『続・闇鍋奉行、見参 ! Dr参戦!』

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★
 『冒険者ギルド』二階の酒場。
 壁際に並ぶ個室の一室では、照明の下のテーブルの簡易コンロに置かれた大きな土鍋がぐつぐつと出汁汁を煮えたぎらせていた。
 しかし、狭い。
 決して広いといえない部屋の片側に、六人の冒険者が肩が触れ合う近さで並んんでいる。
 こうなっているのは過去に闇鍋に参加しているメンバーに加えて、今回はDrアブラクサスだけでなく、公園からレッサーキマイラもゲストとして呼ばれたからなのでもあった。髭面眼鏡で白衣のドクターと彼女が作り出した人造生物がテーブルの対面を占領、主にレッサーキマイラがその巨体を無理やり押し込んでいた。
 人造生物とその創造主という組み合わせは何か一波乱あるのではないかと思わせたが、特にそういう事はないらしい。
「てやんでい。早く闇鍋とやらを一発やりまひょうや」
「こっちはここ数日、飯にありついていないんやさかい」
「…………」
 レッサーキマイラの参加動機はライオン、山羊、蛇の頭が言っている事が全てらしい。
「それでは準備は整ったという事でよろしいですか」
 下座に座った声の奇麗な給仕服姿のウエイトレスが皆に声をかける。
 炭火がほのかに鍋底を照らし出すのを見ながら、皆はそれぞれの食材を調達してきた時の事を思い出すのだった。

★★★
 一週間前。
「まあアレや。貧乏暇なしって言うやろ? つまりな、暇っちゅう事は、心に余裕がある証拠やねん」
 ぶらぶらと街中を散策していた福の神見習いはドヤ顔で、お供に連れたペットの金鶏『ランマル』に世迷い言を囁いた。
 ジト目で見返してくるランマルの態度を軽くスルーするビリー・クェンデス(PC0096)。
 そんな二人はほぼ日課である冒険者ギルド参りに到着する。。
「さあ着いたで。なんぞオモロイ事あらへんかな。……ある?」
 キューピーヘアの先端にある『妖怪アンテナ』が謎の電波をピピピン!と受信。姉さん、事件です!と言わんばかりにホールへと駆け込んだ。
 すると大掲示板には掲示されたばかりの依頼に冒険者達が関心を示している。
「クックック……フハハハハ! わーっはっはっは!!」
 ビリーは『闇鍋』イベントのポスターを見上げ、思わず三段笑いを披露。周囲の冒険者達がドン引きするのも構わず、過去の雪辱を果たす好機到来を悟ったビリーは狂喜乱舞を披露した。。
 今度こそ『闇鍋』で天下を握ってやる! ビリーは誓った。勿論、参加は即決定だ。
 復讐するは我にあり!
 そして彼は開放日に『アシガラ』へ出かけたのだ。
 その日、東洋昔話的なアシガラの金太郎の家を訪ねたのはビリーだけではなかった。
「お土産の『かすてら』ですよぉ」
「前回の闇鍋はとっても楽しかったよ☆ これもお婆さんが美味しいキノコを教えてくれたおかげだよ」
 リュリュミア(PC0015)と姫柳未来(PC0023)もこの開放日を狙って、金太郎の家を訪ねていた。三人のライバルはこの冬の旬の食材を入手せんとやってきたところまで同じだった。
 すっかり仲良くなっている金太郎とヤマンバと全自動洗濯機IZUMIの精霊は温かく彼らを出迎えてくれた。
 ヤマンバ達の助けにより無事に『赤白黄色のちゅーりっぷ(仮)』を手に入れたビリーが『打ち出の小槌F&D専用』でビーフシチューを彼女達に存分にふるまって、デザートにカステラを食べていると、未来がヤマンバと金太郎を一人ずつ呼び出し、家の裏で何かしらかを聞き取っているという光景が眼についた。
「何してるんですかぁ」
 リュリュミアは小声でこっそり覗きに行ったが、どうやら未来は彼女達の好物を訊きだしているらしい。
「ヤマンバさんは大根の味噌漬け。金太郎はおにぎり……普通のおにぎりは湯でほぐれちゃうから焼きおにぎりにして、と」未来はメモを取っている。
 未来は最後にIZUMIの精霊を連れてきた。
「好きな物ですか……洗剤かな、環境に優しい」
「いや、洗剤じゃ食べれないから」
「では、奇麗で清潔な水」
「水じゃ食材にならないしー……例えば、何か果物とか……」
「果物……」精霊は視線をさまよわせた。「桃、というのは?」
「桃?」未来は彼女の視線の先を追ってみた。そこには一本の木に生えたピンク色の果実があった。彼女はただ眼に入った物を咄嗟の答にしたらしい。
 ま、桃でもいいか、と背伸びしてその果実をもいだ未来だが、何故この季節に桃が生っているかは特に気にしなかった。考えてみれば、この時点で普通の桃でない事に気がつくべきだった。
 未来は産毛の生えたその果実の曲線をしげしげと眺める。「やーん。なんかエッチな形してるなあ」割れ目を指でなぞってみる。何故か、背中がぞくぞくッとした。
 未来と精霊が皆がいる家の表に戻ってくると、ちょうど金太郎が山盛りのカステラを食べ終えたところだった。
「ごちそーさまあー!」
「お粗末様でしたぁ」
 金太郎の言葉にリュリュミアは答える。
 座るリュリュミアの横には布のバッグに詰められた闇鍋の為の食材があった。
 この時点では彼女の食材が何なのは解らない。
 ただ、リュリュミアは食材を取りにヤマンバと一緒に山へ入り、また裏手の畑で何かを採ってきていた。
 彼女のバッグは大きな食材で膨らんでいる。
 満足のいく収穫だった。
 リュリュミアはこれらの食材を、家に帰ってから更なる下ごしらえをするつもりでいた。
 それこそ闇鍋とされる事に非常な勿体なさを覚えてしまうほどの手の込んだ下ごしらえを。
 無事に食材を手に入れた三人は、金太郎達に別れを告げてアシガラを後にした。

★★★
 開放日。
 モンスターバイクのエンジンが軽快な唸り声を上げる。
 愛蛇『ラッキーセブン』を首に巻いたジュディ・バーガー(PC0032)は、街道を疾走しつつゴーグルの中で眼を細めた。
 気分は絶好調だ。
 これから向かう『モータ』の町は、以前に訪れた事がある。
 黄金羊の悪霊と黒魔術デザイナーが陰謀を企み、嘘が現実化する大事件に巻き込まれた。
 ジュディ自身も巨大なバハムートに変身するという貴重な体験をした。今となってはよき思い出だ。
 ここに来るきっかけは、いつも通りに些細な日常の風景から。
 数日前、ギルド二階の酒場で大ジョッキを傾け、クエストを達成した自分へのご褒美を堪能していた。
 すると近くの席に陣取る冒険者達の会話から『闇鍋』というキーワードが聞こえた。
 それが気になり、酔い加減のままに一階に降り、大掲示板のポスターを眺め、食材調達で開放される地域に『モータ』の街が追加されたのを知る。
 そういえば『グラディース島洞窟走破レース』の敢闘賞として『バハムート殺し』の樽を贈られたのは、つい先日の話。その風味を思い出すと、無性に羊や山羊の肉が食べたくなった。
「イピカイエー!」
 勿論、闇鍋に参加する事は即座に決定していた。
 そして、開放日。
 牧歌的なモータ地方の風景をバイクで行き過ぎ、町に着いた頃には太陽はほぼ正午の位置になっていた。
 するとこの開放日には既に先客として知り合いが訪れていたのに気づいた。
 アンナ・ラクシミリア(PC0046)。
 彼女はモータの牧場を訪れていて、自分が求めている食材を既に二つ、ゲットしていた。
 牧場には空を過ぎゆく雲が高所に濃い影を落としながら流れていく。
「あら、ジュディ」
 アンナはバイクの重いエンジン音で、低い山を麓からゆっくり登ってくる知己に気がついた。
「ヘイ、アンナ!」
「ジュディもやっぱり、闇鍋の具材の調達でしょうか?」
「オブコース。アー・ユ−・ファイン?」
「ええ、おかげさまで。どうやら二人とも用があるのはこの先のチーズ工房みたいですね」
 二人は山の小道を行き、扁平な石を組んで壁を作った大きな建物へと向かった。
 チーズ工房。
 牧畜の色色なチーズを作っている所だ。
 中に入って、工房の人に話をつけた二人はほどなくして目当てのチーズを手に入れた。
 ム、とジュディは、アンナが選んだチーズの匂いが鼻に届いて思わず顔をしかめた「アウェサム・スメル、凄い匂いがシマスネ」
「これは『ブルーチーズ』です」
 ブルーチーズ。山羊や牛の乳を発酵させ、カビを内部に生えさせて熟成したチーズ。
 話には聞いていたがここまで強烈な匂いがするとは、ジュディは初体験だった。
 『ラッキーセブン』も匂いを嫌がっている風だ。
「そーゆージュディはどんなチーズを選んだのですか」
「OH。イッツ『シェーブルチーズ』ネ」
 シェーブルチーズ。山羊の乳を発酵させた、皮のついたソフトチーズだ。
 アンナはシェーブルチーズに顔を近づけ、そして反射的に反らした。
 これはブルーチーズとは違う独特の発酵臭が強いチーズだった。彼女は知らなかったがブルーチーズ等、匂いがきついチーズを食べなれた者が最後に辿りつくのがこのシェーブルチーズだと言われているのだ。
 これは嗅覚が鋭敏な者には闇鍋の大障害となるかもしれない。
 ともかくチーズを手に入れた二人はここで二手に分かれた。
 これで既に三つの食材を入手したアンナは街道馬車に乗って町へ帰る事になる。
 ジュディはモータでこの日の内にあと二つの食材を入手する予定だ。
「では、闇鍋の日に」
「イエス。ヤミナベ・パーティの日ニ」
 二人は別れ、アンナはローラースケートを麓に向かってガーッと滑走させた。

★★★
 開放日の『ポーツオーク』近海。
 冬の海は冷たい。尤も深く潜ってしまえば水温など大して変わらないが。
 イルカ『フィリポス六世』に乗って海底近くを泳ぐマニフィカ・ストラサローネ(PC0034)は『竜宮城』をめざしていた。
 冒険者ギルドで闇鍋パーティのポスターを見かけた日には、朝から妙な皆騒ぎを覚えていた。
 酒場の店頭に並べられたテーブルでお茶をしていたマニフィカは、言い知れぬ不安に駆られて『故事ことわざ辞典』を紐解いてみた。するとそこには『逃げちゃ駄目だ!逃げちゃ駄目だ!逃げちゃ駄目だ!』という言葉の羅列。
 思わず本を床に落としてしまった後、指で眼がしらを揉む。。
 眼の錯覚?
 疲れているだろうか?
 恐る恐る拾い上げた本を再びめくってみると、そこには『雲外蒼天』『河豚は食いたし命は惜しし』『棘の無い薔薇は無い』等が記されていた。
 何の啓示だろう。
 不可解に思いながら冒険者ギルドを訪れ、習慣的に大掲示板を覗く。
 そして『闇鍋』イベントの通知ポスターが眼にとまったのだ。
 前の闇鍋パーティの失態を思い出し、すっかり瞳の光沢が消えた虚ろ眼なマニフィカは、これこそが「トラウマを克服すべし!」という天啓と悟った。
 最も深遠に坐す母なる海神のお導きなら尚、是非に及ばずだ。
 と、いうわけで三つの食材として『海のフォアグラ』三点セットをポーツオーク近海から調達しようと、冬の
竜宮城を訪ねたのだが、思ったより用件は調子よく進まない事が明らかになった。
 まず目当ては魚類の肝なのだが、これは浜や船で採ったりするならともかく、この竜宮城では魚類は人語を解する知性体なのだ。コミュニケーションがとれるものに料理の材料として身を差し出してほしいとは、本人(本魚)を眼の前にして言い出しにくい事に気がついた。
「沙々重でございまーす」
 それでも竜宮城の乙姫はマニフィカの為に件の肝を二種類、用意してくれた。
 竜宮城は客人には海の幸を振る舞うのであり、その為には料理となる運命の魚もいる。その魚が自らの身を提供する事でマニフィカは目当ての物を手に入れた。
 マニフィカはこの食材は決して無駄にすまいと固く誓った。
 しかし、最後の物が難関だった。
 はっきり言えばマニフィカが入手しようという最後の物は『トラフグの肝』だ。
 普通なら青酸カリをはるかに上回る猛毒と知られるこのトラフグだが、エサに工夫を凝らされた完全養殖の物なら無毒のものもいるとマニフィカは聞いた事があった。
「フグ類に限らず、毒を持つ生き物は食物連鎖で身に毒を溜め込んだという物がいるッパ」
 海蜘蛛の魔女アルケルナの元で相変わらず働いている河童のヒョースは、マニフィカの手土産であるキュウリを齧りながら説明を始めた。
「無毒フグの養殖は不可能ではないが大変、難しいッパ。フグ毒の本体はテトロドトキシンという非タンパク質性の毒素で、結晶は有機溶媒や水に不溶で含水アルコールや酸性溶液には可溶という性質を持っているッパ。重要なのは、一般的な加熱調理では毒素の分解はほとんど起こらないという事だッパ。テトロドトキシンは強力な神経毒で筋肉の末梢神経及び中枢神経を麻痺させ、摂取したものを死に至らしめるッパ。ビブリオ属やシュードモナス属の細菌を毒素の起源とし、それを食べて毒素を蓄積したワレカラやハナムシロガイやオオツノヒラムシ、それにトゲモミジガイ等のヒトデ類を捕食するという食物連鎖による生物濃縮でフグに蓄積されるという経路がフグの毒化の定説だッパ。無毒フグを養殖するには周囲の海水と完全に隔離したろ過した海水に棲まわせ、底棲の有毒生物を取り込まない為に海底から十メートル以上離した特別な生簀(いけす)で無毒なエサを与え続ける事が必要だッパ。それだけの施設はこの竜宮城にはないッパ。無毒のフグを作る必要がないからだッパ」
 相変わらず、いつ何処で入手したか解らない知識を淀みなく披露するヒョース。
「肝が無毒のフグを確実に生産する方法が科学的見地から確立しているとは言い難いという見解から、公的には無毒フグ肝が『食べられる物』とは認められていないッパ」ヒョースはポリッとキュウリを齧る。「……ついでに言うと有毒フグの卵巣部分は塩漬けにしたり、ぬか漬けにしたりして毒が抜けて食べられる様に出来るッパが、何故それで無毒化出来るかはこれもまだ科学的な説明が出来ていないッパ」
「では、無毒のトラフグの肝は入手不可能なのでしょうか……」
 残念そうな顔をするマニフィカに、赤いマフラーをなびかせたタコの剣士ギガポルポが助け舟を出した。
「可能性があるとしたら人魚達の王国だタコな」六本の腕を組んだギガポルポは背にギターを背負っている。「あそこは国力増大の為に日日、色色な開発を行っているタコ。もしかしたらフグを無毒にするなんて研究を行ってるかもタコな……」自信がないのか、語尾は小声になる。
「『アクアリューム王国』ですね!」
 マニフィカの声が一条の可能性に輝いた。
「あたしが『無毒のフグ肝』を作ってもいいんだよ」じっと聞いていたアルケルナが口を挟んだ。「それと引き換えにする物をあたしにくれる覚悟があるんならね」
「えっと、それは遠慮しておきますわ」マニフィカは海中でありながら額に汗をにじませた。食材調達の為に何かを犠牲にする様な覚悟はさすがに出来ていない。
 マニフィカは皆に礼を言い、アクアリューム王国へと向かった。
 何度か海面へ上がってフィリポス六世を呼吸させながら、しばらく泳いだが、まだ開放日は終わっていない。
 やがてアクアリューム王国に着くと、国賓級の待遇など最初から期待していない身軽さで王城を訪ねる。
「あら、マニフィカ姫様ー!?」
 ギャル風の人魚王女エリアーヌが彼女を出迎えた。
 互いに魚の尾を持つ友人の気軽さで、かくかくしかじかで用件を伝える。
「フグの無毒化ー? 聞いた事ある感じみたいなー」
「え! 本当でございますか!」
「地上との交易に使えるんじゃないかって、そんな話を小耳に挟んだ事がありますわー」
 エリアーヌ姫の口利きでマニフィカは王国にあった無毒フグの生簀を訪ね、研究材料を一匹ゆずってもらった。
 こうしてマニフィカは『海のフォアグラ』三点セットを無事にそろえる事が出来た。
 この時、水流でめくれた『故事ことわざ辞典』の一ページにはこの様な一句が書かれていた。
 『ふぐ汁のわれ生きている寝覚めかな』与謝蕪村。

★★★
 そして、この闇鍋パーティ当日となる。
 ビリーが呼んだレッサーキマイラの尾となっている毒蛇がチロチロと舌を出しながら、時折、ウッと顔をしかめている。蛇は舌で空気中の匂いを集めるのだが、無口でクールな彼も我慢出来ないものがあるらしい。
 実際、この個室の空気は鍋に入れる前から既に色色と奇妙な匂いが混ざり合いながら漂っていた。
 もう、この時点で前回に倍するカオスさが予想出来ていたのだ。
「それでは照明を消してよろしいですか。一、二、三、で土鍋の蓋を開けますから皆、食材を投入して下さい」 ウエイトレスの手によって、下ろされた天井の蝋燭照明が吹き消された。
 個室は全き暗闇となる。
「では……一、二、三」
 鍋蓋の開けられる音がした。
 一斉に色色な食材が鍋の昆布と鰹節の合わせ出汁に投入される音がする。
 今度は人数の多さも相まって、長い時間、音が続いた。
「では、蓋を閉めますよ。一、二、三」
 鍋が閉じられる音がした。
 そして鍋の底をくすぐる炭火の明かりだけだった個室に照明の灯が戻る。
「では、しばらく煮込んで火を通しまーす」
 鍋がぐつぐつと煮られた。
 勿論、闇鍋の中に何が投入されたかは基本的に本人以外は解らないはずだ。
 そして、そろそろいいかな?と蓋が開けられた。
 食材はほとんど汁に沈み、何が入ったかは解らない。
 だがそれを類推出来る匂いが個室の中に満ちていた。
「辛酸っぱい!」思わず未来は叫んでいた。
「臭い! こりゃまるで……下ネタになってしまうんけど皆さん、よござんすか?」
 レッサーキマイラの感想に皆は首を横に振った。
「このスパイシー・オドァー、辛い匂い……確かに嗅ぎおぼえがあるんだケレド」
 ジュディが高い位置から眼線を配ってきたので、ビリーはそっぽを向いて口笛を吹いた。
「うーむ、実験室で嗅いでいる匂いだのう」
 Drアブラクサスがキンキン声でそう感想を漏らしたのに、皆は「どれだけ劣悪な環境で実験してるの!?」という眼線を集中させた。。
「では早速、じゃんけんで順番を決めましょう」とアンナ。
「じゃんけん?」頭に?マークを浮かべるレッサーキマイラ。
「お前にはじゃんけんは教えてなかったな。皆で一斉に出した手の役で勝ち負け順番組分けをを決めるゲームだ」とDrアブラクサスが人造生物にグーチョキパーを教える。
「獣の前足だからグーしか出せんというオチちゃうか」ビリーは鋭いツッコミを入れた。
「いやいや……これがグー」レッサーキマイラが普通に前足を皆の前に出した。
「チョキ」前足から二本だけニョキッと鋭い爪が伸びる。
「パー」親指以外の四本からニョキッと爪が伸びた。
「爪を収納自在にしておいたデザインの勝利だな」Drアブラクサスが自画自賛した。
「じゃあ、最初はグー! じゃん、けん、ぽん!」
 未来の掛け声で皆は一斉にパーを出した。
 一人だけ遅れてリュリュミアはぽやぽやーとグーを出す。リュリュミアの一人負けだった。「負けちゃったぁ」
「何でシー・ルーズズ・アフター・シィズ・レイト、後出しで負けるんデショウネ」ジュディは呟く。
 ともかく最初に食べるのはリュリュミアに決定した。
 じゃんけんの勝敗によって決まった順番は以下の通り。
 リュリュミア。
 レッサーキマイラ。
 ジュディ。
 アンナ。
 Drアブラクサス。
 マニフィカ。
 ビリー。
 未来。
 意外な事に最高に運がいいと思われた福の神見習いのビリーは、最後に未来に負けてしまった。
「では、お食事開始という事でよろしいですね。ちなみに予定では箸やフォークを使うつもりでしたが、それではすくいにくい物があるのでおたまを用意させてもらいました」
 黒髪のウエイトレスが確認をとり、皆で闇のお食事会が始まった。

★★★
 一番手のリュリュミアが熱い瘴気漂う汁の中におたまを突っ込むと、出てきたのは小粒のビー玉ほどの黒い球体だった。
「早速、出たか」
 Drアブラクサスの呟きを聴くに、どうやらそれは彼女が用意した丸薬の一つらしい。
 という事は薬物だ。劇物や毒物ではないというが生体実験データがないとされる物。どんな効果があるかも解らない。
「これを食べなきゃいけないんですよねぇ」
「うむ。水には溶けず、胃ですぐ溶ける様にしてある。噛み砕いても構わんが」
 キンキンしたDrの声は別に彼女を危惧しているわけではない様だ。
 リュリュミアも自分を心配しているわけでなく、ただ見慣れない物を不思議がっている風である。
「えいぃ」
 結構あっさり彼女は丸薬を呑み込んだ。
 この個室で彼女を見ている者、特にDrはただならぬ興味を持ってそれを食べたらどうなるかを観察する。
 興味の注視の中で十数秒が経過する。
 しかしリュリュミアの心身には何の変化も起こらない。
「失敗作かな。それとも効果が外から解らない物なのか」
「薬自体には味がなかったけどぉ、スープがすっぱからいわぁ」
 メモを取るDrの前で、リュリュミアは皆に向かって感想を述べた。

★★★
 次はレッサーキマイラの番だ。
「湯気が眼にしみやすなぁ」
 そんな事を言いながら、前足にひもでくくりつける様にしたおたまで汁の中の物をすくい取る。
 すると出てきたのは白菜を四角く切って、ベーコンと交互に串で刺した料理だった。
「アシガラの村で分けてもらったのぉ。白菜の甘みとベーコンの塩味がいい感じですよぉ」
 そう言ったのはリュリュミアだ。という事は彼女が入れた物か。
 レッサーキマイラが白菜とベーコンをそれぞれ串から外し、ベーコンはライオンの頭が、白菜は山羊の頭が食べ始めた。
「美味くねえわけじゃねえんでやすけど」
「スープの酸味と辛味がせっかくの薄味を台無しにしてるやさかい……」
 ベーコンの一枚は、尾の毒蛇が呑み込んだ。

★★★
 ジュディはおたまを突っ込んでかき回すと、手応えを感じたのでそれを引き揚げた。
「オーマイガッ! やってしまいマシタ!」
 彼女の脳裏には前回の闇鍋の悪夢が蘇っていた。
 その取り皿の中にあったのは、彼女が直直にこの鍋に放り込んだラムチョップだった。
 ラムチョップ。生後十二ヶ月未満の仔羊の骨付きロース肉を骨ごとにカットされた肉。
 自分が入れた物を自分で取るという、アタリの様な、ハズレの様な、闇鍋的には非常に美味しくない事を今回もやってしまったのだ。
 事前に炭火で下ごしらえした最高級品だ。それを他人に味わってもらえなかったのは残念だ。
 少し意気消沈したものの肉自体は非常にコクのある野趣ある味わいだった。後味になるすっぱ辛みさえなければ。
「ネクスト・チャンス、次こそハ……」
 お肉大好きアメリカ人。骨から肉を歯で引き剥がし、ジュディは次で名誉挽回を狙うのだった。

★★★
「これは……焼きおにぎりですね」
 アンナがおたまですくい取ったのは、ご飯を握ったおにぎりをスープの中でほぐれないようにした焼きおにぎりだった。プレーンだ。
「でも、しっかりとスープが染み込んでますね……」
 アンナはすっぱ辛いスープが滴っているの見て、思わず眉をひそめた。
 彼女は辛いのが苦手なのだ。
 誰が辛い物にしたのかは大体、想像がついていた。
 赤い瞳を眼くばせすると、ビリーが眼を反らして口笛を吹いた。
 仕方ない。とにかく一口食べればいいと、黙ってその角を口に含んだ。
「辛いですわ。すっぱ辛い。ご飯の一粒一粒にすっぱ辛いスープが染み込んで、何とも言えない不気味なハーモニーを奏でていますわ」
 喉に入れると、不機嫌ながら飲み下す。
 残った部分はテーブルに並んでいる大皿の上に置いた。
「……水をいただけますかしら」
 ウエイトレスが金属のポットからカップに注いだ水をアンナは飲み干す。
 なんかいつもとちがうなー、とアンナを知る者は口元を拭く彼女を見ながら思うのだった。

★★★
 次はDrアブラクサスの番だった。
 彼女は白衣の片裾をまくり、おたまを握った手を異臭がするスープに沈める。
 湯気でグルグル眼鏡が曇った。
 そして掻き出した物とは。
「ありゃ」
 キンキン声が軽い驚きの声を挙げたのは、自分も丸薬の一つを取ってしまったからだ。
「確か、自分の入れた物を自分に当てるとは縁起が悪いという話を聞いた事があるが」それは多分、前回のビリーの事だ。「まあ、いいか」
 臆する事はなく、効果不明の丸薬を口に入れる。
 そして即座に飲み下した。
 二秒後にDrアブラクサスの肌は突然、眩い輝きを帯び始めた。
 肌が直視も難しいほどの白い光を放ち始めたのだ。
「これは身体の皮膚表面をを発光させる薬か。眼球は発光しなくてよかった。そこまで光っていたら私は眼が見えず、メモを取れなくなってただろう」
 皆の驚きを何処吹く風と流し、輝く錬金術デザイナーはメモを書きながら自分のターンを終えた。

★★★
 次の番は人魚姫マニフィカだ。
 実はDrアブラクサスが苦手なマニフィカは、いざという時のフォローをお願いする為に仲間全員に頭を下げていた。姫らしからぬ態度であるが、前回の闇鍋の件もある。
「いざ」
 トライデントを突く様な気迫を込めておたまを突っ込む。
 すると漁れたのは拳大の緑の塊だった。
「何でしょうか、これは」
「へい。うちの公園にあった野生のアボカドの最後の一つでい。食べやすいように皮は先に剥かせてもらいやした』
 答えたのはレッサーキマイラだった。
 マニフィカはしげしげと野生のアボカドを見つめた。
 それならば中に大きな種があるはずだ。どうとせよ、一口で食べられる大きさではない。
 覚悟を決めて端っこを口でかじってみた。
 流石は森のバター。意外と油っこいがその為、スープはそれほど染み込んでおらず、濃厚なねっとりした風味が口の中に広がった。美味である。
「これは美味しいですわ」
「喜んでいただけた様で何よりでげす」

★★★
 ビリーの番が来た。
 どうも手つきが慎重だ。
 いや、ここでネガティブになるからいけないのだ。
 自分が動けば世界は後からついてくる! 座敷童子はそう思いながらおたまを素早く鍋に突っ込んだ。
「ててててっててー!」
 四次元ポケット、じゃない、土鍋の中から取り出したのは鶏のつくねだった。
「当たりや!」
「朝挽きの鶏ミンチに軟骨を混ぜた鶏つくねですわね。コリコリとした食感がたまりませんわ」
 説明したのはアンナだった。つまり、入れたのは彼女か。
 ビリーは口の中に放り込んだ。辛酸っぱいのは仕方ないが、ジューシーな肉汁とコリコリとした歯応えが彼に何ともいえない美味のハーモニーを与えてくれた。
「今日のボクはイケてるで! 皆、振り落とされんようについてきてや!」
 ビリケン坊やはジャンプして宙に浮かび上がった。

★★★
 そして一巡目の最後、未来の番が来た。
「いいわね! 行くわよ!」
 ミニスカセーラー服美少女戦士は土鍋の中におたまを突っ込んだ。
 そして、取り出した物は白い皮に包まれた柔らかそうな塊だった。とろけてはいるが溶けてはいない。
「えっと、これは……」
「ハイ! シェーブルチーズ、ネ」
 入れたジュディは答えた。
 未来は凄い匂いに思わず顔を背けた。どうやら鍋の匂いを物凄いものにしている一つがこのチーズらしい。
「えーと、これを……食べなきゃいけないのよね」
「YES!」
 未来は細い指で自分の鼻をつまんだ。
 それでも匂いの空気は口の方から突いてくる。
 思い切って行った。
 匂いが口の中に広がる。
 独特の酸っぱさと塩辛さが混じった不思議な味だった。
「あれ? でも結構イケるじゃない」
 シェーブルとは山羊の事。山羊の乳は牛乳よりも人間の母乳に近いという。
 そのせいか、意外となじめた。
 しばらく口の中で舌と絡めた後、ごくりと呑み込む。
 喉を温かさが通ってきた後、胃の中へ落ちた。
 これなら二巡目、三巡目も大丈夫かな、と未来は思った。

★★★
 二巡目のリュリュミアだ。
「えいぃ」
 彼女がすくったおたまにも白い塊がのっていた。
 しかし、前の二つと違って、皆がよく見慣れた物だ。
 ゆで卵である。
 白いゆで卵がアッツアツの湯気を猛然と立ち昇らせて、おたまの上に鎮座している。
「あー! ゆで卵やないかぁ! リアクション的にはそっちのが美味しいなぁ! いいなあ、姐さん!」
 レッサーキマイラにいいなあ、と言われてもリュリュミアはこの食物の処理に困っていた。
 この白い肌の内側には罰ゲームに使われるほどの高温になった身があると聞いた事がある。
 リュリュミアは少しでもその温度を下げようと、ふーっふーっと息を吹きかけ始めた。
 しばらくの間、彼女の息かけタイムが続いた。
 そろそろかと思ったが、まだ息を吹きかける。
 ようやく終わりだろうと皆が思った時もまだ息を吹きかけていた。
「えーと。早くなされた方が」
 ウエイトレスが話しかけた時、リュリュミアはやっとそのゆで卵を口に入れた。
 もう熱くはないがまだまだ温かい。
「すっぱ辛い卵ですねぇ」
 彼女がそんな感想を述べた時、土鍋のスープはかなり蒸発して減っていた。

★★★
 レッサーキマイラがおたまを鍋の中に突っ込む。
 すると出てきたのは白いカワハギの肝だった。
 マニフィカの『海のフォアグラ』三点セットの物だ。
 冬のカワハギは肝が大きく、買えば値段も高級魚並みだ。
 しかもちゃんとカワハギが活きている時に血抜きもしてある。
 レッサーキマイラの獅子の頭がそれを一口で丸ごと食べて咀嚼する。
「辛酸っぱみがありやすが、むしろそれが味を引き立てて十分に美味(うめ)えですねえ。っていうか、自分が普通に美味え物を食べててええんでやすかねえ」
 芸人性分のレッサーキマイラならではの申し訳なさそうな感想だった。

★★★
 ジュディは湯を切る様に横なぎにおたまを振るった。
 一瞬で汁から救い取られた物。
 それは薄黄色のふわっとしていながら、わずかに固そうな固まりだった。
「ホワッツ・ディス? これは……」
「食べてからのお楽しみですわぁ」
 答えたのはリュリュミアだった。
 彼女が作ったのなら過激な物ではあるまい。それに今度こそ自分が入れた食材ではないのだ。
 艶のある唇を大きく開いて、ジュディはそれを一口で食べた。
 すると辛すっぱみに負けない、ほおうっと溶けていくと共に歯にさくさく当たる触感が口の中で広がった。
「ナイス・テイスト! しかし、これハ……」
 ジュディが知る物にこれに近い物がない。
「山芋ですわぁ」リュリュミアが説明する。「山で採ってきた山芋をすりおろして卵の黄身と混ぜたのよぉ」
「OH! ヤマイモ! ベリーナイス!」

★★★
「何でしょう……この真っ赤な物は……」
 アンナがすくい取ったおたまには小さな柑橘類がのっていた。
 真っ赤だ。
 柑橘系のさわやかさではなく酸っぱい匂いがそこから鼻に届く。
「赤柚子ですわね」答えたのはウエイトレスだった。「アシガラ産の物凄く酸っぱい柚子ですわ」
 どうやら、この鍋の酸っぱみに大きく貢献していているのがこの赤柚子らしい。
 アンナは辛い物でなければ普通に食べられると思っていた。
 だが、これは彼女の思いを打ち砕きそうだ。
 アンナは意を決してそれを口に運んだ。皮ごとゆでられたそれを一噛みする。
「ス!!」
 途端、眉が寄って、口が固く結ばれた。顔の筋肉が引きつりそうな反射運動。
 凄まじく酸っぱい!
 彼女は食べた事はなかったが酸っぱさは梅干しの比ではない。レモンを遥かに超える。
 アンナは解説しようにも赤柚子が口にある内は口が思う様に動いてくれない。
 むせながら、テーブルに置かれていたカップの水を飲み干した。
 舌の痺れを自覚する。
 皆はアンナを心配そうに見つめるが、ビリーの眼だけわずかに悪戯っぽく笑っていた。

★★★
 次はまだ身体が白く輝いているDrアブラクサスの番だ。
 さっき、赤柚子をアンナが食べた事でこれ以上、酸味が湯に染み出す事はなくなった様だ。
 それでも辛みと臭気が残っているみたいだが。
「さてさて、次は何だろな」
 キンキン声ですくったおたまには、薄桃色に染まった半円に似たこぶし大の物体があった。
「これは……聞いた事がある。まんじゅうだな」
「わいが用意した、おまん、でっしゃな」
 レッサーキマイラの山羊頭が関西弁で相槌を打つ。知らずの内に下ネタっぽい響きがあり、解った者は頬を赤く染める。
 Drがあんむと大きな鼻髭の下の口にそれを頬張った。
「皮はスープの味だが、中のあんこはほとんど無事で甘いな。甘すぎるくらいだ」
 彼女はすっかりそれを咀嚼するとごくりと喉に流し込んだ。
「うーむ、次は熱いお茶が一杯こわい」

★★★
 マニフィカの番が来た。
 彼女が今度すくった物。
 それは引き揚げられた瞬間から猛烈な臭気を周囲に放ち始めた。
「こ、これは何ですの!?」
 戸惑うマニフィカは貴女らしからぬ様子で完全に腰が引け、手をめいっぱい伸ばしておたまから顔を遠ざけた。
「ブルーチーズ、ですわ」アンナが舌の痺れをまだ自覚しながら説明する。「牛の乳を発酵させ、青カビをまぶし、外側を塩水で洗いながら固めて、熟成させた濃厚チーズですのよ」
 これは物凄く臭い。
 どうやら闇鍋の物凄い臭気の双璧を為す一つの様だ。
「カ、カビを食べるんですの?」
「独特の風味がクセになりますわ」
 どうもカビを食べるという事に生理的な嫌悪感を抱くマニフィカは、それでも恐る恐る高貴なる女性ならではの勇気を奮い起こした。
 おたまをゆっくりと顔に近づけ、そして見つめる。
 切り身になったそれは複雑な形状の内側に青カビをまんべんなく生やしている。
 マニフィカは臭気に耐えながら口に入れ、その途端、濃厚な匂いが口の中にあふれかえった。
 コクのあるしょっぱさと共に臭気は味として彼女の口を占有した。
「う、うん」第一波を耐えたとマニフィカはが、濃厚なコクが旨味として舌に感じられる様になってくる。「ま、まあまあですわね」
「出来れば、あっし達がそういうのに当たるといいんでやすがね」
 うらやましそうな表情を並べるレッサーキマイラがそうぼやいたと言う。

★★★
「行っくで〜! ナウ・イズ・マイ・チョイスや!」
 すっかり元気いっぱいのビリーは肩をブルンブルン回してウォーミングアップした後、土鍋の中から大きな肉の様な物をすくいとった。いや肉ではない。さっきのカワハギの肝に似ているが、もっと油っこさそうだ。
「これは……」怖いもの知らずモードのビリーはそれを一口で食べた。「こってり濃厚、口の中に溶けて広がる油の旨味が歯の隙を抜けて舌に絡まって……これはアンキモやな!」
「そう。日本酒で洗った冬のアンコウの肝ですわ」
 ブルーチーズの臭みから立ち直ったマニフィカはにっこり笑って、ビリーに食材の正解を告げた。
「これ、すっごく美味いやん」冬の海底ですっかり旨味を蓄えた深海魚の肝臓を食べながら、ビリーは頬を押さえた。「ちょっと辛いけど、美味しすぎてほっぺたが溶けてまう〜」
 すっかり幸せ長者気分の福の神見習いはその場でクルクルとトリプルアクセルを決めた。
(あれ? でも何かデジャヴがするんやけど……)

★★★
 二巡目最後の未来がすくった物。
 それはまた魚の肝の様だった。
「あれ。もしかして、これもマニフィカ?」
「正解でございます」マニフィカは厳かに未来に告げた。「それはトラフグの肝です」。
 それを食べようと口に近づけていたおたまに、未来は盛大に吹いた。
「毒ーっ! わたし知ってるーっ!! フグの肝って猛毒ーっ!!」
「大丈夫でございます。それはアクアリューム王国より頂いた無毒のトラフグの肝ですから」
「……えー、でもぉー……」
 トラフグの毒をどうやって取り除くのか知らない未来は、おたまとマニフィカを交互にまじまじと見つめた。
「毒物でしたら、レギュレーション違反となりますが」
 そう告げたのはウエイトレス。
「ヤバイよ、ヤバイよ」
 レッサーキマイラが何故か、自分が食べたそうに身を乗り出している。
「何、問題はない」Drアブラクサスが平然と告げた。「こんな事もあろうかと、私が解毒剤を持参している」
「ですから毒のない特別なトラフグの肝なのですってば」
 マニフィカは念を押す。
 未来は唾を飲んだ。
 最後に意思を決めたのは今まで共に冒険してきた友への信頼だった。
「未来、行きます!」
 ミニスカJKはおたまの中身を口の中にこぼした。
 そして舌の上にのせて、辛みのあるスープを喉に流す。
 個室が沈黙した。
 一秒。
 二秒。
 一分。
 未来には何も起きなかった。
 ただ「美味しー」という感想のみが未来の口から出た。
 こうして二巡目は無事に終わったのだった。

★★★
 運命の三巡目。これがラストだ。
 リュリュミアは残り少なくなった土鍋に最後のおたまを突っ込んだ。
 しかし。
「あらまあぁ」
 リュリュミアはまた柚子をすくった。
 しかし、この黄色い柚子が先程の赤柚子などとはまるで違う、一度、中身をくり抜いて、刻んだ実と皮をお味噌に混ぜて詰め直した『柚子の味噌煮』だという事がすぐ解った。
 何故ならば、これを入れたのはリュリュミア自身だったから。
「自分が入れた物はぁ自分が当たらない仕組みになっていればいいのにぃ」
「仕方ないのだ。それが闇鍋の公平性の一面なのだから」
 つまらなそうな彼女の感想に答えたのはDrアブラクサス。
 リュリュミアはおたまの中の柚子の味噌煮を食べた。闇鍋などに使うに勿体ないほどの下ごしらえをされた料理だ。是非とも誰かに食べてほしかった。彼女はそう思った。
 柚子の酸っぱさと味噌の味が絶妙な甘辛さの風味が混じり合った美味で、リュリュミアの最後の食事は終わった。

★★★
「さて、今度こそロシアンルーレットが暴発しますように……」
 おかしな願掛けをしながらレッサーキマイラが土鍋の中におたまを突っ込んだ。
 そして出てきた物。
 それはもうおなじみのDrアブラクサス製造の丸薬だった。
「こりゃ、ある意味、ビッグヒット・チャンスの予感……」
 何せ、Dr自身がまだ生体実験を行っていないという触れ込みの逸品である。
 もしかしたら毒物と同等の可能性がある物を、レッサーキマイラは空中に放り投げてから口でキャッチした。
 獅子の口はそれを即座に呑み込む。味わう気はない様だ。
 この人造獣に何かが起こったかというと……。
 何も起こらなかった。
 でも。
(あれ、このレッサーキマイラ……よく見ると造形がいい様な……)マニフィカの胸の鼓動は高まった。
(ヘアリィ、毛深いってのも結構アリかもしんないワ……)ジュディの頬は染まった。
(獅子、山羊、蛇って何か三銃士を思い出しますわね……)アンナは自分が昔感動した作品になぞらえたくなった。
(うらやましいほどに男前やん)ビリーはこのコメディアンを再評価する。
(あれ。わたし、こんなけだものがタイプだっけ……)未来は自分のスカートの裾を握った。
(なんかマスクメロンの様な匂いが漂ってる気がしますぅ……)リュリュミアの体内を流れるでんぷんの流速値が高まる。
「やや。皆さん、何か眼が潤んでいやせんか」
 肝心のレッサーキマイラが周囲の反応を今一つ、掴めていない。
 ただ羨望に似た視線が気持ちいい。
「フェロモン……っと」小声で呟きながらDrアブラクサスがメモに書き込む。「さて、次行こう、次」

★★★
 微熱のジュディはおたまでスープの中から黄色く細長い物を取りだした。
(黄色い奴か!?)
 見ていたビリーの額でニュータイプじみた閃光がキュピーンと光った。
「ホワット。これは何デスカ」
「それは大根のおしんこ……え〜と、ジャパニーズ・ラデッシュ・ミソ・ピクルス……でいいのかな」
 自信なさげに頬を染めた未来が英訳した。
「ミソ・ピクルス」ジュディは黄色いそれを齧った。ポリッと音がして、辛みの次に甘じょっぱい味が広がる。「グッド・テイスト、ネ」
 彼女はポリポリと音を立てながら、噛み砕いて呑み込んだ。」
 ところで、それを眺めているビリーの表情にわずかに焦りの色が浮かんできていた。

★★★
 アンナの手にしたおたまが最後にすくった物。
 それは白い白菜の葉だった。
「チノア・シュー、ですわね」
 フランス語に訳するアンナ。
 ここに来て鍋物の定番、何の小細工もない白菜がわずかにスープの色に染まって出てきた。
 既にリュリュミアの白菜が食材として出ていたが、これは天然に厚い葉一枚だ。
 アンナは鼓動を高めながら、それを上品に食する。
「シャキシャキとした食感がいい感じですわね。食べると落ち着く味ですわ」
 白菜の味は極めて素直にアンナの胃に収まった。
 この白菜はビリーが供した物だった。彼の純朴さを写した様な白い葉だったが、既にスープに染まっているのは何かの暗示か。
「ご馳走様でした」
 感謝を述べ、アンナの食事は終わった。

★★★
「何だ、これは」
 まだ光り輝いているDrアブラクサスが自分の手にした物に対して、本当に解らない、という顔をした。
 おたまの中の物。それは短冊状にひらひらした物を束ねて、更にそれと同じ物で縛って煮込んだという物だった。
「……これは……植物ではなく肉だというところまでは理解出来るが……」
「トリッパですわ。牛の胃の一部を細く切って下茹でして束ねましたの。ハチノスともいいますわ」
「つまりホルモンですかい」
 口を出したレッサーキマイラ・山羊の言葉にアンナの心はドキッとした。彼はこんなに素敵な声をしていただろうか。
「ふむ。表面の網目状の模様が『蜂の巣』の語源か」Drがそれを口髭の下に放り込み、噛みしめた。「クニュクニュして珍味だな。好物が増えた」
「お気に召してもらえて光栄ですわ」
 アンナは礼をし、Drアブラクサスの食事が終わった。

★★★
 マニフィカはちょっと慎重になりながら、おたまをスープに沈めた。
 残る食材はわずか。
 前回の様なハプニングは起こしたくない。
 これを機にトラウマを克服し、再生するのだ。
 そんなマニフィカがすくいあげた物。
 それは団子三兄弟だった。
「ダンゴッ!?」
 いや、よく見ればそれは肉団子だった。ミートボールだ。
「マニフィカ、ジュディのゴーツ・ミートボールをゲットしマシタネ」
 頬を染めてジュディはマニフィカに自分が投入した食材を説明した。
 元元、山羊の肉は癖が強い。
 そこで心臓や肝臓をミンチにして香辛料と混ぜ、スパイシーなミートボールを作ったのだ。
 そしてパスタの串でミートボールを串刺しにする。
 パスタはゆでれば柔らかくなるが、ミートボールをつないだままで外れない。
 こうして連結したままで食べやすい、コンバインド・ミートボールズが出来上がったのだ。
「香辛料の風味と味と肉の旨味が混ざって美味でございますわ」
 それを口に入れたマニフィカは、辛味に負けない香辛料で美味しくなった肉団子を完食した。
 彼女は前回の様にならなかった事に安堵して、最後の食事を終えた。
 でも、この胸のドキドキは何だろう。

★★★
 ビリーの脳内では『ゴゴゴゴゴゴゴゴ……』という『ジョ〇ョの奇妙な冒険』の擬音が再現されていた。私的には『サスペンスの音』と呼んでいる、あの背景擬音だ。
(……ちょっと待ってや。前回と同じ展開やないか)
 ビリーの嫌な色の汗が珠として褐色の肌に浮かんでいる。
 さっきまでの浮かれ気分とは反対に精神は緊迫し、自らの血流の音が耳に響く。
 土鍋におたまを突っ込む寸前で手は止まり、筋肉に震えが来ている。
(いや、まだや! 食材は最後ではない! まだ二つ入っているんや! ここで選択を誤らなければボクは助かる! 前回の雪辱を果たすんや!)
 スープの中におたまを突っ込んだ。
 湯の中をかき回す。
 湯の流れで二つの物が浮き上がってくる。
 一つは白く丸く、一つ黄色く細長い。
「これや!」
 ビリーのおたまが白く丸い物の下に入れられる。
「と、見せかけてこっちや! ボクは騙されへんっ!」
 おたまは黄色く細長い方をすくい取った。
 ビリーの脳内擬音が『ドドドドドドドド……』という『迫力の音』に切り替わっている。
 福の神見習いが選択した物。
 それは黄ワサビだった。
「しもたーっ! 読みすぎたーっ!」ビリーは床に膝を着き、思いっきり叫んだOrz。「またこれかい!? 絶対、作為的な陰謀的な何かが働いてるやろ!?」
「リアクション的にはうちらもそっちの方がよかったのに……美味しいなぁ、師匠」
「美味しい事あるかい! オーラスの二回連続って、そりゃあもう大騒ぎや!」
 慰めになってないレッサーキマイラの言葉に、ビリーは投げ槍に言葉を返す。
 何はともあれ周囲の眼と自分の良心をごまかすわけにはいかない。
 ビリーは十二分に煮られて尚、ツーンと鼻を刺す匂いを発するそれと真剣に向き合った。
 黄ワサビの辛さはデスソースに匹敵するという。
「ボクは出来る! やってやる!と思った時には既に行動は終わってるんや! いざ、運命の扉を開き、全てが成就する約束の地へと!」
 黄ワサビを口の中に放り込み、口を閉じた。鼻腔へとワサビ独特の凄まじい辛さが吹き抜ける。
「!! 3.141592655358978323846264338327950288……!!」
 ビリーは意味不明の言葉を叫びながら部屋中を転げ回った。
 その姿が『神足通』のランダムワープで消える。
「うーむ。何処からか『カエルの合唱』が聴こえてくるのう」
 Drアブラクサスが呟いた後、しばらくしてからグロッキーな表情のビリーが口の中を空っぽにして帰ってきた。
 こうしてビリーの挑戦は雪辱ならずして、終わったのだった。

★★★
「と、すると、残ったのは……」
 三巡目、本当に最後の未来は、おたまを入れる前から残った食材の見当がついた。
 いまだ、誰も引き当ててない物。
 それは未来自身が採ってきた桃に他ならない。
 スープの中でスイートヒップの様に浮かんでいる剥き身の桃を未来はおたまですくう。
 これを食べれば、闇鍋大会は円満終了となるのだ。……円満か?
 何故だろう、ドキドキしながら未来はこの桃に齧りついた。
 辛いスープの帳(とばり)はすぐに晴れて、甘すぎるほどの果汁が水の様に口の中に流れ込んでくる。それは舌にまとわりつき、歯に絡み、口腔をまんべんなくくすぐって、喉へと流れ込んだ。
 途端、心臓が一回、激しく鼓動した。
 身体が暑い。
 未来の全身が火照っていた。
 彼女の眼つきがとろんとした、それでいて悪戯好きの猫の様な眼つきになった。
 唇を舐める。
 と、一瞬、未来の姿は皆の注目する中から消えた。
 テレポート。
 瞬間移動して現れたのは、テーブルの下座にいる給仕服姿の黒髪のウエイトレスのすぐ横だ。
 パチッと未来は天井に向けた指を鳴らした。
 すると天井にあった照明の蝋燭が全て消え、個室内は暗闇となった。
 光っているのは土鍋の下のコンロの炭火とようやく光量が落ちてきたDrアブラクサスのみだ。
 皆は、未来とウエイトレスが何をやっているのかよく見えなかった。
 布地がまくれあがる音がした。
「あら、あなた……」未来の声。「履いてないのね」
「あのー、そういうサービスは地下酒場でしかやってませんので……。代金さえいただければ、私がそこでお相手しても構いませんが……」ウエイトレスの声。
「あー、もう! 二人で何してるんや!」
 ビリーはテーブルに置いてあった、コンロの火を着ける為の赤燐マッチの箱を手に取った。
 そして神足通で天井に飛んで、天井の照明に火を着ける。
 明るくなった個室では、立ち上がったウエイトレスのスカートの中に手を這わせた未来の姿がはっきりと浮かび上がった。どうやら口の中の桃を口移しで食べさせようとしている様だ。
「もしかしたら、あの桃は『ジョン・ピーチ』か?」
「ジョン・ピーチ?」
 Drの推測に、ジュディは訊き返した。
「催淫効果のある桃だよ。確かに今頃、果実が生るはずだが、恋人同士で『相手にこっそり飲ませる』『お料理やお菓子等に色仕掛け』といった桃色系悪戯が世間に流行りそうになったのでとっくに規制されたはずだ……野生種か?」
 そうこうしている内に未来の眼は、ウエイトレスから別の方向へとロックオンした。
「え、わい?」
 レッサーキマイラは熱く見つめる潤んだミニスカJKの眼に気づき、自分を指さしてうろたえた。
「三つの頭があるキマイラはあっちは何本なのかしらーっ!?」
 そう言いながら未来はテーブルを跳び越え、フェロモンあふれる彼の下半身へとダイブしようとする。
 今や、この個室内は予想出来ぬ展開にパニックとなっていた。
「もうぅ、いい加減にして下さーいぃ!」
 その時、更に予想外の事が起こった。
 あまりのパニックに珍しく憤ったリュリュミアの帽子、実は身体の一部であるタンポポ色の帽子から爆発する様に黄白色の大量の粉が『ばふうぅっ!!』と噴き出したのだ。それはあっという間に個室内にまんべんなく広がって、霧の様に皆の姿を包み込んだ。
 皆はその粉を呼吸で吸い込んだ。
 そして、次次に床やテーブルに倒れこんだ。
 黄白色の霧が晴れた時、皆は寝息を立てて、床やテーブルに身を預けて眠り込んでいた。その中にはリュリュミア本人も含まれていた。
「こりゃ、どないしたんや」
「どないなってんでしょうね、師匠」
 今、この個室内で起きているのはビリー、Drアブラクサス、そしてレッサーキマイラの山羊頭だけだった。
 未来もジュディもマニフィカもアンナもリュリュミアもウエイトレスも、そしてレッサーキマイラの獅子頭も尾の毒蛇も皆、ぐっすりと眠りこんでいた。
「ははーん。彼女が最初に食べた丸薬は『睡眠薬』だったんだよ」Drがメモを取りながら大声で呟いた。「しかし薬の成分か彼女の体質かは知らないが、彼女自身を即座に眠るのではなく、彼女の身体に大きな変化を及ぼしたのだ。リュリュミアという彼女は確か植物人間だったな?」
「ええ、そうや」ビリーは答えた。
「彼女が睡眠効果のある花粉を出す様に体質改良してしまったのだ。効果は一度に十人を眠らせるほどの量を出すというところか。本人も含めてな」
「そうか。ボクは絶対に眠らない存在なので寝なかったんや」
「私はこういう事もあろうかと、この口髭に解毒剤をたっぷり染み込ませておるからな」
「わいは人数的にギリセーフやったんやな」
 ビリーとDrと山羊頭が納得したところで、テーブルの上のコンロの火が燃え尽きた。
「空気と花粉の混合濃度によっては粉塵爆発が起きていたかもしれんな。まあ、よほど、運が悪くなければ、ホイホイ爆発は起きんだろうが」言いながらDrがメモをしまう。いつのまにか彼女の身体はもう光らなくなっていた。「終わってみれば結構、有意義だったな。それでは私は皆が眼を醒まさない内に退散しよう」
 そう言って、Drアブラクサスがドアを開けて部屋から出ていく。
 去り際に一度振り返って。
「フェロモンやジョン・ピーチは、皆が眼を醒ました頃には効果が切れていると思うから。じゃあね」

★★★
 こうして第二回の闇鍋パーティは思いがけない結末を迎えた。
 皆が眼を醒まし、未来は自分がした事を憶えていて、非常に気まずそうな顔をしていたという。
「さて、これからは後かたづけの時間ですね」
 アンナは皿やおたまがひっくりかえってちらかって、結構、掃除のやりがいがありそうな現場に内心、喜んでいた。
「ところで未来さんがあんたに言ってた『履いてない』ってどーゆー意味やん」
「靴下ですわ。素足派なので」ビリーの質問にウエイトレスがすまして答えた。
「じゃア『地下酒場で私がお相手しても構いませんわ』と言ってタノハ」
「靴下脱がし女子レスリングショーです」ウエイトレスがジュディの質問にも平然と答えた。
 ただし、その言葉が真実であるかは二人には解らない。
 再度の闇鍋パーティはこんな風にまた大騒ぎになって終わったのだった。
 ふとマニフィカは片づけを手伝いながら思い出す。
 『ふぐ汁のわれ生きている寝覚めかな』
 食らった物はフグだけではなくDrの丸薬であり、桃の果実だったり、花粉だったりしたのだけれども。
 生きているだけよかったという案件だったのだろうか。
 闇鍋の第三回目があるかどうかは誰も知らない。
★★★