ゲームマスター:田中ざくれろ
★★★ ジュディ・バーガー(PC0032)は飲んでいた酒を思わず、勢いよく飲み込んでしまった。 港町『ポーツオーク』の冒険者ギルド二階にある居酒屋で、蒸留酒が注がれた特大ジョッキを傾けて存分に英気を養っていたジュディは、酒場のざわめきから階段を通して聴こえてきた階下の「F××KIN’!」という叫びにゲホゲホとむせてしまう。 それは彼女の生地『アメリカ』ではとても下品で性的で暴力的で、TV番組で使おうものならピー音が入り、CDなら『Parental Advisory−Explicit Content(親への勧告 露骨な内容)』というラベルがジャケットに貼られてしまう事待ったなしの極めて危険なスラングだった。これを実際に言う場面と言われた相手の虫の居所によっては銃で撃たれる事もあるのだ。 その言葉にジュディが鋭敏に反応したのは無理もない事。 ホロ酔い気分が一瞬にして台なしになった。 眼の座った彼女は鼻息も荒く階下に降りていく。 一階の冒険者ギルド受付ホールにその声の主である男をすぐに見つけた。 「竜宮城の財宝を山分けだぁっ!」老人はシャウトした。「それから海の底の竜宮城まで攻め込む方法を絶賛募集中だぁっ!」 漁師姿のその老人は受付前で観衆に囲まれながら大声を張り上げる。なるほど、これなら二階にも聞こえる。 「シャラーップっ!!」階段を下りながらのジュディの一喝で、一階の観衆の騒めきはおさまった。「ドント・ユーズ・ライトリィ・ザット・ワード! そんな下品な言葉を軽軽しく使わないで!」温和な彼女には珍しく声を荒げている。 「何だ、お前!?」老人は怖いもの知らずの様にジュディをまっすぐ見据えて叫んだ。「この『謎の老人U・T』に向かって、いい度胸じゃないか! F××KIN’!」 「だから! その言葉を使わないでって言ってるんデス!」 そんなU・Tの頭ををジュディは軽く拳骨で小突いた。 老人がちょっと痛そう&驚いた顔をする。 「その言葉ってのはどのF××KIN’ワードだ!?」 「だから! そのフ……!」 ジュディは言葉を途中で飲み込む。 何というか怒りにやるせなさが混じって、かすかに残っていた酔いが遠くなっていく。 それでもハードな肉体言語を駆使しない分、まだ相手に配慮している。 「シャラップ! アンド・カモン!」 二メートルを越す彼女はまるで野良猫を運ぶ様に老人の襟を掴んで持ち上げ、階段の方へと連れていった。 そんな風に階段を上がっていくジュディの背に「あのー」と声をかける者がいる。 「ホワット?」 「あのー、ジュディ? お久しぶり。わたしよ」 「オゥ! 未来!」 茶髪に超ミニスカ制服という、いかにも軽そうな女子高生といった印象の少女が階段を上がって追いついてくる。ジュディの知己、姫柳未来(PC0023)だった。 「何だ、そこの姉ちゃんは? 可愛いじゃないか」 ジュディの手にぶら下がったままのU・Tが、未来を眺める。スリー・サイズを測っているのかもしれない。 未来はそこに気がつかないのか、明るい表情でU・Tを見つめ返す。 「大丈夫よ、おじいちゃん。わたしに任せて!」 未来は優しく、困っている人を見ると放っておけないのだ。彼女はU・Tの依頼を受けるつもりだと語った。 「おお、ありがたいぜ! ナイス・ファッ……」 「ゴホン!」 「……ナイス・女子高生」 ジュディが空咳をするとU・Tも口調を改めた。 それから三人は冒険者ギルド二階の酒場に移動し、ジュディが最初に座っていたテーブルに着いた。U・Tが地下の不健全な酒場の方がいいと言ったが、ジュディはその言葉を受け流した。 「U・T、あなたのリクエスト、依頼をこのジュディが聞いてあげようというんダカラ」 ジュディは酒場の給仕に三人の食事と飲み物を注文し、U・Tに向かって身を乗り出した。 「おお、お前も竜宮城に乗り込んでくれるというのか。お前は味方になれば頼もしいかもしれねえな」 勝手に一人で盛り上がるU・Tがギルドへの冒険依頼として登録した内容を二人に話した。 ジュディはその話を聴きながら思った。酔いが醒めて冷静に考えてみると、老人U・Tが単なるDQNとは思えない。何か秘密があるのでは。 そもそも冒険者ギルドが、こうした略奪行為を実態とする怪しげな依頼を認めるのだろうか? そこら辺の疑問をさりげなくぶつけてみる。 「だから地下の酒場へ行こうって言ったんだよ」とU・T。「地下の不健全な酒場に出入りする様な怪しい冒険者なら、多少の荒事は慣れっこって奴が多いだろうからな」 つまりは冒険者ギルドはあくまでも仲介であり、どの様な依頼を頼むのは依頼者次第、受けるのは冒険者次第という事なのだろう。しかし、やはり冒険依頼がきな臭くなれば、ギルドもそれなりに動くかもしれないが。 自由度は大きい。ギルドの地下に不健全な冒険者受け入れ施設があるのはニーズがあっての事なのだ。 地下の冒険者が悪人とは限らないが。 U・Tが椅子に座ったまま、隣の未来の尻に手を伸ばして触る。そして、はたかれる。 「なんでえ! この酒場は踊り子に触っちゃいけねえのかよ!?」 「未来は踊り子じゃありません! っていうか、踊り子に触るのはよけいダメでしょ!」 言いながら未来は、U・Tが見た目より若い、若者なのではないかと疑念を持った。 ジュディの奢りの食事を食べながらU・Tが「うわぁ、そっけない酒や食べ物だな! 竜宮城で食べなれた宴と比べると質も量もしょーもないぜ!」と無礼な事を大声で叫ぶ。 ちょっと羞恥を覚えながら二人がU・Tの身の上話を聞いてみると、以下の様になった。 「記憶喪失だよ。いやぁ、どうも俺は記憶がなくってな! 頭の怪我なのか、嵐の夜にいきなりウミガメの甲羅の縁に捕まって海を潜ってたのは憶えてるんだが、それ以前の記憶、自分が何者かも解らねえのよ! 言葉は喋れるんだが、字が書けねえ! ……実を言えば、自分の今の人格に対しても自信がねえ。『俺は果たしてこういう性格、喋り方をする人物だったのか?』って疑問が今もリアルタイムでついてまわってるのよ。思い出すなら、もっとましな記憶があるはずだって! まあ、それはどうでもいいがな」そこまで一気に喋ってエールをあおる。「でだ、海の中に潜ってしばらくして息が続かなくなってきた頃に海の中に光り輝く立派な御殿が見えてきた。……伝説の『竜宮城』だよ! そしてその透明な壁がウミガメが飛び込むと出入り口の小さな穴が空いて、呼吸が出来る空気がある、乾いた竜宮城に就いたんだ! そのファッキ……ゴホン、竜宮城には乙姫という若い美人の姫がいて、俺を歓迎してくれるといった。流れ着いた人間はこの竜宮城では『吉祥』をもたらすものとされ『U・T』と呼ばれて出来る限りの歓迎を受けられると言うんだ」言いながら食事をガツガツと食べる。年に似合わない、若い食事っぷりだ。「滞在中、乙姫は俺の女になった。で、俺は半日ほど豪勢な海の幸や酒や見目麗しききらびやかな魚達で飲めや歌えや舞えや触れやの歓待を受けたんだが、口が驕ってきたのか、半日ほどで飽きちまった。で、俺が地上に帰りたいというと乙姫は素直に俺を返してくれると言った。吉祥の者のもてなしはすんだから自由に帰っていいと言うんだな。……で、俺は来た時と同じウミガメの甲羅をつかんで竜宮城から去った。乙姫が帰りに持たせてくれた『今のままでいたかったら決して開けてはいけない』という玉手箱を手にな……」 U・Tの話を聴きながら未来は少少、状況をいぶかしんでいた。どうもU・Tは実は、今のその姿よりもかなり若い人間なのではないかという、勘はやはり間違いないと感じる。「で、浜辺について、そこにいた漁師に聞いてみるとここでは俺が遭難した嵐の日から半年以上の時間が経ってるって言うじゃねえか! 何てこった! 竜宮城ではせいぜい半日いたなのに地上では半年も経っている! しかも俺は何処に住んでたかも思い出せねえ、名前さえ憶えてない記憶喪失だときやがる! F××K!」U・Tはジュディの止める隙もなくシャウトした。「俺は一体どうすればいいのか途方に暮れ、一縷の希望で玉手箱を開けてみた! するとどうだ!? 箱の中から白い煙がもくもくと出てきたかと思うと、あっという間に俺を包んだ。……その煙が海へと流れ去った後、残ったのは白髪のよぼよぼの老人になった俺だけだった……!」 それが先ほどまでの冒険者ギルド一階受付の騒ぎにつながるのだ、と未来とジュディは納得した。 未来はU・Tの中味が老人でない事を確信した。 「……しかし、俺には再び海底の竜宮城へと戻る手段がない……」 「わたし、海に潜れる手段あるわよ」 未来はそう言うと立ち上がり、自分の超ミニスカをめくって、中身をU・Tとジュディに見せた。 「おおぅ!」とU・Tがスケベ心を隠さずに吠えた。 しかし、そこにあったのは下着に非ず、紺色のスクール水着の下半身部分だった。 「この『特殊水着』は酸素シールド&重力発生装置付きだよ。これ一着しかないから皆と一緒には無理だけど、わたしが竜宮城の位置をつかむ事くらい出来るんじゃないかな」 「そのスペシャル・スイムウェアならジュディも持ってマス。アンダーウォーター・ブリージング、水中呼吸も可能ネ」とジュディ。 じゃあ、海に潜る手段がないのは俺だけだか、とU・Tがぼやいた時、酒場の一角から一人の男がこのテーブルに寄ってきた。 ベージュのコートを羽織って大リュックを背負い、身体のあちこちにポケット付きの小袋をぶら下げた中年男だ。 「私は流れのアイテム売り。お爺さん、潜水アイテムをご所望ならば力になれますよ」そう言って、アイテム売りは小袋の一つから錠剤を取り出した。「これが『モグレール』。一錠で一日間、水の中での呼吸と水圧に耐える事が可能になります。一錠五千イズム。安い買い物だと思いますが?」 「それはいい。買おう」U・Tがその手に錠剤を受け取る。「アイテム屋、最初の一回は俺にツケといてくれ。何、俺が帰らなかったらギルドに預けてある前払いから引きとってくれ。もしギルドが払ってくれなかったら」ジュディと未来を指さす。「こいつらに払わせてやれ。この女は多分、俺が死んでも生き残るだろ」 「……どうやら、ジュディもリューグー・キャッスルに行くメンツに加えられて決定済みの様デスネ」 大盛りのスパゲティ・ボンゴレの最後のフォーク一巻きを口に入れながら言う、ジュディ。 「まあ、数は少ねえが頼もしそうな姉ちゃんが二人、幸先は良さそうじゃねえか」 言いながらU・Tが未来の太腿をさすりながら、スカートをつまんでめくり上げようとする。 と、未来のキックが彼の顔面に綺麗に決まった。次の瞬間、股間へと美麗なキックのコンビネーション。床に倒れたところで後頭部に最後の垂直蹴り下ろし。 U・Tの正体が老人ではなくスケベな若者と知った未来に容赦はなかった。 ★★★ 「まいど! もうかりまっか?」 砂の浜辺を歩いて、ポーツオークの漁民達の村に褐色の子供がやってきた。 網元の屋敷を訪れたのはビリー・クェンデス(PC0096)。 まだまだ救世主として未熟なヒヨっ子であるビリーは、何やら不幸の気配をとんがり頭で「ピピン!」と受信した気がした。これは幸福を招く妖精として見過ごせない。 というわけでビリーは「最近、浜辺に漂着した、言葉の喋れない謎の全裸美女」という奇妙な噂こそそれと信じて、漁師の村を訪ねてまわっていたのだ。 その仕事柄、漁師さん達が迷信深いのは、何処の世界でも一緒のはず。幸運を招く妖精なら賓客として歓迎してくれるかもという考えもあったが、確かに漁師達は幸運をもたらす雰囲気を感じ取ってくれた様でビリーを歓待してくれた。座るビリーの足の裏を大勢が願掛けで触りに来るのは大変こそばゆかったが。 自分の聞いた噂の事について話すと網元は屋敷の奥へ案内してくれた。 沢山の漁師の先頭になって、網元の先導についていく。すると綺麗な客間に布団が敷かれ、その上に質のよさそうな黄色いワンピースを着た十八歳ほどの少女が座っていた。ウェーブのかかったディープブルーのロングヘアは前髪がピンク色に染められ、爪はブルー基調のマリンテイストのネールアートで飾られている。服を着ていてもグラマラスな肢体が解る。 彼女が見慣れない子供に少少戸惑っているのが解る。だが声は出さない。出ないのだ。 「ああ、別に怖いもんやないから楽にしといてや。あんさん、喋れへんのやろ? 喉を痛めたらあかんよ。せやから、アメちゃんでも舐めとって」 ビリーはポケットから『薔薇の無限キャンディ』を取り出すと彼女に渡した。 渡された物をしばらく眺めたり掌で転がしていた彼女が、ビリーのジェスチャーに従って口の中に入れる。 彼女の表情がちょっと幸せそうになった。 しかし、それで声が出る様になる風ではなかった。 ビリーは彼女を怖がらせない様に慎重に『指圧神術』を試してみた。経絡への刺激や血行がよくなったりする事で劇的変化が起こる可能性を試したが、やはりそういう事はなかった。針灸も試そうと思ったが、彼女はそれについては知識がないらしく針を怖がったのでやらない事にする。 漁師に聞くところによれば歩くのが苦手なそうだ。しかし、それは足に障害があるのではなく、歩く事に慣れていない様子らしい。 布団の上に乳白色の長い脚をそろえて座る彼女だが、依然としてコミュニケーションがとれない。 (恐らく何らかの魔術的影響が原因やないんかなぁ……さて、どないしましょか) ふとビリーがそう思った時に背後から女性の声がした。 「筆談ならどうにかなるかもしれませんわ」 「そや! ボクもそう言おうと思ったところなんや! ……って、誰やん?」 ビリーが振り向くとそこには茶色の髪の十六歳の少女、アンナ・ラクシミリア(PC0046)が立っていた。 「まいど! アンナさんやないですか! お久しぶり!」 「あなたもお久しぶりですわね」言うとアンナはビリーの横に来て、海から来た美女の布団の前に座った。「わたくしも漂着した謎の全裸美女の噂に惹かれて来たのですが……彼女との筆談は試みてみましたの?」 アンナの最後の言葉は自分達を見物している漁師達に向けられたものだ。 突然に振られた言葉に漁師達の様子はあたふたとなり、何人かがそこを走って離れる。 「筆談も何もおら達は字が読み書き出来るほどの学はなくて……」 離れた漁師達が屋敷の奥から薄い木の板を持って戻ってくる。 「一応、そいつに字を書かせてみたんだけど、やっぱりおいら達には読めないんすよ」 薄板をビリーとアンナに見せた。そこには木の板に細い木炭で書かれた二人が見た事のない字の文章らしきものが書かれていた。 「あ、おらはその字が書かれているのを見た事があるで」と漁師の一人が言った。「浜辺にたまに漂着する大きな貝やサンゴ、木の板なんかに書かれてる外国の字にそっくりだ。どう読むか解んないけんども」 彼女が書いたものは字に限らず、簡単な絵も描かれていたのだが画才がまるでないのは間違いなかった。 若い男の顔らしきもの。 荒い波と船らしきもの。 稚拙な人魚らしきもの。 下半身がクモの様になった人間らしきもの。 子供の落書きレベルだ。 「それにしても随分スタイルがいいですね」アンナは黄色いワンピースを与えられている謎の美女を眺める。 彼女のグラマラスな肢体は服の上からでもよく解る。非常に豊かな、まるで餅の様な質感を持ちながら崩れていない巨乳が、特に色っぽい。 「別にその、羨ましいとか、そういうのじゃないけど……何か、心がけている事とかあるんでしょうか」 「そんなに胸が大きい方ががええんかなぁ……」精神的に幼いビリーは彼女が書いた字や絵を眼の前に並べて吟味している。その中で突然、人魚らしき絵を見て閃いた。ビリーには人魚の知り合いがいる。もしかすると……。 「ぶっちゃけ、あんさん、人魚ちゃうのん? ボクの知り合いにも一人おんねん」 顔を上げたビリーはあっけないほど、きっぱりと口にした。 それを聴いた漁師達とアンナが驚きの顔をする。 「人魚ですか? でも脚がありますよ」 「マニフィカさんも脚になったり、魚の下半身になったりするで」マニフィカとはビリーの友人だ。アンナも彼女をよく知っている。 「いや、それは違うぜ」「そうだ、そうだ」異論を差し挟んだのは漁師達だ。「人魚ってのは、もっとこう、乳がすっきりしているもんだ」「水の流れに逆らわない様にな」「それが自然の道理ってもんだぜ」 「マニフィカさんの胸は普通にあるけどもなぁ」ビリーは腕を組んで唸った。思い浮かべる彼女の胸は少なくともぺったりした流線形ではない。「尤もマニフィカさんはこの『オトギイズム王国』生まれの人魚やないはずやけど」 アンナは絵が描かれた木版の中から、人魚らしき絵が描かれた物を持ち上げた。 「あなたは……」人魚の絵を人差し指で指さす。「人魚ですか?」その指でワンピースの巨乳美女を指す。 すると彼女は思いっきり、うんうんとうなずいた。 漁師達全員が一斉にどよめいた。 「人魚だって!?」「でも脚があるし!?」「乳だってあんなにでかいし!?」「何で喋れない人魚がこの浜に流れついたんだ!?」 「そう言えば……」網元の男が言った。「オトギイズム王国は海の『人魚の王国』と一応、国交は結んでいるが、あまりにも生育環境が違う為にまるっきり交流がない、という話を聞いた事がある。交流がなさすぎて、平民で人魚の王国の存在を知っている者を探すのが難しいくらいだと……」 板の絵を眺めながら、ビリーはここでまた閃く。「もしや、海難事故で消息不明の第二王子と関係があるんやないか?」 アンナは『嵐と船』の絵と『若い男』の絵を並べて巨乳人魚に見せる。 すると彼女は、船の絵と男の絵を交互に何度も指差し、そして男の絵をひし、と抱きしめた。 「……おもろい、ほんま王道やねん」 ビリーは呟き、『全裸美女漂着事件』はここに『謎の人魚と行方不明のバラサカセル・トンデモハット第二王子事件』へと状況転換したのを、皆が確認したのだった。 ★★★ ♪かっぱっ○ぁ、るんぱっぱぁ。 調子っぱずれな歌を口ずさみながら、リュリュミア(PC0015)は砂浜を歩いていた。 港町ポーツオークは近い。 リュリュミアはポーツオークの武具ギルドをめざして、若草色のワンピースとタンポポ色の帽子を海風になびかせている。沖合では海鳥が沢山、飛んでいた。 (世間では、三叉槍が大人気みたいですねぇ) 砂浜の綺麗な貝殻を拾いながら、昨今の流行について、ふと思う。 大っぴらにされてはいないが、非常に大量の三叉層の取引がポーツオーク界隈をにぎわしているらしい。武具ギルドは隠そうとしていたが、完全には隠せていない。噂となっている。 (リュリュミアは三叉槍なんて持ってないし、使わないけど、そういえば、知り合いに三叉槍に詳しい人がいましたねぇ。マニフィカさんだったら一杯、三叉槍を持ってそうですねぇ。欲しがっている人達に紹介してあげてもいいんですけどぉ、何処におうちがあるかまでは知らないんですよねぇ。確か、海の中だったとは思いますけどぉ。今度、マニフィカさんに会ったら聞いてみますかぁ) 相手にされるかどうかは解らないが、武具ギルドにそういう事を教えてあげようとぽわぽわ〜と考える。 それにしても今日は光合成日和ですねぇ、と砂浜に足跡をつけながら歩いていく。 歌を口ずさみながら歩けば、やがてポーツオークが見えてくる。 ふと波打ち際に奇妙な物が流れ着いているのを見つけた。 一抱えはある。ウミガメの甲羅かと思ったが、もっとゴツゴツして複雑だ。 興味を持って近寄ってみると、それは突然、花開く様に甲羅を展開した。蛇腹になっている八本の触手が周囲に突き出され、その内の一本がリュリュミアの右手に絡まる。 「きゃぁっ!」 思わず悲鳴を挙げたが、怪力の触手が彼女を本体に引き寄せる。触手に並んだ吸盤が右手を吸いつけて離れない。 ギョロリとした黒い眼。その怪物はタコとカニを混ぜた様な姿で、肉厚の装甲で全身を覆った八本足の大ダコという体だ。それぞれの足の先には切れ味のいいハサミがついていて、くねるそれがリュリュミアに近づいてきて彼女のワンピースを切り刻み始めた。 「やぁん! 誰か助けて下さぁいぃ!」 悲鳴に応える者は視界にいない。ただ海鳥が飛び、砂浜に波が打ち寄せるだけだ。 リュリュミアは足を踏んばって転ばない様にするのが精一杯で、他の動作がとれなかった。転倒したら一気に引きずり寄せられるだろう。 そうこうしている内に八本の触手が全て肢体に絡まり、切り刻まれ乱れたワンピースの上からリュリュミアを絞り上げる。 リュリュミアはとうとう転んだ。 八本の触手がリュリュミアの肢体を仰向けで持ち上げ、身体にきつく絡みつく。手足の自由は奪われ、息が苦しくなるほどタイトに胸や腰を絞り上げられる。胸はくびれ、左右の太腿は大きく開かれ、後ろから前へと一本の細長い脚が伸びて股をくぐり、先端のハサミを首元に突きつける。 怪物は放射状に八本の足が並んだ中央にある嘴(くちばし)へとリュリュミアを引き寄せた。それは一噛みでリュリュミアの頭部を砕く事が可能だろう。 「……!」 リュリュミアは為す術もなく息を呑んだ。 その時だ。 沖から寄せてきた波から一人の男が飛び出した。 波飛沫を蹴散らしながら男が剣を振るう。小柄な男だが、真っ赤な身体に真っ赤なマフラーをひるがえした姿は腕が六本あり、百五十センチの身長も腕の長さを含めれば三メートルになる。 素早い剣の一閃がくねる触手を装甲ごと斬り、リュリュミアを自由にした。 更にその男が剣を怪物の眼に突き立てた。えぐる様に剣身をひねる。 怪物が悲鳴を挙げた。断末魔だったのだろう。一瞬だけ八本の足を硬直した様に痙攣させるとそれきり完全脱力して動かなくなった。 「大丈夫タコか? この『蟹蛸(オクトパスクラブ)』は成長すればもっと巨大になるのダコ」ギターを背負っていた男がリュリュミアに六本の手の一つをさしのべた。「弱点は眼や口だがこの俺様ほどの剣の腕と『海塩剣』があれば、装甲ごとぶった斬れるタコ」 リュリュミアは男の手を取り、立ち上がる。 彼女を救った男もタコだった。ゆでだこの様に真っ赤な身体で八本の足の内、二本をまっすぐに地に下ろして、人間の如く直立している。 「肌に切り傷を負ったと思ったタコが、お前はそういうのは平気みたいダコな。普通の人間とは違うみたいタコか。破れた服も肌の一部みたいタコな。……では、じゃあな、礼はいらないタコ! 質(たち)の悪い怪物には気をつけるダコよ!」 そう言ったタコ男が波打ち際へと身をひるがえす。 「あ……あのぉ、せめてお名前をぉ」 「俺様の名はギガポルポ! この海で一番強い剣士の名前だタコ! 地上にもその名を広めるがいいタコ!」 そう言い残したタコの姿が、大波をかぶると同時に海の中へ姿を消す。 「……ギガポルポ……」 浜に残されたリュリュミアはその名を呟いた。 次に彼女がとった行動は一刻も早く蟹蛸の死体から離れ、めざしていたポーツオークへと急ぐ事……ではなかった。 「なんか、興味が湧いてきましたぁ。あのタコの人を追いかけてみましょぉ」 ★★★ 故人曰く「世の中には偶然はない。あるのは必然だけ」。 たまたま、そこに立ち寄ったのも、最も深遠に坐す母なる海神の導きかもしれない。 マニフィカ・ストラサローネ(PC0034)の出身世界『ウォーターワールド』において、三叉槍(トライデント)はポピュラーな武器であると同時に、王家の象徴でもある。王家の末姫マニフィカは『千人長』の称号に相応しからんと槍術の修行を日日、積んでいた。 オトギイズム王国。 マニフィカは三叉槍をメインテナンスしに、旅先の最寄りである港町ポーツオークの武具ギルドを訪れていた。 しかし、そこはひどく慌ただしかった。 マニフィカは何もかも急いているギルドの様子に首を捻り「何事ですか?」と職員に訪ねてみた。 だが、答えはろくに返らない。守秘義務に抵触するらしい。 「致し方ないですね」 彼女は用事をあきらめて、ギルドを去ろうとする。 「ちょっと待ってくれ」 その時、ギルド長という男から声をかけられる。彼の眼の下にはクマが浮かんでいる。 何故に引き留められたというと三叉槍の納品検査に人手が足りず、臨時の仕事を依頼したいという事だった。マニフィカが三叉槍に関しては一家言あると認められたからこその依頼だ。 「詳しい事情が聞けるなら」と二つ返事で引き受ける。 こうしてマニフィカは守秘義務を負う一人となった。 (三叉槍を一万本、それも一週間で手配とは、どう考えても穏やかではない。短期間に大量の武器を集めるという事は、程なく武力行使を実施する為の準備を意味する。そもそも買い主である海の蜘蛛魔女『アルケルナ』とは何者だろう?) 大量の三叉槍で埋まった武具ギルドの倉庫の片隅。淡淡と納品検査を行うマニフィカは、不良品を除きながらギルドで集まった情報について考えていた。 それにしても見事なデザインの三叉槍ばかりだ。細くて軽いが、これなら海中でも錆びる事はないだろうと思える。威力も見込める。 関わった以上、これらの三叉槍がどんな使われ方をするのか、最後まで見届ける事を決めた。 そして納品の日。 事前の約束通り、河童のヒョースが引渡し場所まで水先案内をしにポーツオークを訪れた。 マニフィカは納品への同行をギルド長に申し出る。 「まさかとは思いますが、三叉槍だけ受け取って残金を支払わない最悪のケースに備えるべきです」 自分は用心棒としても追跡者としても有能だと自負している。 ギルド長は短く考えただけでマニフィカの意見を聞き入れ、同行を許した。 一万本の三叉槍は五隻の貨物船に分けられて、ポーツオークの港を出ていった。 先頭の一隻にマニフィカとヒョースを乗せて。 ★★★ どれ位、時間が経っただろう。 五隻の貨物船はヒョースが案内する三叉槍の投下地点に到着した。 「よし、これでいいッパ。ここに三叉槍を投下するッパ」 マニフィカは船員がヒョースの指示に従って、貨物船を停止させ、他の船と手旗信号で連絡をとりあうのを見た。 ヒョースが先頭船に乗っていた武具ギルドの副長に、背負っていたバックパックを渡す。 その中身を確認する副長。舳先に近い所に立つマニフィカからもその様子が見えた。 大きな黒真珠や青真珠が幾つか。大判の古代の金貨が数十枚。他にも大きく見事な宝飾品が沢山。海底の何処かにある遺跡や沈没船から集めたのだろうか、と思える非常に高価そうな品だ。ネプチュニア連邦王国の九人目の王女として、それらが贋作や粗悪品等ではなく王家にもふさわしい物だと保証出来た。これが三叉槍一万本の対価か。 支払いの品を確かめた副長が船員に指示を出し、各船に手旗信号が送られる。 五隻の貨物船は応えて、ほぼ同時に荷である三叉槍を全て海へと投下した。幾つかに束ねられているそれらは大きな水しぶきを上げて海中に沈んでいく。 「これで取引成立だカッパ。いい取引が出来たとアルケルナ様に報告するカッパ。これを売りつければ人魚の王国も……おっと」ヒョースは慌てて口をつぐんだ。「それじゃなッパ」 言って、河童のヒョースが緑色の身体を海に躍らせる。 それと少しタイミングをずらして、マニフィカもこっそり海へと飛び込んだ。副長達、船員に見つからない為にあまり飛沫を上げない様に頭から。 海中でマニフィカの脚はひれある人魚の下半身へと変化した。こちらの方が自然体だ。呼吸も出来る。 泡と水流をかき分け、自分の得物であるトライデントを携え、マニフィカはヒョースを追いかけて海を潜っていく。やがて泡が消える。緑色のヒョースの姿は既に小さい。沈んだ三叉槍はもう見えない。 太陽光が届かない深度になり、周囲は闇に呑まれていく。 潜る。 潜る。 マニフィカは己が身に感じる水流を頼りに更に潜った。 深海。 静かだ。 大水圧には負けない。 やがて海底にまばらな光が見えてきた。 オトギイズム王国だけの特性だろうか、海底を覆う光るサンゴや海草によって視界が開けてくる。 岩だらけの海底に沿って泳ぐヒョースが小さな影として見える。沈めた三叉槍を後で取りに来る者達がいるのだろうか。 その距離を保って追おうとするマニフィカの前に逆光の人影が突然、立ちふさがった。 「ここから先は通さないタコ」 海中でそいつが喋った。 眼を凝らす。 ギターを背負い、水流に赤いマフラーをなびかせた深紅の人型タコ。鞘に剣を収め、口元に笑みがある。 ヒョースの関係者だろうか。 現れたそのタコ人間に対し、マニフィカはトライデント素早くを構える事で反応を示した。 それを見た相手は笑みを消した。 「ヒョースを追っている……ただ者じゃないタコな。アルケルナ様の所には行かせないタコ」 マニフィカの技量を見抜いたらしいタコ人間が剣を抜く。 業物だ。マニフィカには解った。そして相手の技量が自分とほぼ互角だという事も。 シリアスだ。 相手との距離は三十メートルはある。 いきなり、タコ人間が凄まじい勢いでその間合いを詰めた。突撃。泳ぐ、というより疾走。「本気で行くタコ! この剣を受けた奴は一人もいないタコ!」あたかも連続する飛燕。孔雀の尾羽の様に広がった六本の手が「斬る」という一瞬の挙動の中で剣を何十回と持ち変える。ひるがえり続ける剣の輝く様はまさしく飛雷。「俺様の海塩剣を受けてみるタコ! されば通してやろうタコ!」 タコ人間の猛攻撃に正対したマニフィカは初見でその本質を見抜いた。要は最後にどの手からか振り降ろされた剣を受けとめればいい、大雑把に言って、右から来るか左から来るかの二者択一の攻撃だ。 ただ、それに物凄い速さで無数のフェイントが入っている。 右か? 左か? 思考の閃く一瞬しか余裕がない。 (駄目です! かわせません!)見極めがつかない。斬られる事を覚悟した。それがマニフィカの最終的反応だった。 鋭い斬撃がマニフィカを襲った。 それはあたかも稲妻が落ちたかの様な鮮やかな一撃だ。 だが。 「タコ?」 必殺の剣は空中で止まっていた。 マニフィカはそこから一メートルほど離れて、緊迫に耐えながら荒い呼吸をしている。 一瞬前までそこにいた彼女の代わりに、地蔵菩薩のミニチュアが身の半ばまで刃を食い込ませている。 必殺のダメージから彼女を救ったのは『マギ・ジスタン』の『イースタ』で土産として買った『ミガワリボサツ』の自動発動だった。 「ぬぬっ! 奇怪な、タコ」剣を一振りして地蔵のミニチュアを振り捨てる。 自分の所まで漂ってきたミガワリボサツを拾うと、マニフィカは間合いを取り、トライデントを再び構えた。 相手は強い。だが技の本質は解った。まだこちらには相手に見せていないバトルスキルもある。 次こそ勝負だ。 「待って下さぁい!」その時、声が水中を音波として伝わって二人に届いた。「やっと見つけましたよぉ! 喧嘩はやめて下さぁい!」 海の向こうから丸くて透明な大きな物体が漂ってくる。 それは『しゃぼんだま海中仕様』に乗ったリュリュッミアだった。外見に似合わず深海の高圧にも耐えられるそのバブルに乗った彼女は、対決の気が殺がれるほどのぽやぽや〜とした態度で決闘の場にやってきた。 タコ人間とマニフィカは同時に驚いた。思いがけない場所でそれぞれの知人と再会したのだから。 「お久しぶりですぅ、マニフィカさん。先日はありがとうございましたぁ、ギガポルポさん」対決の邪魔になるほど、しゃぼん玉は二人に近づいた。「事情はよく解りませんけど、争いは駄目ですよぉ」 「礼はいらないと言ったはずダコ」突撃を止めたギガポルポは海塩剣の切っ先を下ろした。 マニフィカも構えていたトライデントを下した。もはや戦闘の雰囲気ではない。「知り合いなのですか」 「ああ、ちょっとしタコな」 「わたくしは前からの友人です」 「……今ここで帰るならこれ以上、斬り合いはしないタコ」ギガポルポは剣を鞘に納めた。「俺様は『深海のデザイナー』アルケルナ様の用心棒、ギガポルポだタコ。アルケルナ様に会おうというなら俺様を通してもらうタコ」 「用心棒? ではヒョースは?」 「ヒョースは願いをアルケルナ様に叶えてもらった代償に雑用係をしているタコ。ヒョースに用があるタコか」 「……いえ、特には」緊迫の気合を失ったマニフィカは後方に泳ぎ、ギガポルポの間合いから離れた。 「お前はこれ以上、用があるタコか……えーと」 「わたしの名前はリュリュミアですぅ」 「リュリュミア。アルケルナ様に願いを叶えてでももらいに来タコか」 「いえ、アルケルナ様とかの名前は初耳ですけどぉ」 「そうか。願いがあれば、代償と引き換えに海の蜘蛛魔女アルケルナ様に叶えてもらえるタコ。それは一生の忠誠だったり、何かを失う事と引き換えだったりするタコ。用件がなければ、ここから去った方がいいタコ」 リュリュミアとマニフィカは顔を見合わせ、その場を去る事にした。 「さようならぁ」 後退。浮上。二人はタコ人間とは眼線を合わせたまま、ゆっくりその場を離れた。 ギガポルポの真っ赤な姿は深海の闇に紛れて徐徐に見えなくなる。 更に浮上。 やがて、二人は太陽の光が射しこむ深さまで無事に着き、ついで波間を破って、海面に顔を出した。 さわやかな風。陽光と青空。 海鳥は飛んでいない。浜からはるかに離れた沖合なのだ。 マニフィカを乗せていた五隻の貨物船がその場のすぐ近くにいた。待っていたらしい。、 「やあ、帰ってきたか」武具ギルドの副長がやってくるマニフィカに舷側から叫んだ。「何故か、見知らぬ人が一人増えてる様だが」 「すぐに帰って下さってもよかったのに」マニフィカはリュリュミアと一緒に船に近づきながら大声で言葉を返した。「わたくしの種族の事は知っているでしょう。海に落ちたとしても平気でポーツオークまで泳ぎつけますのですよ」 「たとえ、そうだったとしても人の行方が解らなくなったまま、さっさと帰るわけにはいかないじゃないか。それが泳げる者なら特に」副長の眼鏡が太陽を反射する。「で、何か収穫はあったかい」 マニフィカはやれやれという息を吐いた。 マニフィカとリュリュミアは貨物船に乗り、ポーツオークに帰るまでに海中であった事を副長に話した。 ★★★ 他に船の見えない海上に一艘のヨットが浮かんでいた。 未来は海風にはためく髪とスカートを手で押さえながら、幾つもの波が生まれては流れていく様を見ている。 「大体、浜辺の景色があんな風に見えるからこの位の距離で……あそこに見えるあの形の岩とあの岩が重なる角度だったから……よし、こんなもんだろ」 ヨットに乗った謎の老人U・Tが、右手の指を丸くして遠眼鏡を覗く様に風景を確認していた。 U・Tによれば、竜宮城から出てきた時、ウミガメの背中に掴まって海に出た瞬間がこの風景だというのだ。 U・Tの記憶が確かなら、この場所のそばの深海に竜宮城があるはず。 竜宮城ですごした実質的に半年間だった半日前以前の記憶がないU・Tだが、それからの記憶は確かなはずなのだ。本人によれば。 「という事はここでマリン・ダイビング、デスネ」 ビキニの特殊水着に着替えていたジュディは投錨した。 U・Tが冒険者ギルドで流しのアイテム売りから買った『モグレール』を口に含み、瓶詰めの水でそれを嚥下する。これで一日の潜水は大丈夫のはずだ。精神は若者だが、身体は老体のU・T。船上で待っていては?という意見を聞かず、褌一丁で竜宮城を探す気満満だ。 「先、行くわよ」 制服を脱いだ女子高生のシッティング・バックロール・エントリー。特殊機能が色色と付与された紺のスクール水着を着た未来が飛び込む。 海に飛び込んだ三人はほぼ垂直の潜水を開始した。 頭上の陽光が遠くなっていく。 モグレールの効果は確からしい。速泳ぎの潜水でU・Tの様子には何の異常も起こらない。息も苦しくならないらしい。 未来も水着の酸素シールドを信用して思い切り泳いでいる。特に水泳が得意というわけではないが、姿勢を度度テレキネシスで修正して、誰よりも速く潜っている。 しんがりをつとめるのはジュディだ。彼女は視界内にU・Tをいつも捉えている。実は竜宮城攻略などというU・Tの計画には消極的だった。自分をお目付け役の様なポジションと考え、いざとなればU・Tを実力行使で止める気でいた。 魚の群が泳いでいる。 海が暗くなっていく。 溶暗。 暗黒。 更に潜る。 やがて海底の明かりがちらほらと見えだした。 見渡す限りの海底を覆う、発光するサンゴや貝、海草によって眼下は非常に見やすい風景になってきた。 明るい海底に着底する。 発光する生物の他は、岩が多い景色。 (竜宮城はどっちデショウ) ジュディは『意思の実』の力でU・Tに意思を伝える。 岩に掴まっていたU・Tがしばし考えた後、ある方向を指さし、泳ぎ出した。 (ちょっと待って) 未来はU・Tの分の意思の実を貸す。彼女は自前のテレパシーで念話を仲間に伝えられる。これで水中でも三人の会話が可能になった。 二人はU・Tを追って、海底を泳ぎ進む。 U・Tの言う事には、竜宮城を行き来する為に使っていたウミガメは凄い速さだったから、自分達の速さだともっと遠くに感じられるだろうという事だ。 五分も泳いだだろうか。 朝日が昇る様に海底の彼方が明るくなってきた。 (あ、あれは) (リューグー・キャッスル、デスネ) (そうじゃい! F××K’N竜宮城だ!) ジュディの拳骨を見舞われるU・Tの目前、巨大な東洋風御殿が海中風景の中心として現れた。 豪華で艶やか巨大な建造物。 紅サンゴの如き色の屋根の葺き瓦。 真珠の如き色のそびえ立つ壁。 海中生物で整えられた遊園らしき物も広がっている。 御殿自体が発光している様だ。 どうやら周囲を透明な障壁で覆われて中に空気があるらしく、光の屈折で奇妙に歪んで見える。 (これでリューグー・キャッスルの実在が証明されマシタね) (でも、これからどうするのよ? この三人だけで乗り込む?) (とりあえず場所は確かめられたんだ。乙姫め……一度帰って、色色と準備を……『時の結界』があるしな) (ホワット? 何デスカ、トキノケッカイって) (あ、言ってなかったか。竜宮城の周りの障壁は時の結界って呼ばれてるみたいなんだよ。まぁ、俺も乙姫の家来の鯛やヒラメが言ってるのを聞いただけで詳しくは知らねえんだが) その時、未来が二人の手をつかんで、岩陰へと引き込んだ。 (どうしたんデスか、未来) (あれ、あれ) 未来が見ている方角から六人の人影が泳いできた。 それは三叉槍を構え、簡単な武装を施した人魚の女性兵士達だった。 身体のラインは平坦な胸を含め、皆、流線形に近い。 人魚は未来達に気づいていないがその近くで泳ぎを止めた。彼女達も真剣に竜宮城を眺めている。 (人魚の兵士みたいね? 何かな) (あいつらは見た事ねえな。胸がない、という事は平民人魚の兵士か……ん、何だ、この知識は?) (どうもあのマーメイド達はスカウト、偵察みたいデスネ) しばらく彼女達を眺めていると、竜宮城に動きがあった。 屋敷の近辺から何十匹という魚の群が人魚達の方に一斉にやってくる。サメやバラクーダやウツボ等、危険な魚を先頭に色とりどりの魚群が猛速度で泳いできた。 六人の人魚はそれらが来ない内に急いで逃げ出した。もと来た方へ帰っていく。 魚群は人魚達がいた地点でぐるぐると巡っていたが、やがて竜宮城へと戻っていった。 未来達の存在には最後まで気づかずに。 (フィッシュ・ソルジャーズ……どうやら戻った方がベターみたいデスネ) (ええ、ポーツオークへ戻って、これからどうするか、じっくり考えた方がよさそうね) (乙姫め! 今度は泣かしちゃるからな!) 三人は急いでヨットへと戻った。 ともかく、竜宮城はあった。 ジュディはこの事は冒険者ギルドへ伝えるつもりだが、どうにかしてギルドがU・Tの依頼を中断させてくれないだろうかと考えていた。記憶をなくしたU・Tには協力したいが、略奪行為にまで事態が進むとは心穏やかではない。 三人は、今度来る時の竜宮城を示す目印となるブイを海上に浮かべ、ポーツオークの港へと引き返していった。 ★★★ ビリーは網元の屋敷の縁側に陣取って、ぽかぽかとした日光と海風を浴びていた。 アンナは今日も網元の屋敷を誰に頼まれたわけでもないのに掃除していた。 アンナのモップが縁側を拭いている時、座布団に座ったビリーが足の裏を掻きながら言った。 「人魚の姉さん、喋れたらどんな風に話すんやろな」 「どうしたんですか。何か思うところがあるのですか」 「いやな、前髪に入ったピンク色のメッシュ、爪のネールアート。なんか『ギャル』って人達っぽい気がしてなぁ……」 「ギャル、ですか……」アンナはちょっと考える素振りをしたが、すぐに表情を戻した。「別にいいんじゃないですか。ギャルでも」 「まあ、ボクもギャルを悪い人みたいに言う気もないんやけど……もしかしたら、いざ喋れたらギャップがあるんやないかと思ってなあ」 「とにかく、彼女の事はじっくり考えていきましょう。もしかしたら彼女の縁でバラサカセル第二王子の消息が解るかもしれないんですから」 「せやな、ぼちぼちと行こか……」 海風がさわやかな午後の二人の会話だった。 同じ縁側。二人のすぐ傍で黄色のワンピースの彼女が身体を横向きにし、脚をそろえたまま、陽だまりの猫の如く、寝息を立てていた。 ★★★ |