『サーカスがやってくる』

第1回

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★
 お約束の儀式として恒例な『故事ことわざ辞典』を紐解けば、そこには「胡蝶の夢」という記述。
 どう解釈すべきかと迷い、再び頁をめくれば「禍福は糾える縄の如し」の一文が眼に入る。
 ますます解らなくなってしまった。
 とりあえず夢や混沌が重要なキーワードらしいと理解。
 いずれにしても慎重さを心掛けるべし。
「どうしたのだ」
「いえ……」
 マニフィカ・ストラサローネ(PC0034)は、王に訊かれて、特に答もないままに卓上の書を閉じた。
 『オトギイズム王国』王都『パルテノン』の王城のサロン。開いた窓から風が流れ込む。
 羅李朋学園元生徒から仕入れた紅茶を飲むこの時間は、今年は湿っぽい夏を迎えた王国の中で風に吹かれたさわやかな気分になる事が出来た。お茶うけのマシュマロはメレンゲからではなく、ウスベニタチアオイ(marshmallow)の根から作られた物だ。この菓子が舌の上で溶け、紅茶で喉へと流される。
 ソーサーにティーカップを置いたマニフィカは赤い瞳を『パッカード・トンデモハット』王へ向ける。「ところで国王陛下。慰霊碑の件、ありがとうございました」
「まあ、あの件に関しては俺が知らぬせいでお前達に完全に任せる形になってしまった。せめてこのくらいは格好つけさせてくれ」
 完成した慰霊碑は子供達を殺してきた殺人鬼の館に作られている。
 無人となった館に新しく住もうとする人間はいない。
 いわくつきの物件はやがて朽ちるか、もしくは領主によって取り壊されるだろう。
 気休めかもしれないが、とマニフィカは思う。慰霊碑が可哀相な子供達の霊を慰める事が出来たなら幸いだ。
 マニフィカはこのサロンでも王と王妃に深い感謝を示していた。
「ところでパルテノンにサーカスが来ているとの話でありんすが」王妃『ソラトキ・トンデモハット』が赤い唇をカップの縁から離した。
 またか、とマニフィカ。最近は色色な所で王都で興行する『エスマ・サーカス団』が話題にのぼる。
 茶の芳醇な香りを楽しみつつ、国王達と優雅なサロンでの世間話に花を咲かせていてもその話題だ。
 どうやら、よほど、そのサーカスの宣伝がハイソサエティな人人の興味を引くらしい。
「夢の中に現れるという似顔絵の人物、その手配書という形式を取る奇妙なポスターというのは面白いでありんすね」
「やはり王妃様もそうお考えでしたか」
 王妃の言葉に相づちを打つ。
 マニフィカも最近、オトギイズム王国のあちこちで騒がれている『ディス・マン』、夢の中に現れるという奇妙な人物がサーカス団団長の人相と一致しているのは、何か新しい宣伝方法なのではと考えているのだ。
『この男が夢の中に現れた事はありませんか? 情報を求めています。エスマ・サーカスのエスマ・アーティ』
 そう書かれたディス・マンを示すポスターという話。サーカス団と奇妙なポスターの事は、もともと知的好奇心が旺盛なマニフィカにも強く印象に残った。
「マニフィカもそう思うという事は、ポスターの中のディス・マンに出会ったからでありんすか」
「いえ、わたくしはそのポスターの実物を見た事がないので」
「ポスターならここにあるぞ」
 パッカード王が傍らの侍従に何やら命令すると、その男は持参していた高価そうな布バッグから一巻きの紙を取り出し、王に渡した。
 国王は表がマニフィカに見える様にそれを大きく広げた。
 人魚姫はその時、初めて、噂のディス・マンのエッチング画を実際に見た。
 顔のアップの肖像画。とても太い眉の中年男。眼、口は大きく、黒髪の生え際は後退している。
 一度見たら忘れられない、独特の強い印象を持っている。
 確かにこれは夢に出るかもしれない。
 その時。
「ありゃ。やっぱ、ここにいたのね。王様」
 突然、風が巻いて、栗色の髪のミニスカJKがサロンの窓に現れた。
 姫柳未来(PC0023)。超能力女子高生の瞬間移動だ。
「だから、お前がそういう風に現れると城の警備体制の甘さを痛感する事になる……」
 パッカード王とソラトキ王妃が苦笑いで唐突な侵入者を出迎えた。
「ねえねえ。王様、王妃様。一気に羅李朋学園まで跳べる魔法使いかマジックアイテムない?」
 いきなりなれなれしげに話しかける未来に、国王と王妃が嫌な顔をせず、応対する。
「羅李朋学園か。いや、現在、何処にいるか解らない『飛行船』に瞬間移動出来るデザイナーはいないと思うが……行きたいのか?」
「いやね。サーカスに置いてもらいたいアトラクションを調達する為にちょっとね」
 未来が話し始めたのもエスマ・サーカスに関する事だった。
 このサーカスを機に、オトギイズム王国の国民にももっと二十一世紀の日本の文化を味わってもらいたいというのが未来の思いつきだった。
 具体的には、羅李朋学園から様様なアミューズメントマシンを借りて、サーカスにゲームセンターを展きたいという事だ。
「ゲームセンター?」
「うん。プリクラとか占いマシンとか景品キャッチャーとかエモいヤツを」
「ぷりくら?」
 何か想像もつかない事をいぶかしんでいる国王達に、未来は二十一世紀の楽しいゲームセンターの事を一から説明した。サロンにいる王の侍従にアイスティーを注文し、それで涼をとりながら話をする。
 ふむふむ、とうなずきながらJKの説明を聞く者達の中にマニフィカも加わっている。
 ともかく未来は羅李朋学園に赴いて、恐らくは確実にあるだろうそれらを借りてくる交渉をしようと思っているのだ。
「それは大変面白そうだが」いつのまにやら国王が未来の方へ身を乗り出し気味の姿勢をとっている。「お前の言うそれは『電気』がなければ動けないんじゃないか。空の雷の様な。デザイナー達の一部で雷を制御する試みは為されている様だが、大量の安定した電気を供給出来るのにはまだまだ未熟だと思う」
「うん。だから学園から発電機も借りようと思って」
「確か羅李朋学園から降ろされた大量の機械を、パルテノンの中古品を扱うギルドが買い取っているという噂を聞いた事がありんす」金髪の文金高島田の王妃が意見を出した。「実に様様な機械がそこに卸され、デザイナー達が研究の為にそれを買い取っているとか」
「じゃあ、ゲーム機や発電機もそこにあるかもしれないね」
 未来はとりあえずそこを当たろうかと考える。
「しかし、それらを借りようとするならばかなりの大金が必要になるんじゃないか」とパッカード国王。「言っとくがそのゲームセンターとやらはお前の個人的な事業なのだから、国は資金援助はしないぞ。それにそれをサーカスに置くなら、興行主にも相談しなければならない。エスマとかいう興行主とお前が直接交渉しなければ」
「金かー! まあ、何とかなるんじゃない。最悪、借金を負うのも覚悟の上だし」未来はざっくばらんに明るい。
「国王。未来さんについては事がスムースに運ぶよう、せめてお墨付きを与えておくんなまし」ソラトキ王妃がせめてもの助け舟を出す。「資金援助は出来ないでありんすが、国王からの信任状があれば、ギルドやサーカス団長とも話がスムーズにいきやすくなるでありましょう」
「お墨付き……という事はVIP待遇ってコトでいいのかな」未来は興味深げな表情をする。「これがあれば、万事うまくいくよネ☆ マジ卍」
「サーカス団長に会うなら」国王が自分の手元に置いていたポスターを開く。「お前もこれを見ておいた方がいいかもな」
「え、ナニナニ」
 未来は国王が開いたエッチング画を見つめた。
 それはディス・マンのポスターだった。

★★★
 ある町の事。
 今日も今日とて『冒険者ギルド』二階の酒場に陣取っていたジュディ・バーガー(PC0032)のピンクに染まった耳に、ふと気になる話題が入ってきた。
「ワッツ?」
 眼をやれば、少し離れたテーブルで羅李朋学園の元生徒らしき冒険者達が、何処かで剥してきたポスターを片手に相談をしている。
 すっかり酩酊したジュディの頭は、夢や謎の似顔絵というキーワードを無視し「王都パルテノンでサーカス団が興業中」という彼らの言葉に反応する。
 アルコールの回ったその脳裏には、心が切なくなるほど大切なセピア色の記憶が蘇る。
 ジュディが生まれ育った世界にある祖国『USWA』は、特に色濃くフロンティア・スピリッツが息づき、ごく普通の人人は精一杯に逞しく社会生活を営んでいた。
 長年に渡って内戦状態が続いてきた不安定な地域だったが、それでも日常的な娯楽には事欠かなかった。
 バーガー牧場を近郊に抱えるニューアラモ自治市は、とある老舗なサーカス団の定期巡業コースに含まれていた。
 ご多分に漏れずジュディも幼い頃からグランパやグランマに連れられ、何度もサーカスを観ている。
 実に古典的でオーソドックスな内容だったが、不思議と飽きる事はなかった。
 これもまた古き良き思い出の一つ。
 今、なんだか無性にサーカスが観たくなっていた。
 童心に戻って心底からサーカスを楽しむ。郷愁とアルコールが胸を焦がしていた。
 いつ観るべきか?
 勿論、今でしょ!
 善は急げ!と王都に向かおうとしたジュディは、冒険者ギルドの大階段を派手に転げ落ちるという毎度おなじみの御愛嬌を披露した。

★★★
「ああああああああぁ! 肉肉肉ニクぅ! これがあれば、あっしはもう……!」
「美味いやんけ! これはビーフでっか? マトンでっか? いや、もう肉であって美味ければ、何んでもいいんやあ!」
「………………」
 パルテノンの王城に寄り添う大公園の片隅で、ビリー・クェンデス(PC0096)はここに住むレッサーキマイラ達に熱熱のバーベキューを存分に振る舞っていた。これにはお約束の『打ち出の小槌F&D専用』が大活躍している。振れば、幾らでも望みの飲食物が出てくるという福の神見習いならではのゴージャスなマジックアイテムだ。
「今日は色色あって機嫌ええから、なんぼでも振る舞ったるで。幾らでもおかわりしいや」
 褐色のビリケン坊やの大盤振る舞いは、まるで錦鯉のいる池に餌を放りこんでいる様に入れ食いだった。
 なんだかんだと言いながら、すっかり気心の知れたレッサーキマイラとビリー。
 やはり、合成獣が寝座にしている公園の片隅で食事を共に楽しむというのは最強のコミュニケーションだろう。
 ジュウジュウに熱い肉やらキンキンに冷えたビールやらを胃の中に放り込む者達は、その食事の最中にも笑いのネタになりそうな話や噂の類の交換を怠らない。それが第三者にとってはどんなに下らないものであってもだ。
 レッサーキマイラが公園に貼られていた物だというポスターを取り出してきたのもそんな騒ぎの流れからだった。
「ディス・マン?」
 意外な事にビリーにはその世間では有名になっているという噂にはとんと疎かった。
「なんやビリー兄さん、知らんのでっか。最近、評判なんやで。この男が夢の中に現れるって」レッサーキマイラの山羊頭が初めて優位に立てたとでもいう風にドヤ顔になる。
「勿論、わいらも夢の中で会いましたぜ。ディス・マンに」獅子頭もドヤ顔を並べる。
「………………」尾にあたる蛇頭も無口ながら何か不遜な表情をしている、気がする。
「そんな事言ったって、夢の話なんかボクは接点ないしなあ」
 ビリーは宴会の最中に水をさされた様にちょっとすねた。
 この座敷童子は眠らない。
 それが種族的な特徴であるのか、それとも個人的な素質なのか、本人にも解らないがとにかく睡眠を必要とせずに生きていける。
 つまり夢を見た事がなかった。
 だから夢の中でディス・マンに会った事など一度もなく、その手の噂に耳が寄る事がなかったのだ。
「で、そのディス・マンとやらにそっくりな団長のサーカスが、このパルテノンの広場で興行するちゅーんですよ、奥さん」
「誰が奥さんやねん!」
 スパコーン!とハリセンチョップが獅子頭に炸裂するが、そんなさわやかな音を聴きながらもビリーの胸の奥ではもやもやしたものが渦巻いていた。
 嫉妬。自分にないものに憧れたり、自分にないものを持っている人に嫉妬する心理。
 まだ神様見習いとして心が幼いビリーも例外ではなかった。
(夢か……)
 希望や憧れや未来の代名詞ではなく、寝てみる夢を見る事のないビリーに、ふとレッサーキマイラの体験がうらやましく思える。
 正直なところ、経験した事がないので実感は湧かないけど、夢というものは本当に摩訶不思議な現象に思える。
 睡眠中の脳味噌に浮かぶ妄想や幻想の類、という説明を聞いてもピンと来ない。なんとなくロマンチックな雰囲気だけは伝わるけれども。
 それにしても、だ。
『この男が夢の中に現れた事はありませんか? 情報を求めています。エスマ・サーカスのエスマ・アーティ』
 ポスターに添えられたその一文を声に出して読む。
「この男が夢に現れて、それが情報を求めているサーカス団長にそっくり? ほんまかいな? マジで? ふーん……さよか。なんや訳わからんちゅーか『ユメマボロシの如くなり』やね」
「でも、夢を見たわいらに報告義務があると思いやせんか、あにさん」
「そやそや。決してサーカスを観に行きたいから言ってるんやあらへんで」
「……つまり、サーカスを観に行きたいと言ってるんやな」
 ビリーはレッサーキマイラの心中を理解した。
「……ま、ええやろ。どうせ基本的に暇だから、これも芸の肥やしや。ボクがエスマ・サーカスに連れたったる」
「もち、入場料はビリー兄貴の奢りで」
「しっかりしとるなあ。まあ、ええか。でも新ネタの一つでもモノに出来んかったら、怒るで、ホンマに」
 そんな事を言いながら、ビリーの頭には一つ疑問が生まれていた。
 レッサーキマイラは一つの身体にそれぞれに人格がある、三つの頭が生えている体型だ。
 彼らが眠って見る夢は共通した一つの夢なのか。
 それとも三つの頭がそれぞれに違う夢を見るのか。
「そこんところ、どないなってんのやろな」
「え、何ですか兄い。それより肉のおかわりが欲しいんですけど」

★★★
 その日の夜の事だった。
 扁平な白い雲が頭上の青空にかかっている。
 足元も雲だ。
 雲が広がる夢の中を歩いている。足元に雲ともいえぬ、霧ともいえぬ、白くあやふやな感触を感じながら君は歩いている。
 地平線までその乳白色が広がっている。頭上の空はやや薄みな青が混じったやはり白だ。空と雲海はやたら平たく引き伸ばされ、視界の果ての地平線で閉じている。
 その他に何もない。
 ここへ来たのは初めてだろうか。それは解らない。記憶にある気がするし、ない気もする。
 何もかもあやふやな状況だが、特に不安はなかった。
 マニフィカはさっきまで懐かしき故郷の海を泳いでいたはずなのに、といぶかしんだ。身体が濡れている感覚が今はない。二本足で立っている。
 未来は遅刻! 遅刻!とトーストをくわえながら、朝の通学路を走っていたはずだ。道の角を曲がった瞬間にここにいた。
 そして、ここにはアンナ・ラクシミリア(PC0046)も立っていた。『レッドクロス』に身を包み、ローラーブレードをはいた彼女は冒険をしている夢でも見ながら、ここに迷い込んだのだろうか。
 その三人は自分達の横に立つ獣を見てギョッとした。
 レッサーキマイラだ。初見ではない。今まで何度も行動を共にした気のいい合成獣だ。
 しかし、それでもいきなりあの巨体がいると驚かざるを得ない、
「やあ、君達と出会うのは初めてだね。いや、その怪物とは二度目か」
 背後から声をかけられた。
 振り返ると『彼』がいた。
 彼の顔は記憶にある。
 未来とマニフィカとアンナはエッチングされた彼の手配書を見たのだ。
 とても太い眉の中年だ。眼、口は大きく、黒髪の生え際は後退している。
 一度見たら忘れられない印象を持っている。
「あなたはディス・マン……」
 マニフィカは呟いた。
 彼は眼を閉じて、うなずいた。「私ももうずいぶんと有名になったね。ここで君達に会ったのは偶然じゃない。君達は私を『見た』からこの夢で出会ったんだ」
「ディス・マンの事は知ってるわ。サーカス団長のエスマって人とそっくりなんでしょ。ってゆーか、当人なんじゃない」
 未来は彼の正体について思いたるものがある。
「そう。あなたは団長とどんな関わりがあるというのですか」
 アンナは武具としてモップを構える姿勢から緊張を保ちながら質問する。
「せやせや。そのエスマ団長ちゅーのが正体だっちゅーのバレてんのや」
「所詮、あんたはそのサーカス団長の『影』だってこっちゃ」
 レッサーキマイラの山羊頭、獅子頭の言葉にディス・マンが哀しげに顔を振った。哀しげと言っても「解らない人には解らないだろうな」と何処か上から眼線の雰囲気がある。
「向こうがメインだと思われるのは正直面白くないね。こっちはこっちで気楽に生きたい。今となってはそろそろ向こうに退場してもらってもいいかもね。もう、これだけ皆に認識されてるんだ。向こうが死んだら、こっちが消える、なんて事はないだろうね。ここはもう私の世界だ」
 それだけ言うと彼の姿が薄れ始めた。
 いやディス・マンだけではない。夢の風景そのものが薄れ始めたのだ。
 一様に白くなる景色。
 マニフィカは。
 未来は。
 アンナは。
 レッサーキマイラも。
 それぞれの寝床で同じ時間に夢から醒めた。
 朝まではまだ遠い時間だ。

★★★
 朝。
 夏の青空。
 王都パルテノンの中央広場には、中央に巨大でカラフルなテントが建てられ、周囲をサーカスとそれ以外に分ける柱がグルリと大きく取り囲んでいた。
 その規模で、このサーカスの大きさが解る。随分と広いものだ。
 大天幕の周りには芸人達の家も兼ねている馬車が並び、その中でもいっそう大きな馬車には外にはみ出すほどの大勢の群衆が集まっていた。
 群衆は百人以上もいたようだ。
「ほうほう。君達は夢の中で私に会ったと言うのだね。興味深い事実を教えてくれてありがとう。これで私の研究もまた一歩進むよ」
 サーカス団長、つまり興行主であるエスマ・アーティとはまさしくディス・マンそのものの人相だった。
 いかにもエンターテイナー的な派手な身なりをした彼は、群衆達の『夢』についての報告をいちいちメモに取ったりしないで、丹念に聞いていた。
 それらの内容は全く同じだ。夢の中で団長そっくりのディスマンという男に会ったというものだ。
 マニフィカも、未来も、レッサーキマイラも報告者として、この場にいる。レッサーキマイラがここに来ていると、彼を知らない市外から来た者が「サーカスから逃げ出した怪物がいる!」とちょっとした騒動になったりしたが、それはそれ。ビリーが『伝説のハリセン』で怪物の頭を小気味よくはたいて、無害な魔物である事をアピールしている。
 報告会はそれ以外は別段、何のトラブルもなく、進んでいく。
「あのぅ」
 そのスムーズな進行をアンナは一時、止めた。勿論、彼女もディス・マンの夢を報告しに来た一人だ。
「夢の男とあなたはどういう関係なのですか。どう見ても同一人物だけど、お互いにお互いを認識していますよね。……何が起こっていて、どうしたいのか。困っている事があれば、出来る限り力になりたいですが」
「困ってる事? 困ってる事ねぇ……フムン」
 エスマ団長が顎に手をやり、首を捻った。
「お互いを認識してる? ディス・マンが私を? そんな事はないだろう、奴は単なる私の作り上げた……」そこで彼は口をつぐんだ。「まあ、夢の中の出来事は何でもあるさ。この世は全て夢。寝て見る夢こそ現(うつつ)。そんな言葉もあるくらいだからね。とにかく、君も我がサーカスを楽しみたまえ。奇想天外! 究極神秘! 万国驚愕! 一目瞭然! 今、この都市の領民にさらされる類まれなる娯楽の数数! 娯楽の殿堂、我がエスマ・サーカスはこれより一週間、あなた方を楽しませる娯楽を提供し続けます!」
 そして、アンナの話を最後に聴き終わると、団長がスパンコールが散りばめられた派手な上着の懐から小さいが厚い帳面を取り出した。
 それはサーカスの入場チケットが束になった物だった。
「ディス・マンについてご報告をして下さった方方には、私からのお礼に、皆に『サーカスチケット五百イズム券』を差し上げましょう」
 サーカスの道化師達からそのチケットが報告者達に配られていった。
 マニフィカも、未来も、アンナも、ビリーも、レッサーキマイラも、モノクロで印刷されたその一枚を受け取った。
「なんや。出し物は一回、三百イズムなのに、五百イズム券とは随分と中途半端やな」
 レッサーキマイラが小さく愚痴った。

★★★
「その怪物をサーカスで働かせてほしい? そいつに何が出来るんだね? 猛獣使いの猛獣なら十分に間に合ってるよ。何か芸は? 手品? ジャグリング? 綱渡り?」
「こう見えても、こいつらは漫才が出来るんやで」
 ディス・マンの事を報告しに来た客達が帰った後、ビリーと未来は個人的にエスマ団長と面談する約束をとりつけた。
 そしてビリーは芸人としてレッサーキマイラを売り込んだのだった。
「ハイ! どもどもどもぉー☆」
 レッサーキマイラはサーカス中央テントの舞台で、上手側から肉球を揉みながらサーカス団長に芸を見せる為に現れた。
「いやー、あんさん。隣の空き地に塀が出来たんやってねー」
「塀だけで中身がねえとおかしいから、秘密組織が地下アジトでもこしらえてんじゃねえかなー」
「…………」
「「ハイ! レッサーキマイラでないレッサー!」」
 ドヤ顔を決めたレッサーキマイラの小話を聞いていたエスマ団長は眼がしらを手で揉んだ。「…………今のがギャグか」
 あかん、やってもた、とビリーは観客席から合成獣と団長を見比べる。「こいつらのポテンシャルはこんなもんやない! こいつらのしゃべくりはいずれ世界をも揺るがすで、ホンマ!」
「……基本的にサーカスでのしゃべくりは団長である私の役割なのだがな……」
「それやったら、こいつらに小さな小屋でも一つ与えて……」
 必死に擁護するビリーは、なんとかサーカスの隅に小舞台となるテントを一週間貸してもらい、漫才を披露するという事で話をつけた。自分がツッコミ役になってもいいが、出来れば、レッサーデーモンはピン芸人として一人前になってほしい。その気持ちがある。その為に今回は敢えて突き放す事にする。
 次はエスパーJKの番だった。
「これだけのエモい遊具をここに置くプランなんだけどぉ……」
 未来は中古品ギルドから借り出した、羅李朋学園から払い下げのアミューズメントマシンの簡単な説明が羅列されたリストを団長に見せた。
 プリントシール機、占い機、ぬいぐるみやお菓子が取れるプライズマシン、メダルゲーム、モウルバスター等がずらっと並べられた大きな羊皮紙を顔の前に広げられたエスマ団長は「うーん」と唸り「噂の羅李朋学園製か。これだけの物を動かすには『電気』がいると聞くが」
「だから発電機も借りるんだよ。薪を燃やしてその蒸気力で発電するの」
「全てはその羅李朋学園の技術か。これらの機材は借りてるんだろう。興行主としてレンタル料を差し引いて、どれだけの利益が出るかを考えなければならんが、未知数だからな……。これが失敗したらサーカスとしてはとんでもない大赤字になるな」
 実は未来は赤字覚悟でいて、手持ちの現金は全て費やして、なお借金もかぶる気でいるが、興行主としてはそうはいかないらしい。
 そこで未来はとっておきの羊皮紙を広げた。
「ほら。今回はトンデモハット国王からのお墨付きもあるんだから」
「国王のお墨付きか……。まあ、いいだろう。それがあるなら、いざという時の借金は王国に請求出来るだろう。それがお墨付きを出したからにはそれだけの責任を負ってもらわねば。大テントを準備しよう。早速、それらの機材を運び込んでくれたまえ」
 国王は資金繰りは回避するつもりだったが、エスマ団長は資金の肩代わりがされると信じたらしい。
 この事は後で説明してどうにかなるだろうと考え、未来はとりあえずゲーセンの準備に取りかかるのだった。
 こうして、エスマ大サーカスに今回限りの二大呼び物が加わった。
「三人とも、後学の為にもこの私のショーも観に来たまえ。今日の正午にこの舞台を使ってやるんだ」

★★★
 幾つもの風を切る上昇音。
 青空に白い破裂音。
 花火が撃ち上がり、様様な色の煙が空に花開いている。
 パルテノン中央にある大広場。
 全ての道が集合するこの広間にエスマ・サーカスの本拠が置かれた。
 中央にはサーカス用、一度に数百人の観客を収容出来るという大テント。
 その周囲に小さなテントや屋台が並び、花畑の様に広場を彩っている。
 出し物はどれも基本的に一回、三百イズム。
 当たれば、ぬいぐるみがもらえるボール射的。
 力自慢の為のハンマー叩き。
 占い小屋。
 見世物小屋。
 足踏みろくろと火鉢を利用した綿菓子製造機。
 金魚すくい。
 輪投げ。
 回転木馬。
 人形劇。
 紙芝居。
 フランクフルト。
 その他もろもろのエンターテインメイト。
 大勢の観客達がたむろし、子供達が走り回る中、愛蛇『ラッキーセブン』を首に巻き、期待に胸を膨らませたジュディは、まるで子供みたいな満面の笑顔でエスマ・サーカスに入場した。
「Wahoooo!」
 ポップコーンを頬張り、カウガール風にお約束の歓声を上げる。
「ジュディさん。すっかりご機嫌ですね」
 ジュディは団長と会った後のマニフィカと同行していた。
 そんな彼女達とちょっと酒が回った大人達とすれ違う。
 楽しそうな明るいカップル。
 精一杯着飾った家族連れ。
 このサーカスで大人達は羽目を外しまくりそうだが、常日頃から羽目を外しまくっている子供達に今日も振り回されている女性もいた。
「あらあらぁ。そんな事をしてはダメですよぉ」
 甘いりんご飴を食べながら、リュリュミア(PC0015)は貧民街の子供達を連れて、サーカスを巡る。
 彼女が払った入場料でサーカスに入った子供達がリュリュミアの周りでぐるぐると走り回る。
 最近のパルテノンの貧民街は国家の貧民対策によって比較的裕福になった為、他の町から浮浪児が流入してきていた。
 時折、貧民街を訪れるリュリュミアは、一緒に遊ぶ子供達がどんどん増えていく様相に眼も回りそうになっている。尤も、ぽやぽや〜とした彼女の態度はそんな事を微塵も感じさせないのだが。
 身なりが貧しげな子供達はずるをして、入場料を払った以上の人数がどんどん増えていく。料金を払った印である掌のスタンプをわざと湿らせて、薄いながらも他の子の掌にコピーさせたりとか。
 チョコバナナ、クレープ、いか焼き、焼きそば、あんず飴、ラムネ……。
 そんな子供達一人一人に何か物を買ってあげようというのだから彼女の散財はかなりのものだ。食べ物ならば、一口味見をさせてもらって、それで光合成淑女は満足するのだが。
「Oh! リュリュミア!」
「あ、リュリュミアさん。随分とお連れが多いですね」
「あら。ジュディさん」
 ハンマー叩きのアトラクションの前でジュディとマニフィカは、リュリュミアに偶然、出会った。
 子供達がジュディが首に巻いたニシキヘビに驚き、小さな女の子が泣きだした。愛蛇ラッキーセブンに慣れている生粋のパルテノンっ子は全く怖がらず、泣いている子をあやす。
「ドント・フィアー、怖くないネ」
「ジュディさんも来てたのぉ。やっぱり、こういうのが目当てなのかしらぁ」
 リュリュミアの言葉に、子供達はジュディの鍛えられた長身を見上げる。
 ハンマー叩き。
 下に叩き台がある柱をハンマーで思いきり叩くと、叩き台から伝わった衝撃で柱をチェイサーと呼ばれる重りが跳ね上がり、一番頂上にあるゴングを鳴らせれば賞品がもらえるというアトラクションだ。勿論、力自慢の為の物だが、こういう物はそうやすやすと賞品を取られない為に渋めにセッティングしてあるというのはお祭りのお約束だ。
 子供達は期待に満ちた眼でジュディを見つめている。
 これは期待を裏切るわけにはいかないとジュディはハンマー叩きの横にいる男に参加料三百イズムを払った。
 そして、両手持ちのハンマーを振りかぶると叩き台に振り下ろす。
 するとチェイサーはグン!と跳ね上がった。
 子供達の興奮が手に取れる。
 しかし、やはり渋く設定してあり、一メートル半も上がると見る見る内に加速は弱まり、それでもかろうじてジュディの眼の高さにあるゴングを涼しく鳴らす事が出来た。
 店番の男から大きなピンクのクマのぬいぐるみを受け取る。
「テディ・ベア。プレゼント、ネ」
 ジュディはぬいぐるみをさっき泣いていた女の子に渡す。
 一方、少年達はこの結果に不満な様だ。彼女ならもっと派手にゴングを鳴らせるだろうと期待していたのだ。
 実はジュディはこのハンマー叩きに手加減を加えていた。やろうと思えば、チェイサーがゴングを破壊して、空高くまで飛んでいく『怪力』で叩けたのだが、サーカスの商売道具を壊さない程度のパワーにとどめていたのだ。
 ジュディとマニフィカいう新オプションが加わった子供達の群は、買い食いの人数を増やしながらサーカスの広場を闊歩する。
 すると、一つのアトラクションの前で簡易な椅子に座り込んで真剣な表情をしているアンナに出会う。
 ピンクのスカート姿の彼女は、屋台で同じ様に真剣な表情で手元を見つめている子供達に混じり、マチ針で何か小さな板状の薄い物を突いていた。
「ホワッツ・ザット?」
「あれはアンナさん?」
「アンナさん、何やってんのかしらぁ」
「あれは『カタヌキ』だぜ」
 ジュディとマニフィカリュリュミアの疑問に、子供の一人が偉そうに答える。
「薄いお菓子の板の上に、浅い溝で色色な絵が描いてある。その溝を針や楊枝で掘っていって、その絵を奇麗に切り抜けたら景品がもらえるんだ。なかなか集中力と手先の器用さが要るんだぜ」
 観てみるとカタヌキをやっている子供達は異様に真剣だ。店主である親父がプカリと煙草を吹かす前で、小さなお菓子のそれぞれの絵を切り抜こうと必死になっている。
 アンナの挑戦しているのは難易度の高そうな細かい造形のドラゴンだった。細い首の曲線を奇麗に切り抜こうと慎重に針で掘っている。
 整理整頓が好きな几帳面なアンナには向いている催し物かもしれない。
「ガンバぁ。アンナさぁん」
「ぅわぁ、え!」
 突然、リュリュミアに声をかけられたアンナの針先が滑った。余計な力が加わった針はドラゴンの首をポッキリ折ってしまう。
 残念ながらカタヌキ失敗だ。
 アンナは残念そうにカタヌキの菓子を齧る。ラムネの味がした。
 再チャレンジをあきらめて屋台を発ったアンナは、ジュディとマニフィカとリュリュミアと子供達の集まりに合流する。
 子供達がワイワイと騒ぎながら演し物を観ていくと、今度は『ヒモクジ』の前にいるビリーに出会う。
 ごちゃごちゃと何十本もたばねた紐先に色色な景品がくっついている、しかし紐の途中は布を巻いて隠されていて、どの紐端がどの景品にくっついているか解らない。紐端を一本引っ張って、運がよければ高額景品にあたるが、大抵はスカを引く事が多い、というくじ引きだ。
「こんにちは。ビリーさんはヒモクジですか」
「あ、アンナさん」ビリーは皆に挨拶する。「いやあ、あちこち回ったけど、これはなかなか手ごわくってなぁ。座敷童子の僕がスカばっかり引きよるんわ」
 そう言って、ビリーはヒモクジの店を発ち、皆の道中に加わった。
 皆、もう団長から配られた五百イズム分のチケットは使い切っている。
 それからも色色な屋台で売られているお菓子に手を出し、皆で綿菓子を食べていると、大きなテントの前で呼び込みをしている未来と眼が合った。
「やっほー! 皆、子供達を連れて観て回ってるの? うちのも観てってよ。ゲーセン! 密だよ!」
 誘われて皆、天幕の内に入る。
 するとそこは異文明のアミューズメント空間だった。
 電子音。様様なゲームの筐体が十以上も並び、人人がそれに群がっていた。
 特に人気のあるのは撮影した自分達を写真シールに出来る機械だった。
 後はぬいぐるみやキャンディ等のお菓子を取れるクレーンゲームにも人気が集まっている。
「盛況ですね。でも、これらの機械を動かす電力はどうしたんですか」
「裏に発電機があるから」
 アンナの質問に未来は答える。筐体から伸びた電気コードは束ねられて天幕の裏に消えている。そこに発電機があるのだ。
 未来が最初考えていたよりもこのゲームセンターは盛況だった。儲けの予想をするに借金をせずに、手持ちの金がゼロになるくらいだろう。盛況にしては厳しい数字だが、それだけゲーム筐体や発電機のレンタル料は高かったのだ。
「ああっ、惜しい! もうちょっとで取れそうだったね……。はい、これ残念賞だよ」
 未来はプライズマシンで何も取れなかったお客さんにパフな感じの棒型お菓子をプレゼント。コンポタ味、チーズ味、とんかつソース味等のうまいと評判の棒型お菓だ。
「羅李朋学園から持ってきたとアイ・ハード・ア・ルーマー、噂に聞いたケド、これだけ機械が王国に来たなら、このテクノロジー、技術を応用して、オトギイズム王国の文明レベルも一気にゲイン、上昇させるしれないワネ」
「わたしもそう考えたんだけど、これだけの機械を複製するにはまずコンピュータを発明しなければならないんだって。それに精密機械を作る為に工場の空気や洗浄水を徹底的にクリーンにする技術や半導体等の材質の問題もあるんだって。文明レベルアップは百億年早いって中古品ギルドにいた元学園生徒が言ってたわ」
 ジュディの言葉に、未来は答えた。
「そや。未来さん、ヒモクジやった?」とビリーは訊く。「超能力者の未来さんなら、ヒモクジの隠されてる部分を透視して高額商品ゲット出来るんちゃうん」
「あ、ヒモクジね……」
 バツが悪そうに言い淀む未来。
 実は彼女はすでにヒモクジにチャレンジしていたが、超能力でスキャンした結果、どの紐も高額商品にはつながっていないインチキである事を見抜いてしまっていた。
 同じサーカスの演し物をインチキ呼ばわりするのも気がとがめて、ここではお茶を濁す事にする。
「ね、ねえ。それよりサーカスの大テントに行かない。そろそろ団長のショーが始まる頃じゃない」
 未来は皆の肩を押して、大テントの方へと民族大移動をうながした。
 筐体にとりついていた子供達もわいわい歩き始める。
 その背後。プリントシールを写す筐体で自撮りしていた遊んでいたお客達から声がする。
「何、この写真。あたし達の背後に誰か人の顔が写り込んでるじゃない。……これはサーカスの団長?」

★★★
 入場料金を払って、皆が大テントに入っていくとちょうど団長のショーが始まったところだった。
 ベンチには座れず、最後方で皆は立ち見をする事になる。
 舞台の上には派手な身なりのエスマ団長と、恐らく会場からランダムに選ばれただろう幾人かの客が並んで、観衆の注目を受けていた。
 並べたゲストの前でエスマ団長が品定めをするかの様に歩き回る。
 声を出さない観客の前で、団長は端の中年男から説明を始める。
「君は動物を殺した事がおありですね……いや、別に言わなくて構いません。君は持病がおありですね。ない? では、怪我をした経験がありますか? そう、ありますね。それは身体の右……いや、左側か。足ですか? そうですね。そう、解ります。今でも傷が疼きますね。雨の日とか。その痛みはつらい時にはつらいですね。……よろしい。後、君は眼も悪い。老眼が進んでますね。……ちょうどいい。私はその古傷と老眼にてきめんに効く薬があります。エスマ印の『ヒーリング・ポーション』です。今なら三千イズムでお譲りします」
 次いで、その隣の老人の前に立つ。
「君はずいぶん、日焼けしてますね。農夫……いや、漁師ですね。農夫? そうですね、解っております。君は持病がおありですね。ある? 身体の左側ですね。眼……耳……歯……心臓……そう、心臓ですね。君の年だと心臓がつらいでしょう。あと、怪我の経験がありますね。脚……肋骨……肩、そう、肩ですね。それも農作業中の事故での事だ。左肩? いや、これは右肩ですか。そう、右肩ですね。農作業中に肩を傷めた、私には解っております。エスマ印の『ヒーリング・ポーション』です。こういう怪我にも効きます。今なら三千イズムでお譲りします」
「服のセンスがいいですね、マドモアゼル。君はずいぶんと裕福なご家庭だ。……違う? その服は姉の花嫁衣裳のおさがりですか。洒落たドレスだ。君のご家庭は大家族だ。皆、健康でしょう。父は身体を壊しがちだ? まあ、そういう事もあるでしょう。……君はご懐妊ですね。五ヶ月というところだ。いや……違う? エスマ印の『ヒーリング・ポーション』は痩せ薬でもあるのですよ。今なら三千イズムでお譲りします。お父様にも買ってあげてごらんなさい」
「君は腸が悪い。もしくは腰が悪い。足の方にも障害が出ているかも。……上半身の方を診てほしい? 君は肺が弱そうだ。気管かな? 首……首を君は寝違えている。そうですね? そうでしょう。そして、それが原因の肩の不快もある。そうですね。解っております。そのせいで眠れない。眼も充血している。生あくびも出てしまう。今もあくびを噛み殺しましたね。そんなあなたを救う方法はちゃんとあります。エスマ印の『ヒーリング・ポーション』。安らかな睡眠が得られますよ。疲労もイッパツだ。エスマ印は何にでも効くのです。今なら三千イズムでお譲りします」
 まるで彼らのプロフィールが解っている様に次次と健康状態を当てていく。その口調は滑らかなもので、惹きこまれていく様な魅力のある声だ。
 そして全ての客を診終わると団長が客席に向かって一礼し、万雷の拍手を浴びた。
「皆さんは運がいい。エスマ印の『ヒーリング・ポーション』は普段はこの五倍ほどの値段でお売りしているのですが、最近は素材がふんだんに入手出来たのでお安く提供しています。皆様、お安い内にどうか出口でお買い求めください。増毛効果もありますよ」

★★★
 ショーが終わって、大テントから人がゾロゾロと出てくる。
 子供達に迷子を出さないように気をつけながら、皆も出てきた。
「皆、うちの芸人の漫才も観てってや」
「芸人っていうと、あのレッサーキマイラ?」
 ビリーの呼びかけにアンナがちょっと不審げな顔をする。
 皆はレッサーキマイラのテントの前まで来たが、どうも人が集まっている雰囲気ではない。
 その時だ。
「大変だー! 『空気獣』が逃げたぞー!」
 大慌てで騒いでいるサーカス団員達の声が周囲の観衆達の注目を集めた。
「空気獣ぅ?」とリュリュミア。
「眼に見えないし、触れない。空気で出来た動物って演し物や」正体を知るビリーは全然、動じていない。「勿論、そんな動物おらへん。鉄の檻だけがあって、それを見物するだけのもんや。団員が時時、檻を揺らして存在をアピールする。そういう仕掛けや。それに比べれば、ボクんとこの漫才の方がよっぽど……」
 その説明は顔を赤くして酔っぱらった観客の一人の叫び声によって遮られる。「ピンクの象に踏み潰されるぅー!」
「ピンク色の象?」
 全員がその酔っ払いに注目したが周囲にそんな物はいない。
 真面目な顔をする見物人もいない。
 酔っ払いの幻覚か、と皆が納得した瞬間。
「踏み潰されるー!」
 足元がフラフラとした、その酔客が突然、何かに踏みつけられ、ぺシャンコになった。
 え!?とあらためて皆が注目すると、その踏み潰された男の上には象の足跡がついていた。
 よく観察すると、地面には象の足跡が並んでいて、その始まりはひしゃげている空気獣の鉄の檻からだった。
 眼に見えない巨象はどんどんサーカスの地面についていく、足跡だけで実在を主張している。
「ピンクの象だー!」
「ピンクの象が走ってるわー!」
 周囲を逃げ惑い始めた観客達の中で、明らかに酔っぱらっていると思しき人間だけがその空気獣が見えている様だった。他の人間にはどう眼をこらしても見えない。
 その巨象の足跡はまっしぐらに先ほどまでエスマ団長がショーを行っていた大テントをめざしていた。
 その途中にあった回転木馬が圧倒的パワーに踏み蹴散らされて、残骸と化す。
 今や、王国の夏のサーカスは逃げ惑う観客で大騒動になっていた。

★★★