『バッタもの奇譚』

第4回

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★
 『オトギイズム王国』王都『パルテノン』の公園の空に、王城の時計塔が午前十時の鐘を響かせた。
 この公園にはある噂がある。
 時折、公園を訪れた通行人を襲って、つまらないギャグを聞かせまくるしょーもない魔獣が現れるという噂だ。
 今日、その噂がバージョンアップされた。
 この公園には広い石舞台がある。以前『グレーターキマイラ』との決闘に使われた石舞台だ。
 そこに黒ペンキの下手くそな文字で、高く横断幕が掲げられていた。
 こう書いてある。
 『青空ギャグ教室』と。
「はいはい、面白いギャグ憶えてってや〜!」
「お代は憶える前の差し入れだよ〜!」
 何やら言う事がおかしいのは石舞台の中央に立って、愛想を振りまいている『レッサーキマイラ』。獅子の頭と山羊の頭と毒蛇の尾を持つ巨獣だ。
 周囲の石製の観客席には八人ほどの子供がまばらに座って、ペロペロキャンデーを舐めたりしている。
 石舞台の周囲を回って、その子供達の手からお菓子を回収してまわるレッサーキマイラ。
「なんじゃ、フライドチキンとかねえのか。しけとんなぁ」
 DQNめいた愚痴をこぼしながら、回収した品を山羊頭と獅子頭に分けて、口の中に放り込む。
 二つの獣の口がモシャモシャと食べ物を咀嚼し、ごっくんと呑み込む。
「さて、わいらのギャグを遠慮なく盗んでってやー!」
 お菓子を取られて泣きそうな顔をしている子供も見守る中で、レッサーキマイラのギャグ百連発が始まった。
「あっちょんぶりけ!」
「それは私のお稲荷さんだ!」
「ぶっぽるぎゃるぴるぎゃっぽっぱぁーっ!」
「ほしぇー!」
「滝沢E電パンチ!」
「がちょーん!」
「あじゃぱー!」
 (以下、延延と一発ギャグ百連発が続く)
 ギャグを繰り出していくとまばらに八人いた子供が時間につれ、一人、また一人と減っていく。
 つまらないのだ。
 致命的に。
 誰かツッコミ役がいれば何とか形になってオチついたかもしれない。しかし、それがいない為にブレーキと間違えてアクセルを踏み込んだが如く、ギャグは明後日の方向に暴走し、ただ単につまらない『叫び』を連発するだけの一人舞台となっている。
 ギャグの語源は「猿ぐつわ(ギャグ)を噛まされた様に沈黙するしかないつまらない冗談」だというが、この場はまさしくその体現となっていた。
「どや!」
 幼稚な変顔とオーバーアクションを交えた、百連発をやり終えて、さわやかな笑顔を見せるレッサーキマイラ。
 しかし、夢中になって百ギャグを終えた彼を迎えたのは、すっかり客席が空っぽになった光景だった。
「あっれ〜……皆、いないやないか。どないなってんのや?」
「せっかく、姐さんの助言を聞いて、青空ギャグ教室を始めたってえのに」
 昨夜、焼きトウモロコシを差し入れてくれたリュリュミア(PC0015)の言っていた事を早速実行に移したレッサーキマイラだったが、結果はさんざんなものである。
『食べてすぐ横になると、牛になっちゃいますよぉ。ところで、キマイラはギャグが得意なんですよねぇ。公園で、青空ギャグ教室とか開いてみたらどうですかぁ。お礼を食べ物とか食材にしたら、食事に困らなくなるかもしれませんよぉ』
 昨夜のリュリュミアの言葉を思い出しながら、しょんぼりとするレッサーキマイラ。
「もしかして、わしらにゃあお笑いのセンスはねえんじゃろか……」
「いや、兄貴。たまたま今日がスランプだっただけや。明日、またやれば今度こそ客席が満杯で笑い声がどっかんどっかんと、そりゃもお大騒ぎさ、ってなもんや」
「……そうだな! 明日はきっと明るい日だな!」
 根拠のない自信に支えられながら、レッサーキマイラが石舞台の上でやる気の炎を背負う。
 観客がろくにいない、売れないお笑い芸人によるつまらない青空ギャグ教室。
 日に一回の公開授業。それは実に一ヶ月もの間、この公園で続けられたのだった。。

★★★
 岸に幾重にも重なる積み荷の列。
 港では人間と馬による混合動力の巨大な起重機が幾つも稼働し、岸から船へ、船から岸へと、重い荷物の積み下ろしをしている。
 沢山の大きな滑車やてこやロープが組み合わされた木の骨組みの起重機が忙し気に全身を振り動かす中で、一つの起重機が本来とは別の目的で稼働している。
 木の骨組みの恐竜の様なそれは、首を高く持ち上げて幾本かのロープを束ねて作られた長い懸糸の下に巨大な鉄球を垂らし、揺らしている。
 振り子の様に揺れ動くそれを相手にする者。それは『仮面バッター・ジュディ』ことジュディ・バーガー(PC0032)だった。
「バッター・キーック!!」
 伸身宙返りからのジュディの飛び蹴りが、向かってくる鉄球にヒットする。
 だが重すぎるその質量にジュディの身体は跳ね返される。
 跳ね返された身体を『猿の鉢巻』、称号『大道芸人』の力で転倒寸前に身をひるがえして這う様に着地する。
「……こんな事で負けるわけにはいかナイ……トライ・アゲイン、ネ」
 歯を食いしばっての言葉でジュディは再チャレンジする。既に息は上がり、引き締まった筋肉は大量の汗で濡れている。スポーツウェアは汗で肌に貼りつき、そのボディラインを露わにしていた。
 典型的なパワーファイターであるジュディは自分の『怪力』に絶対の自信を持っていた。
 ところが先日、悪の組織『スリラー』怪人『タカハシ猿人』との力比べで、その優位性が揺らいでいた。それは彼女の心理をも、大きく揺るがしたのだった。
 しかし、ピンチとチャンスは紙一重。
 仮面バッターを名乗る以上、より高みを目指すしかない。
 よろしい、では特訓だ!とジュディは決意した。
「ルック・アット・ミー! 見ていてくだサイ! ヒロシテン隊長!」
 青空に元祖仮面バッターのカワオカ・ヒロシテンの肖像を見、ジュディは地を蹴る。
 傍らの道端には彼女のペット、愛蛇『ラッキーセブン』が静かに特訓を見守っている。
 ジュディの汗が飛び散る。
「バッター・キーック!!」
 向かってくる鉄球にタカハシ猿人の『十六連射』のイメージが重なった。
 命中した飛び蹴りが鉄球の進路をわずかに逸らした。

★★★
 王城の時計塔が午後三時を鐘の音で告げた。
 開かれた窓の外をアゲハ蝶が飛んでいく。
 王城の国王と王妃のサロンでのお茶会に二人の異世界人が同席していた。
 報告。
 連絡。
 相談。
 マニフィカ・ストラサローネ(PC0034)はスリラーの『シーバス・ハイジャック作戦』を阻止し、アジトを襲撃したがトゥーランドット姫は別所に移された後だった、と国王に報告した。そして怪人『ハチ女』とタカハシ猿人と『カメ男』の強さも。
「ご苦労だった。しかし、スリラーには黒幕がいるとはな」
 積み上げられたかりんとう饅頭の一つを食べながら『パッカード・トンデモハット』国王は冒険者をねぎらった。
「トゥールが自分の意志でスリラーにつき合っているとなると、国民に知られると大事になるでありんすね」
 『ソラトキ・トンデモハット』王妃がわびのある茶碗の中身を一口飲んだ。
「確かにトゥーランドット姫がスリラーに協力しているとなると一大スキャンダルですわ」
 今日はお茶会は日本茶で行われていたが、マニフィカのみに紅茶が用意されていた。一級品の高級茶葉だ。
「その黒幕の事で国王様に一つお願いがあるのですけれど」クライン・アルメイス(PC0103)は、よほど気に入っているのか口へかりんとう饅頭を放り込み続ける国王へと顔を近づけた。「王妃様が貴族主催のお茶会を開き、そこでわたくしをジャカスラック侯爵へとりなしてくれるよう、一筆お願いしたいのですが」
 クラインはソラトキ王妃との距離を一気に詰めようとして、故郷の色街の衣装等の文化的なデザイン画を色色と持参し興味を惹こうとしていた。
 それというのも彼女に貴族を集めたお茶会を開いてもらおうとしての事だ。
 単に彼女の本業である著作権管理会社の存在を貴族達に知らしめたいという事もある。
 しかし、それだけではない。
 クラインの一番の興味は同じく著作権管理団体を立ち上げたいという『ビン・ジャカスラック』侯爵にあった。
 お茶会でジャカスラック侯爵の交友関係の話を聞き、利権のつながりを調べる。
 クラインはジャカスラック候こそスリラーの黒幕ではないかと疑っていた。
 今までの情報を整理し、怪人への実験動物、大量の火薬、ハンググライダー等の市場での調達経路から、黒幕への痕跡を辿るつもりだが、その捜査でジャカスラック候が浮かび上がるという確信に近い直感があった。
 特に、食料等の大量の物資調達の動きを調べれば、スリラーの新しいアジトへの手がかりとなるはず。
「これだけ特徴のある物が多ければ、きっと手がかりが掴めますわ」
 クラインは王と王妃にきっぱりと告げた。勿論、ジャカスラック候に対しての事だ。
「ふむ、いいだろう。王国の貴族達を集めた茶会をこの王城で開く事にしよう」王が口の中の菓子を玉露で喉に流し込んだ。「しかし、近日にこの王城へ集められる者達だけだぞ。勿論、ジャカスラック侯爵はその中に入っているが」
「どうも、ありがとうございます。国王陛下」
「あちきも同席すればいいのでありんすね」
「はい、王妃様。よろしくお願いいたしたくございます」
 クラインは二人に丁重な礼を言い、自分の席にある湯のみに手を伸ばした。
「ところでマニフィカ姫、件の老婆とやらはいまだ見つからないでありんすか」
「はあ……それが」
 王妃の眼を見ずに、マニフィカは紅茶の湯面に映る自分の顔を見ながら答えた。
 マニフィカはシーバス・ハイジャック事件の解決の際、飛び入り参加で現れて、怪人を倒すのに一役買った謎の巨大老婆の事も漏らさず、国王と王妃に伝えていた。
 身長が二mを遥かに超えた、ゾウアザラシの様な巨体を持った謎の老婆。このオトギイズム王国では全くいないとは言えないが、敢えて探すには珍しいその女傑をマニフィカは探して仲間に引き入れるつもりでいた。
 しかし、彼女の消息はいつのまにか、接岸したシーバスから忽然と消えた辺りから解らなくなっていた。
 それ以来、幾ら探しても見つからないのだ。
 マニフィカはこの王城へ来る前『冒険者ギルド』でめくった『故事ことわざ辞典』のページを思い出していた。
 そこに「事実は小説より奇なり」と書かれていた。
 老婆の存在の事だろうか?
 あの花嫁姿という場にそぐわない真にけったいな衣装で現れた彼女の事?
 いまいち納得出来ず、再び頁をめくればそこには「人は見かけによらず」と記されていた。
 これを素直に解釈すべきか。実に悩ましい。
「ところで、あいつは役に立っているか?」
 口ごもっているマニフィカを見て、王が話題を変えた。
 あいつ、とは『笑い仮面』の事だろう。
 つまり『ハートノエース・トンデモハット』王子についての近況を知りたいのだ。
「ええ、まあ、とても」
 マニフィカは急かされた様に答えた。
 特に目立った活躍はしてないが、足を引っ張る様事もない。微妙な位置にいる。
「そうか」
 王が玉露の湯飲みの縁を口にした。
 元元、連絡をとらないと決めている間柄のはずだ。それだけで十分なのだろう。
「豪勢な茶会ともなれば、菓子も吟味しなけれならないでござんすね」
 ソラトキ王妃のその言葉を最後に、このサロンのささやかな茶会は全員が言葉を失くし、茶がなくなるまで午後の風に吹かれつつ、時間をすごしたのだった。

★★★
 思えば、この間、レッサーキマイラの夕飯にリュリュミアが焼きトウモロコシを連想したのも、夕刻でのこの子供達の行列的な整然とした様子が妙に記憶に焼きついてたからだった。
 それは一房に整然と並び、列をなすトウモロコシの粒の様だったのだ。
 パルテノンの町の中にある『寺子屋』は廃教会を改造した建物を利用して、授業が開かれていた。
 ここは子供なら誰にでも門戸が開かれているらしい。
 時計塔の鐘が午前八時を告げる頃には皆、教室に整然と並んだ机に座り、教師を待つ。
 幼稚園の頃から中学生の域まで少年少女。ほとんどが大きな黒板が掲げられた正面をまばたきせずに見つめて待つ。
 机の数は生徒数より多かった。
 どうやら数人いる、おどおどした少年少女は今日、初めてこの寺子屋を訪れた子の様だ。
 ほとんどの生徒は私語を交わす事なく、非常に姿勢よく授業開始を待っている。
 しかし、その眼の下に全員、黒いクマを作っているのがとても気になるところだ。
 その中に明らかにおかしな格好の違和感大爆発の子供がまぎれ込んでいた。
 幼稚園から小学生程度の背格好の子供達。その集団の中に身長二mを越える、筋肉質ながらグラマラスな大人のプロポーションの彼女がいる。
 ジュディである。
 彼女が大人なりの格好をしているなら、まだ違和感はなかったかもしれない。
 しかし、彼女は姿勢のよいグラマラスな格好に、頭に黄色い小学生向けの学帽、胸がパッツンパツンの白いブライスにかぼちゃパンツの端が見える赤ミニスカート、形の良い白い脚の大部分を剥き出しにし、白いショートソックスの先には黄色いスニーカーを履いている。そして背にはリコーダーを差した赤いランドセル。
 つまり見るからに二m超の大人の彼女が、無理やり小学生低学年女子風の服装をして、狭い椅子と机の間に窮屈そうに身体を折りたたんでいるのだ。
 これでは違和感満載の倒錯したコスプレイヤーにしか見えない。
 尤もここに紛れ込んでいる大人は彼女だけではない。
 少し離れた机にそれぞれ緑のリュリュミア、そしてピンクのワンピースを着たアンナ・ラクシミリア(PC0046)は座っていた。
 ただ、彼女達は無理に子供に合わせた格好をしているのではなく、いつも通りの服装なので奇妙な違和感はなかった。いや、大人の彼女達が子供達に紛れ込んでいるだけで結構な無理があるのだが。
 その時、二つある内の教室の黒板側にあるドアが開き、廊下から二人の人物がやってきた。
「おっす!」
 ピンクの髪の少女と昆虫のハチを混ぜ合わせた様な風体の怪人に続き、アポロキャップをかぶった大きな類人猿(やや人間より)が入ってきた。挨拶の言葉は猿人より放たれたものだった。
「「おっす!!」」
 整然と並んでいた少年少女達が一斉に挨拶を返し、この教室に初めて来た子供やジュディとリュリュミアとアンナは半拍遅れて慌てて挨拶を返す。
 黒板の前の教卓に『ハチ女』がついた。大きな眼は複眼だった。
「今日も授業を始めるわよ。皆がこんなに勉強好きになってくれて、私、とても嬉しくってよ」
 外見に似合わないキャピキャピした、それでいて気の強そうなハチ女の声。
「ふんがー。げえむわいちにちいじか」
 特に意味はないらしいが『タカハシ猿人』が唸った。
「では、今日も皆の勉強力を高めるマッシーンをセットします。皆、これを見ながら集中してね」
 猿人が担いできた一抱えもある鉄の箱が教卓の上に置かれた。
 それは四角い箱としての基部は持っているが、鉢植えの形をした金属製の前衛彫刻の様だった。いっそう眼を引くのは人間のまなこを模したアーモンド形の金属の白い花だ。
 花の中央には蚊取り線香の様な大きなグルグル渦巻きがある。
「いい? 算数の復習を始めるわよ。えーと、昨日のおさらいから行くわよ。……奇数×奇数は奇数。奇数×偶数は偶数。偶数×偶数は偶数……」
 マシンの置かれた教卓の横に立ち、教科書らしい本を読みあげるハチ女の言葉を、熟練者の子供達は一糸乱れぬ調子で復唱し始めた。
 それを聞きながら猿人は鉄の箱のスイッチを入れる。
 するとマシンの渦巻きがグルグルと回転を始めた。
 沢山の子供達の瞳がその数だけグルグル回転の像を映す。誰もまばたきをしない。
 初心者の子供達の眼もそのグルグルに引きつけられた。
 最初はハチ女も真面目に授業をしている様だった。結構高度な授業内容が静かに繰り広げられる。
 リュリュミアもジュディもアンナもまるで水が流れ込む如く、ハチ女の言葉が耳に入ってくるのを意識した。
 だが異変は突然に、当たり前の様に起こった。
「二たす三は?」
「へのへのもへじ!」
 ハチ女に指さされた子供が即答する。
「寝る前に?」
「ちゃんと絞めよう、親の首!」
 別の子供もさされて即答。
「勝てば?」
「正義!」
 別の子供も即答。
「スリラーは?」
「とってもイカす僕らの未来!」
 子供達はあらかじめ暗記しているらしい標語を暗唱し始めた。
「ゲームは一日、一時間!」
「外で遊ぼう! 元気よく!」
「僕らの仕事はもちろん勉強!」
「成績上がればゲームも楽しい!」
「僕らは未来の社会人!」
「未来の社会はスリラーのもの!」
「スリラー以外の人生なんてクソゲー!」
 子供達の一斉の声が教室の空気を震わす。
(しまった! 催眠術ですわ!)そのやり取りに一応参加していたアンナは、自分がその渦巻きから眼を離せなくなっているのに気がついた。
(あれぇ。何だか眠たいわぁ。でもぉ……)リュリュミアは、何か眠たいけれど何故か妙に眼が冴える奇妙な感覚にぽやぽや〜と戸惑っていた。しかし彼女はここがスリラーのアジトだと睨んで来たのではない。単にギャグを教えてくれる場所だと考えていたので特に焦りはなかった。
(ダムニット!)ジュディは身体を何とか動かそうとする。スリラーの洗脳を『スキル・ブレイカー』で破るつもりでいたが、洗脳は怪人の能力ではなく、あの洗脳マシンで行われるらしい。これでは自分のスキルでは破れない。
 頭の中がグルグルしてくる。
 子供達の暗唱を半拍遅れて三人も繰り返す様になる。言葉が自動的に喉から出てくる。
 初心者の子供達の眼の下にもいつのまにか黒いクマが現れていた。
「……かかったみたいね」
 ハチ女が勝ち誇った声と共に、金縛りにかかった教室のジュディ、アンナ、リュリュミアを見回す。
「お前達がこの寺子屋を調べに来る事はカメ男の『甲骨占い』で解っていたんですからね……って言うか!」ハチ女が長い鞭で教室の床を一打ちする。「こんな子供ばかりの所に、大の大人が混ざっていたら、ばれないはずないでしょう!? 前に見た事あるしぃ!!」
 それはそうか、と冒険者の三人は素直に認めた。特にリュリュミアはぽやぽや〜と。
「でも、これでちょうどよくってよ。洗脳したお前達を地下の研究室にいるトゥーランドットの所に連れていって、新怪人に改造してもらうわ。勿論、脳手術で従順なスリラー怪人にね」
 ホーッホッホッホッホッと高笑いするハチ女と、ふんがーと吠えるタカハシ猿人。
 たった今、重要情報を聞いた気もするアンナもリュリュミアも金縛りの身体を必死に動かそうとするが、渾身の力を込めてもかなわない。
 その時、ジュディの『特訓』の成果が片鱗を現した。
 金縛りの中、かろうじて右手首から先だけを『怪力』で無理やり動かし、あらかじめ手の中に握りこんでいた『煙玉』を足元に投げつけた。
 ジュディの足元で爆発的に広がった煙が教室中に充満した。
 煙は教室の全員の視界を奪った。
「しまった!」
「げえむわいちにちいちじか!」
 ハチ女とタカハシ猿人が叫びを挙げた。
 煙幕は晴れていく。
 しかし、それは洗脳マシンの渦巻きから視線をさえぎるには十分な時間だった。
 アンナとリュリュミアは洗脳マシンから眼を逸らし、アンナは教室の床に転がった。
「あなた達はこちらに!」
 立ち上がったアンナは人質にとられないようにと、子供達の避難を行う為に彼らの手を引いた。
 しかし。
「イーッ!」
 眼の下に黒いクマのある子供達がアンナの手を振り払い、そして自ら彼女に群がっていった。子供達のアクションはまさしくスリラーの戦闘員そのものだった。
「イーッ!」
「イーッ!」
「イーッ!」
 アンナは隠し持っていたモップを伸長モードにして彼らを振り払う。しかし子供に怪我をさせるわけにはいかない。加減しなければいけない一対多の戦いはアンナに不利だった。
「スリラー戦闘員Jr達! 皆でそいつらを捕まえなさい!』
 ハチ女の声で洗脳された子供達がアンナとリュリュミアにかかっていく。
 だが、その時、後方の戸口から一人の黒い影が素早く入ってきた。
 その影がリュリュミアとアンナの身をかばって手の剣を一閃させると、子供達が壁に弾き返される様に後方へと吹き飛ばされた。
「峰打ちだ」
 黒い影は笑い仮面(=ハートノエース・トンデモハット)だった。
「えぇい」笑い仮面の背後からリュリュミアの手がブルーローズの蔓を長く伸ばし、子供達全員をからめとって拘束した。「何だかよく解らないけれど、わたし達をぶとうとするなら縛っちゃいますよ」
「イーッ!」
 子供達は長く太い緑色の『縛』から逃れようと暴れるが、がっちりと決まったブルーローズのホールドから逃れられない。
「ガキ共を放しなさい!」
 ハチ女が叫んで手の革鞭を振りかぶった時、完全に晴れた煙幕の中から一人のヒーローが現れた。
 仮面バッター・ジュディ。
 ランドセルに隠していた仮面バッターのコスチュームに早着替えしたジュディは『リリのクッキー』をかじった。勿論『猿の鉢巻き』をしている彼女は高い天井めがけてジャンプする。
「トオッ!」
 角度のついた飛び蹴りは洗脳マシンを教卓から叩き落した。
 衝撃。重い破壊音。マシンは床に落ちて爆発した。
「イーッ!!」
 その途端、子供達は一声叫ぶとまるで糸の切れた操り人形の如く、一斉に床に倒れた。
「しまった! 洗脳超音波が!」
「げえむわいちにちいちじか!」
「HEY! ヴィラン達! カンネンしなサイ! ユー達のアンビション、野望はこの仮面バッター・ジュディが打ち砕ク!」
 焦りの声を叫ぶハチ女とタカハシ猿人に、ジュディは名乗りを挙げる。
 だが、次のアクションを起こしたのはスリラー怪人達の方が早かった。
「バグって……ハニー!」
 双羽を震わせて天井近くまで飛び上がったハチ女は、ヒップから出した針でタカハシ猿人の頭頂を突き刺した。パワーアップのツボ。アポロキャップの上からのそれは深く刺さり、猿人の眼が赤く輝き、鼻から蒸気を吹き出させる。
「ふんがー!! げえむわいちにちいちじかッ!!」タカハシ猿人が冒険者達の方に突撃してきた。「じゅうろくれんしゃあッ!!」
 まるで毛むくじゃらの手だけ分身したかの様な、秒間十六連打の猛烈高速な突きが繰り出される。
 前に見た時と同じ、豪烈な攻撃だ。
 アンナは突進にカウンターを仕掛けるかの如く、自分のスキルを発動させた。
 『乱れ雪桜花』!
 教室一杯に桜の花吹雪が吹き荒れる。
 桜色の横殴りの滝がタカハシ猿人とハチ女の姿を覆い隠した。それは怪人達の視界を完全に奪い、立ち止まらせた。
 十六連打の突きが闇雲に打ち出されるが、幻影の桜の花びらを舞い散らすだけでダメージを受ける者はいない。
 そうしている内に幻影を含めたアンナのモップ連打が、ランダムな方向から猿人を襲う。
 連続する打撃音。巨猿の如き怪人はモップの連撃を残らず食らった。
「もう一回!」
 最初の雪桜花が止んだ瞬間、アンナは同じ技をもう一回使った。猿人のパワーを手数で圧倒するのだ。
 吹く方向の違う桜の怒涛。
 タカハシ猿人の身がなす術もなくモップの連撃に翻弄される。
「これでとどめ!!」
 最後にもう一回、乱れ雪桜花を発動させる。
 数撃の乱打。
 最後の雪桜花が吹き過ぎた時、猿人の姿はまるで鼻や口端から赤い血を流し、大きなハンマーで殴られた様に歪になっていた。
 しかし、その血走る眼は光を失っていなかった。
「じゅうろくれんしゃぁっ!!」
 毛むくじゃらの手が最後の力を振り絞ってアンナに繰り出される。
「フィニッシュ・アタック!! バッターキックゥッ!!」
 その秒間十六連打を止めたのは天井近くまで飛び上がり、伸身宙返りからの足裏で受け止めたジュディのキックだった。
 猛然たる十六連射。
 特訓で鉄球を歪ませるまでに至ったバッターキック。
 一瞬の交差で二人は互いに正反対の方向に弾き飛ばされた。
 机と椅子の列を蹴散らして教室の床を転がる仮面バッター・ジュディ。
 黒板に大きなひびによる窪みを作って壁にめり込むタカハシ猿人。
「かわなきゃ……はどそ……」
 猿人はその言葉を最後に大量の血を吐いた。
 毛だらけの身体が膨れる。
 大爆発。
 教室を爆風が吹き抜け、立っていた者を全て転倒させた。
「あーん! 猿人がやられちゃったぁ! あんなに太くてたくましくて野生的な恋人は他にいないのにぃ!」
 天井近くに避難していたハチ女が悔しそうに叫ぶ。
 皆は猿人ばかりに気がいって、ハチ女対策をしていなかった事に初めて気がついた。
 立ち上がった冒険者達の反応より早く、ハチ女がこの教室を爆発で天井に空いた穴から飛び去った。
 皆は教室から出て、その後を追おうと廊下に出たが、廊下の端にあった地下への階段から、その足を思わず止めてしまうのにふさわしい者が上がってきた。
「もう、何なのぉ、この騒ぎは。落ち着いて研究が出来やしないじゃない……」
 爆風の煤が立ち込める廊下に現れた、薄汚れた白衣を引きずる小柄な少女。
 スリラーにさらわれたはずのトゥーランドット・トンデモハット姫だった。

★★★
「姫は夜中に人目につかないように丸めた絨毯の中に隠されて、新アジトに運ばれた様ですわ」
 報告。連絡。相談。
 時計塔が午後三時の鐘を打つ王城の大広間。
 様様な貴人と貴婦人達。メイドに執事。
 幾つか並べられた大テーブル。陶器が触れ合う音がしない、高貴なマナーが行き届いた室内。
 特別にしつらえられたサロンとして貴族達の高級な茶会が行われている中でマニフィカ姫は、スリラーのアジトだった城下町の寺子屋での事件を王と王妃に報告していた。彼らの傍らの席に陣取り、その耳元へと寄せた口元を大扇で隠す、そんな素振りで。
 怪人を一人倒し、女の怪人に逃げられ、子供達の洗脳計画を挫いた。洗脳された子供は洗脳マシンを壊すと元に戻った。
 マニフィカはそのアジトの地下にいたトゥーランドット姫が救出された事も二人に伝えた。
 やはり、というか、姫は自ら協力する形でスリラーの怪人達を改造していたのだった。
「Drアブラクサスに変装していて町から帰ってきて秘密通路を開けた所を偶然『ヂゴク・ムシオ』という異世界人に目撃されて、研究室で誘拐された様ですわ。しかし、さらわれた後で意気投合して、ムシオのテロリスト犯大量脱獄とスリラー設立に手を貸したとか」
 マニフィカはトゥーランドット姫を確保した仲間達から聞いた事を小声で話す。
 トゥーランドットは今、冒険者ギルドの宿屋にかくまわれている。
 テロリスト相手に人体実験のやりたい放題。
 それが彼女がスリラーに協力した動機だった。
 パッカード王とソラトキ王妃が微妙に嘆きの顔をする。
 周囲の貴族達はそれに気づかずに高価な紅茶と菓子を手に歓談にふけっていた。
「地下にはスリラーのシンボルである、例の大鷲の彫像があったそうですが、それはまだ起動していませんでした」
 寺子屋のアジトには本格的に物資が運び込まれるのはこれかららしく、拠点として動く前だったのだ。
 つまり、その線からはスリラーの黒幕は探れなかったという事だ。
 トゥーランドットも黒幕に会った事はないとマニフィカは伝えた。
「つまり、後は『シン・仮面バッター』とかいう奴と『カメ男』とかいう怪人が残っているという事か……」パッカード王は茶をすすりながら唸った。「そして黒幕……」
 王はさりげなくジャカスラック侯爵に眼線を配った。
 ジャカスラック候がそれに気づかず、チャイナドレスのクライン嬢と歓談している。
「ところで件の巨大老婆とやらは」王は何かその言葉を口にする事にさしさわりがある様だった。「まだ見つからないのか」
「ええ、残念ながら」
 マニフィカは答えた。本当に残念なのか。軽い自問自答が心にあった。
 その時、離れたテーブルでジャカスラック候はさりげなくティーカップ片手に歓談するふりをして、クラインの開いた胸元と深くスリットが入った太腿に舐める様な視線を貼りつかせていた。。
(この熱のこもった、壮年の欲情剥き出しの居丈高のいやらしい視線……洗脳させられているわけではなさそうね)
 チャイナドレスのクラインは考えながら愛想笑いを返す。彼女の『人間力』ならば、この嘘の笑いでも相手に気づかれないだろう。
「貴族である侯爵がトップとなるのはもちろんですが、わたくしにも手足として雑用をさせていただきたく」クラインは候に著作権管理団体についての伺いを申し立てていた。勿論、本意ではない。「頭の悪い国王の対応を見ますと埒があきませんし、平民のわたくしは分相応におすそ分け程度でけっこうですわ」
 そうだろう、そうだろう、という顔をジャカスラック候がする。だが、それも王の顔色をうかがい、この会話が王や他の貴族興味を惹かない様に気を使いながらだ。
 大胆なのか、小心者なのか解らない男だ、とクラインは彼に同調する笑みを見せる。
「紹介状を書いてはいただきましたが、あんな国王の相手も疲れてきましたわ。いつまでも結論を出しませんもの。侯爵のような方が国のトップならよろしいのに。……ところで、侯爵は著作権についてはどのように調べられたのですか。協力者がいるならご紹介いただきたいですわ」
「ムシオは我我に現代的な物の考え方を教えてくれた」
「ムシオ……?」
「あ、いや、ここでは仮にムシオとしておこう」候はちょっとした狼狽を見せた。「彼は切れる男だ。異世界人だそうだが、もしかしてクラインと同じ世界から来たのではないか」
「さあ。わたくしはその名を聞いた事はありませんので」これは完全な嘘だ。だが気取られる心配などしない。「そういえば、侯爵はスリラーという組織はご存じですか」
「スリラー? 勿論、知っているさ。勝てば正義、というのは真理だと思っている。だがそう思わない者もいる様だがな」
 ジャカスラック候が王からの視線を気にする。
 その時、王はジャカスラック候の方を見ていなかった。
 クラインはその態度で『ジャカスラック候』『スリラー』『ヂゴク・ムシオ』が一本の線でつながると確信した。
 既に彼女の会社が、怪人への実験動物、大量の火薬やハンググライダーはジャカスラック領の錬金術ギルド等が発注した物だという情報を把握していた。確実な情報ではなかったが、まず間違いないだろう。
 そしてハンググライダー等の知識を提供したのもムシオのはずだ。
「ところで」とジャカスラック候。「著作権管理団体の件なら、何も別におこぼれで満足しようなどという殊勝な考えでなくても、お前を対等のビジネス・パートナー以上の存在にしてやってもいいのだが……」
 クラインはそのねちっこいものの言い方に多量の下心を感じて、背筋がゾクリとした。
「まあ、まあ」とだけ言い、話題を逸らすクラインはマニフィカと眼線が合った。
 マニフィカは、クラインが苦労しながらも重要な情報を得たのだと理解した。
 その時、王がマニフィカに訊ねた。
「他のアジトの場所は、そもそも黒幕の拠点は解らないのか」
「残念ながら。しかし、こんなビラが寺子屋の地下に束ねられてありました」
 マニフィカは一枚のA4ほどの紙一枚を王と王妃に渡した。
 それにはこんな大文字がポップに躍っていた。
 『トータスぱふぱふ・フィットネスジム』。

★★★
「はいはい、たとえ何もない殺風景な舞台でもお掃除はさせてもらいますからね」
 王城の外にある公園では、とうとう誰も来なくなった青空ギャグ教室の垂れ幕の下、打ちひしがれているレッサーキマイラを横目にアンナは石舞台をモップで掃き清めていた。
 レッサーキマイラが真っ白な灰になっていた。ただし、やり遂げた完全燃焼ではなく、不完全燃焼だ。
 念の為に説明しておくと本当に燃えて物質として灰になったのではなく、単にその精神がやる気の炎が空回りしただけの喪失感に囚われ、あしたのジョー的な完全燃焼ではなく、魂がもう本当にしょーもないくらいに空っけつの……どうでもいいか、こんな説明。
 寂しい石舞台に風が吹く。
 風に飛んできた一枚のビラがアンナのモップにまとわりついた。
 木から作られる紙が珍しくて高価なので、普通は羊皮紙を使ったりするこのオトギイズム王国で、このカラー印刷の紙のビラはまるでオーパーツの様にアンナの眼に止まった。
 そう言えば、こんな紙のビラがパルテノンで惜しげもなく配られている、そんな噂は都市伝説の類だと思っていたが、ここにその実物があるのだ。
 アンナはそれを手に取って読んでみた。
 『トータスぱふぱふ・フィットネスジム』。
 まずポップな大文字がファンキーにそのビラを飾っていた。
 『貴女もこのフィットネス・ジムの会員になり、美貌に磨きをかけませんか!?
  格闘技を取り入れたリズミカルな有酸素エクササイズで、
  太った貴女は見る見るうちにスリムに!!
  スリムな貴女はますますセクシーに!!
  ただ今、記念サービスで三日間無料!!
  このビラを読めた方は(マスター注:オトギイズム王国は比較的、識字率が低い)是非とも女友達とお誘いあわせの上で当ジムにご来所下さい!!』
 そして、そのジムの住所が書かれていた。パルテノン内だ。
 ビラにはテキストの横にエロマンガちっくな女性が踊っている絵が描かれていた。
 それはオトギイズム王国では一般市民が知らないようなハイレグ・レオタード姿の美女。素肌に直接、レオタードを食い込ませ、大きな胸には乳頭らしき形を浮かび上がらせた、猥褻で煽情的な絵だ。
 ビラの下の方に丸に囲まれたこの事務の会長らしき老人の顔が描かれている。
「どうか応援よろしくね」のフキダシが付いていた。
 禿げ頭。サングラス。白いヒゲ。まるで人間とカメを合成したその姿。
 それはスリラー怪人、カメ男の顔だった。

★★★