『バッタもの奇譚』

第5回

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★
 『トータスぱふぱふ・フィットネスジム』。
  ポップな大文字がファンキーにそのビラを飾っていた。
 『貴女もこのフィットネス・ジムの会員になり、美貌に磨きをかけませんか!?
  格闘技を取り入れたリズミカルな有酸素エクササイズで、
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★★★
 ミルクの様な雲海を頭上にかぶった『オトギイズム王国』王都『パルテノン』王城。
 今朝は朝から雨が降ったりやんだり。今はやや雨足が強い。
 時計塔の鐘が午後二時を告げた時、バルコニーの窓を閉めたサロンではマニフィカ・ストラサローネ(PC0034)とクライン・アルメイス(PC0103)は、王と王妃と共に早めの茶会を楽しんでいた。
 いや、楽しんではいない。
 『パッカード・トンデモハット』国王と『ソラトキ・トンデモハット』王妃が砂糖を入れていない熱い紅茶とういろうをテーブルに置きながらも、無言で少少小難しい顔をしていたからである。
 給仕やメイド達が並ぶ壁を眺めながら、マニフィカはこの話のよどみに流れを加えようと「このういろうというお菓子は熱い甘くないお茶によって、美味しさが際立ちますね」と王妃に語りかけた。
「そうでありんすな」
 王妃はティーカップを赤い唇へ傾けた。何処か上の空の風もある。
 今、サロンがこうした渋い空気にあるのは、悪の組織『スリラー』から救出された『トゥーランドット・トンデモハット』姫がテロリスト達に加担して、今まで戦闘員や怪人達を生み出していたという事実が明らかになっていたからだ。
 この茶会は実質的に、その事情を含めたスリラー関連の多岐に渡った様様な事象に対する会合でもあった。
 怪人を生み出した人体実験は、深刻なスキャンダルに発展する可能性が大。
 どう対処すべきか皆は頭を抱えていた。
 国王と王妃が、親と統治者の二つの立場に苦しむのは察して余りある。
 静かで重い空気に耐え切れず、マニフィカは膝の上に置いた『故事ことわざ辞典』を紐解いた。
 開かれたページには「盲亀の浮木」という項目。
 見慣れない言葉だ。
 はて、これはどの様な意味か、と解説を手繰れば「海中に棲み、百年に一度だけ水面に浮かび上がる眼の見えない亀が、漂っている浮木のたった一つの穴に入ろうとするも容易に入る事が出来ない、という寓話から『滅多にない事』を示す」と書いてある。
 一体、何が滅多にないのか。
 解釈に悩み、再びランダムに頁をめくれば、今度は「亀の年を鶴がうらやむ」という一文。
 意味は「千年生きるといわれる鶴が一万年生きるという亀の寿命をうらやましがる、という事から欲望というものは限りがないのだ」とある。
 はて、この二文が示しているものは何だろう。
 共通するのは亀という生き物だが、これらは怪人『カメ男』を指し示す天啓だろうか。
 カメ男の占いの力が以前、こちらの占いを相殺しているという未確認情報があったが、もしかしたらこれもその相殺が為した現象なのかという思いがマニフィカの脳裏をよぎった。
「あの、ジャカスラック侯爵の事なのですが」
 紅茶とういろうの相性を確かめるマニフィカの向かいの席で、クラインは艶っぽい口を開いた。
「下準備も積み重ねてきましたし、あとは証拠を押さえるだけですわ。明確な悪事の証拠があったとして、王国内の勢力バランス的に侯爵を逮捕することは可能でしょうか。罪状は反逆罪になると思いますわ」
 侯爵を逮捕して、スリラーとの最終決戦前に後顧の憂いを断ちたいというのがクラインの考えだ。
「スピードがあれば、ジャカスラック侯爵が新派の貴族を集めて反逆の大軍を築く前に、逮捕して潰すのは可能だろうな」パッカード国王が形の良い太い眉毛を反応させた。「その時には国王軍を挙兵して、ジャカスラック領に派遣しよう。全ては証拠があるのを前提としてだが」
「それと今回の功績を元に『ハートノエース王子』を臨時の代理として侯爵の領地を預けるのはいかがでしょうか。王となった時の予行演習も兼ねつつ一時的な王権の強化にもなるかと思いますわ」
「悪くないアイデアだな……だが」と王が紅茶を口に近づけた。「ジャカスラック領統治の件は了解するが、今回の功績については『例の男』の事を公表するわけにいかないので皆に言えないな」
 国王の言葉は居並ぶメイドや給仕に知られない様に『笑い仮面』の名は伏せていた。
「ともかく全ては証拠次第、という事でしょうか」
「そうだな。……トゥーランドットを研究室からハートノエースに預けて、ジャカスラック領に事実上の軟禁、という流れもあり得るかもしれない」
「その張本人、ジャカスラック侯爵はどうしたのでしょう」
「うむ、急ぎの用事があると言って、一旦、自分の領地へ今朝、戻っていった」
 王が紅茶を口に含んだ時、キッと眼を開いたソラトキ王妃が爆弾発言をする。「トゥーランドットはちょっと『処女喪失』させて、現実というものに向き合わせた方がいいかもしれないでありんすね」
 その言葉を聴いたクラインとマニフィカは霧吹きになりかけた。
 国王は盛大に霧吹きになった。
「今のあの子は『生』に対して無頓着すぎでござんす。取り返しがつかないものがあるというのを解らせる必要があるでありんす」まるで悪戯の行きすぎた子供を叱る様な調子で、それでいても中身が不穏すぎる王妃の提案は茶会の場を凍らせた。「自分も一個の『肉体』であるのを自覚させるのがよいでありんす。パルテノンで一番の男娼を呼びましょう。本当は『ヨシワラ』から呼ぶ方が一番でござんすが」
 メイドや給仕が乾布でテーブルを拭く最中、皆が金髪を伊達兵庫にした元花魁の眼を見たが、美しい王妃の顔と眼には自分の言葉に対する真剣さと重厚さがあった。
 決して冗談のつもりではないのだ。
「と、とにかく、その話についてはまた後日、という事で。……スリラーによる姫の奪還や王城の襲撃に備える事には念を置いた方がいいですわ」
 それだけを言い、クラインは飲み干した紅茶のおかわりを給仕に要求した。
 窓の外の強い雨はまだやんでいなかった。

★★★
 午後三時の鐘が響く。
 雨に濡れるのに任せた人達が行き過ぎるパルテノンの通りに『冒険者ギルド』が建っている。
 冒険者ギルド四階にある宿屋の一人部屋に、スリラーから奪還されたトゥーランドット・トンデモハット姫がかくまわれていた。汚れた白衣ではなく、落ち着いたピンクの室内着だ。
 小柄なそばかすだらけの少女は、まるで居残りを命じられた中学生の様に大人しくしていた。
 監視する者は説得を試みようとしながらもいまいちそれ言い出せないでいた。
 皆、腫物を扱うかの如き、遠回しな接触。
 その時、新たに到着した、人魚であるマニフィカは雨に濡れるのはむしろ気持ちよいくらいだった。濡れながらギルドの四階にやってきた彼女は、それまで傍についていたアンナ・ラクシミリア(PC0046)と見張り番を交代した。
 それまで見張りをしていたアンナは結局、これまでトゥーランドットについていながら何も言い出せなかった。
 説教したいのは山山だったが、彼女が頭ごなしに意見を言って聞くようなタイプとは思えなかった。
 だから今回はトゥーランドットのずっと傍にいても、何も言わずにじっとみつめるだけしか出来なかったのだ。
(頭のいい彼女の事ですから、答は自分自身が持っているはずでしょう)
 アンナはそう信じた自分の心に疑いを持っていなかった。
 替わったマニフィカは、アンナは既にトゥーランドットに説教をしているだろうと考えていた。
 しかし、姫は素直に耳を傾けてはいないだろうとも思っていた。
 マニフィカはあらためてトゥーランドット姫から事情聴取し、彼女の真意や本心を確認したいと考えていた。まるで彼女の顧問弁護士の如く、今後の身の処し方を話し合うつもりでいた。。
(もしかしたら、トゥーランドット姫はまだ真意や本心を隠しているのでは? Drアブラクサスの変装だけではなく、末っ子の王女という仮面も被っているのでは?)
 そんな雰囲気を彼女から感じ取っていた。しかし、それが真実かどうかを確かめるだけのスキルがない。
「とにかく、自分が悪い事をしたと思っているなら、罪に応じた罰を己に課したり……しばらく謹慎する等を国王に提案してみるのはどうでしょうか。姫がいくら無頓着でも、今回ばかりはごまかしが通用しないと思いますわ」
 このままでは姫の本心は国王王妃を含めて、皆とすれ違うばかりだ。。
 マニフィカは落しどころを見出す必要があると思っていた。姫の返答を待って、両者を仲介すべき所を見つける。
「理論だけでなく、実際に実験してみないと解らない事って多いじゃない!」
 予想外だった。どういう思考回路なのか、トゥーランドットがその言葉のみを返した。
 プイと横を向いた顔に、ぐ、とマニフィカは息を詰めた。
 ドアを開けて通路に出ていたアンナもその叫びに思わず、ローラーブレードを横滑りさせて一旦戻って部屋の中を覗き込む。
 この部屋の中には明らかに『子供』がいる様だ。
「ハーイ! アー・ユー・オーキードーキー?」
 緊迫したムードを壊す陽気さが突然、通路をやってきて、アンナの顔の上から部屋の中を覗き込んだ。
 ボリュームのあるブロンドが一房、アンナの顔の前に垂れる。
 ニシキヘビの『ラッキーセブン』を首に巻いたジュディ・バーガーは青い眼をくりくりさせていた。
「トゥーランドットは元気カナ。ちょっとゼア・イズ・サムシング・アイ・ウッド・ライク・ユー・トゥ・アスク・フォー、頼まれてほしい事があるんダケド」
 ジュディがトゥーランドットを訪ねた理由は明らかに他者と異質だった。
「リモデリング、ちょっとジュディを改造してくれない?」
 大層な事をあまりにさりげなく言うジュディの物言いに、アンナとマニフィカはぶっとんだ。
 実はジュディはこれから戦うだろう、ハチ女やカメ男ら怪人と偽バッターとの連戦に対し、さらなるパワーアップが必要では?と考えていた。
 スポ根風特訓も嫌いではないが、もっとお手軽に……もとい、合理的なアメリカンらしく能力向上を求めたいと思っていた。
 そこで浮かんだのが悪魔的なアイディアだ。
 ようやく身柄を奪還したトゥーランドット姫に改造してもらったらどうか。
 本家バッターの公式設定も、脳手術される前に脱走したはず。
 これは前向きに検討すべき案件だと真面目に思った。
 そんなジュディの迷走ぶりを、アンナとマニフィカと、そして愛蛇ラッキーセブンが見つめた。
「ジュディさん! 自分を捨ててはいけませんわ!」
「却下です! 却下!」
 トゥーランドットが答える前にマニフィカとアンナは声を張り上げる。
「改造するなら今やスリラーの『最終要塞』にしか設備がないわね……」そんな冒険者達の慌てぶりを見ながら、子供っぽい声が唐突に語り始めた。「実は……最終要塞には今までの怪人『クモ男』『コブラ男』『ハチ女』『タカハシ猿人』『カメ男』の複製である再生怪人がいるわ。いざという時の為の保険の様だから、最終要塞に攻め込むならムシオは必ずこれを率いてくるはずよ。何せ、無茶を試そうと思ってた実験体だからやたらめったらにパワーアップしてあるわ。パワーは元怪人の『百倍』よ。ただし、滅茶苦茶不安定だから体力が全くない。皆『シン・仮面バッター』のテレパシーで操られていて、自我はないに等しいわ。異世界のゲーム風に言えば『攻撃力百倍、ヒットポイント百分の一のロボット兵士』ね」
 突然、物騒な事実を告げたキ〇ガイ博士の告白に、アンナ、マニフィカ、ジュディの口はふさがらなくなる。
「救出されて、もう改造実験や研究が出来なくなった私は今からスリラーの敵に回るわ。もう、別に未練なんかはない。罰から逃れる為、スリラー壊滅の為なら幾らでも手を貸すわ」

★★★
 ビシッ!と老人の鋭い手刀が叩き込まれた大きな亀の甲羅に、イナズマの如き長いひびが走る。
 そのひびは『東西南北』『吉凶』『赤白青黒緑』等、様様な漢字が配置された甲羅をまるで星座を描く様にジグザグに裂いた。
「これがわしの情報探知スキル『甲骨占い』じゃッ! いちいち三万イズムもするウミガメの甲羅を叩いてブッ壊さなくちゃならんがなッ!」
 叫んだ後、老人はふむふむとサングラスを近づけ、長いひびが甲羅に配置されたどの漢字を辿っているかを調べ始めた。どうやらそれで占いの意味を知るらしい。
「…………うーん」
 長い集中の後、老人は落胆の息を吐いた。
「……駄目じゃ、解らん。意味が読み取れん。……ちょっと前は占いの力が通じた時があったんじゃが、今はまた相殺されとる。敵の情報が解らん」
 ここはパルテノンで最近、開店した女性向け美容施設『トータスぱふぱふ・フィットネスジム』。
 吹き抜けになった中央のダンスフロアで身体を躍動させている女性会員やインストラクターを見下ろせる二階席。喫茶スペースになったテーブルで老人はレオタードの美女に囲まれて、白髭をしごいていた。
 女性の汗の匂いがするこのジム。
 簡易楽団がリズミカルで激しくビートの利いたダンス曲を奏でている。
 通いの客であるパルテノン市民の女性達はただ動きやすい服を着ているだけだが、インストラクターのセクシーな美女達は皆、食い込む様なカラフルなレオタードを素肌に張りつかせていた。
 老人のサングラスはそのセクシーなダンスに釘づけになる。
 アロハシャツを着た禿頭の老人は、人間とカメを合成した様な、甲羅を背負った外見をしていた。
 悪の組織スリラーの怪人、カメ男だ。
 このジムはカメ男の女性戦闘員養成所でもあるのだ。
 フロアの中央にはグルグルした渦巻きをゆっくりと回転させる、大きな洗脳マシンが据えつけられている。
 インストラクターの動きをトレスする会員の女性達はそれを見つめて、瞳の中にグルグル模様を渦巻かせている。
 カメ男の頭がBGMのリズムで動きながら、今日も新たな女性戦闘員が生まれつつある事に満足げな笑顔を浮かべている。
「さて、ジムのオーナーとして一階で直接、鑑賞してやるかの」
 カメ男がお供の美女達を引き連れて階段を一階へと降りていく。
 しかし、彼はまだ気づいていない。ダンスフロアで一緒に激しいダンスをしながら、その洗脳マシンから眼を逸らし続けている女性達がいる事を。
 一階に降りたカメ男の眼は、ジム入口の扉の前で恥ずかしそうに立ち尽くしている少女を見つけた。
 気泡のない奇麗な一枚ガラスによる扉。その前で羞恥に染まった顔はその一歩を踏み出そうかしまいか、ずっと逡巡している。
 彼女はピンクのワンピースの懐に両手で背負い袋を抱えていた。
 その少女、アンナの持っている背負い袋の中身はレオタード。過激な物ではない。直接、素肌に身につけるなどとんでもなく、上から着るTシャツや、インナーやストッキングも入っていた。
(あああ、スリラーのアジトらしきジムの前まで来ましたけれど、やっぱりレオタードなど着れませんわ。でも潜入するならこれを着なければならないでしょうし……恥ずかしい。Tシャツやストッキングを着ても恥ずかしいですわ。……あ、ジムの中から怪しいおじいさんがこちらを見ていますわ。ああ、あれは確かスリラーの怪人カメ男……。きっとサングラスの裏では好色そうな視線でこちらを見つめていますのね……やっぱり物凄く恥ずかしいですわ!)
 ローラーブレードでピュー!と逃げたかったが、アンナの身体は恥ずかしすぎて強張って動かない。
「何じゃ、あの娘は」
 ジムの前でフリーズした少女から視線を外し、カメ男が一階中央のダンスフロアの方へ行く。
 ダンスフロアでは素肌にハイレグレオタードを汗で張りつけた女性インストラクターのダンスを、その前に並んだ女性達が真似をして躍っていた。かなりエロチックな激しいエクササイズだ。
 ふんふん♪とカメ男がまるで覗き込む様に近づいていく。その後を取り巻きの美女たちがついていく。
 ビートの利いた音楽の中で息を弾ませるダンサー達は、大きく脚を開いた姿で上半身を前に倒して両腕を振っていた。熱いムードが空気を陽炎立たせていた。
 それを後ろから見ながら満足した様に首をうなずかせるカメ男。
 すると踊る女性の中で特に眼を惹く三人がいるのに気がついた。
 その一人は二mを越える金髪の白人だった。グラマラスなスタイルの健康そうな身体をハイレグのイエローのレオタードでエクササイズさせている。
 彼女は実は無料体験コースで潜入しているジュディである事にはスリラー怪人は気づいていない。実は一度、戦闘した事があるのだが、その時のジュディは『仮面バッター』のコスチュームだったので顔が解らないのだ。
 健康そうに汗をかくセクシーなジュディは、一瞬でカメ男のお気に入りとなった。
 そして、その隣の女性。彼女はレオタードを身につけていなかった。若草色のワンピースで黄色い花の帽子もかぶっている。どうも彼女は踊りながらも汗をかいている様子はない。不思議な女性だ、よく見ると帽子も服も身体の一部らしい事に気がついた。どうもオトギイズム王国の現地人ではない様だ。異世界から来た植物人間なのでは、とカメ男が推理した。
 光合成淑女、リュリュミア(PC0015)の踊りはまるで風になびく柳の様に柔軟だった。彼女の舞踏は生来の身体の柔らかさと身につけた『ヨガ』によって、普通の人間の関節ではない位置で手足が曲がり、見た者の正気を騒がせる『ふしぎなおどり』の域に至っているのだ。
 まるでゴムで出来た操り人形の様に、リュリュミアのダンスは激しいビートの中でのたうった。
 更にその隣の少女。彼女もレオタードを身につけていなかった。しかし、それ以上に煽情的なコスチュームだったと言える。
 姫柳未来(PC0023)はミニスカに改造した女子高生の制服で激しく踊っていた。学生服という禁忌的な物に太腿を剥き出しにしたミニスカートという蠱惑的なアレンジを加えたそのコスチュームは、助平な老人のハートを直接的に鷲掴みにした。更に前に屈んで突き出したヒップはミニスカの中が薄暗く、否が応でも見る者の眼を惹きつけてその中身を覗きたいという衝動の虜にするのだ。
 ミニスカの中の白い布を見つけたくて、カメ男の姿勢は前のめり気味に足を踏み出した。
 しかし、どうしてもミニスカの薄暗い影の中で白い布が見えない! そのやきもきとした感覚の中でカメ男が気づいた。彼女の下着は白くないのだ! その薄暗さは、肌色のヒップに貼りついた薄灰色の下着その物なのだ!
 この三人にカメ男の眼が釘づけになった。
(食いついた!)
 ジュディ、リュリュミア、未来は激しいダンスをしながら、後方にカメ男が来た事に気づいて眼くばせし合った。
 無料体験コースの彼女らのセクシーダンスはカメ男を魅了する為のいわば餌なのだ。……いや、リュリュミアはちょっと違うかもしれないが。
 三人はフロア中央の洗脳マシンから眼を逸らしながら踊っていた。洗脳されずに今も正気である。
 カメ男を魅了、油断させて彼からスリラーの本拠地の位置を訊きだすか、不意打ちで倒す。
 そういう計画でこのフィットネス・ジムに正面から乗り込んできたのだ。
 BGMが鳴り止んで、フロアのダンスはフィニッシュを迎えた。
 洗脳マシンのグルグル渦巻きが停止し、踊っていた女性達は半ばボーっとした感じで三三五五に散り始める。その瞳の中でグルグルは回ったままだ。
「いやー、よかった、よかった! ナイスダンスじゃ!」
 カメ男の拍手が、一階のチェアに着いてタオルで汗を拭くジュディ、リュリュミア、未来に近づいてきた。
 来た、と彼女達は思った。
「イエー! このジムのバック・グラウンド・ミュージックとインストラクターは最高ネ! すっかりヘルシネス、健康になっちゃうワ!」
 ジュディは汗に濡れたレオタードの腰にウエストポーチをつけながら、特に胸を強調してカメ男に笑いかけた。
「もしかしたらぁ、このジムのオーナーさぁん? いいエクササイズだったわぁ」
 汗をかいてないのにタオルで肌を磨くリュリュミアは、特に疲れた感じもなく、カメ男をぽやぽや〜と迎える。
「今日は素敵な出会いがあるかも♪って思ってたけれど、こんなエモいジムとおじさまに会えて超ラッキー☆って感じぃ? マジ卍」
 未来はブレザーの制服の胸元を緩め、ミニスカートの裾をちょいとだけ持ち上げて、カメ男に微笑む。
「そうじゃろ、そうじゃろ♪」
 カメと老人の合成怪人はにやけた顔でサングラスを少しずり下げさせてた。
「……ところで、ちょっとお前達に頼みがあるんじゃが……」カメ男の腑抜けきった声を聞いていると、どうやら彼はジュディ、リュリュミア、未来がすっかり洗脳されて、女性戦闘員として言いなりになると思い込んでいる様だ。「ちょっと、わしを『ぱふぱふ』してくれんかね」
「パフパフ?」
「ぱふぱふぅ?」
「PFPF?」
「そうじゃ。お前達のおっぱいでこのわしの顔をぱふぱふっ……と」
「ぱふぱふぅって、こぉ?」
 前に出たリュリュミアは両手でカメ男の頭を抱えて、胸を近づけた。そしてぎゅうっと押しつける。
「おおっ! ぱふぱ……じゃない! 固い! 何て固い胸じゃあ!?」
 カメ男が慌ててリュリュミアから飛びのいた。リュリュミアの肌は植物的に固い。
「固いなんてひどいわぁ。縛っちゃいますよぉ?」
「カモン、オールドボーイ! パフパフするなら五十イズムネ!」
 ジュディはレオタードの首の辺りを指でずり下げた。グラマーな胸の谷間が半分ほど露わになる。
「おおっ! これぞ、ぱふぱふするには最適な胸じゃあ!」
 見ている者が恥ずかしくなるほどに興奮したカメ男がその弾力の中に飛び込まんとする。
「シャッチョさ〜ん、パフパフさせてあげるからマイ・ウィッシュ、お願いがあるんだケレド……」
 ジュディはカメ男に寝返りを吹き込むつもりで大きな胸を両手で持ち上げた。
 だが、老人はその瞬間に動きを止めた。
 止まった姿勢のまま、顔をまじまじと見つめる。
「……今、気づいたんじゃが、お前、わしと前に何処かで会った事はなかったかね?」
 カメ男が見つめている顔はジュディではない。
 未来だ。
 どうやら今まで未来のミニスカJK制服にばかり眼が行っていて、彼女の顔が記憶にあったのに今初めて気がついた様だ。
「お前、わしと戦った事があるじゃろ」
「え、えー☆ どうだったかなー!?」
 思わずしらばっくれて眼を反らす未来だったが、確かに過去にスリラーアジト急襲した時に戦闘している。しまった。顔を憶えられていたか、と焦るJK。老人の記憶力を甘く見ていた。
「さてはお前らもスリラーの敵となっている国王からの手先じゃな!?」
 カメ男の声音が腑抜けきったものから一転、戦闘態勢の緊迫したものへと切り替わる。
 その一瞬で老人のムードから隙というものが一切なくなる。熟練の武闘家の気迫だ。
「イーッ!」
 カメ男の取り巻きだったレオタード美女達が叫びを挙げて、戦闘態勢の動作となる。
 BGM担当の簡易楽団が物騒な雰囲気を感じ取り、逃げ出した。
 ジム内の会員達は「一体、何が起こってるんだろう」とぼやけ気味の顔をしながら、ノロノロとこの緊迫の場面を取り囲んだ。
 カメ男が裂帛の気合を見せて飛びのいた時、計画の破たんを悟ったジュディ、リュリュミア、未来は戦闘の構えに入った。
「このフロアの騒動を把握してるんじゃろ!? お前も出てこい、ハチ女! タカハシ猿人の仇を討つんじゃ!」
 老人の呼ばわりに応じて、地下階に通じる階段から羽音を立てて、怪人ハチ女が上ってきた。どうやらこのジムの地下にはやはりアジトがあるらしい。
「猿人ちゃんの仇を討ってやるんだから!」
 吹き抜けの二階近くまで飛び上がったハチ女は、未来達を複眼で睨みつけるとピンクのヒップからピン!と一本の毒針を伸ばし、手の鞭を鳴らした。
「憤ッ!」
 拳法の達人の上半身の筋肉が気合と共に肥大した。
 カメ男。
 ハチ女。
 女性戦闘員。
 一度に沢山を敵に回した女冒険者達は状況に不利を感じ、緊迫した。
 ジュディは眼をそらさないまま、ウエストポーチから出した『リリのクッキー』を齧り、『猿の鉢巻き』を額に巻いた。
 しかし、勝てる余裕が見いだせない。
 といっても逃げ出せない。
 八方ふさがりを感じ取った、その時だ、
「ギシャシャシャシャシャ! その喧嘩、ワシも参加させてもらおう! 今世紀最大の美女とはワシの事じゃ、ギシャシャシャシャ!」
 突然、噛み合わない錆びた歯車が軋む様な笑い声がこのジムいっぱいに響き渡り、まるで入道雲が急成長するかの如く巨大な存在感が起き上がった。
 純白のウェディングドレスを着た身長二百二十二cm、質量二百八十kgがダンスフロアを軋ませる。
 巨大老婆、H・アクション大魔王(PC0104)だ。
 突然にその巨体が眼に入った事にここにいる全員がおののいた。
 こんなに巨大な異形がこのジムに紛れていたのに今の今まで彼女に気づいていなかった。
 見えていたはずなのに感じられなかった。
 思わず、皆は現実を疑った。
「巨大老婆ではない! 正義の変身ヒロイン『ジャイアント馬場あ』参上!!」アクション大魔王の額にはマジックで『ジャイアント馬場あ』と書かれていた。「ギシャシャシャシャシャ! ワシの姿に貴様らが気づかなかったのはワシの『大魔王忍術』が『見えないゴリラ』を応用したものだからなのじゃ!」
 有名な心理学の実験がある。
「この映像の中で、白シャツの選手が何回ボールをパスするかを数えて下さい」と指示して、白シャツの選手達と黒シャツの選手達のバスケットボール練習のビデオを被験者に見せる。すると被験者はパスを数えるのに集中し、映像のそれ以外の情報が眼に入りにくくなる。たとえ、バスケットコートの真ん中を一頭のゴリラがゆっくりと横切り、胸を堂堂と叩いて去っていっても約半数の被験者は全く気づかないのだ。
 この様に人間の脳というものは、情報を常に選択して取り入れているのである。
 アクション大魔王のステルス忍術はこの原理を応用し、ゴリラをジャイアント馬場に置き換えたものなのだ。
(……いや、何処をどう応用すればそうなるかはマスターも解らないのですが、とりあえず、解らない方は解らないままに文章を読み進めて下さい)
「ギシャシャシャシャシャ!」
「ぬう! 奇怪(きっかい)な!」
 カメ男が武闘の構えで怪物を迎え撃つ体勢を作る。
 こうなるとどちらが悪でどちらが正義なのか、あやふやになってくる。
「ギシャシャシャシャ! 貴様ら、ワシがお色気忍術でカメ男を篭絡している間にそのハチ女と戦うがいいわ!」
 アクション大魔王はそう指示を出すと、自らの巨体をカメ男へと進ませる。
 ジュディ、リュリュミア、未来はこの異常事態でどうすべきか、正直に言って迷った。
 皆、アクション大魔王とは初対面だ。
 敵はスリラー。そのはずだ。
 しかし、新たに現れたニュー・カマーも怪人に負けず劣らず、異常である。
 そうこうしている内にハチ女が鞭を振りながら、急降下してきた。
 セクシー・レオタードの女戦闘員達も襲いかかってきた。男がいたら悩殺されていただろう。
「ともかく、襲ってきた相手と戦おう!」
 未来は仲間にそう声をかけた。正しい判断と言える。
 冒険者はそれぞれの敵と戦い始めた。
「カ・メ・バ・ズ……」アクション大魔王と正対したカメ男の両手の内に気のエネルギーが集まる。「牙(ガ)ーッ!」
 押し出されたエネルギー波をアクション大魔王は見かけによらず素早くかわした。忍術の応用だ。
 しかし、それでもエネルギー波はウェディングドレスの胸元を引き裂いた。
「たとえ大魔王として心が黒く染まろうとも、乳首まで黒くなりはしない! このピンク色の輝きを恐れぬならかかってこい!!」
 剥き出しの胸を晒した大魔王が桃色のイナズマを背景に叫ぶ。
(……すいません。大魔王はそう言っていますが、実は胸には☆型のシール貼っています。マスター権限です)
 あまりの光景にカメ男は口を押さえ、屈みこんで、気分の悪さを訴える。
 達人である彼を戦いの最中にそのような状態まで追い込むとは、恐るべし、アクション大魔王!
 その隙を突き、一撃必殺を狙う大魔王の大技が炸裂した。
「新必殺技『十六文式地獄の断頭台』をくらえい!!」
 大ジャンプからの全体重を乗せたニードロップが、カメ男の頭に炸裂する。
 ニードロップだと十六文にならない気がするという思惑を振り切って、それは屈みこんだカメ男のうなじに叩きこまれた。その衝撃は彼が背負った甲羅にまで伝導する。カメ男の身体は叩きこまれたダメージのままに床へとぶつかって勢い余って弾み、サングラスと甲羅が粉粉に砕け散った。
「ギシャシャシャシャシャ! せめて冥途の土産にスリラー最終要塞の位置を吐いてから逝くがいいわ!!」
 だが勝利を確信した大魔王の予想とは違う事が起こった。
 地に伏すと思われたカメ男は、予備動作なしで一気に十メートルを水平跳躍した。
 そしてダンスフロア中央にある洗脳マシンの上に乗り、スイッチを入れた。
 太極拳に似た動作をとるカメ男の動きはすさまじく滑らかで素早い。
「……甲羅は粉砕された。つまり、わしのハンデは消えたという事じゃ」
「ギシャ!? まさか甲羅は防御の為ではなく、修行の為の超重量ハンデだったというか!?」
 洗脳マシンのグルグル渦巻きは再び回り始めた。
 それと同時にこの戦いを遠巻きに見守っていた観衆の女性会員達に異常が起き始めた。
「ハッ!? 確かブレイン・ウォッシュ・マシン、洗脳マシンには被洗脳者を操るウルトラサウンド、『洗脳超音波』という機能があったハズ!?」
 ジュディの小さな叫びに答える様に、瞳の中にグルグルを映していた女性会員全員がまるで操り人形の様に動き始めた。眼の下にクマがある。
「「「イーッ!」」」
 観衆の女性会員全ては今やスリラーの女性戦闘員だった。
「いいわ! 皆、スリラーの敵を殺っちゃいなさい!」
 ハチ女の扇動に乗って、女性達は一斉にジュディ、リュリュミア、未来に襲いかかった。皆、素手だが肉体のリミッターが外れたと解る素早すぎる動きだ。まるでゾンビー物のパニック映画の如き有様になる。
 この簡易女性戦闘員は全て一般人だ。殺すわけにはいかない。
 ジュディ、リュリュミア、未来は手加減攻撃でかろうじて猛襲撃を退ける。
 だが敵は多かった。
 このジムにいる何十人という女性戦闘員の波に呑み込まれそうになった時。
「皆! 戦闘員達は私達に任せて、ハチ女に集中したまえっ!」
 分厚いガラスが割れる大きな音。
 入り口のガラスの扉を体当たりで突き破って『レッドクロス』を着たアンナと笑い仮面(=ハートノエース・トンデモハット王子)がジム内に突入してきた。
 女性戦闘員はこの突然の乱入者にターゲット変更するが、笑い仮面が手の剣を一閃させた『当て身』によって、波飛沫が上がる様に次次に弾き飛ばされて昏倒し、床に倒れ伏す。
「悩殺? 私は誘惑されるのには慣れすぎているのだよ」呟く笑い仮面。
「この女性の敵!」
 アンナも手にしたモップの連撃で次次に女性戦闘員を気絶させながらカメ男に叫ぶ。
「女性の敵? ……違うんじゃなぁ」カメ男がアクション大魔王の釘バットによる攻撃を回し受けで防御しながら言い放つ。「スリラーは男女平等同権じゃ! スリラーの女性戦闘員養成所を預けられた、このカメ男の必殺拳! お前らに食らわしてくれるわ!」
 洗脳マシンの上から跳躍したつま先が、刺さる如くアクション大魔王の頬を打つ。
 ギシャース!と大魔王が後退する。
 ジュディ、リュリュミア、未来はハチ女と直接対決していた。
 皆の攻撃が届かない位置に飛んでいるハチ女の振るう鞭と、リュリュミアの手から伸びた『ブルーローズ』は互いに攻撃を打ち反らし合っていた。
 ハチ女という怪人はどうやら前線に立って戦うタイプではないらしい。タカハシ猿人を失った彼女は明らかに戦闘能力は他の怪人より下だった。
 女性戦闘員はほぼ全てがアンナと笑い仮面の方へ行き、彼女達に守られていないハチ女だけを相手にするのはこの三人だけで十分だった。
 リュリュミアと打ち合う内にハチ女の高度は段段下がってくる。
「バッター・キックッ!!」
 ハイレグ・レオタードのジュディが跳躍し、上方向へ美しくたくましく伸びた脚でハチ女の腹部を狙った。
「させないわ!」
 お尻から毒針を伸ばし、迎え撃つハチ女。
 一瞬の交錯に時間が止まる。
 ジュディはダンスフロアに無事に降り立ち、空中のハチ女が炎球と化して爆裂した。
「ギシャシャシャシャ!」
 ダンスフロアの中央でカメ男との攻防が続く中、アクション大魔王は床に据えつけられていた巨大洗脳マシンを土台ごともぎ取って、カメ男に投げつけた。
 武術の達人の蹴りは飛んできた洗脳マシンを撃墜、粉みじんに破壊する。
「しまったのじゃ!」
 カメ男が叫んだ時にはもう遅く、コントロールを維持する洗脳超音波がマシンの破壊によって消え、ジム内の女性戦闘員と化していた一般会員は一斉に床に倒れた。
「今ね!」
 その精神的動揺を突いて、未来はカメ男の方へ駆け寄った。
「甘いわ! カ・メ・バ……!」
 すぐに気を取り戻したカメ男がエネルギー波を放とうとする。
 しかし、未来の疾走は激しく乱れたミニスカからペール・グレイの下着を明らかにする。
「うほっ!?」
 サングラスを失ったカメ男の眼はそのパンチラに眼が吸い寄せられた。
 未来の脚が高く上がった時にもその眼はミニスカの中の股間に釘づけだ。
 『ブリンク・ファルコン』! 未来の蹴りは何重もの幻像の様に全撃がカメ男の顔面に叩きこまれた。
 中国古伝の美女の素脚に煩悩をかき立てられて仙力を失った仙人の如く、武術の超人は助平心に血迷って一切の防御を忘れていた。
 脚がもう一本伸び、二つの腿の間にカメ男の頭を挟む。
 フランケンシュタイナー。頭を太腿の間に挟んだ未来は、上半身を思い切り振って逆立ちする勢いでカメ男を投げ飛ばした。カメ男が盛大に鼻血を吹き出したのは、太腿の感触と眼前に迫っていたミニスカ内の股間とそして頭頂をフロアの床に叩きつけられたせいであった。
「この助平じじい!」
 仰向けに倒れたカメ男の頭頂を未来は執拗にストンピングする。
「ギシャシャシャシャ! ワシも参加させるのじゃ!」
 ストンピングにはアクション大魔王も加わった。
「とどめ☆」
 十二分にストンピングした後、未来はカメ男の股間に最後のストンピングを叩きこんだ。
「ぐがっ!!」
 カメ男の『亀の頭』はそれによって完全に踏み潰された。しっかりとした固い感触のあった物が扁平になる。
 その瞬間、カメ男が大爆発。
 爆風に吹き飛ばされた未来はダンスフロアに転がって、武術の達人の最期を見届けた。
 大魔王は立ち姿のままに爆風を浴びた後、ウェディングドレスに付着した塵をパンパンと手で払った。
「どうやら終わったみたいですね」
 笑い仮面を後ろに従えて、アンナはジュディとリュリュミアと一緒にダンスフロアへとやってきた。
 スリラーの女性戦闘員養成計画はこれで挫いた事になる。
 気絶していた一般会員の女性達が、うーん……と頭を振りながら起き上がり始める。
 スリラーの洗脳作戦という一大事は終わった。
 だが、ある意味、それ以上の一大事が冒険者達を待っている。
 それは眼の前の巨大老婆をどう扱うべきかという事だ。
 とりあえず、共闘の礼は言うべきだろうと皆の思いが決まった時。
「では、ワシはこれにてサラバじゃ!」
 大魔王は腹のたるみの中に隠していた煙幕玉を床に投げつけた。
 膨大な白煙がたちまちジムの中に噴き上がり、人人の一切の視力を奪った。
 白煙が晴れ、皆の視界が戻ってきた時、ジムの中に巨大老婆の姿はなかった。
 きっと煙に紛れて何処かへ消え去ったのだろう、と皆は一瞬考えた。だが、最初に登場した時の事を思い出し、また実は見えてないだけでこのジム内の何処かに堂堂と存在しているのではないかと、しばらく疑心暗鬼に駆られておどおどとした眼線を配り続けたのだった。

★★★
 階段を降りると、ジムの地下室はスリラーのアジトとなっていた。
 今や、主はなく、全くの無人になっている。
 一応の様様な施設がある部屋が並んでいる。。
 トゥーランドットが使うのを前提にした部屋もある様だが、彼女が救出されている現在、そこは一切の機材も置かれていないただの空室になっていた。
 中央には集会場と思しき大部屋があり、そこにはスリラーのシンボルである鷲の彫像が置かれていた。
 『シン・仮面ライダー』ことスリラー首領『ヂゴク・ムシオ』はここにはいないのは確実だった。
 笑い仮面が集会場の中央に立ち、周りを見回す。
 アンナは床をモップで掃きながら慎重に調べ、リュリュミアは隙間に何かないかと蔓を伸ばして細部を探っている。
「やっぱりバッド・センス、趣味の悪いスタチュー、彫像ネ。アメリカン・シンボルの鷲の方がクール、かっこいいデス」
 ジュディは鷲の彫像を手で軽く叩きながら感想を漏らした。
 すると鷲の彫像にあった赤ランプがピコーン、ピコーンと音を立てて明滅を始めた。
 皆、驚いて彫像に視線を集中させる。
「……カメ男……女戦闘員養成計画はどうなっている……私好みの女はいるか……?」
 彫像が中年男の声で喋り始めた。
 これが黒幕だ!と一瞬で皆は緊張した。勿論、この彫像ではない。この彫像を利用して命令や連絡をする者がいるのだ。
「カメ男……ハチ女……どうした……何故、返答をしない……?」
 皆は無言で鷲の彫像を見守る事しか出来なかった。
「……何だ、お前達は!?」どうやら向こうはこちらの様子を見る事が出来るらしい。「……カメ男もハチ女もやられたのか……!?」
「そうだ。二人とも私達が倒した。お前も観念するんだな。スリラーは壊滅させてやる!」
 皆の気持ちを代弁したのは笑い仮面=ハートノエースだった。
「……スリラーは絶対に滅びん。……どうせ、お前達は最終要塞の、私の眼の前まで辿り着く事は出来んのだ……!」
 その言葉を最後に彫像の赤ランプは光を失い、完全に沈黙してしまった。
 壊れたテレビを強引に直す様にジュディは彫像のあちこちを叩き続けたが、無駄だった。
 この彫像は機械の様だが、機械としての仕様は最低限しかなかった。オトギイズムならではデザイン性が機能を付与、維持している様だ。
「せめて最終要塞とやらの位置を答えてくれたらねぇ」
 事態に惑わず、ぽやぽや〜としたリュリュミアの感想だが、確かにそれはその通りだった。
「未来さん。カメ男が倒された今、あなたの占い能力は復活しているのではないかしら」
「そうね。今なら使えると思うよ!」
 アンナの問いに未来は絶好調を取り戻した感覚で答える。そして、鷲の彫像に手を触れながら(この方が占いが精確になる気がした)床にトランプを並べて、最終要塞の位置を占い始めた。
 その時、ようやくジムに駆けつけたマニフィカが地下へ降りてきて、集会場に現れた。
「……戦いはこちらの勝利で終わった様ですね」
 マニフィカは鷲の彫像に近づき、トランプを並べている未来の様子を眺めた。
「トランプ占いが復活しましたの?」
「スリラーで占いを相殺していたカメ男をやっつけましたから」アンナは答える。「さっきまでこの彫像が黒幕らしき中年男の声で喋ってましたけれど、どうやら次こそが最終要塞になりそうな予感です」
「黒幕の中年……」
 マニフィカに思い当たるものがあった。
 勿論、あの男だ。
「読めた!」未来は明るい声を張り上げた。「これでスリラーの最終要塞のある場所は解ったわ☆」
 並べたトランプの配置から情報を読み取る未来のトランプ占いは、確実に一つの場所を示していた。
「それは……」
 マニフィカは軽く驚き、そして納得した。
 『ビン・ジャカスラック侯爵』の治める『ジャカスラック領』の採石場。
 マニフィカの持ってきたオトギイズム王国の地図と照らし合わて、ここにスリラーの最終要塞の場所が示された。

★★★
「……というわけで大怪我していた『カワオカ・ヒロシテン』は無事に復帰したのよぉ」
「姐さん、そんな事より肉ゥ! 肉ゥ〜!」
 パルテノン中央の公園の日暮れ時。
 石舞台に簡易に設置されたバーべーキューのかまど。
 ギャグ塾が不発に終わったという『レッサーキマイラ』を慰めに、リュリュミアは食事を持参してやってきていた。
 食事とは勿論、串に刺した大きな塊をグルグル回しながら火で炙って作るアレだ。
 そう、バウムクーヘンである。
 リュリュミアは魂の渇きの様に肉を欲しがる合成魔獣に対して、この甘いお菓子を振る舞っていた。
 バウムクーヘンは心棒の周りに塗りつけた生地を火であぶりながら丁寧に回し、年輪状に新しい生地を段段と塗りつけながら焼き上げていく、非常に時間と手間がかかるケーキだ。
 この公園の魔獣に手間ひまを惜しまない甘いお菓子を与え続けるというのは、すれ違う愛情と嫌がらせのどちらが彼女の念頭にあるのか、客観的にさっぱり解らない状況になっている。
「甘い物は頭にいいのよぉ」
「うう、お肉ぅ〜」
 言いながらもガツガツとバウムクーヘンを塊のままにむさぼる三つの頭。
「レッサーキマイラさんのギャグがうけなかったのですかぁ。おかしいですねぇ。ぼっぷる何とかいうのとか、面白いと思いましたけどねぇ」
 『邦子のテーマ』とか流れてきそうなギャグをほめるリュリュミア。
「皆でウケそうな面白いギャグを考えましょうよぉ」
「ウケそうなギャグ……こうなったら禁断の下ネタ解禁か……!?」
「そりゃ、やばいんやないですかい、兄貴!」
 獅子頭の決断を必死に止めにかかる山羊頭。
 尾である毒蛇は相変わらず無言を貫いている。
 次への進展が望めず、そんなこんなで夕陽が落ちて、公園は夜の帳で幕となった。

★★★
 曇天。
 ジャカスラック領。
 クラインは単独でこのジャカスラック侯爵の領地に赴いていた。
「まだ慌てるような時間ではありませんし、慎重に行きますわよ」
 直接、この領地に渡り、『錬金術ギルド』等、今回までの様様な事件に関係していると思われる場所に直接、挨拶やまめに差入れを持参して、ギルド職員と友好的な関係を作っている。
 彼女の『人間力』によれば、自分の部下を介するよりも効率がよかった。
 自分の交易会社から物資の調達等の便宜を図ったりして領内へ人間関係を広げる
 調査方針として、ジャカスラック候本人でも関係者でもなく、情報を知っていても隠す必要のない第三者から少しずつ情報を集める事にしている。
 例えば、ハンググライダー作成の技術者は、侯爵とスリラーの関係を知らずに作成のみを請負っていると推測し、外堀から手がかりを集める。外堀を埋めてから関係者へと調査を進める.
 証拠として『侯爵』『スリラー』『ムシオ』の三つをつなぐものを入手したい。
 決定的な証拠は、実験動物及びハンググライダー等の異世界関係の二点だと考えるが、主として異世界関係に絞り調査。侯爵からスリラーへの指示書や、ムシオによるハンググライダーの設計書なり異世界の知識ではっきりとした証拠を押さえたい
 その様に単独調査を続けている内に、クライン自身の足は意外な場所へ辿り着いた。
 採石場。
 工事等の為に砂利をここから採取して運んでいく、何もない開けた殺風景な場所だった。調査を進めている内にへクラインはここに重要情報があると睨んだのだ。
「ムシオの足取りがこんな場所に向かってるとは……」
 クラインは慎重に周囲を探りながら歩き回り、やがて崖の中腹に開いた大きな洞窟へとやってきた。
 表に人間の姿はない。見張りもない。
 クラインは中に入り込んだ。
 この洞窟は人工的に作られたものだ。しばらくは梁と柱に支えられただけの地肌剥き出しの洞窟だったが、奥の方へ歩いていくと壁、床、天井がセメントと鉄骨に支えられた光景へと変わった。天井に照明がある。
 中には警備の為の人間がいるのではないかと思ったが、それはない。今のところ、無人だ。
 やがて洞窟は各部屋へと枝分かれするシェルター状の施設になっている事に気がついた。
 色色な部屋があった。
 大勢の戦闘員の為の機能的でコンパクトな集団寝室。
 味けないレストラン。
 トゥーランドットに使わせるのではないかと思われる。化学実験室。そこには空っぽになった五つのシリンダーがあった。人間が入れる大きさだ。
 今は誰も入っていない牢屋。
 そして上級士官の私室めいたヒーロー物のフィギュアやおもちゃで一杯の部屋。
 それでも人の姿が見えないので慎重に壁沿いの奥へと進んでいくと……。
 洞窟はやがてだだっ広い広間へと辿りついた。
 恐らく、この洞窟内の全ての人間が集まり、深奥部の祭壇らしき場所に置かれている鷲の彫像に膝間づいていた。ショッカーの戦闘員や五人の怪人が整然と並び、そして王城が作ったヂゴク・ムシオの肖像画にそっくりな人間がいる。
「あれはムシオ……!?」
 壁際に隠れながら入り口から中をうかがい、クラインは唾を飲む。
 ムシオはシン・仮面バッターのコスチュームだったが、マスクは外している。
「むう……カメ男とハチ女まで倒された現在、革命は戦略の見直しをしなければなるまい……」
 鷲の彫像がピコーン、ピコーンと赤ランプを点滅させながら、声を漏らしている。
(あの声は!?)
 クラインはよく知っているその声に驚いた。
 ジャカスラック侯爵の声に間違いない。
 驚いた拍子に肘を洞窟の硬い壁にぶつけた。思ったよりも大きな音が、鷲の彫像を前に厳かに沈黙していたスリラー達を振り向かせた。
「誰だ、お前は!?」
 ムシオがクラインに誰何の叫びを投げつけた。粘着質そうなオタクっぽい顔にふさわしい声がこの部屋の中に響き渡った。
 大勢の戦闘員達が一斉にクラインに走り寄った。

★★★