『十歳、おめでとう』

第1回

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★
 本格的な春を待つ季節。
 『オトギイズム王国』の王都『パルテノン』。
 人通りの多い街角で優雅にティータイムを嗜むマニフィカ・ストラサローネ(PC0034)の姿がここにある。
 喫茶店のテラス席には木漏れ日が降り注ぎ、爽やかな風がそっと頬を撫でた。
 本日も彼女は戯れに恒例の『故事ことわざ辞典』を紐解く。
 ランダムにページをめくる白い指。
 すると、そこには「月に叢雲、花に風」という記述。
 眉をひそめ、再びページをめくる。すると「人事を尽くして天命を待つ」の一文が眼に入る。
 これらは不穏か。何か日常に事件が起こるのか。悪しき運命への警告と解釈すべきか。
 意味ありげな、そして度度、意味のある託宣となるこの本の記述は実に悩ましい。
 何せよ、じたばたせずに天命を待つならば、それまでには自分がやれる事をやり尽くしておかなければならないという事だ。
 そんなマニフィカは気分転換の為に『冒険者ギルド』に顔を出し、そこでギルドの受付嬢である『トレーシ・ホワイト』女史の依頼文を知る事に。
『トレーシ・ホワイトとフィーナにつきそって、エリザベス・ティアマンの館に行き、そこで起こる出来事につきあう事。
 彼女達に危険があれば、それに対処する事。
 冒険の終了は彼女達が帰還するまでとする。
 報酬は一人頭、十万イズム』
 マニフィカはホワイト女史に同行するという『フィーナ』とは少なからず縁があった。
 ふと辞書の託宣を思い出す。
 単なる偶然だろうか?
 いや、おそらくこれも最も深遠に坐す母なる海神の導きだろう、とマニフィカは銀色の髪をかきあげた。。
 ならば是非もなし。漠然とした不安の予感を覚えつつもマニフィカは、このクエストに参加する事にした。

★★★
「Hmmm?」
 とある田舎の冒険者ギルド。
 大掲示板に貼り出された新規クエストを読んだジュディ・バーガー(PC0032)はうーん?と二メートルの高みにある首を捻った。
 依頼者であるトレーシ・ホワイト女史の名前に聞きおぼえが……でも、すぐに思い出せない。
 逆にフィーナの事ならよく覚えている。
 あれは凍てつく夜と業火の記憶。
 記憶には屋台のラーメン&餃子のセットが美味しかった事もしっかり刻み込まれている。
 友人達と救済事業に手を出してみたが、あれから貧民街の環境も少しは改善しているだろうか。
 しかし何故かこの懐かしいクエストは一筋縄ではいかないだろうと胸騒ぎを覚える。この依頼には何か危難が待っているのでは、とジュディの第六感が不安をを告げる。
 ジュディは直感を素直に受け入れた。
 しかし臆するわけではない。
 出来る限り慎重に振る舞うだけだ。
 クエストに参加する手続きをすませたジュディは、王都パルテノンを目指してモンスターバイクを走らせた。

★★★
「あれぇ。ジュディさんも参加するのかしらぁ」
 前に来た時から貧民街もなかなか整頓をされていた。
 うらぶれた雰囲気こそあるものの、前に比べれば道はずいぶんと奇麗になり、飢えて死にそうになっている人は道にいない。
 まあ、今、すぐ隣を駆け抜けていった子供達の服装は平民さえ裕福に見える様なツギだらけのシャツとズボン姿だが、前に比べればかぎ裂きだらけの襤褸の様なシャツ一丁でないだけマシだ。
 汚いぬかるみを行き過ぎたあたりでバイクを停めたジュディは、水の出ない噴水の傍にいるフィーナを見つけていた。
 来てみればリュリュミア(PC0015)も依頼に参加しては既にフィーナに会っていた。ジュディより先に、だ。彼女には一歩出遅れたが、それはいい。こう見えてリュリュミアは頼りになる。
「フィーナはまっち売りの少女ごっこを教えてくれましたよねぇ。背が伸びたんじゃないですかぁ。ちゃんと食べてますかぁ。今日はゆでたじゃがいもを持ってきたので食べてくださいねぇ」
 リュリュミアの周りには痩せた子供達が群がって、彼女が小さな樽一杯に持ってきたゆでたジャガイモを貪り食っている。
 その中で一人、じゃがいもを手にしたまま、リュリュミアと話し込んでいる少女がいる。
 木綿の上衣と膝までのスカート。ボサボサの麦わら色の髪の痩せた姿態。
 フィーナだ。
 彼女がもうすぐ十歳を迎えるという、トレーシに選ばれた少女だ。
「何であたしが選ばれたのでしょう……」
「トレーシの知ってる内でもうすぐ十歳だからじゃないかしらぁ。わたしもそれ以外に理由は聞いてないわぁ」
 心細そうなフィーナにリュリュミアはあっけらかんと答えた。
「行かないつもりなのぉ」
「行きます。お父さんもお母さんも既にお金をもらってるみたいだから……」
 フィーナの両親にはトレーシが既に一時の身請け料を払っている様だ。
 そしてフィーナは両親に口答えしない子供らしい。
「Hey! リュリュミア! フィーナ!」
「あ、ジュディさぁん」
 植物系淑女であるリュリュミアは、こちらへ歩いてくる二メートル超の金髪の女性に気がついた。
 少女がじゃがいもを手にしたまま、ぺこりとジュディに頭を下げた。
「フィーナ、このジュディもあなたとトレーシのトラベル、旅に同行しますカラ、ドント・フィアー、怖がらなくていいワヨ」
 ジュディは少女の眼線まで屈んで、ウインクを一つおくった。
 フィーナの顔が少し明るくなった。
 その後、ジュディとリュリュミアはフィーナと一緒に、この貧民街の救済事業を引き継いでくれた教会や消防隊の青年達と再会し、その後の現状を教えてもらう。
「何かパズリング・ケース、困ってる事があったら、遠慮なくジュディに行ってくださいネ」
 ジュディもリュリュミアも皆に困っている様子があれば、協力は惜しまないつもりだ。
 幸い、あの大火災以来、大規模な事故、事件は起こっていない。
 最後に三人は墓地に行って、アグニータの墓碑へ花を手向けた。
 小さな灰色の墓碑に紅い花が点る。
 炎の様に咲き誇る真紅の薔薇の花束。。
 その時、ジュディとリュリュミアは何処か遠くから無邪気な子供の笑い声を聞いたと思った。
 風が吹く。
 つい今しがたまでみずみずしく咲いていた赤い薔薇の花が、腐って乾いた。
 皆はその萎れて黒ずんだ花びらが粉粉に春の青空へ散っていく瞬間、思わず唾を呑み込まずにはいられなかった。
 何らかの霊障か、と思ったジュディは『ゴースト・ブレイカー』を使った。
 すると何処からかで遠ざかっていく子供の笑い声が聞こえた気がし、それっきりでその類の音が二度と聴こえなくなった。余韻もない。
 自らの放ったこの対霊用スキルが有効だったか無効だったか、今必要だったかも解らない。ただ貴重な一撃をここで消費したのだけは確実だった。
「ジュディさん……リュリュミアさん……あたし……」
「ドント・ビー・フィアー……」
 長身の女戦士はそのたくましい腕の中に少女を抱きしめた。自分の胸騒ぎを彼女の質量で押し潰す様に。
「むやみやたらと花を枯らすのは感心しないかしらぁ……」
 リュリュミアは、風に散る粉粉になった黒い花びらをライトグリーンのまなざしでぽやぽや〜と見送りながら呟いた。
 墓地の枯れた木からカラスが一斉に鳴いて飛び立った。

★★★
 そして、その日が来た。
 『トホーフト』は件の屋敷がある土地に一番近い小さな町だ。
 灰色の空の下。一本の大通りの両脇に建物が並ぶ街でトレーシとフィーナと一緒に訪れた冒険者達は、それぞれに館の元主人『エリザベス・ティアマン』に関する情報を集めた。
 姫柳未来(PC0023)はトホーフトの食料品店を訪ね、ティアマン邸の食糧事情を訊いていた。
「ねえねえ、館にはどんな食べ物を、どれくらいの量売ってたの。やっぱり沢山の子供がいるんだから、お菓子なんかをいっぱい……」
「あそこの館からは執事が来て、主人の用件をこなしてたけど、食料を買い込んでいった事なんかほとんどなかったね」未来の問いに答えたのは店主である太った中年の女だった。「どうやって生活してたのか解らないくらい食料は買ってかなかったね。唯一の例外は子供が館に連れてかれる時だね。そん時は執事が豪勢な料理の材料を買い込んでくんだね。でも、それは大概、一夜分だね。そう言えば、最近、買い込んでったね」
「ふーん」
 奇妙な話だ、と思いながら未来は情報代として、その店から干しぶどうパンを買いこんだ。
 そして集合場所に決めてある酒場に行って、仲間達に自分の聞きこんだ情報を語った。
「今までエリザベスの館に連れてかれた子供は大雑把に数百人ほどにもなるって聞いたけど、その子達、どうして生活してるんだろうね」先に酒場で聞き込みをしていたジュディ達に、未来は自分の集めた情報を語りながら炭酸水を飲んだ。「大体、エリザベスは沢山の子供達を家に迎え入れ、養っていたというのに、なぜ養子の彼、彼女達に遺産を相続しなかったんだろう。エリザベスが子供達を可愛がってたってゆーなら、見ず知らずで縁遠いトレーシよりも、育てた子供に遺産を譲りそうなものでしょ」
 未来は自分の疑問を推理しようと思ったが、何か不吉な感じがして、そこで思考が止まってしまう。
「ホーンテッド・マンション、お化け屋敷として有名だったそうですからネ」酒場の大テーブルで炭酸入りグレープフルーツジュースを飲んでいるフィーナとトレーシの横で、ジュディは自分の顔ほどあるラムチョップに齧りつている。「デザインが大きな意味を持つオトギイズム世界ならば、本当にお化け屋敷っぽい館にゴースト、幽霊の類が出ても不思議ではないワ。何にせよ、ビウェア・オブ・スピリチュアル・ディスオーダー、霊障には警戒した方がいいワ」
 かつて倒した『ハイネケン・バッサロ男爵』みたいな危険なアンデッドの前例があったし、とジュディはバーボンを喉に流し込む。いずれにせよ霊障を起こす相手に『ゴースト・ブレイカー』の使用を躊躇うつもりはない。敵が解れば、だが。
「エリザベスが何らかの用件をすます時は、町に執事の『ボーマン』がやってきて代わりに執り行うというのはわたくしも聞きましたわ」アンナ・ラクシミリア(PC0046)は慎重な面持ちでチーズケーキを食べていた。「館の主人がオーガスタからエリザベスに変わったのは突然すぎた、オーガスタが出ていったとも死んだとも言われているが詳細は解らない、というのがこのトホーフトの住人の一般的な見解ですわ。それにエリザベスが死んだというのも初耳だ、という人もかなりいましたの」
「誰、オーガスタって」未来がアンナに訊く。
「エリザベスの前にあの館の主人だった男でございますわ。『オーガスタ・モンロー』。そもそも、養蚕と絹布の取引で一代で巨万の富を築き、館を建てたのはこの老人ですの。いつからか、このオーガスタがエリザベスに代変わりした様です」アンナはマニフィカが注文したのと同じ紅茶に一口、口をつけた。「養蚕というのが気になりますわ。絹布は高く売れると思いますが、糸を紡いだり、布を織るには結構な手間が掛かると聞きますわ。ただの親切で子供を集めて養っていたとは思えません。第一、本当の篤志家であるなら、引き取った子供達に資産を譲渡しそうなものですけれど」更に紅茶を味わう。「集められた子供達は、その後どうなったのか。親元に戻ったのか、それとも……」。
「館を建てたオーガスタというのを調べればぁ、何か館の事が解るんじゃないかしらぁ。例えばぁ館の構造とかぁ」
「残念ですが、それは駄目な様ですわ」リュリュミアの意見を却下せざるを得なかったのは、たった今、独自の情報収集から帰ってきたばかりのクライン・アルメイス(PC0103)だった。「館を設計した人間や建築を施行した大工、技師、芸術家は全員、不慮の事故を遂げているそうです。設計図はその内の火災で失われていますわ。あの館の構造を知っている人間は館に住んでいる者しか知りませんわ」クラインは椅子に腰を下ろし、テーブルにつく。ウエイトレスにサンドイッチとレモンスカッシュを注文する。「あまり利益を追求する姿勢ばかりでは王国内で反感を買ってしまいますもので、私も同じ経営者としては慈善事業をしているオーガスタに興味を持ったのですけどね。。……しかし、この慈善事業はきな臭いですわ」
「今まで百人以上の子供があの館に引き取られていった。全員、十歳くらいの少年少女で不幸な境遇だったらしい。で、あの館から出てきた子供はいないはず、だとさ」
 ハンティング帽をかぶった売文家『チャック・ポーン』が、安そうな万年筆で皆の報告をメモ帳に書き込みながら自分の仕入れた情報を語る。その狐の様な顔は面白そうに笑っていた。
 元プロアスリートのジュディは、ハイエナみたいなマスコミが大嫌いだ。
 だから彼女は売文家チャック・ポーンを信用していなかった。
 大体、彼はトレーシやフィーナを心配してこのクエストに参加したのではないのだ。
 売れるネタ。彼の興味はそんなところにしかない。
 フィーナもトレーシも、彼にとってはただのネタなのだ。
 皆は午後にこのトホーフトを発った。
 町外れの荒野では痩せた野犬の群が、同じ野犬の一匹の死体を貪り食っていた。

★★★
 トホーフトから一時間ほど荒れた丘を上り下りしながら道を辿る。
 何という事か、ジュディのバイクは途中で原因不明の故障を起こし、引き返してトホーフトの町で預かってもらわなければならなくなった。
 それからの道中、マニフィカはトレーシから今回の事情に関する情報を聞き出そうとしたが、たいした情報はなかった。今回の件で彼女が家系で最後の一人だというのが解った、という事くらいだ。
 館につく前、トレーシが歩きながら赤いメガネフレームの位置を調整し、手鏡で化粧を直す。
「『幽霊屋敷に子供達は集められて』……いや、もっとおどろおどろしい方がウケるな。『呪いの幽霊屋敷に子供達の悲鳴が響き続ける夜』とか……いや、もっと気持ちが悪い方が……『凄惨な……』」
 チャックはそんな自分の書き物につけるタイトルを考え、呟き続けていた。
 肝心の事件など、まだ体験していないというのに。
 クラインは彼に互いの為にもっと親密な調査の協力をもちかけたが、それはつっけんどんに断られた。チャックが手柄を独り占めする性質である事は、彼女が個人的に調べて解っていた。
 チャックはこれまで様様な俗っぽいゴシップ記事を売り出してはそこそこ稼いでいた男だった。その書物の大嘘や紛らわしさは大衆の関心を稼ぐ為に振る舞われていた。尤もネタに対する勘はいい方らしく、それまで誰も気づいていなかった真相を暴く事もあった。
 ようやく館に着いた。
 唐草が絡みついた様な意匠の高い鉄柵に囲まれた古びた館が、天気と同じ様な荒涼さでトレーシとフィーナと冒険者達を待っていた。
 クラインは『サイ・サーチ』でこの館の異常を調べてみた。
 力場が閉じている。
 その感触がかろうじて解った。よく解らないがこの館は何かが淀んでいる。
 どうも地下に負のエネルギーが溜まっている感じだが、それに負けず劣らずの力場が館を包んでいた。
 築百年というころか。鍵のかかってない大きな鉄門を開くと、窓が一切ない陰気な館の戸口に、清潔な執事服姿の老人が背筋を伸ばして立っていた。
「トレーシ・ホワイト様とフィーナ様、そしてお連れの方方でいらっしゃいますね。ご主人様がお待ちでいらっしゃいます」
 え?と全員が耳を疑った。
 この館の主人、エリザベスとやらは亡くなったのではないのか?
 亡くなったからこそトレーシが遺産相続に呼ばれたはずだ。
 全員、黙りこくって先を行く執事の後を追って、大きな館の中へ入った。
 それがフィーナが十歳の誕生日を迎える前日の午後だった。

★★★
 『アダム・ボーマン』という名のその六十歳ほどの執事が、皆に館の中を案内した。
 外は百年の年月を感じさせる古風な外観だったが、内は素晴らしく明るい。
 内部装飾は芸術的ともいえる見事なものだったが、それにしても驚くのは壁や柱や天井、家具までも飾る同じモチーフ。
 全て慈母を感じさせる女神像なのだ。
 素晴らしい物だ。微笑み、人人に手を差し伸べる美しき女神の姿が幾百、いや幾千も浮彫の彫像で、或いは壁画としてまるでそれがこの館の本分であるかの如く、その身で館を埋め尽くしている。
 執事のアダムを先頭に、大きな豪華できらびやかなシャンデリアの灯った大広間をふかふかの絨毯を踏みながら横切る。このシャンデリアの照明が大広間の光源だった。まだ夕暮れではないというのに陽の光は館内に射し込んではいなかった。どうやら窓は全て、内側から木の板で塞がれているらしい。
 大広間の暖炉の上に大時計があった。
 時刻が止まっているのは明らかで、長針も短針も頂上に位置してる。
「ここは三階まであります」
 白髪の執事は背筋をピンとのばして大広間正面の階段を昇り始め、皆を先導する。
 アンナは彼女ならではの館内の違和感に気がついていた。
 館内には塵一つ落ちていない。うっすらと埃が積もる隙すらない。
 全くの清潔なのだ。清潔すぎる。
 ハウスメイドが有能なのかと思えばそうではない。
 どうもこの館には執事のアダム以外には使用人がいない様なのだ。
 料理人や住み込みの小間使いがいるかどうかも怪しい。
 生活感というのものが全くない。
 アンナはここで子供達が無理やり働かされていたというわけではない、と納得した。
 ここの主人が行っていたのはあくまでも養蚕や絹布の取引だ。蚕を飼ったり、絹布を織ったりする場所はここではない工場めいた、遠くの施設なのだろう。執事を通じて、取引等の指示を出していたのだ。
 クラインはサイ・サーチを試みる。
 やはり力場が閉じているという感触しか覚えない。
「ご主人様はこちらでございます」
 アダムが館の奥へ皆を案内した。
 二階にある豪華な寝室の扉を開ける。

★★★
「寝室で皆を出迎える失礼を許してくださいね。そこの娘が私の血につながるトレーシと、私の養子になるフィーナですね」
 痩せている割に、意外と気の強そうな声だった。
 だが老人だ、
 豪華な寝台の上のエリザベスが、仕立てのよい寝間着を着て上半身だけを起こしている。共に白蝋の様な髪と肌をしているが、その長い髪を寝台に這わせた頭は、屋根から肩の辺りまで垂れた紫色の紗のカーテンによって見えなかった。
 顔が見えない。
 しかし、繊維の加減だろうか、向こうからはこちらが見えている様だ。
「この度は……健康そうで安心いたしました」
 遺産継承者であるトレーシが気まずさを隠している。彼女はそう言うしかないだろう。
 遺産を継ぐ為に訪れた先の主人が実は生きていたのだから。
 フィーナが怯えながらジュディの後ろに下がっていた。
 少女はもう一つの物に怯えている様だ。
 それは寝台の上で半身を起こして皆を迎えているエリザベスが抱えている、一体の少女人形だった。
 身長五十センチほどの如何にも作り物めいた少女人形は、このオトギイズム王国では東洋に当たる地域独特の赤い着物を着ている。
 異世界から来た冒険者である者達はそれが『日本の着物』である事が解る。実際にもオトギイズム王国の東洋に行った事があるし、それがそこで日常的に着られていた和服だというのは明白だ。
 無表情の少女人形は黒いおかっぱの髪をしていた。
 人の姿を写しながらのその無機質さにフィーナが怯えているのだ。
 そんな時、売文家のチャックが主人の顔が見えないかと立ち位置を移動する。
 しかし、それは執事のアダムのさりげない移動によって遮られた。
「エリザベス・ティアマン様ですね」マニフィカが深長に礼儀を守りながら女主人に挨拶をした。「『ネプチュニア連邦王国』の王女でございます。この度はお眼にかかれて大変嬉しく思いますわ」
「そう」エリザベスはマニフィカの自己紹介に何の感動も覚えていない様だ。「よろしくね」
 そんな態度をとられながらもマニフィカは礼を失せず、慎重に相手を見定めようとした、
 このオトギイズム王国はアンデッドとも意思疎通が出来る。
 眼の前の人物がそうでないとは言い切れないのだ。
 しかし……。マニフィカはただ違和感だけを覚えた。
 クラインはサイ・サーチを試みた。おかしな反応はない。それは単なる彼女の能力の失敗か、妨害されたかの判別がつかない。単におかしなところがないだけかもしれない。
「あの……」
「遺産の話ですわね」
 トレーシが切り出した矢先に、エリザベスの返答が彼女の言葉を断ち切った。
「安心してね。私の遺産は既にあなたに与える準備は既に出来ているわ。フィーナを私の養子に迎える準備もね」腰の辺りで抱えていた人形をしわだらけの手で胸元まで持ち上げる。「でも、その為にあなた達の才覚を見せて下さいな。大時計の謎を解いてくださいね。あなた達の手で」
 あなた達という言い方をするという事は「大時計の謎を解く者達」はこの場にいる冒険者全員が含まれているという事だろうか。
 アンナがその事を訊こうとした時に、クラインは先にエリザベスに質問をした。
「何故、十歳の子供を連れてくるんですの。子供の保護というなら、五歳とかもう少し幼い子供でもよいのではありませんの」
「五歳は子供すぎます」老婦人は即答した。「年が二桁(ふたけた)になれば、もう子供としては十分です」
 どうも要領を得ない答だが、次に未来が質問をする。
「あの、この屋敷に来たという何百人もの子供達は何処にいるの」
「それも大時計の謎を解いたら解りますわ。……私は疲れたわ。後の詳しい事はアダムに訊いてね」
 少女人形を抱えた老婦人は、アダムを使ってこの寝室から皆の追い出しをやんわりとおこなった。
「それとフィーナ。明日は皆があなたに『お誕生日おめでとう』と言えたらいいですわね」

★★★
「この大時計の仕掛けを貴方様方に解いていただきます。勿論、ここにいる全ての方で考えていただいて構いません」
 食堂では皆が豪華な料理を振る舞われた。
 やはりというか、料理人がいるという雰囲気ではない。全て、この執事が作ったという事なのだろう。
「お食事を終えたらこの館で自由に行動なさってください。ただし、貴方様方には明後日までに大広間にある『動かない大時計』の謎を解いていただきます。そうでなければ遺産相続の話はなしでございます」
 執事は美味な食事を堪能している最中の客人達へ、冷静な宣告を告げた。
 食事を終えた皆は一旦、大広間の格式ばった古い大時計の前に集められた。
 三階まで吹き抜けの大広間。
 そこにある巨大な大時計を、皆で注視する。
 今は火が消えた大きな暖炉の上にある大時計はたいそう大きな物だ。背は壁に半ば埋めこまれている。止まっていて動かないのは先ほど観察した通りだ。
 動かない大時計には『知恵のある者を試す』というプレートがある。
 この大時計の長針と短針は十二時を示す形で重なり、止まっている。
 また文字盤に小窓が二つ、左右にあり、左の小窓には『0』という数字があり、右の小窓には星座の『牡羊座』を表す記号があった。
 そして一番下にネジを巻く為の大きなつまみがあった。両手で抱えて回す大きさだ。
「この大時計を動かす為には長針と短針を正しい位置へ動かし、左右の小窓にある数字と記号を正しい物に合わせなければなりません。左の数字は0と1から21までがあり、右の記号はお気づきの通り、星座の十二宮を表します」
 執事は左右の小窓の下につまみがあるのを皆に見せた。これを回せば小窓が示す数字、記号は切り替わるらしい。
「そして、ゼンマイを一杯に巻きあげるのです。四つの答が正しいならば、この時計は動きだし、貴方様方は合格です。ヒントは……」
「なんだい。こんなクイズを解けって言うのかよ。どけどけ!」チャックが不満げな態度で大時計に近寄った。
大時計に触れる為には暖炉に乗らなければならなかった。
「こんなのは引っかけ問題で、実は今ある位置が正解だってオチに決まってる! 考える意味もないよ!」
 彼はいきなりネジ巻きのつまみを両手で持ち、巻き始めた。
「なんだ、随分固いゼンマイだな」
 全身の力を込めてネジを巻き始める。
 皆が見守る中で彼一人が汗をかき、息を荒げながら、ゼンマイを巻き続ける。
「一体、何処まで巻きゃいいんだ……!」
 巻き終わったという手応えを彼が感じたらしいのは、売文家が汗まみれで疲れ切った、十分(じっぷん)ほど後の事だった。
 皆が見守る中でゆっくりとネジ巻きのつまみが戻り始めた。
 それが戻るのにも十分の時間が必要だった。
 そして、最後まで動いて止まって……時計は何の変化も示さなかった。
「ハズレでございます」アダムは無情に告げた。
「……ちくしょー。なら全部の組み合わせを総当たりするまでだ……!」
「ネジを巻くのに全力で十分、戻るのに十分。時間と貴方様の体力がもてば、でございますね。タイムリミットは明後日の深夜零時でございます。それとあくまでもこの大時計は知力を試す物である事をお忘れなく」
 アダムが絨毯に寝そべるチャックから眼を離し、残りの皆の方を見やる。
「まだ、ヒントを語っていませんでございましたね。ヒントは二階の部屋にあります」

★★★
 二階の部屋の一つに入ると、その部屋の中の無秩序な色彩に翻弄された。
 それは四方の壁全面に子供が描いたと思しき下手な水彩画が壁に一杯貼りつけられた部屋だった。何百もの絵の描かれた紙で壁が埋められている。どれも幼児が描いた様な雑に歪んだカラフルな人物画で、描かれた人間はまちまちに何本かの指を立てた手を上に差し上げていた。
 壁の一角に大きな文机があった。その天板には羊皮紙と羽ペン、インク、火のついてない蝋燭、マッチ、ペーパーナイフ、手鏡、クレヨン、虫眼鏡が置いてある。
 そして、その天板には次の様な金属のプレートもはめ込まれていた。
『長針:デッサンとは誠実さの表れだ』
「これは……正解の時刻は、描かれた絵の人間が出してる指の数を数えればいいのかなあ」未来がそれぞれの絵を丹念に眺めながら呟く。「でも、どれの?」
 マニフィカはここで試しに『故事ことわざ辞典』を繰ってみる。
 すると天才芸術家の晩年の言葉が眼に入った。「ようやく子供の様な絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ」(パブロ・ピカソ)。
 何故、こんな言葉が書かれていますの?ととまどうマニフィカを尻目に、アダムが「残りのヒントはこちらの部屋でございます」と廊下に出た。

★★★
 残りの三つのヒントが壁にプレートで並べられた部屋があった。
『短針:自然の中にある黄金。?に入る数を合計せよ。?・?・2・3・5・?・13・21……」
『愚か者はゼロ。三倍すれば知恵の光を護り、四倍すればやがて足萎えとなる苦行者になる』
『二匹である。二人ではない』
 それぞれ、短針、左の小窓、右の小窓のヒントらしい。
「ヒントは全て示されました。よろしければ、貴方様方の解答の申告は一人につき一回ずつでお願いいたします」
 執事が平静に告げる中、皆は頭を捻った。
「なお、就寝をご希望になる方は各部屋を適当にお使いになって結構です。部屋は全て整っております」」

★★★
 執事のアダムは何処かへ消え去り、自由に動く事を許されたトレーシとフィーナと冒険者達は二階の一つの部屋に集まった。
「これからは自由ですわね。この館を探索するのも自由。あの大時計に挑戦するのも自由。寝るのも自由」
 クラインは皆に自分が持っている盗聴器を配った。
「この発信機を皆に身につけていただきます。何処にいても何かがあれば皆がすぐ集まれる様に」
 クラインはガラケーの様な受信機を皆に見せた。
「なんだ、見張りをする機械ってヤツか? そんな物で監視されるのなんかごめんだぜ! 俺は一人で寝る! そんな物は持たねえ!」
 チャックが発信機をクラインに押し返し、あからさまに不満そうな顔で部屋から出ていこうとした。
「これがあればなにかあった時にすぐ応援に駆けつける事が出来ますわ。チャックさんの身を守るのかもしれませんわよ」
 クラインは自分の『人間力』の威圧でチャックの背を足止めした。
 チャックが舌打ちしながらも盗聴器を受け取り、自分の尻ポケットに入れた。
「……ああ、受け取ってやるよ。言っとくがな、俺は一つ、気づいた事があるんだ。お前らより一歩リードしてるんだよ。この館の女主人についての記事ネタを一個見つけたんだからな。俺は耳がいいんだよ」
「チャック! それならばそのファクト、事実を皆とシェアリング、共有した方ガ!」
「このようなお化け屋敷の物語では、最初に死ぬのはあなたの様な無頼漢ですわ。せいぜいお気をつけなさい」
 ジュディとクラインの警告は効かず、売文家は部屋を出ていった。

★★★
 今、一瞬、子供の笑う声が曲がり角から聞こえた気がしたが、振り返ったリュリュミアとフィーナは実体を眼に捉えられなかった。
「ずいぶん、さびしいところですねぇ。もっとお庭に花とか植えたらいいのにぃ」
 フィーナを連れ出して館の探検と洒落込んだリュリュミアは一階に下りて、静かな廊下を歩いていた。
 ここは照明が届かない真っ暗な場所なので冒険用のランタンで前方を照らす。
 本当に生活臭がない。
「秘密の地下室とかはなれとかあったらいいのにねぇ。そう言えば普通の地下室に下りる階段も見当たりませんねぇ」
 リュリュミアはフィーナに笑いかけた。
 フィーナが彼女の背にしがみついて怯えていた。
 この館は、普通の館にある様な物は全て揃っていて豪華だ。
 だが二人はこの館の全ての窓が内側から板を打ちつけられて塞がれているのに気がついていた。
 それと鏡。この館には鏡がない。元はあったらしいが、洗面所にも鏡は枠を残して全てが取り外されていた。
 そして周囲は女神像だらけだ。あちこちに子供とそれを守る女神の彫刻や絵画がある。
「そういえば、こういう館に必ずありそうな絵はありませんねぇ」
 リュリュミアは、この館の何処にも現主人のエリザベスと元主人のオーガスタの肖像画がない事を不思議に思った。
 ある一階の一室に入る。
 闇の中で子供の笑い声を聞いた気がした。
「えーと、誰かは知らないけどぉ、もし誰かいるならば、壁を叩いて教えてくれませんかぁ。はい、なら一回ぃ。いいえ、なら二回ぃ」
 リュリュミアはふと思いついた事を口に出した。
 どん!
 壁が一回叩かれた。
 フィーナがリュリュミアのスカートにしがみつく。
「……もしかして、あなたは子供ですかぁ」
 どん!
 また壁が一回叩かれた。
「……あなたはこの館に連れてこられた小さな子供ですかぁ」
 どん!
「……あなたは一人ですかぁ」
 どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!どん!!!!!!!!…………
 闇の中で無数の手に壁を乱打され、フィーナが悲鳴を挙げて逃げ出し、リュリュミアはその背を捕まえる為に走らなければならなかった。

★★★
「リュリュミアさん! 何があったの! フィーナは無事!?」
 時折、変なノイズが入る受信機を片手にクラインは、リュリュミアとフィーナに起こった異常を聴いていた。
 やはり二人だけで行かせるべきではなかったか。
 部屋で皆はクラインの受信機から聞こえてきているフィーナの悲鳴に戸惑っていた。
 どうする。
 助けに行かなくては。
 その決意を固めた瞬間にドアが開き、フィーナとリュリュミアはこの部屋にとびこんできた。
「ああ、びっくりしたぁ」
 全然びっくりしている様に見えない、ぽやぽや〜としたリュリュミア。
 フィーナがジュディの足に泣きながらしがみつく。
 皆はリュリュミアから二人を襲った出来事を聴き、やはりこの館が尋常でない事を再確認した。
「やはり、この館には子供達の霊が沢山さまよっているという事でしょうか」
 マニフィカは、ジュディにしがみつくフィーナの麦わら色の髪を撫でる。
「何故、十歳なのかしら。もしエリザベスに実の子どもがいたとしたら、十歳で亡くなっていた……とか、そういう事辺りが鍵かしらね……」
 言いながらクラインは受信機を調整し、各発信機が届ける音を聴いていた。だが、今、皆はこの部屋に集まっていて、そういう音しか入ってこない。
 空電雑音が入ってこない受信機のスイッチをこまめに切り替える。スピーカーのボリュームはこの部屋全員が聴ける様に最大にしてある。
 と、その時、この部屋にはいないチャックの大きな声がスピーカーに入ってきた。
『何だ……あれ!? 何でこれが!? いや……誰だ、お前は……!?』
 そして転倒する大きな音。
 床でのたうち暴れる音がする。
 遠くでさざめく様な子供達の笑い声。
 チャックの身に何かが起こった事は確実だと解り、皆は部屋を飛び出て、ドアの並んだ廊下に出る。
「で、……チャックはどの部屋にいますの」
 アンナは当然の疑問で皆を引き止めた。
「ちょっと待って!」
 未来はトランプを出してチャックを占いで見つけようとしたが、それよりも片っ端から部屋のドアを開けた方が早い、と皆は実行した。

★★★
 かかっていた錠をジュディがタックルで壊して、ようやくドアが開いた。
 フィーナとトレーシが悲鳴を挙げた。その悲鳴は館内の暗闇に吸い込まれる。
 ようやく三階の正解のドアに辿りついた時、売文家チャックは既に死体になっていた。
 床で仰向けになった死体は衣服が荒れ、苦しみぬいた跡がある。
 涙に濡れた両眼を見開き、大きな口が限界以上に開いている。実に口の端は頬まで少し裂けていた。顎が外れている。前歯も何本か抜けている様だ。
 喉を右手が掻きむしり、爪がつけた新しい傷が幾条も赤く走っている。
 左手は絨毯を掻いている。その毛足が短い青い絨毯には、彼の爪により記号らしきものが刻まれていた。
 『♂』
「これは……ダイイングメッセージでございましょうか」
 知人の真新しい死体に少し怯みを見せながらも、マニフィカは屈んでその♂の記号を見つめた。
「ここって密室よね……」
 未来は部屋の中を見回す。
 寝台がある。
 文机がある。
 高い支柱に乗せられたランプ式の照明が点っている。
 家具や壁紙や絵画は女神をモチーフとして豪華だが、仕様は一人用の客間としてはありふれた物だ。
 ジュディが壊して開けた扉は、中から錠がかけられていた。
 窓は板が内側から打ちつけられてふさいである。
 天井近くに通気口がある。これはどの部屋にもあって恐らく各室の通気口と長い通気孔として繋がっているはずだが、大きさは縦横三十センチほどしかない。人間が通れるとは思えない。
 死人が一人出た。
 皆は得体のしれない恐怖を覚えつつ、奇妙な館の夜を迎えるのだった。
 謎の遺産を受け継ぐトレーシ。
 明日、十歳の誕生日を迎える薄幸の少女フィーナ。
 死んだはずの女主人と、冷静な執事。
 動かない大時計。
 様様な思惑が交錯するはずのこの不気味な館。
 何処かで無邪気に笑う子供達の声を記憶に刻みつつ。
★★★