『バッタもの奇譚』

第1回

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★
 『オトギイズム王国』王都『パルテノン』。正午。
 ここは二百席もの観客が入れる劇場だ。
 当日はその席が埋まるだろうか。そんな心配を抱きながら、特撮劇『仮面バッター』の稽古と各種大道具・小道具のチェックが進んでいる。
「一週間で役作りとは少々、無謀すぎるのではないでしょうか」確かに特撮ヒーロー風にも見える『レッドクロス』姿のアンナ・ラクシミリア(PC0046)は、リハーサルの舞台の上ではっきりとカワオカ・ヒロシテンのスケジュール管理の甘さに口を出した。「プロの役者でない者を巻き込んで、無事に舞台が成功するとは思えません」
 その意見を拝聴しながらヒロシテンが革ジャンの袖をまくった太い腕を組んで、うーん、と唸る。彼はその意見に納得している様だ。納得しながらもスケジュールは動かせない、と苦しい答を返した。
「この劇場のちょうどいいタイミングがそれくらいしかなかったんだ。今更ながら都合を変えると違約金を払わなければいけないし、この劇場のスケジュールも当分、空きがない」
 太い眉を困り気味の角度にし、顔をしかめるヒロシテンに、アンナはもっと単純な勧善懲悪風味にしましょうと更に意見を出した。「王国の人達は初体験な訳ですし、わかりやすく、出演者も演じやすくする為に、シンプルを極めた勧善懲悪物にするのがいいと思いますわ」
「……うむ。その方がいいだろうな」
 ヒロシテンが折れた。
 部隊の敵役となる悪の組織は悪のデザイナーにした方が王国の観客達に受け入れやすい、仮面バッターもそれと戦うのは『冒険者ギルド』で依頼を受けた冒険者達の一人にする、というアンナの意見が通った。
 主役なら主役らしくキャラを強調すればいいだけです、とアンナは説明する。
 彼女は実は仮面バッターの再放送をTVで見ていたファンの一人なのだ。ハマっていたというほどではないが、視聴者眼線からの意見を出す事は出来る。またヒロシテン自身が忘れていた設定の考証を指摘する事も出来た。
 ヒロシテンの態度は決して卑屈ではなく、真剣に彼女の指摘を次次と受け入れていた。
 アンナもただの指摘者でなく、一緒に舞台に出演する共演者の一人なのだ。仮面バッターと一緒に悪人退治をする冒険者としての。
「シナリオをもう少しシェイプアップしよう」
 ヒロシテンがマグカップからコーヒーを飲みながらそう言い、役者達がしばしの小休止に入った舞台の裏では、ジュディ・バーガー(PC0032)が自分に合わせた舞台コスチュームの出来を2m超の身長の高みから見下ろしながら確認していた。
「かなりボディラインをエムファサイズド、強調したコスチュームなのネ」
 子供の頃からスーパーヒーローに憧れるジュディは、今回は悪役として複数の怪人役を兼ねる、大忙しのスーツ・アクトレスだった。
 技術レベルや予算や時間の都合上、オトギイズム王国ではウレタンやFRP、電飾、アルミ、ビニール等を準備出来なかったので布、革、綿、鋼が主体の着ぐるみ、スーツとなっている。
 それが高身長とメイクとあいまって、より悪役感を増している。
 かなりセクシーでビザールなデザインだった。
 デザインが力を持つ、このオトギイズムでこれはかなり強力なパワーだ。
 衣装美術は、ヒロシテンの番組スタッフであるデザイナーのニラさん。
「もう少し、お尻を食い込ませた方がいいんスかね」
「OH!」
 ヒップを見つめるニラさんからジュディは後ろ手で視線をさえぎった。
 そうしながらも着ぐるみに興味があり、基本的にノリもよいジュディは、今もワクワク感が止まらない。
 役者としては素人ながら、不足分は熱意と努力で埋めるつもり。
 彼女もとにかく特撮劇を盛り上げる方法や工夫を強く意識していた。主人公を引き立てる為には、解りやすく魅力もある悪役が不可欠。というわけで、ジュディは悪の改造人間のアイデアやイメージ等を提案し、複数の怪人役を兼ねたいとヒロシテンの劇に志願してきたのだ。
 たとえば『岩石怪人ストーンゴーレム将軍』とか『暗黒騎士リビングアーマー卿』みたいな設定。
 ニラさんはそんな名前やアイデア、イメージを聞くだけで自由自在に怪人のデザインが出来た。
 今は『女幹部レディビホルダー大僧正』の衣装合わせをしている。
 ヒップを強調して何で大僧正なのかいまいち解らないが、そこはニラさんの趣味らしい。
 そんなジュディの姿を小休止中の役者、スタッフ達が覗きに来た。ジュディが手作りしたサンドイッチを手にしながら。
 ギルドの掲示板でこの依頼を見つけたジュディはテンガロンハット片手に「ん? このニュークエストってリアリィ? あははは♪ ……オーイェー!!」した後、モンスターバイクに乗り、すぐにこの劇場でスタッフ達とハイタッチやハグで再会を祝した。
 ヒロシテンともハグしようとしたが、それは困った表情の彼に辞退された。彼は意外と古風な性格なのだ。
「早速だが、次回を試してみよう。シーン3まで通しで」
 次回の増刷を印刷ギルドに注文した後、ヒロシテンが修正を入れた旧シナリオを皆に読ませて、稽古の再開を告げた。
「では、わたくしは一旦、レッドクロスを脱がないと」
「ジュディはコマンダー、戦闘員隊長のコスチュームにしないト」
「あ、お二人は今日の稽古はその衣装のままで通していいそうです」
 スタッフの一人が二人にそう告げ、BGMが鳴らされ始めた舞台でリハーサルが再び始まった。

★★★
 オトギイズム王国王都『パルテノン』。
 その市街の中央公園によりそってそびえる石の王城。
 広い謁見の間。
 豪華であるが過美ではない。高貴で威厳のある、絶妙なバランスのデザインが成された玄室だった。
 奥の二段高い所に立派な王座があり、左右の壁には武装した衛士が壁の縁取りであるかの如く並んでいる。それは冒険者達と王との距離より近い。
 王座には略式冠をかぶった、貴族らしいデザインの衣装の、痩せた身を細い筋肉で締めた男が座っていた。
 国王『パッカード・トンデモハット』だ。
 黒髪が炎の如く逆立ち、黒瞳。四十歳ほどの外見だが若い声だ。
 その左右には大臣、そして『バラサカセル・トンデモハット』第二王子、第一王子『ハートノエース・トンデモハット』の婚約者である『シンデレラ・アーバーグ』が並ぶ。
 『トゥーランドット・トンデモハット』王女がいないのはマニフィカ・ストラサローネ(PC0034)の予想通りだが、ハートノエース王子本人の姿までないのはどういう事か、彼女には解らなかった。
 マニフィカは国賓待遇で謁見の間で王族に最接近する事を許されていた。
 そして、眼の前に並ぶ王族にはもう一人、見覚えのない女性が王の横に立っていた。
 いや、マニフィカも、後ろにいるもう一人の謁見者であるクライン・アルメイス(PC0103)も彼女を一応、見た事がある。
 略式冠をかぶり、東洋の高級遊女『花魁(おいらん)』の派手な着物を洋風貴族風にアレンジした凄いデザインの豪奢な服。
 髪型は文金高島田の髷(まげ)を大きく左右に張り、そこに松や琴柱をあしらったかんざしを幾つも刺した形だ。ブロンドの髪。それでいて東洋風な顔つきをした妙齢の美女は『ソラトキ・トンデモハット』王妃だ。
 三人の子を産んだ後、重病に倒れたという彼女はこれまで遠方の療養所にいたが、最近、ある程度、病がよくなり、王城に帰ってきた。
 その帰還を祝う祭がパルテノンで行われ、王妃は城のバルコニーから全市民に健やかな姿をお披露目した。
 マニフィカもクラインもそこで、国民総出での喝采の中で王妃の姿を初めて見たのだ。
 ソラトキ王妃が東洋の『遊郭ヨシワラ自治区』の元花魁であり、二十年ほど前にパッカード王が身請けして結婚したのは国民の誰もがが知っている事だった、。
「贈り物でございますわ」
 マニフィカは手土産として持ってきたトリッパ(ハチノス)を入れた飾り箱を従者を通じて、王へと渡した。
「これはトゥーランドット姫の好物だと聴いたのですが、……そういえば姫はどうなさったのですか」
 いきなりストレートに聞いてきたマニフィカに対し、パッカード国王は眼線を落とし、咳を一つ打った。
「たいした事ではないでありんす、ネプチュニア連邦王国王女様」代わりにソラトキ王妃が答えた。「最近、体調がすぐれなくて公事には参加を見合わせているのでありんす」
「ハートノエース王子は……」
「国事で少少、遠方に参っているでありんす」
 冷静な美貌を崩さないソラトキ王妃の柔らかな物言いに、マニフィカは更に問い詰める勢いを殺がれた。
 マニフィカはトゥーランドット姫の身を真に案じていた。
 トゥーランドット姫の姿が最近見えない、という噂を耳にし、なんとなく胸騒ぎを覚えていた。
 つい最近も『闇鍋パーティ』でDrアブラクサスとして再会したばかり。あの時はマッドデザイナーに変装した際の暴走を警戒したが、相変わらずのマイペースで、特に変わった様子もなかったと思う。
 何かあったのだろうか。
 それで面識を活かし、真正面から王家の人人に接触してみる事にしたのだ。
 しかし寄せられた回答はそっけないものである。
 とても真実とは思えないほどのそっけなさだ。
(こんな事なら、ジュディを追って、カワオカ・ヒロシテンさんの依頼を受けておいた方がよかったかもしれないわね……)
 謁見の間に立つジュディの心に、回想の泡が浮かんできた。
 その日、マニフィカは冒険者ギルドの二階で優雅にアフタヌーンティーを嗜んでいた。
 この街のギルド長は道楽者らしく、なかなか良い茶葉を仕入れており、それを目当てに顔を出す冒険者がいる程だ。
 マニフィカもその一人である。
 まったり寛いでいる時に階下から聞き覚えのある女性の大歓声が聞こえた。
 マニフィカは、その知人をお茶に誘うべく大掲示板の前に来てみたが、ちょうど入れ違いにモンスターバイクが走り去るところだった。
 素早すぎる行動力に苦笑しながら自分も大掲示板を覗き、おそらくは知人が引き受けたと思われるクエストが眼に入った。
「……なっ!?」
 依頼主は、以前に『酔狂スペシャル』の撮影に絡んで因縁があるカワオカ・ヒロシテン氏。今回は特撮劇の公演を企画し、出演者を募集しているらしい。
 マニフィカの脳裏によぎったのは『三首竜王グイデュールアの巫女』という黒歴史。
 どうも最近は過去に祟られる事が多い。
 つい習慣的に『故事ことわざ辞典』を紐解いたところ、そこには「君子危うきに近寄らず」と記されていた。納得しながら念の為にもう一度頁をめくってみると「君子の交わりは淡きこと水の如し」との文言が示される。
 なんとも意味深な啓示に思えた。
 逃げ腰の自覚もあるが、とりあえずヒロシテン氏の依頼には関わらず、最近、気になっているトゥーランドット姫の安否確認を優先すべきと自分に言い聞かせた。
「ところでクライン・アルメイスとやら」
 自分に向けられたのではないパッカード国王の声で、マニフィカの記憶の泡は弾けた。
「正直な感想として、特許権やら著作権やら知的財産の一括管理の交易会社設立とか、お前が提出してくれた書類は内容が難しくてよく解らないのだが……」パッカード王は手にしていた書類の束を傍らの大臣に返す。
「この世界の原理たる『デザイン』は、ほぼ全て工業デザインの範疇に入るのでございますわ」
 謁見の間の中央に立つクラインはふくよかな胸の所が開いた青いチャイナドレスを着た、ロングストレートの黒髪の女性だ。その黒瞳は自信満満たる輝きを放って、国王を見つめている。
 パッカード王は、著作権や特許権を扱う意義や種類の数と複雑さを理解出来ていないという顔をしている。
 クラインは最近、王城で情報を集める名目も兼ねて、王城周辺に交易会社の小さな支部を作り、社長として王城で会社の営業を行っている。その一端として謁見の間にて国王への謁見を願ったわけだ。
 実はこの王国で『会社』という形態の経営システムが出来るのは初めての事だった。
 その事も国王の関心をひいた理由だと、従者を介して名刺を渡した大臣に知らされた。
 現代世界から、著作権や特許権などの知的財産権をオトギイズム王国に輸入して、それをメインに交易の仕事等をし、この世界での足掛かりを作りたいというのがクラインの意志だ。
「噂を聞きますと、トゥーランドット姫というのはとても面白い方でいらっしゃるそうですね」
 実は錬金デザイナーとしてのトゥーランドット姫に興味を持ったクラインは、彼女に接触するのが第一目的だった。姫の興味を引けるような宣伝を行う事で、可能ならば姫の方からも接触してもらえる様に仕向けたいのだ。その為に彼女への贈答品となる、地球からの科学とデザイン画の専門書を幅広く持参していた。
「養生が必要な身とは残念ででございますわ。お眼にかかれないのは残念ですが、せめてものお見舞いとしてこれらを姫に渡していただけたら嬉しいですわ」
 そう言って、書物は全て、近づいてきた従者に手渡した。
「うむ、これはいただいておく。正直、特許権や著作権の様な、実体のないもので商売をするというやり方は私にはよく解らん」王の感想は正直な意思表明らしい。「多分、この国のデザイナー達も同じ感想だろう。商売は認めるが、この王国からの支持は出せんな」
「実用的なデザインというものはデザイナーの個性を除けば、いずれ、それぞれの分野の最適解へと辿りつくものでござんす」ソラトキ王妃が言葉を挟んだ。「自分が生み出した、優秀な、実用的な物をただで皆に配分したい、使ってほしいというデザイナーもいるのではないでありんすか。模倣を禁じるのは皆のレベルアップの道を閉ざす事になりかねないでありんす」
「勿論、その為に著作権フリーという考え方も許容出来ますが……」
 クラインのその言葉の後、謁見室で短い、静寂の時間があった。
「うむ」王の結論が固まった様だ。「クライン・アルメイス社長。お前の会社の商売は許可する。だが、オトギイズム王国は当面、特に保証も保護も支持もしない。以上だ」
 マニフィカとクラインはその言葉を聴いた後、礼をした。
 王族達は退室した。
(負けた……というわけではないわね)
 クラインはそう思いながら謁見の間を後にした。全てはこれから、と彼女の心。
 その後、帰る前にマニフィカとクラインはそれぞれ別個に、城内で従者や衛士、女官や小姓やメイドにトゥーランドット姫の情報を訊ねて集めた。
 どうやらトゥーランドット姫はある日、いきなり姿が見えなくなったらしい。
 彼女がお忍びで変装して町へ出る事を知る者も城内に幾人かいて、どうやらそのお忍びに出かけた後、行方不明になった。と、これは推測を多分に含む。。
 国王達、家族や臣下は国民を動揺させない様、消息不明を公(おおやけ)にはしないつもりらしい。
 トゥーランドット姫の地下研究室にいる動物達には、信頼出来る家来がエサをやっている。
 姫の姿が見えなくなった後、城内に新たに動物が運び込まれたという形跡はない様だ。これにクラインには意外だった。何故ならば、彼女はパルテノン内でまとまった動物の売買輸送が秘密裏に行われていた、という情報を事前に掴んでいたからだ。
 結局、トゥーランドット姫の行方についてはほとんど何もわからないまま、マニフィカとクラインは王城の正門をくぐって、帰途につこうとした。
 だが、その時、彼女達を呼び止める者がいた。
「もし、二人とも」
 従者を従えた、あの豪壮な衣装のソラトキ王妃だ。
「クライン・アルメイスとやら、考え方はともかくとして、そなたの世界のデザインのあり様には興味があるでありんす。どのようなデザインがあるのか、よき日にあちきのサロンに来るとよいでおじゃる」
 彼女はそれだけを言い、高下駄を鳴らして去っていった。

★★★
 中央の舞台では、亀甲を連想させる形で身体に真珠の紐を縛りつけた全裸の踊り子が、悩まし気なブルースのBGMでポールダンスを踊っている。
 外は明るい昼間でも、わざと光量が落とされて薄暗い冒険者ギルドの地下酒場。
 薄紫の煙が天井の光から光へと渡る。
 隠語、淫語を多分に含んだ雑多なざわめき。
 コート一丁の下は小さな黒い下着だけを身につけているだけの女性や、身体のあちこちにこれ見よがしに卑猥な文言を入れ墨として刻み込んでいる男、鋼の鋭い棘をやたらあちこちに生やした武装車椅子に乗った太った男等、色色なアンダーグラウンドな冒険者達が酒場のけだるい空気を泳いでいる。
 店員達も煽情的なバニーガールだ。
「飲まなきゃやってられないわ……」
 姫柳未来(PC0023)はカウンター席に座って、パスタ・ストローの中身を桃色の唇で吸い上げていた。
 といっても彼女の注文したのはオレンジジュースなのだが。
 グラスの中のオレンジ色の液体を吸い上げながら、未来は最近の闇鍋大会の醜態を思い出していた。
 すでにあの時の給仕のウエイトレスには謝っておいた。
「レッサーキマイラにも謝っといた方がいいかな……」
 媚薬効果のある桃を食べた後、相手がフェロモン発散効果のある薬物を摂取していたといえ、あの痴態は痴態すぎた。
 後で彼らにも謝りに公園へ行こう。
 でも、その前にやる事がある。
 ある意味、この地下酒場にぴったりな服装にも思えるミニスカのJKはそんな事を考えながら、口当たりのよいオレンジジュースを素直に吸い上げ続けた。
 やがてグラスが空になった。
 気持ちを決め、料金をカウンターに置くと立ち上がる未来。
 しかし、その足元が意志に反してぐらついた。
 眼の前がグルグル回る。
(嘘!? 飲んだのはただのオレンジジュースなのに!?)
 身体が熱い。特に頭が。
 顔が火照る。
 ただ立つ事さえ出来ずにふらふらと足が動き、酒場の喧騒の方へと泳いでいく。
 と、酒場内を回るスポットライトの下で、その身がこちらに背を向けて立っていたソフトレザースーツの男達へとぶつかってしまう。
「何だ、このガキャ!」
 振り向いた三人の男達は見るからにガラの悪そうな荒くれだった。青年以上、中年未満という不潔な髭面だ。
「何だ、酔ってるのか!?」
「逆ナンかな!? ヌヘヘ」
「どうやら、俺達と遊びたい様だな。……向こうの個室へ行くか」
 いやらしく笑う男達が未来の無力を悟ると、その手を取って引っ張った。
 未来は身体に力が入らず、先導されるままに足が動いてしまう。
 地下酒場の客達は、この事に特に注意を払わず、ただ彼らの進路にいる者だけが道をあける。
 ひどい酩酊状態の未来は声も出なかった。
 超能力も使えない。
 壁際にある有料の個室の扉がだんだん近づいてくる。
 その時だ。
「その女性は私の連れだ。ご遠慮いただこうか」
 男達と扉の間に一人の男が立ちはだかった。
 異様な男だった。
 黒い長髪にかぶせられた、つば広の黒い帽子。
 黒服。黒マント。
 そして顔の面を覆うのは笑い顔の形をした黄金の仮面。
 腰には高価そうな剣をさしている。
 雑多な人間が集まる冒険者ギルドでも、めったにお眼にかかれない異様な雰囲気だ。
「何だ!? てめえは!?」
 三人の男達のリーダー格が声を挙げるが、既に彼らもこの異様ぶりにひるみを見せていた。
 笑い仮面が腰の剣に手を伸ばす。
「おっと、別にあんたとやりあうつもりはねえ」
「……そのスケが酔いがひでえみたいなんで介抱してやろうと思っただけだ」
「あんたの連れならあんたに任せるぜ」
 三人の男達はそれ以上、笑い仮面には逆らわず、未来を彼の手に押しつける様にして、酒場の喧騒の中へと逃げていった。客達の群像にその背中がすぐに消える。
 笑い仮面が未来の手を取り、カウンターまで戻すとスツールに彼女を座らせた。
「冷たい水を」笑い仮面が注文し、そのグラスを未来の手に預けた。「この地下酒場ではオレンジジュースを注文するのは、即ちスクリュードライバーを飲みたいという隠語なんだ」彼がそう説明する。スクリュードライバーとはオレンジジュースとウオツカを合わせたカクテルだ。アルコール度数は強いが癖がないので普通のジュースの様に飲める。「水を飲んだら、酔いが醒めるまでしばらく安静にしている方がいい。他の奴らも今の騒ぎの顛末を見ていれば、もう君にちょっかいを出さないだろう」
 未来は冷たいグラスの水を一気に飲み干すと、黒い男の方へ振り返った。
 いない。
 彼の姿は地下酒場の見える限りからは消え去っていた。
 それはまるでスクリュードライバーの酔いが見せた幻の如く、未来には思えた。
 果たして、彼は現実に存在したのか。
 酔いの痺れが残る脳はまだ十分には機能しない。
 ただ、何処かで聴いた事がある声だ、と未来は思った。
 と、彼女のスカートのポケットから一組のトランプが床に落ちた。主に得意の手品用に使っている物だ。
 スツールから降り、屈んでそれを拾い集める。
 指先にまだ酩酊を感じる。
 床で広がったそれらの一番上にあったカードをめくる。
 それは……。

★★★
 そもそも公園というのは元元は貴族の屋敷の庭園だったものが、一般に開放される様になったものというのが歴史的な経緯だ。
 だがこの公園は違う。トンデモハット王家によって元から市民の憩いの場、娯楽として造られたのだという。
 公園に王城は近く、壁も接している。
 公園といっても広いのだ。林も深い。
「晩御飯が出来たわよぉ」
 すっかり陽が暮れたパルテノンの中央公園で、若草色のエプロンのリュリュミア(PC0015)はお母さんの様な声で持ってきた大鍋の蓋を開けた。
 広場でそんな事をすると林の中からのっそりと体長三メートルのレッサーキマイラが出てきたりする。
 闇鍋以来、料理にハマッてしまったリュリュミアは時時、作った料理をレッサーキマイラに食べさせに訪れるのだ。
「やったぁ! 晩飯でい!」
「明日はホームランでやすね、リュリュミアさん!」
 意味不明のギャグを飛ばしながら彼女に近づいていくレッサーキマイラ。ライオンヘッドが東京弁、ゴートヘッドが関西弁。尻尾の蛇は無口なので解らない。
「今日の料理は何ですかい」
「肉じゃがよぉ。といっても材料はリュリュミアが育てたじゃがいもと大豆だからぁ、畑のお肉の肉なし肉じゃがなんですぅ。薄味だけど、大きなじゃがいもがいっぱい入ってるから沢山、食べて下さいねぇ」
「肉じゃがの肉がなかったらただの『じゃが』じゃねえですかい!」
「肉じゃがってゆうたら『肉肉じゃがじゃが! 肉じゃがじゃが!』くらいやないと」
「大豆も入ってるわよぉ」
「そーじゃなくて、もー!」
 色色と不平を言いながらもレッサーキマイラが鍋の中から口先でジャガイモをつまみだして、空中に放ってから口キャッチで食べ始める。それぞれの口がじゃがいもや大豆を美味そうに咀嚼する。大豆は主に尾の蛇が食べている。
「いやあ、空きっ腹に染みやすねえ。俺達、いまいち、ハトやネズミの狩りが上手くならねんでねえ」
「これもリュリュミアさんのおかげでっせ』
「ドクターはご飯をくれないんですかぁ」リュリュミアは空になった鍋の蓋を閉める。「あぁ、あの人はお薬ばかり飲んでましたっけぇ。そうだ、今度はドクターにも肉じゃがを食べてもらいましょう。キマイラさん、ドクターがどこにいるか知りませんかぁ」
「トゥーランドット……いや、Drアブラクサスですかい? いやあ、あの人は最近、知りやせんねえ」
「闇鍋パーティ以来、会った事はないでっしゃろ、なあ、蛇」
「…………」
 スネークヘッドが無口を貫いて答えない。尤も彼が知っている事なら三頭同体のレッサーキマイラの他の二頭も知っているはずだ。
「あ、でも、Drとは関係ないけど、この間の夜、おかしな奴らをこの公園で見ましたぜい。夜中におしっこしたくて起きやしたら、夜の闇に紛れて二組の男達が何やらこっそりと取引してたんのを見たんでい」
「その話、もっと詳しく教えていただけませんかしら」
  突然、かけられた声に植物系淑女と人造魔獣が振り向いた。
 月光の下に彼女達が初めて見る女性が立っていた。
 ストレートの長い黒髪。豊満な胸をさりげなく強調する青いチャイナ服。
 女社長、クラインだ。
 彼女の手から自分の名と肩書を記した二枚の名刺が音もなく飛ぶ。
 一枚はリュリュミアの手に滑り込み、もう一枚はレッサーキマイラの蛇の尾がキャッチした。
「ご丁寧にどーも。こちとらあいにく名刺を切らしてやすんで」
 名刺など持った事のないレッサーキマイラが三つの頭を下げる。
 リュリュミアはぽやぽや〜と手の名刺を眺める。
「それで、そのこっそりと取引とやらの事を教えてほしいのでございますが」
 クラインの『人間力』がオーラの如く静かに彼らを圧した。いや、実際にオーラを周囲の人間は見た気がした。それは相互作用する、人を彼女につなぎとめる影響力だ。
 トゥーランドット姫の事を捜していたクラインは、この公園に彼女が造ったらしいと噂されるレッサーキマイラに会いに来た。そして彼とリュリュミアが話している現場に出くわしたのだ。
 ここに情報あり、とクラインは感じていた。
「……取引の話ですかい」クラインの存在に圧された様にレッサーキマイラが話し出した。「薄暗くて顔や服装をはっきり見たわけじゃねえんですが、片方のメンバーがもう片方のメンバーに金と引き換えに色色とカゴや檻を引き渡してたみてえなんですが」
「カゴや檻?」
「へえ。どうやら中身は動物みてえで、沢山の中身が入ってたみてえなんす。ちょっと見た限り、クモやハチ、カメ、蛇……」
「あと、バッタやさかいな」
 クラインは噂通りに動物の秘密の売買が行われていたという情報の尻尾をこれで掴んだ。「それでその動物は何処へ運ばれていったのかしら」
「さあ。俺らは小便をしにそこを離れやしたし、そいつらは闇に紛れて、それぞれ何処かへ行っちまったみてえで」
「公園から去ったのでございますね。トゥーランドット姫の地下研究室ではないのね」
「違うみたいっすね」
「それは一体、いつの事なのかしら」
「五日くらい前やねー」
 それはトゥーランドット姫が姿を消してから後の日付だ。
 レッサーキマイラの証言にクラインは首を捻った。
 リュリュミアはその会話を傍らでぽやぽや〜と聞いていたが、ここへ近づいてくるもう一人の人影に気づき、
声をかけた。
「あらぁ、未来さん」
「はい、リュリュミア☆ ……だけじゃないわね」
 新たに公園へやってきたのはミニスカJKの未来だった。彼女は思いがけない出会いに驚いている。
「トランプ占いでトゥールの行方を追ってきたのに……どうやらハズレみたいね」
 自身の超能力である予知とトランプ占いを組み合わせた結果を信じてこの公園に来た未来だが、今、聴こえてきたレッサーキマイラの証言を聞くと、自分の探知は外れていたらしい。とはいえ、何かしらかの重要情報に出くわしたのかもしれないという手応えがあった。。
「あなたは未来さんというのですね。わたくしはこういうものですが」
「あら、ああ、いえいえ、これはご丁寧に☆」
 クラインの差し出した名刺を両手で受け取った未来は昔、ゲーセンで作った名刺を渡し返した。プリクラのシールが一杯貼られてデコられた奴だ。
「そうそう、この間はゴメンね」
「いえ、別にこっちは気にしてないさかい」
 未来はレッサーキマイラに闇鍋パーティの事を謝った。
「ところで確か、五日くらい前ってカワオカ・ヒロシテンが仮面バッターの興行依頼を出した後でもあるよねー」
 何気なく思い出した知識を未来は口にする。
 クラインもそういえばそうでしたっけと彼の依頼を思い出す。過去のちょいトラウマと一緒に。
 未来は何故、今、自分がそう言ったのだろうと自分で不思議がった。もしかしたらこれも超能力の仕業かもしれない。
「仮面バッターの劇って……売れてるの?」未来はまた疑問を口にした。
「それどころか、プレミアものだって話だわぁ」とリュリュミア。
「え、マジ卍……?」未来は素直に驚いた。
 パルテノンの住民にとって特撮劇とは斬新なのだろう。
 家族で観られるというのも人気の理由かもしれない。
「あー、わいらを呼んでくれてたら、開幕の前に観客達をええ具合に温めておけたさかいに。勿体ないなー」
 そう愚痴るレッサーキマイラを、リュリュミアは無言の慈母の笑みで眺めた。
 未来はスカートのポケットから一組のトランプを出し、シャッフルをした。
 地面に屈み、土の地面にそれを並べる。
「何をやっているのでございますの」クラインは尋ねる。
「いや、占いをもう一度……仮面バッターは観る価値ありかなーとか」
 言いながら配置していく未来のトランプは『結果』の位置にジョーカーが置かれた。
 月光に照らし出されたそれは、抜いておいたはずのカードだった。

★★★
 当日、二百席あった劇場の席は全て売れ、有料立ち見の客が大勢出るほどだった。
 これほどまでの満杯が出るのは珍しいパルテノンの大衆劇場は、幕が開く前から騒がしかった。その大部分は子供達の声だ。
 前方の席の一つにクラインは座っていた。確かに席は高値だったが無事に買えた。
 ただクラインの表情は明るくない。舞台の行く末に不安を感じているだけではなく、彼女の会社が上手く軌道に乗っていない事もあった。どうやら、王、王妃の意見の通りになりそうだからだ。
(とにかく、この劇にトゥーランドット姫の手がかりがありそうな気がしますわ)
 クラインはあの夜の未来の占いをそう感じた。彼女に関係した何かがこの劇にあるのではないか、と。
 それにしても、と彼女は回想する。
 クラインは昔、芸能界にいた事がある。鳴かず飛ばずで引退したが、戦隊モノの悪の女幹部役だけは一部に大好評で、エンディングも歌った過去がある。
 だが、それは彼女自身の黒歴史とされていた。
「仮面バッター。……嫌なものを思い出させますわね」
 そんな事を呟いていると、舞台の脇で開幕を示す銅鑼が大きな音で叩かれた。
 明るかった劇場が観客席と共に暗くなった。
 劇場が静かになる。
「ねえねえ、暗くなったよ」最後部で立ち見の未来は小声で囁いた。
「暗いと光合成出来ませんねぇ」その横でリュリュミアは小声で呟く。
「本当にここにトゥーランドット姫の情報があるのでしょうか……」姫の情報を探していたマニフィカは旧友にその情報を訊きに行った時、ここに脈ありと二人にこの劇場に誘われた。ヒロシテンには関わりたくなかったのだが、親しき友の誘いは断れなかった。
 と、舞台の中央をスポットライトが照らし出した。
 そこは魔王の城を連想させる大道具が作り出したセットで、大きな鷲の石像彫刻が眼を赤く点滅させていた。
『今日こそ仮面バッターを倒し、このオトギイズム王国を我らのものにするのだ! 行け、部下達よ!』
 舞台が一気に明るくなり、不気味な全身タイツ姿の戦闘員が十人ほど横に並んでいるのを照らし出した。
「イーッ!!」
 片手を宙に差し上げ、叫ぶ戦闘員達。その真ん中に立っているのは、身長が二mを越える大柄の女性である事がボディラインをくっきり浮かび上がらせるタイツ姿でよく解った。
 あれはジュディだ。
 彼女を知る者にとって、肌を全く出していなくてもその正体はあからさまだった。

★★★
「何!? また悪の組織が動き出したって!?」
 シーンチェンジで冒険者ギルドの受付ホールに変わった舞台で、革ジャンの袖をまくったヒロシテンが大きなポーズをつけながら叫んだ。
 観客の子供達の歓声が挙がる。
 受付ホールの依頼掲示板には『悪の組織を退治してほしい』という概要の依頼ポスターが大きくでかでかと貼られていた。その細かい内容は大きな声のナレーションで読み上げられている。
 悪の組織は大地震発生装置でオトギイズム王国全体を崩壊させようというのだ。
 そうされたくなければ百億万イズムを払え、と王国を脅迫してる、と。。
「わたくしもその依頼に参加しますわ! 悪の組織なんかにこの王国を蹂躙なんかさせません!」
 風防ヘルメットをかぶり、ピンクのスカートをなびかせたアンナがモップを片手に叫ぶ。
 受付ホールの正義の冒険者達は次次とその依頼への参加を表明した。
 依頼に参加しない、ひ弱そうな初心者の冒険者達もヒロシテンとその仲間に応援と賛辞を惜しまない。
 また、彼らの取り巻きらしい華美な衣装を着けた少女達が黄色い声で皆を励ます。中には感極まって気絶する少女もいるが勿論、これは演技だ。
 ヒロシテンがその少女が床に倒れこむ前に細身を太い腕で受け止める。
「この大自然の味方、仮面バッターの眼が黒い内は悪の組織にいいようになんかさせない! 滅ぼしてみせる、悪の組織を!」
 キメのポーズと迫力のある表情でヒロシテンがこのシーンのトリを飾った。
 子供達の嬌声と息を呑む大人達の視線を浴びながら、舞台は冒険者ギルドから次のシーンへと移行した。

★★★
「バッター……変身っ! とぉっ!」
 ヒロシテンが変身ポーズをとると同時にバッターベルトの風車が輝きながら回り、天井からのワイヤーに引き上げられて大ジャンプする。
 その姿が照明から外れて見えなくなった直後に、早着替えで仮面バッターのコスチュームになって降りてきて、ステージセットの高い所でキメのポーズをつけた。
 観客が一斉に沸いた。
 あれから幾つかのシーンが続き、中盤のクライマックスで仮面バッターに変身したヒロシテン達の手で、ジュディ演じる岩石怪人ストーンゴーレム将軍や女幹部レディビホルダー大僧正が倒され、劇はいよいよ佳境の地底探検へと移っていった。
 これまでの戦いは多数の冒険者パーティによる弱い者いじめになりがちなシチュエーションを、人数で勝る戦闘員達と体格がよくて強そうなジュディ演じる怪人達の迫力で見事、冒険者が苦戦の上で勝つ、という展開へとつないでいた。努力、友情、知恵、勝利を前面に押し出して成功している。
 観客の反応を見る限り、完璧だ。
 子供達は正義のヒーローに憧れ、弱い者いじめなどこの劇を憶えていればしなくなるだろう。
「仮面バッター! こっちでございますわ! 右の道の奥から機械の作動音がします!」
 レッドクロスを身にまとったアンナがローラーブレードで舞台を滑走する。
 玄武岩と鍾乳石があちらこちらにある、地質学考証的にはありえそうにないセットで構成された地下洞窟を仮面バッターを二番手に冒険者達が進んでいく。一番手はアンナだ。
 それにしてもこの仮面バッターのコスチュームが格好いい。
 緑色のバッタをモチーフに筋肉質を強調しながらも全体のラインをシャープにまとめた、マスターたなびくサイボーグの仮面ヒーローは、美術のニラさんのデザインのまさしく真骨頂だ。
 やがて舞台は、洞窟は開けた場所になり、ジュディ演じる暗黒騎士リビングアーマー卿が多数の戦闘員に囲まれ、大地震発生装置の機動を見守っているという光景となった。
 ドリルを地面に突き立て、眼球と唇のついた悪趣味な大地震発生装置のサイケなデザインが、いかにも悪の機械という雰囲気を醸し出している。
 傍らに立つ、またもやジュディの演じるリビングアーマー卿のデザインは勿論、ニラさんによる物だ。
 セクシーダイナマイトな黒い甲冑は、全身を艶消しの黒で縫ったジュディの全身に貼りついて、漆黒に劇場のライトを反射し、一見、空洞の鎧のみが人の形に浮いていると錯覚させる。
 そのセクシーなラインはアクティブかつパワフルな運動性能を連想させながら、悪の女幹部というカリスマを見事に体現した、素晴らしいデザインだった。
「うらやましい……」
 黒色の大剣構えるリビングアーマー卿の姿を見つめながら、クラインは我知らず呟いていた。
 舞台では悪の組織と冒険者達の大地震発生装置を巡る、一進一退の攻防が繰り広げられていた。
 これがこの舞台の最大のクライマックスのはずだ。
 レッドクロスのヘルムからピンク色の髪をなびかせたアンナは、伸長させたモップで次次に戦闘員を打ち倒す。倒された戦闘員達が「イーッ!」と叫びながら派手に背落ちした。勿論、受け身をとっている。
 冒険者達が連携して戦闘員達を駆逐していくのを背景に、仮面バッターとリビングアーマー卿の一騎討ちが繰り広げられていた。
 幅広で巨大な黒剣が閃く中を仮面バッターが紙一重でかわして、効果的なパンチやキックを打ち込んでいく。勿論、シナリオのある練習通りの殺陣だ。だが傍目にはそれが解らぬほどの緊迫を演出していた。
 武闘劇の盛り上がりは最高潮になり、客席からバッターを応援する子供の声がいっそう甲高くなる。
「バッターキーック!!」
 瞬間の隙を突いて、仮面バッターが大ジャンプし、跳び蹴りのポーズをとった。ワイヤーアクションによる飛翔だ。
 それは真正面にいたリビングアーマー卿に当たる寸前にかわされた。
 だが、その背後にあった大地震発生装置こそがキックの本命だった。
 バッターキックの直撃を受けた大地震発生装置が破壊され、その反動で再びジャンプ、反転バッターキック。今度こそリビングアーマー卿に命中し、倒す。そういう筋書きだ。
 最初のバッターキックが大地震発生装置に吸い込まれる。
 だが、次の瞬間にそれは起こった。
 バッターキックが命中した大地震発生装置が火炎を上げて大爆発した。
 予定以上の大爆発だ。用意されていたよりも大量の火薬が仕込まれていたに違いない。
 ワイヤーが切れ、ヒロシテンのマスクが飛び、身体が弾き飛ばされて舞台の上に転がった。
 観客席は初めは演出だと思っていた様だが、すぐに驚きの悲鳴があがり、次いで騒然となった。子供達の泣き声も聞こえる。
 舞台脇にいたスタッフが大慌てで消火器を片手に走り、舞台に残る火を消す。
 アンナとジュディは劇の事を忘れ、倒れたヒロシテンに駆け寄った。
 幸い、衣装に仕込まれていた綿等と彼自身の頑健さが致命傷を防いでくれていた。だが大怪我だ。
「ヒロシテンさん、しっかりして下さい。すぐ救護係が来ますわ!」
「ッデム! バット、一体、何故、大道具の大地震発生装置がこんなビッグ・エクスプロージョン、大爆発を……!?」
「すりかえておいたのさ!!」
 突然、大音量の声が響き、舞台が予定にない暗転をした。
 二つのスポットライトが舞台上に現れた二つの新しい姿を照らす。
「地獄からの使者、情け無用の男、クモ男ッ!!」
 声の主、毛むくじゃらのクモと人間を合成した様な怪人が叫びながら低い姿勢で大見得を切った。それは着ぐるみやスーツとは思えず。まさしく生体的に『クモ男』だった。
「悪の組織『スリラー』総統! シン・仮面バッターッ!!」
 凶悪な雰囲気をした『仮面バッター』も大見得を切って観客席に向けてポーズをとる。痩せて見える彼はスーツの様だ。しかし今回の劇の為に新調されたスーツよりもTVで観た本物の仮面バッターに近い、とアンナは見抜いた。
 舞台の照明が点いて明るくなった。
 既に破たんした劇の舞台で二人のアポイントメントなき異形が大声を張り上げる。
「オトギイズム王国の愚民共! 同じ飼いならされるならば国王よりもこのスリラーの下につくがよい!」シン・仮面バッターが演説をかまし始めた。「正義などまやかしだ! 世界はこの悪の組織スリラーが征服する! 悪に忠誠を誓い、我が身の春を謳歌したい者はスリラーに来るがよい! そもそも正義などというのは勝った者の主張にすぎないのだ!」
「従わぬ奴らは毒水でも飲んでくたばるがいい!」そう叫んだのはクモ男。
 観客席の者達は大きくざわめきながら、舞台から眼が離せなかった。
 立見の者達には外に逃げた者達もいる。
 子供達は大泣きする。
 まさか、トゥーランドット!?と未来、リュリュミア、マニフィカは一瞬、シン・仮面バッターを見て思ったが身長が違う。声が薬で変えられるのは前に見ているが身長はどうだろうか。
 舞台に残る役者、スタッフ達がその二人を取り押さえようと一斉に走り寄った。
 だが、クモ男の両手から放たれた大量の粘着糸が彼ら全員の自由を奪った。皆は舞台の床に粘りつけられ、動けなくなる。
 アンナも彼らを突き倒そうとモップを構えたが、ローラーブレードが粘着糸で床に縛りつけられた。
「アイ・ウィル・ノット・フォーギブ・ユー!! ゆるしません!!」
 怒りの声を張り上げたリビングアーマー卿=ジュディが黒剣を放り捨て、バッファローの様な本気のタックルをクモ男に見舞った。
 それは粘着糸を放つのを間に合わない速度でクモ男の懐に激突した。
 リビングアーマー卿の金属コスチュームが歪んだ。
 だが動かなかった。
 クモ男はその場で彼女の猛突進を受け止め、両腕で体を掴む。
 ジュディは相手へと両腕を巻きつけた。
 だが、彼女は次の瞬間、軽軽と宙へと放り投げられた。
 ジュディを知る者は皆、信じられないものを見た。
 一対一で彼女の『怪力』が通じない!
 床に落ちたジュディは苦痛で息がつまり、動けなかった。
「それでは今日はさらばだ! 生き残る者がいればまた会おう!」
 シン・仮面バッターの声と同時に劇場がまた真っ暗になった。
 もはやこの大衆劇場はパニックである。
 未来もリュリュミアもマニフィカもパニックの観客に揉まれて、ろくな動きがとれない。
 それはクラインも同じだった。
 駆けつけたスタッフが天井施設の照明に再び火を入れて、劇場を明るくすると、舞台の上から二人のスリラー怪人の姿が消えていた。
 どうやら照明は、スリラーの戦闘員が奇襲し、スタッフを気絶させて自分達で演出をコントロールしていたらしい。こっそり大地震発生装置の火薬をすりかえておいたのも戦闘員だろう。
 劇場にはもうその戦闘員の姿さえなかった。スリラー達は全員逃走したのだ。
 当然、仮面バッターの劇はここで中断され、観客達は騒動の中で皆、帰宅を余儀なくされた。
 この日、王国中がこの劇場で起こった事件の話で一色に染まった。
 衛士達が町を走ったが、スリラーの尾の影さえ掴めなかった。
 国民達は皆、スリラーの存在を現実的な脅威として受け入れていた。
 劇を観ていた子供達はこれをトラウマとし、その夜、寝つけなかった子が多かったという。

★★★
 スリラーの起こした事件は国王にも伝わった。
 パルテノン中の衛士が捜査にあたったが、国王パッカード自身は衛士達によるこの事件解決には乗り気ではない様だった。
 そんな中、マニフィカは国王から城に呼び出され、衛士達が並ぶ、中庭の噴水の前で次の事を打ち明けられた。
「トゥーランドットがスリラーの人質になっている可能性がある……」噴水の池でポツリポツリと水面を雨が穿つのを見つめながら、国王はその顔にらしからぬ不安を刻んでいた。「……娘に何かあるといけないから表立って冒険者ギルドに依頼を出すわけにもいかない。どうか、お前の信頼出来る仲間だけでスリラーの事件を捜査し、トゥーランドットが捕まっているなら助け出してくれないか」国王はネプチュニア連邦王国の王女にそう頼んだ。マニフィカには懇願の声に思えた。「……それと既にトゥーランドットの行方を捜している俺の手の者がいる。その者とは今、連絡を取れないが力になってくれるだろう。彼はお前達がよく知っている人物だ」

★★★
 カワオカ・ヒロシテンがベッドから動けない大怪我を負った。
 病院で『酔狂スペシャル』のスタッフや役者達に見守られながら、白い包帯とギプスだらけの彼は言葉を出すのもつらそうだった。
「頼む……スリラーをやっつけてくれ……。仮面バッターは……正義の味方でなければならない……のだ。冒険者ギルドに依頼を出すにも……劇に使って、当面の金が……ない」仮面バッター劇の売り上げは劇中止の為に観客に払い戻しされていた。「仮面バッターの名を……悪人に……名乗らせないでくれ……」
 四十代の屈強な男の眼から滂沱の涙が流れた。
 彼の言葉は噂話となってオトギイズム王国全体に知れ渡った。
★★★