでも個人的な信仰だとも聞く」
「世にある全ては必ずしもそれが完全に悪いとは言えないでありんす。例えば『死』というものもネガティブに捉えれば『絶望』『破滅』でありんすが、ポジティブに捉えれば『安息』『再生』という面もあるでありんす」
「つまりウィズというのは混沌のネガティブな側面、『混乱』『無秩序』を強調して信奉している輩なのですね」
 アンナの言葉に国王と王妃のうなずき。
「混沌は多彩なものを生みだすポジティブな面もありんす。しかし、それよりも混乱、熱的死を尊ぶというのがウィズを名乗る輩達の思想であるきに」
「世界は早く破滅しちゃえ〜という考えの持ち主なのねぇ」
 リュリュミアがおかわりのレモン水のグラスを両手で持って飲み干す。
「それが最も自然だと考えている奴らなんだ」
 国王がカップの紅茶を一気に飲み干した。
 空になったカップに侍従が茶を注ぐ。遠く高い位置にあるポットからまるで長い滝の様に紅茶をカップにそそぐのは、見た目のよさもあるが紅茶を適度に冷ます意味もあるのだろう。
 それからしばし、茶会は無言の内に時間が進んだ。
 ウィズ。
 これからもその名を呼ぶ者の騒動に遭いそうな予感を感じながら、束の間の休息の一刻がすぎていった。

★★★