『海底大戦争』

第2回

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★
 大漁旗のなびく、いびつな車椅子に座って、黄色のワンピースの彼女がちょこんと光景を眺めていた。
 浜辺の漁村。
 歩くのが不得意な、謎の人魚を車椅子に座らせようと提案したビリー・クェンデス(PC0096)だったが、探すにも『オトギイズム王国』には車椅子という概念そのものがなかった。
 それでアンナ・ラクシミリア(PC0046)は自分の知識を元に、漁師達の村にある廃材を利用して作ろうと提案した。
 だが大工の腕が得意な漁師達も手伝って二日かけて完成した物は、彼らのセンスも相まって色んな材料の寄せ集め。「豊漁祈願」の文字が入った元は漁船の構造材等に、しめ縄や夜釣り用のカンテラ等もぶら下げ、クッションを含めてあちこちに古い大漁旗のパッチワークがあしらわれた前衛アートさながらの逸品だった。
 左右が揃った車輪を作るのには苦労したが、その甲斐あって実用性はなかなかの物である。
「漁師はん達は字もよう読めんのに、漢字はあれこれ使っとるんやなぁ」
「漢字は『言葉』という物語をデザインした物ですからね。おまじないとして受け継がれてるんでしょうね」
 ビリーの疑問にアンナが答える。
 現在、車椅子に座る脚のある人魚の名前は『エリアーヌ・アクアリューム』だと解っている。
 人魚の王国、第二王女だ。
 彼女の手に持っている真珠色の『意思の実』が、喋れなかった彼女の周囲との言語コミュニケーションを可能にしたのだ。
「私を助けて、ここまでしてくれて、マジサンキューだしー」
 意思の実で言葉を周囲に伝え始めた彼女はギャル語使いだった。というより、ギャルそのものだった。
 それは彼女のピンクに染めた前髪やマリンテイストのネール等、普段からよく見える所に表れていたのだが……。漁民の間にはショックを隠せない者が多そうだ。
「しかし、その胸……」オトギイズム王国の民ではないが、エリアーヌと同じ半人半魚の人魚であるマニフィカ・ストラサローネ(PC0034)が赤い眼を細める。意思の実を持ってきたのは彼女だった。「肩がこりませんか……?」黄色いワンピースの布越しに胸を見つめていると思わず尋ねてしまう。マニフィカに比べれば、エリアーヌの乳房は非常に豊満と言えた。
「今はこるかもねー」軽い調子でエリアーヌが答える。「っていうかー、海にいた時は重さなんか感じなかったけど、ここでは重いわー」
 贅沢な悩みだ、とマニフィカは思った。
 マニフィカは海の魔女『アルケルナ』というデザイナーが、エリアーヌに陸を歩ける足を与える代償として、彼女の声を奪ったのではないかという情報を携えて、この漁村にやってきた。
 マニフィカはその事をズバリ、エリアーヌに問うてみた。
「あ、そうよー」
 エリアーヌの回答はあっさりしたものだ。
 エリアーヌが声を失ってまで陸に上がりたがったのは、恋をした男を一途に追っての事だった。
「最初の出会いは半年ほど前の嵐の海だったわー。すんごく美形の男が船から海へ放り出されるのを偶然、見ちゃったのねー。その男は船から落ちてきた木材や荷物に頭をぶつけて、気絶してたんだけどー、ちょうど通りかかったウミガメに掴まって、海の中に潜ってったんだわー。私ね、その時、何かあのイケメンいいなぁー、と思ったのねー。で、ウミガメを追ってったんだけど、それがどうも『竜宮城』へ入ってったみたいなのよねー。竜宮城の乙姫は昔から海で人間の男を拾っては歓待するって、噂があってー、で、私は竜宮城の近くまでちょくちょく出張って見張ってたんだけどー、ある日、竜宮城からまたウミガメに掴まって、その男が出てきてー。……、その日はたまたま海流の流れが悪くて、見失っちゃったのねー。でも、また会えるなんて、もう偶然を通り越して、運命だって思えてー」
 周囲と意思疎通が出来る様になったエリアーヌは本当によく喋った。しかも調子が軽い。それまで彼女に幻想を持っていた人物を幻滅させるほどに。
「で『願いを叶える事ならお任せ』って言われてる海の蜘蛛魔女『アルケルナ』に会いに行ってー。で、彼の素性がオトギイズム王国のバラサカセル王子だって言うから、会いに行こうとしたら、陸に上がるなら足が必要だ。自分が授けてやる事も出来るがそれには『声』と引き換えだ、って言うからー……」
「交換して浜に上がってきたんか……」ビリーは少少、呆れた風に呟く。「なんぎやなー、どう考えても絶対ややこしくなるで」
 ビリーとマニフィカは現在、ポーツオークに関連して起こっている全ての出来事……海底の竜宮城や人魚の王国の不穏、バラサカセル王子の消息不明に至るまでの事に、黒幕として海の蜘蛛魔女アルケルナが関わっているのではないかと考えていた。
 どうも、それが真実だと思える証拠を一つ、見つけた気がする。
「……まあ、しゃあない。ボクも腹をくくったるねん」結構、あっさりとした覚悟完了。
「王子を探したい。これは謎の人魚からの依頼ととってよろしいですわね」茶色の髪を海風に流しながらのアンナの真面目な表情。「それにしても、海で遭難した王子を探して人魚が陸に来ているという事は、人知れず王子が戻って来ているという事でしょうか。それなのに誰も気がつかないというのは……」ふと考え込む。ピンクのスカートが風をはらんで膨らむ。「何だか、何処かで聞いた様な話ですわね。嫌な予感しかしないですわ」
 そこまで独り言の様に呟くと、きっとした顔をエリアーヌに向けた。
「一つ、確認したいのですけど、あなたは王子の何処を好きになったのですの?」
 突然向けられた質問にエリアーヌは意表を突かれて少少慌てる。
「……え、え、……やっぱ美形だから?」
 疑問に対し、疑問形で答える。
 アンナは短い溜息を吐く。
「もし、王子の容姿がすっかり変わっているとしたら、それでも変わらず好きと言えますの? ……それでもよろしければ、王子探しにおつき合いしますわ。尤も、姿形が違うのはお互い様かもしれませんですわね」
 アンナは彼女の答を待たず、自分が寝泊まりしていた網元の屋敷に荷物を取りに行く為、背を向けた。
 ビリーとアンナとマニフィカは、車椅子に乗ったエリアーヌを押して、ポーツオークの冒険者ギルドへと向かう事になった。
 ただ、その前にマニフィカは網元や漁師達に自分の持ち物である真珠を配り、ビリーはアイテム『打ち出の小槌F&D専用』で出した宴会用の食べ物や飲み物を大量に振る舞った。
 漁師達が歌い、木のたらいが即興の打楽器として音頭をとる。
 その恵みは漁師の磯料理も交えて、盛大な酒宴となり、少なくともこの漁村はただ人魚を拾ってかくまった以上の恩恵を得る事が出来たと言えた。
 エビス信仰。それは漁師達の間で古くから知られる、海からの漂着物は福や富を呼ぶという信心である。

★★★
 派手な車椅子での登場はやはり人眼を引いた。
 煙草の香りがする、ポーツオークの冒険者ギルドの玄関に現れたエリアーヌ。それに介護する形で登場したビリーとアンナとマニフィカは、様様な人種の坩堝としてごった返す冒険者ギルド地階の受付ロビーでまず好奇の眼の群に晒されるという歓待を受けた。
 人が騒めく。
 それに何ら臆する事なく、小さなビリーは車椅子を先導して群衆の中を抜け、受付窓口まで辿りついた。
「冒険の依頼をしたいんやけど。あと、それからギルドのお偉いさんに話をつけてほしいんや。行方不明のバラサカセル・トンデモハット王子の事で進展があった、と王様に伝えてほしいって」

★★★
「オー! アナタ達も来たんですか」
 ギルド二階の酒場でジュディ・バーガー(PC0032)は顔を赤くしながら謎の老人U・Tと酒を飲んでいた。
 ジュディはある特別な武器を購入しに武具ギルドに頼みに行ったのだが、錬金術ギルドの領分だろうとそこを紹介されたのだ。そこでも中中、金と時間がかかると言われ、完成までの時間をここでU・Tと一緒に酒を飲んで過ごしていた。
 その状況をエリアーヌ達が訪れたのだ。
 二階まで車椅子を運ぶのは無理と思われたが、一階の冒険者で親切な者達が椅子を持ち上げて階段を上るのを手伝ってくれた。
「ナイスなマブい嬢ちゃんじゃねえか」
 U・Tがエリアーヌを見て、開口一番、そう叫んだ。
 エリアーヌの方は自分へのその軽口にむっとした様だ。
「ちょっと何ー、この爺さんー。初対面の人物にありえないんですけどー」
 思いがけない空気にこれが『再会』となると思っていた者達が思わず、手で顔を覆う。
「単刀直入に言います」マニフィカはU・Tとエリアーヌと中間に立った。「あなた達、互いに顔見知りじゃないんですか」
「顔見知り? こんな爺さんに会ったの、初めてよー」
 若い人魚ギャルは如何にも心外といった表情をする。
「俺もこんなF××KIN’美少女に会ったのは初めてだぜ」
 老いた男もジュディが止める間もなく、Fワードを盛り込んで態度を表明した。
「二人ともこれ見てくれへん?」
 ビリーは丸めて持っていた一枚の肖像画を広げた。冒険者ギルドから借りてきたオトギイズム王国第二王子バラサカセル・トンデモハットの胸像画だ。彩色されたエッチング。何処に出しても恥ずかしくない美形だ。
「あー! この人よー!」エリアーヌが突然、嬉しそうな黄色い叫びを挙げた。「この人! この人! 私、この人と結ばれる為にこの世に生まれてきたんだからー!」
「これは……俺は初めて見る……いや、見た事ある様な……憶えはあるんだが……これは俺……、ん、頭が混乱して……る?」
 皆の予想通りだったエリアーヌの反応と、混乱を見せているU・Tの表情。
「やっぱりエリアーヌの追ってきた人はバラサカセル王子に間違いないわ」アンナは言う。「それにしてもU・Tのこの反応は……」
「U・Tとやら」マニフィカは混乱した様子の彼を見つめる。「あなたの正体はバラサカセル・トンデモハット王子なのですよ」きっぱりとした言葉をつきつけた。
「HAHAHA! ナイスジョーク!」ジュディがこらえきれずに大声で笑い始めた。その笑いは周囲の客の耳目を惹きつける。「この隙あればFワードを使おうとするオールドマンとバラサカセル王子が同一人物デスって。そんな事、天と地がビー・ターンド・オーバー、ひっくり返ってもありえマセーン!」笑いながら蒸留酒のグラスを飲み干す。
 ジュディ以外の皆はU・Tと肖像画を見比べた。
 髪は、王子はブロンドだが、U・Tが総白髪だから解らない。
 瞳は、同じ青だ。
 鼻の形は似ている。
 一番決め手となりそうな骨格だが、専門家じゃないから完全には解らないが、よく似ている気がする。
 顔に目立つ特徴はないかと見比べたか、生憎、それはない。
「ちょっと、頭見せてや」ビリーはU・Tに近づいて、悩む彼の髪の毛を小さな手で掻き分けて調べる。丹念に調べると、傷痕を見つけた。「これ、もしかしてエリアーヌさんが言ってた、船から落ちてきた時にぶつけて出来た傷なんやないかな。この怪我のショックで記憶を忘れて、今の様な人格になったとすれば……」
「ワット! リアリィー!?」ジュディは物凄い驚きの叫びを挙げた。「U・Tがセカンドプリンス!?」
「えーマジー!?」エリアーヌも車椅子に座ったまま、身を乗り出した。「この爺がバラサカセル王子ー!? チョーありえないんですけどー!?」
「……え? 俺、王子様なの?」
 一番納得していなさそうなのはU・T本人だ。
「玉手箱を開けたら、オールドマンになったと言ってマシタネー」ジュディは過去のU・Tの話を思い出す。「リューグー・キャッスルの『トキノケッカイ』というのが関係してるのデショウカ……」
「『時の結界』? 竜宮城の?」エリアーヌが呟く様に言う。
「そや、エリアーヌさんは人魚なんやろ。それらについて何か知ってる事あらへんか?」ビリーが訊く。
「時の結界というのはーあそこら辺一体にかかってる魔法でー、堅固なバリアであると同時にー、外と中の時間がずれるのよー。だからあそこで何日か過ごすと、外の私達の時間では何十年、何百年という時間が経ってる事もあるってカンジー?」エリアーヌは自分の記憶を丁寧に掘り起こしている様だ。「竜宮城の『乙姫』はその時の結界の力で若さを保ってるいうわー。……竜宮城では海で男が漂流してると連れてきて酒宴で延延、丁寧な歓待するってー。外から流れ着いた男は福を呼ぶって考えらしくてー……」
「……エビス信仰でっか」ビリーは呟く。
「乙姫は歓待する男は代代、最初に流れ着いて歓待された男と同じ様な名前で呼ぶっていうわー。えーと、確かウラスミ……」
「それはウラシマタロウでっか」
「そう。それ」
「URASHIMA・TARO」マニフィカは一語一語を噛みしめる。「U・T」
 当のU・Tはアイデンテティを激しく揺さぶられた様に頭を抱えていた。
「王子の記憶を取り戻させるべきなのかもしれませんけど、こればかり頭の傷を完治させたところで元に戻るとは限りませんね」マニフィカは苦苦しく思う。
「とにかく王子を元に戻してよー!」エリアーヌは悲痛な声を挙げていた。
「若さを奪ったのはリューグー・キャッスルのプリンセス・オトヒメなんデショウ。彼女がどうにかしてくれないデショウカ……」ジュディがすっかり酔いが醒めた様な調子で首をひねった。だが、それ以上のナイス・アイデアは出てこない。
「ともかく、バラサカセル王子探索についてはボクが依頼主って事でギルドに依頼提出してあんねん」ビリーは言った。「ここにいる皆で竜宮城へ行って、乙姫に話をつけてもらってほしいんや。そんな高い報酬は出せないねんけど」
「どうせ、最初からリューグー・キャッスルには行くつもりデシタ」ジュディは悩みを振りきったかの様にビリーを見つめ、その肩を叩く。「その為のウエポンを準備してマス。完成したらすぐに皆で出かけマショウ」
「こうなると、わたくしも同行せざるをえないでしょうね……そう言えば」アンナは二人の事を思い出した。「リュリュミアさんと未来さんはどうしているのでしょう」
 ぜひとも冒険で組みたい二人ではあったが、この冒険者ギルドの中では出会えなかった。

★★★
 リュリュミア(PC0015)は『しゃぼんだま海中仕様』に乗って、ポーツオーク沖の深海を訪れていた。
 深海層を照らす、様様な発光。
 その中に更に二人の姿が浮かび上がっている。
 タコ人間の剣士ギガポルポと、河童のヒョース。
 リュリュミアのしゃぼん玉にはロープが巻きつけられ、そこから垂らされた一端に布袋がぶら下げられていた。
 その布袋の中身は三十本のキュウリ。これは彼女が携えてきたお土産で、ヒョースがその一本を早速、齧っていた。
「いやー、キュウリとは久しぶりだッパ。やっぱり美味いカッパ」
 ボリボリと音を立てて食うヒョース。海水のしょっぱさは気にならない様だ。
「あのぉー、ヒョースさんはぁ、アルケルナさんに仕えていると聞きましたがぁ、何か願いを叶えてもらった代償なんですかぁ」
「俺かッパ? 俺は理想の伴侶を見つけてもらったのと引き換えに、アルケルナ様の永久使用人をやっているッパ」
「俺様はこの『海塩剣』をアルケルナ様にデザインし直して鍛えてもらったのと引き換えに、用心棒をしているタコ」ギガポルポが訊かれてないのに答える。
 二人は今のところ、フレンドリーだ。
 ギガポルポが「ここを通さない」とか言って、斬りかかってくるんじゃないかとも思ったが、それもない。
 ぽわぽわ〜としたリュリュミアの雰囲気が戦いや警戒とかいった気分を忘れさせている様だ。
「あの〜。わたしとギガポルポさんと友達になってもらえないでしょうかぁ」
「ん、何だ。お前もアルケルナ様の為に戦うというのか」
「いいえぇ、そうじゃないんですけどぉ、先日も命を救ってもらったしぃ、お友達になってもらえないかなぁ、ってぇ」
「孤高の剣士に友達はいらないタコ」六本ある腕を全て胸の前で組み、タコ人間が赤いマフラーを水流に流す。「と、言いたいところだが、お前は何か面白いタコ。いいだろう、足手まといにならないならば友達になってやるタコ」
「アルケルナ様にお眼通りさせた方がいいんじゃないッパ」ヒョ−スが十本目を齧りながらそう口を出す。「お前は何かぜひとも叶えたい願いとかないッパ?」
「いいえぇ。特にはぁ」
「そうか。まあ、とにかくアルケルナ様の所に案内してやるタコ。俺様の友人として紹介してやるタコ」
 それから三人は更に深海へと潜った。
 リュリュミアのしゃぼん玉をヒョースが後ろから押して、幾らかスピ−ドをつける。
 海底に着くと、岩盤を這う様に泳ぎ進み、発光に眩しさを覚えるほどの海棲生物の森を抜けて、やがて小山の如く盛り上がった岩まで辿りついた。
 その岩には洞窟があり、入り口から一層の光が漏れている。
 内部は家、及びデザイナーの研究室兼作業室といった趣で、リュリュミアのしゃぼん玉がそのまま入れる位に広かった。
「アルケルナ様、今帰りましたッパ」
「アルケルナ様、面白そうな人間を連れてきたタコ」
 ヒョースとギガポルポが言いながら、奥へ進む。
 洞窟はすぐに広い部屋に突き当たって、その住人の姿を明らかにした。
 五十歳ほどだろうか、黒いボロボロのローブをまとったディープブルーの長髪を振り乱した女が、部屋の真ん中のかまどに置かれた大鍋を一心不乱に掻き混ぜていた。かまどは水の中でも燃え盛る不思議な炎で大鍋を煮立てている。大鍋の中の液体はリュリュミアの位置からは窺い知れないが、きっと何かぞっとする物が煮られているのではないかと思えた。
「……そいつは何か願いを叶えに来たのかい」
 女が振り向いた。アルケルナの下半身は人間ではなく、赤いクモの脚だけをまとめて一つにした様な生き物だった。リュリュミアははっきりとした知識ではないが、それが深海に棲む『海蜘蛛』と呼ばれる生き物ではないかと思い当たった。
 人魚の下半身が魚である様に、アルケルナの下半身は海蜘蛛なのだ。
「何か願いを叶えに来たわけじゃないんですぅ。ただ、ギガポルポさんの主人がどんな人かなぁ、と思ってぇ。……キュウリ食べますぅ?」
 キュウリを食べるかどうかの言葉は無視して、アルケルナが大きな杖を突きながら、八本の足をわさわささせながらやってくる。
「願いを叶えるのに来た奴じゃなければ用はないわよ」アルケルナの上半身の肌は、水死体の様に白かった。「望みを叶えたかったら、捨てる物を選べ。報賞は必ず、犠牲と引き換えに得られるわ」

★★★
 姫柳未来(PC0023)は皆より一足先に海を訪れ、竜宮城の近辺から先日、人魚の兵隊達が逃げ帰っていった方角を目指し、深海を泳いでいた。
 特殊な水着の力で海の中でも息継ぎせずに何時間でも泳いでいられる。
 魚類やクラゲの群とすれ違いながら、何十分、泳いだだろうか。
 やがて、深海の光に照らされた地平線が盛り上がってくる。
 光の都だ。
 ここが噂の『人魚の王国』か。
 海底の岩を削り、積んだ、都市が見えてきた。あちこちから光が漏れている。
 通りが舗装されていないのは歩かない民族だからだろうか。
 町外れと思しき場所から町の中心を目指して、泳ぐ。
 中心には王城らしい大きな建築物が見える。
 そうしていると町に建てられた壁の周りでボール遊びをしている子供達を見つけた。上半身は裸で下半身は幼い魚の男の子と女の子。水の抵抗が大きいから、ボールの動きはトリッキーだ。
 コミュニケーションをとろうと近寄ったが皆、泳いで逃げ去ってしまった。
(困ったな。事を荒だてる方向には行きたくないんだけどな)
 未来がそう考えていると、子供達が行った町の奥の方から十数人の武装した人魚が猛スピードで泳いでやってきた。衛兵か。全員、女性だ。皆、三叉槍を構えている。
 未来はあっという間に取り囲まれた。尤も、元から逃げる気はないが。
(何者だ、貴様! 人魚ではないという事は竜宮城のスパイか!)
 隊長らしき人魚が未来の長い脚に三叉槍を突きつけながら誰何。これは彼女が人魚の言葉で言ったのだが、それは未来には解らない。意味が解ったのは未来がテレパシーで意思を読んだからだ。
(わたしは姫柳未来。陸上の人間だよ。竜宮城のスパイじゃないわ)
 細かいニュアンスがテレパシーで伝わるかはちょっと心配だったが、意思疎通に不足はない様だ。未来の精神会話によって伝わった驚きがこの場の人魚達全員に広がった。
(奇怪な技を使う様だが陸の人間だと! 縛術!)
 隊長の声に応じて、周囲の衛兵達が未来に向かってロープを投げた。
 何本ものロープが蛇の様に未来の肢体を襲った。上半身に投げられたロープは胸を絞る様に腕と胴を絡めて、
下半身に巻きついたそれは両太腿がVの字に開く様にがんじがらめになる。下半身のロープは更に股間をくぐって、上半身のそれと結ばれ、スクール水着の女子高生を這いつくばらせる様に固定した。。
(やーん)未来がとめどない羞恥を覚え、顔を真っ赤にする。
(この人魚の王国に何の用だ!)隊長が訊く。
(人魚の軍隊が竜宮城へ乗り込むというのなら、わたし達が力になれるかもしれないわ)未来は必死に答えた。
(たかが人間程度がわが軍の力になるだと)隊長は鼻で笑ったらしい。(人間が何人いるか知らぬが八千人からいる我が軍の助力にもならぬわ。全員が素晴らしき三叉槍を備えているのだぞ)その微少な騒めきは人魚全員に広がった。(待て。そもそもお前らが何故、我らが竜宮城に進軍する事を知っている? やはり、お前達は竜宮城からのスパイでは……)
(違うわ)未来は先日、竜宮城付近で目撃した事を大雑把に伝えた。(U・Tという人物が竜宮城に復讐したがっているのよ。わたしはそれに協力してるわ)
(U・T……人間の男か)
(ええ。あなた達と一緒に竜宮城を攻められたら、と思って)
(それは遅かったな。我が王国軍は、これから竜宮城へ全力出陣するところだ)
 衛兵隊長のその声に応える様に王城周辺の景色が騒ぎ、見る見る内にそれは津波の様に押し寄せた。
 黒銀色の夜の帳が一気にこちらへ引かれたかの様だ。
 頭上の海中を、無数と思える人影が長髪をなびかせながらよぎる。
 これが八千人の人魚なのか。全員、武装し、三叉槍を構えている。マグロやサメの様な速さだ。流線形という形容が似合うスマートなボディラインが高速泳法で閃いている。
(全員……流線形なのね……)
(お前は人魚の体形を知らぬのか。やはり泳ぎが得意ではない人間だな)
 見たままの感想を漏らした未来のテレパシーに、人魚の衛兵隊長のあざ笑うかの様な思念が答える。
(人魚は、平民と貴族様では体形が違う。特に胸がな。滅多に戦わない貴族種様は胸が水の浮力で重さを打ち消され、大きくふくよかになるのだ。まさしく豊穣の象徴たる、な。我らの様な平民種は水流の抵抗を減らす為に胸は育たず、スマートな体形になる。我らは三叉槍を構えて全力で刺突するのが主戦術である故に、な。平民は皆、兵士だ。全ては永い時間をかけて海という自然が育てた、合理的な理の必然なのだ)
 そうか。それがオトギイズム王国のある世界の人魚なのか、と未来。他の世界から来た友人であるマニフィカの如き人魚とは進化が違うのか。
 隠し事をする気のない未来はテレパシーを使って、残る疑問を衛兵隊長にぶつけた。
(どうして人魚達は竜宮城に戦争を仕掛けるの。あなた達と竜宮城の間に何があったの)
(元元、我らと竜宮城は不仲だったのだ。領地が近いが故にな。国交を断絶していたが、今までは竜宮城の時の結界が邪魔な事もあって戦争にまでは踏み切らなかった。だが、ある日から我が王国のエリアーヌ第二王女の消息が突然、不明となった。八方、手を尽くしても見当たらん。そして、その行方を知る為、海のデザイナーたる魔女アルケルナに託宣を伺ったのだが、それによるとエリアーヌ様は竜宮城に捕らえられたというではないか。
我らは非道な竜宮城を滅ぼしてエリアーヌ様を奪還する為、今日、今ここに戦端を開いたのだ。……時の結界を打ち壊す新しい三叉槍はアルケルナが用意してくれた!)衛兵達が一斉に三叉槍を上へ突き上げた。(我ら、竜宮城を滅ぼして乙姫を倒す為に粉骨砕身し、海の治安を我らのものにせん!)
 未来の頭上を、八千人の人魚の軍隊の終端が行きすぎようとしていた。
 そして彼女達が目指す方角こそ、未来がやってきた場所、竜宮城に間違いなかった。

★★★
(ブロック・ザ・イヤー、耳を塞いデ! うんと引きつけマ〜ス……レディ、ファイヤーっ!)
 ビキニ姿のジュディが『炎貝』を叩いてショックを与えるとそれは一瞬、炎を吐き出し、導火線に火を点けた。
 囮として身を晒す役目でもあったジュディは仲間達と同じく、海底に掘った穴の中へと素早く身を隠した。
 ジュディの虹色の意思の実によって警告が伝わった仲間達は身を固くして構える。
 海中でも錬金術ギルド製の導火線の火は消えない。閃光が導火線を焦しながら防水加工された爆弾本体へと辿りつく。
 一瞬の大爆発。
 生半可な爆薬の量ではない。眩い光の発生と同時に、衝撃波によって生じた大量の気泡が白く視界を奪う。爆音はタコツボの中に潜ったジュディ達の耳にも大音響として届き、聴覚を混乱させると同時に身体を重く震わせた。
 タコツボの内側のジュディ達さえこうなのだから、直接、爆発衝撃を浴びた竜宮城の肉食魚の群はひとたまりもない。
 大魚の兵士達は皆、衝撃波に打ちのめされて、皆、気絶したか死んだかして動きを止めたまま、海面へと浮かび上がっていった。
(やった!)
 歓声を上げたのはジュディだけではない。
 ジュディによって配られたスコップで穴を掘って隠れていたのは、マニフィカ、U・T、アンナ。そしてビリーの『気泡球』に彼と一緒に同乗していたエリアーヌだった。エリアーヌは勿論、人魚なので泳ぎが得意のはず……だったが、人間の脚だと人魚態の様には上手く泳げなかった。つくづく中途半端な脚だ。
(見たか! ファッ……いや、この魚介類どもめ!)
 U・Tは肉食魚の兵士達が浮かび去っていくのを見上げながら、中指を立てる。
 その彼の頭頂にジュディが中指の分の拳骨を落とす。王子だと解っても容赦がない。
 そんな痛みにも慣れた様でU・Tはタコツボから一番に飛び出した。深海でも平気な魔法の薬『モグレール』を飲んでいた彼はそのまま平泳ぎで竜宮城へと泳ぎ出す。
(待って下さい。あれが竜宮城の全兵力だとは……)
 そんな彼の後をマニフィカが追う。
 その後を投網を背負ったジュディが続く。古代ローマの投網剣闘士(レティアリウス)を模して、投網を人魚捕縛用に使おうとするジュディは漁師の指導でその技能習得を叶えていた。
 ジュディも追いかけ、最後に『レッドクロス』を装着したアンナが気泡球を押しながら続く。素晴らしい出力を得られるレッドクロスの力で、ビリーとエリアーヌを乗せた気泡球の速度は速い。レッドクロスは宇宙空間で行動した経験もあり、水中の動作など何の不安もなかった。
 竜宮城をめざして泳ぐ冒険者の群に、竜宮城の方から新たな黒雲がやってきた。
 新たな肉食魚の群だ。
 今度こそ本気なのか、その数量は今、吹き飛ばした数よりも多い。
 しまった! 皆がそう思った時だ。
(争いをやめなさい)
 その女性の霊妙な声が、テレパシーめいた力としてここにいる者全ての頭の中に響いた。
 そして、東洋風御殿めいた竜宮城を取り巻いていたバリアの一部が開いた。
 女性の声に従ったらしく、肉食魚の魚影がそこまでの道を作る様に上下左右に分かれる。
 竜宮城の時の結界が開いたのだ。
 招かれている。
 冒険者達は誰もが瞬時にそう理解した。

★★★
「沙々重(さざえ)でございまーす」
 乙姫の本名は『沙々重』というらしい。絶世の美女だが、意外と朗らかだった。陸上の言葉を話せるが、それは代代のU・Tの相手をしていたと考えれば、自然だろう。
 竜宮城の時の結界の中は空気がある空間だった。
 驚いた事に、魚は竜宮城の中では宙を泳いでいる。
 乙姫に謁見したのは、畳に座布団敷きという、まるで旅館の大宴会場めいた部屋だ。
 そこに東洋風に着飾った乙姫と、人間の様に酒宴の盆や杯を慌ただしく運ぶ、きらびやかな魚介類集団が冒険者達を出迎えた。
 豪華な料理が並ぶ、その中でU・Tはそれこそ勝手知ったるという調子で手酌で酒を運んでいる。
「私達は事を荒立てたくありません。侵略してくるなら別ですが」乙姫が上座である冒険者達に話しかけてきた。彼女は妙齢の美女だ。尤も実際にはどれだけ時を繰り返してきたかは解らないが。「貴方の姿を見て、何か用件があるのだろうと、再び、この竜宮城へ招きいれる事にしました」
「え、俺?」
 U・Tが清酒をとっくりごと飲みながら自分を指さす。
「やっぱり、貴方でしたか」乙姫には年をとってもU・Tが誰かはお見通しだ。「貴方は若さを取り戻したいのでしょう?」乙姫が語り出した。時の結界の作用によって、竜宮城は同じ時間を繰り返し過ごし、人人は年をとらないのだという。
 だが竜宮城の時の結界は、外の時間と内側の時間が『ズレ』てしまう。
 だから竜宮城で一年過ごしただけでも、地上に帰れば数百年の時間が過ぎていた、という事もありえるのだ。竜宮城ですごした時間が永ければ永いほど『ズレ』は加速するのだ。
「貴方は竜宮城で一日だけすごしました。だから地上との時間のずれが半年ほどですんだのです」
「F××KIN’! じゃあ、この老体はどういう仕業だよ!」
 U・T=バラサカセル王子が隣席のジュディに拳骨をもらいながらも、料理膳をひっくり返す勢いでまくしたてる。
「稀に訪れる陸上からの男をもてなすのが私達の観衆ですが、歴代U・Tも時の結界の影響を受けています」彼の態度に臆しない乙姫が柔和な笑みを浮かべ、話を続ける。「ここで暮らす事はこの時の結界の時間エネルギーを内側に貯め込む様な物です。玉手箱はU・Tがこの竜宮城にいる間に身に蓄積されていった時間エネルギーを回収する為のアイテムです。歴代U・Tが竜宮城から持ち出したエネルギーを、彼らが『陸上へ戻って後悔した』時、その玉手箱が回収する様になっているのです。そうして彼らは『日常』に復帰するのです。尤も……」乙姫がこほんと咳を打つ。「その方は少少、おいたがすぎたのでその分も余計に徴収してあります」
「オイタって?」宴の料理に手をつけていないエリアーヌが訊ねる。
「それはそれ」乙姫が口元を袖で隠す。「男と女の色色な事を」
「エロエロなコト?」酒を飲み進めていたジュディが豪快に間違える。ただ完全に間違っているとはいえない。
「ねー、彼を返してよー。そして性格も元に戻してー」エリアーヌが乙姫に無理難題?をふっかける。
「そうや。何とかしてバラサカセル王子を外見だけでも元に戻してくれへんかなぁ」ビリーは言いながら。網焼きのハマグリの口が開くのを見つめている。
「実は貴方達を招いたのはそれに関する取引もあるのです」と乙姫。
「取引?」レッドクロスを装着したまま、イルカの乳から作ったというチーズをフォークで口に運んでいたアンナは乙姫に訊ねる。
「この近辺にある人魚の王国の動きが不穏なのです」乙姫の眼が真摯な事を訴える眼になっている。「元元、人魚王国とは国交のないそれぞれに我が道を行く間柄だったのですが、ここ最近、斥候と思しき兵隊人魚が偵察に訪れる回数が頻繁になっています。……実際、今にも戦争が起こる予兆が感じられるのです。我が竜宮城を守る魚介の兵士達を寄せ集めても、人魚の兵士の三千人分ほどにしかならないでしょう。人魚の兵は私達の倍以上あると予測されています。その人数に一気に攻められたら時の結界が耐えられるか解りません。……貴方達にこの竜宮城を防衛する手助けをしてほしいのです。貴方達は私達の兵隊を一撃で葬り去るほどに強い。もし、人形王国の侵略を防ぐ手助けをしてくれるなら、そのU・Tの若さを取り戻す方法を真剣に考えましょう。時の結界の力を使えば出来ると思います」
 乙姫がそこまで喋った時だ。
 数数の勲章を身にぶら下げた大きな真鯛が宙を飛んで、大廊下からこの部屋へと飛び込んできた。
「大変です! 人魚王国の兵士達がこの竜宮城へ大挙してやってきます!」
 乙姫の顔色が変わった。
 戦争が始まったのだ。
「こりゃあいい……この混乱に乗じて、色色出来るかもな……たとえば乙姫を人質にして……」
 酔いが回っているU・Tの独り言は声が大きくて、周囲にいる人物全員に聞こえた。
 この宴会場で、マニフィカは複雑な気持ちでいた。彼女はこのオトギイズム王国の種類とは違うとはいえ、実質的には同じ人魚だ。水場では魚の尾を現す身として、同類に敵対してよいものかどうか……。
 大混乱に陥った竜宮城の中で、冒険者達は次の一手を打つ事を強いられていた。

★★★
「いよいよ始まったか……」
 アルケルナが大鍋を掻き混ぜながら、情報収集に行っていたヒョースの報告を聞いた。
「これで時の結界は私の物に……」
 リュリュミアはしゃぼん玉の中でそれを聞いていた。

★★★
(えーん!)
 ほとんど人がいなくなった人魚の王国の衛兵詰め所にある地下牢で、未来は縛られたまま、放置されていた。
 人魚の衛兵隊長の趣味だろうか、かなりHな縛られ方をしている。動けば動くほど、縄がスクール水着の肢体に食い込み、部分部分に作られた結び目が変な気分を刺激する。
(ともかく、何とかしないと……)
 牢にはまった格子の向こうで、安酒を飲んでテーブルに足を投げ出している男の人魚を見ながら、未来は考えていた。
★★★