『四月のバカのラプソディ』
第三回

ゲームマスター:田中ざくれろ

★★★
 教会の鐘が乱打されている。
 逃げ惑う人人。
 風はぬるみ、平日の気温は今はない
 陽炎の様に揺らめくオレンジ色の大気の中、巨大な夕陽が沈もうとしている。
 その地平線に呑み込まれる様な『モータ』の紫の雲。人も家屋もその中で黒い影絵になっている。
 落陽に赤く染まり、対峙する巨大な二頭のドラゴン。
 夕日に映えてオレンジ色にきらめく巨獣が長い息で吠えた。
 それに応えて、赤い影として真黒なドラゴンも吠える。
 二頭の距離は至近だった。
 今はオレンジ色を反射する白金竜『バハムート』となったジュディ・バーガー(PC0032)は、長い首を反らして、相手に挑みかかった。猛然とした、それでいて周囲の家屋に被害が及ばない様に気を配った一撃である。
 黒い竜はそれを首を絡ます様にいなして、あぎとを開いて、カウンターの一撃を見舞おうとした。
 それをジュディ=バハムートはかわす。
 モータの町を特撮のミニチュアセットにした様な巨大戦は、それを遠巻きにした大勢の町民や観光客共共、黒い影に塗り潰されている。
 近づくのは危険だった。
 特にサイモン=黒いドラゴンは周囲への被害などお構いなしに闘う気満満だ。
 ジュディは長い首と尾を含めて全長百メートルほど、サイモンは全長七十メートルほど。
 ボクシングで言えば、ヘビー級とバンタム級ほどウェイト差があるこの戦いが互角になっているのは、ジュディが周囲に被害を及ぼさない様に気を配って戦っているのに対して、サイモンは周囲への被害などお構いなしに振る舞っているからだ。
 黒いドラゴンは身体をくねらせ、太い鞭の如き長い尾を敵にふるった。しなった尾の一撃が白金竜を打つ。その軌跡にあった家屋が破片として宙に舞う。
 あまりの巨大感にドラゴンの動きがスローモーションに見える。その分、一撃一撃に威力が溜められている風だ。
 地震と共にジュディの巨体が横倒しになった。
 素早く起き上がる。巻き添えとなった家屋の破片と共に。
 ジュディは吠えた。
 サイモンも吠えた。
 人間の言葉ではない咆哮だった。
 観衆がざわめいた。巨獣の叫びは鼓膜をつんざく様だ。
 二頭ともドラゴンブレスが吐けないのは幸いだった。
 吐ければ、周囲の被害を気にして吐けないジュディに比べて、サイモンは嬉嬉としてジュディごとモータを火の海にしていただろう。
 黄昏の中で二頭の巨大竜の攻防が続く。

★★★
 草がまばらに生えた平原で落ちかけた夕陽を目指し、黒い影を地に落としたマニフィカ・ストラサローネ(PC0034)は『魔竜翼』を水平に広げて飛んでいた。
 その両腕の中にリュリュミア(PC0015)は抱えられている。
 地を見れば、時折、オレンジに染まったタンポポのまばらな群生が見える。
 二人は黄昏の情景に紛れて西へ飛んでいた。
 摩訶不思議なシャボン玉が流れてきた方角、西へと。
 リュリュミアはマニフィカにお姫様抱っこされる前に『腐食循環』で奇妙なタンポポを片っ端から枯らそうとしていた。しかし、それは多すぎる相手には埒が明かない事だった。
 それで代わりに自分のポシェットから沢山のタンポポの種を出して、自分の能力で急速生長させようとした。
 辺り一面にカーペットの様に広がった、白っぽいタンポポの急速成長した綿毛が、夕焼けの中で風に飛ぶ。
「セイヨウタンポポって九割が雑種なんですよぉ。こうして他のタンポポの種をばらまけば、その嘘つきの性質も薄まるじゃないかと思ってぇ」
 リュリュミアは初めて会う、自分以外の人間であるマニフィカにそう説明した。
 シャボン玉が生み出す不可思議なセイヨウタンポポと、彼女が咲かせた別種のタンポポが上手く交雑してくれれば、この混沌が拡大する様子にストップがかけれられるのでは? そう思っての事だった。
 だが、それを眺めながらマニフィカは思った。
 上手くいくのかは解らないが、確実に時間がかかるだろう。
 マニフィカは一刻も早く、記憶喪失のリュリュミアを連れてモータの町へ戻る事を選んだ。
 ここへやってこれた地面の穴はいつの間にか消えていた。もしあったとしても状況的に一方通行だったというのは十分考えられた。
 褐色の人魚姫は魔竜翼を拡げた。
 と、ふと気になって、身につけている『故事ことわざ辞典』を開いてみる。
 オレンジ色に染まったページに『兵は神速を尊ぶ』という言葉が黒インクで印刷されている。
 とにかく急を要するという事だ。
 念の為に、もう一度ページをめくると、そこには『いざ鎌倉』と記されていた。
 カマクラというのが一瞬、解らなかったがすぐ思い出した。
 雪国で冬に作る、人が入れる雪造りの塚の事だ。
 つまり雪が降ったらすぐにカマクラ作りにとりかかれ、時が来たらすぐに事にかかれ、という事だ。
 まさに是非も無し。
 マニフィカは空を飛んだ。リュリュミアを抱きかかえて。
 リュリュミアは『まにぃか』という謎の女性の首に腕を回す。安心して身を預けた。
 彼女は今までずっと一人だった。
 陽の動かない世界にいたので、こんな夕方の暗がりも生きていて初めての体験だ。
 何もかもが初めて。
 しかし、まにぃかの方は彼女の事を知っている様だ。
 リュリュミアの記憶にはない。が、そもそも自分の記憶に長い時間のずれがある事は、まにぃかに会い、彼女と語り合っている内に解ってきていた。
 正直、実感はない。
 だが、それは正しい事なのだろう。
 夕陽に向かって飛ぶ。
 まにぃかによれば、正面の地平線に沈む巨大な光はやはり太陽だという事だ。
 ここは彼女の世界ではないのだ。
 リュリュミアとマニフィカは夕暮れの風を切って飛ぶ。
 植物系淑女のリュリュミアは何であれ、光へ向かっていく事に安心した。
 だが、どうやらモータに着く前に夕陽は完全に沈みそうだ。

★★★
 モータの町。
 暴れるドラゴン達の足元では別の戦いが繰り広げられていた。
 土煙が壁の様に激しく立ち込める表通りで、二匹の黄金の羊が対峙していた。
 爆裂した町長の家跡の光景。
 二匹とも人が二本足で立つ姿をし、曲がった角があり、ちぢれた黄金の体毛をまとっている。
 鏡写しの様だが、しかし一匹は半透明で背後の風景が透けて見える。呪わしい顔つきをしていた。
 もう一匹は同じ様な姿勢でありながら、表情はやや柔和だ。こちらは実体だ。
 柔和な羊=ビリー・クェンデス(PC0096)の傍らには、姫柳未来(PC0023)とアンナ・ラクシミリア(PC0046)が防御のフォーメーションを組んでいる。
 アンナは屹立したモップを構えている。
 未来の表情に陰りがあれど、眼はまっすぐと輝いている。
 悪霊の羊には『エネルギードレイン』という相手の生命力を吸収する能力がある。未来はそれを食らっていた。今、彼女は立っているのにも全力を振るわなければならないほど疲弊していた。
 悪霊の羊には実体武器は効かない。
 どう戦うべきか。
「どエライこっちゃ! ほんまドキドキするほど大ピンチやん!」
 ビリーがまるで世界の終わりが来た如き叫びを挙げる。
「呪ってやる、世界の全てを呪ってやるメエ」
 黄金の羊が呪詛を呟く。
 今にも夕陽が沈みそうな中で必死に考える。
「一旦、離れます!」
 アンナの叫びと同時に、三人と一匹の視界一杯が乱れ舞う大量の桜吹雪でふさがれた。
 『乱れ雪月花』。
 壁の様桃色のな桜の花びらが冒険者達の姿を覆いつくす。
 沈む直前の夕陽の光が花びらで乱反射した。
 実体攻撃が効かない以上、この技でのダメージははなから期待していない。
 この隙にアンナ、ビリー、未来は町のそれぞれに姿を隠す。弱った未来に連れられ、ビリーの『神足通』で瞬間移動した。
「ど、何処だメエ!?」
 慌てた悪霊のビブラートのかかった声が、桜吹雪の吹き止んだ大通りで皆を探した。
 陽が完全に沈んだ。
 大通りは闇となった。
 悪霊のみがおどろおどろしい朧火を放つ。

★★★
 長い息を咆哮として吐きながら、ブラックドラゴンがまたもや尾の一撃を放った。
 渾身の一撃だ。
 重い一撃をこれまで何度も食らい、そしてかわしてきたジュディには解っていた。食らう度に体力が削がれる。今度食らえば、幾つもの住居を巻き添えに瓦礫の中に倒されるだろう。
 命中。重い物理的打撃。
 だが、今度の一撃はバハムートの表面を覆う、緑色の光の壁で完全に防がれた。
 黒い竜が驚愕の表情を見せた。
 『ハイランダーズ・バリア』。
 夜景に浮かび上がる緑光の壁。
 ジュディの持つスキルだ。
 彼女は防戦に追い込まれながらも状況を冷静に観察していた。
 黒魔術デザイナーのサイモンが変身したブラックドラゴンも、自分が変身したプラチナドラゴンもブレスを吐けなかった。
 ドラゴンが持つ固有スキルを使えない状態。
 多分、双方ともドラゴンに変身したとしても変身前と本質的には一緒という事なのだろう。
 つまり、変身してアイテムは紛失したが、元からのスキルは使用可能ではないだろうか。
 そう思い、ハイランダーズ・バリアを使ってみた。
 するとブラックドラゴンからの物理的打撃は大きく軽減された。
 黒い竜が吠えた。
 肉迫。黒い巨体が夜景の明かりを写す白金色に突撃した。
 長い首を打ち振り、黒水晶の牙をそのプラチナの鱗に立てようとする。
 だが、またハイランダーズ・バリア。
 緑色が輝き、白金色の前脚が黒い身体を突き放す。
 サイモンの巨体は先程の位置よりも後退した。
 今やジュディが攻勢だ。
 しかし、ハイランダーズ・バリアが使えるのは残り一回。
 夜の闇が訪れている。
 土埃の中、巨竜同士の戦いは再び、拮抗状態になった。

★★★
 ジュディとビリーと未来は闇の中で皆、通りのあちこちに隠れていた。
 暗闇の中の燐光。
「……ここか、メエ?」
 道端に放り出されていた荷車がひっくり返された。
 大きな音がしたが、誰もいない。
 羊の悪霊が一つ一つ、眼についた物の陰を覗き込む。
 音もなく、追いつめるその姿が宙に浮かんで移動する。そのすぐ横には『魔法の拡声器』も宙に浮かんでいた。
 不気味な空気が闇に染まってよどんでいた。
 誰にも聞こえない、蚊の鳴く様な声で、ビリーは大きな木のゴミ箱に隠れて、蓋の隙間から悪霊を観察しながら呟く。「ともかく、もう少しなんや……」
 未来はビリーの横でじっと息をひそめる。とにかく体力回復優先だ。
 禍禍しい悪霊が音もなく、井戸に近づき、暗い眼で望きこんだ。
「ここだな、メエ!」
 井戸の中を覗き込むと、遥か下にある水面が鬼火の光を反射し、内壁に手をかけて隠れていたアンナの姿を浮かび上がらせた。
 見つかった! アンナは緊張した。
「お前の生命力をいただくメエ」
 井戸の中へと向けた羊の前脚が金色に輝く。
 その時だ。
「あなた達にも優しくしてくれた人達がいるでしょう!?」
 突然、アンナは叫んだ。
 黄金の悪霊羊にではない。
 その悪霊体を構成している無数の山羊の霊にだ。
 黄金の羊が強いのは集合体だから。そうアンナは考えた。
 逆に言えば、混乱を生じさせれば、隙を作る事も勝機も見えてくるはず。
 説得が特に得意ではないアンナはたどたどしいながらも羊達の霊に語りかけた。
「あなた達が、突然の死を受け入れられないのは、同情しますわ! でも、それは、町の人の誰も、望んでいなかった事ですわ!」井戸に響く大声を挙げる。「あなた達にも、仲の良かった子や、大切に扱ってくれた人が、いたのではなくて? 町の人全員、とは言わないから、一人くらいは、助けてくれないかしら!?」
 ざわ、と黄金の羊の巻き毛が総毛立って見えた。
 騒いだのは悪霊山羊の輪郭だった。
 山羊の鳴き声がバイブレーションの様に多重の音声となり、夜景に響き渡った。
 見る者は鳴き声の意味は解らないが、動揺を感じる。
 恐らく羊飼いピーターが扱っていた山羊は町の人の預かり物のはずだ。
 飼い主を懐かしむ心が微塵にでも残っていれば、それが今、騒いでいるのである。
 今がチャンスだ。
 動きが止まった黄金の羊の方へと、アンナがローラーブレードを履いた足先を上手く壁にかけ、ジャンプした。
 井戸の口を乗り越え、黄金の羊の脇へ。
 数多の山羊の声が響き渡るそれのすぐ傍ら、宙に浮かんだ魔法の拡声器を掴み取る。
「実は私の正体は、オオカミ女なのですわ!」
 アンナは拡声器に向かって叫んだ。
 混沌のシャボン玉の群が燐光で輝きながら町の空高くへと上がっていく。
 夕陽が沈んだのと逆の方角、東には満月が昇っていた。
 アンナは嘘をついた。
 それは整然と秩序とを護り、混沌を憎む彼女は好まないはずのものだった。
 満月。
 メイド服を着たアンナの肌に、ひと刷毛の塗料が塗られた様に濃灰色の体毛が生えていく。
 灰色の耳が頭上に立った。
 顎が迫り出し、牙の並んだ口が耳まで裂ける。
 眼は爛爛とした血の色をしている。
 ふさふさとした尾を振りながら鋭い爪の生えた手指を鉤の如く曲げる。
 吠えた。
 満月の下でアンナは人狼となった。
「メエエエエエエエェェェェェッ!!」
 ビブラートの悲鳴。黄金の羊の輪郭が大きくぶれた。
 オオカミになったアンナの前で、黄金羊はただのトラウマの塊にすぎなかった。
 まるで爆発した様に黄金の姿態が分裂し、数十匹もの半透明の山羊が本体から離れた。狼の出現に恐怖を感じたのだ。山羊の霊群を動揺させた上でのこのアンナの変身は、悪霊にとっては制御不能の事態を引き起こした。
 黄金羊は二回りほど小さくなった。
 この場の暗闇を盲滅法に半透明の山羊の群が飛び回り続けた。実体のないそれは地面や家屋にぶつかり、衝突の勢いのままですり抜ける。
 もうコントロールが利かない無秩序な暴走だ。
「皆、元に戻るんだメエ! そんなオオカミモドキが何だというのメエ!」黄金羊は必死に叫ぶが従うものはいない。今は悪霊はもはや核であるこの羊しかいない。「オオカミなんか怖くないメエ! これでも食らうメエ!」
 叫んだ黄金の羊がまっすぐ伸ばした右前脚から黄金の光がほとばしり、暗闇を切る。
 エネルギードレイン。
 その光が人狼アンナの胸を突く。まるで水が流れ出る様に生命力が吸収された。
 悪霊は核だけになったとはいえ、その威力は侮れなかった。
 急激な脱力感。地面に片膝をつく人狼。
 その手にあった拡声器が地面に転がり、まるで磁石で吸いつく様に黄金羊の傍まで移動し浮かび上がった。
「たとえ、山羊の群がいなくてもお前如きには負けないメエ」
 しかし。
「今や!」
 これで悪霊のエネルギードレインの『コピーイング』を完了したビリーがゴミ箱から飛び出した。
 黄金の羊が振り向く。
 ビリーは素早くコピーしたエネルギードレインの光を手先から宙へ放った。
 悪霊が身構える。恐らく本能的反応だろう。
 だが、ビリー=善なる黄金の羊がその光線で撃ったものは悪霊の黄金の羊ではなかった。
 光線の角度は上を向いていた。
 月光しか光のない闇を貫通。
 幾重もの屋根の向こうにある巨獣の決闘へと光線は突き進み、今にもジュディ=バハムートを豪快な黒い尾のしなりで打ち倒そうとしていたサイモン=ブラックドラゴンの身体に命中した。

★★★
 緑の光が砕けた。
 三回目のハイランダーズ・バリアで敵の猛打撃を防ぎ、ジュディには後がなくなった。
 もうバリアは使えない。
 町をかばうジュディに対し、サイモンが家屋等を無情に蹂躙して迫ってくる。
 ブラックドラゴンが大きなモーションで振り返ると同時に、これがとどめだと言わんばかりの尾の一撃を見舞ってきた。
 ジュディは教会を背後にしていた。そこには避難してきた町民もいる。
 かわせない。致命打ともなりかねない一撃をその白い身に受けるしかなかった。
 その瞬間、地上から黄金の細い光が放たれ、ブラッックドラゴンの身体に命中した。
 ブラックドラゴンが急に脱力して姿勢を泳がせた。まるで自分が振るった尾の動きに自身が引きずられたかの様にバランスを崩す。
 ジュディは逆転の機会となるその隙を見逃さなかった。
 白金色の巨体を月光に輝かせながら、黒い腹に体当たりする。
 ジュディの怪力に、下に潜り込まれた相手の身体が軽軽と宙に舞った。
 数秒経って、ブラックドラゴンの身が瓦礫の山と化した地面に落下する。凄まじい地響き。
 土煙の中、弱弱しく起き上がろうとするブラックドラゴンの背をジュディは渾身の力を込めて、踏みつけた。
 黒く長い首もその白い前脚で地面に縫いつける。
 ブラックドラゴンにそれをはねのけるパワーはなかった。エネルギードレインで生命力の一部をビリーに吸収されていたのだ。
 イピカイエー!!
 ジュディ=バハムートの咆哮は近くの山に反射、木霊した。

★★★
「やったで!」
 正義の羊ビリーは快哉な叫びを挙げる。
「メ、メエ! サイモン!」
 黄金の羊の声に、明らかな焦りがあった。
 巨獣同士の決着はついた様だ。
 脱力を感じながらも人狼アンナは立ち上がる。
 後は黄金の羊の悪霊を相手とした戦いである。
「畜生! こうしてやるメエ!」
 悪霊羊が両手から同時に黄金の光を発した。
 標的は冒険者達ではない。
 周囲でいまだに暴走する山羊の霊群に対してだ。
 その周囲を乱雑に逃げ回る山羊の霊がその黄金光に撃たれると、まるで溶けたかの様に形を崩し、光を逆流して悪霊山羊の身体へと吸収されていった。
「今のお前らはただの使い捨てエネルギーで十分メエ!」
 二条の黄金光が闇に振り回される。
 それに触れた山羊の霊が真空吸引されたかの様に次次と悪霊羊と合体する。増大する体格。見る見る内に悪霊羊が身長二メートルほどのサイズへと復活した。
「くらえメエ!」
「やらせはせえへんで!」
 二頭の羊が右足を前に突き出し黄金光を同時に発した。
 光線が衝突し、眩しさを周囲に放つ。その威力は中央で爆発する勢いの巨大な発光となった。
 皆の背後に長い影が黒黒と伸び、地面や壁を這った。
 悪霊羊VSビリー。
 気を抜けば、負けた方にエネルギー吸収の威力が及ぶ。
 衝突した発光は徐徐にビリーの方へと移動する。
 ビリーのコピーングでは悪霊羊の九割ほどしか威力がないのだ。
 追い詰められていくビリー。
「っ!」
 その時、完全に動きを止めた悪霊に、残る力を振り絞った人狼アンナの爪は襲いかかった。
 しかし、それは黄金の悪霊羊の身体をすり抜ける。
「実体攻撃は効かないと言ったメエ!」
 にやりとした笑いで口の端を歪める悪霊羊。
 だが、その瞬間。
「『センジュカンノン』!」
 突然、マニフィカの声がし、空中より現れた無数の手が出現した。
 まるで押し潰す様な拳撃の何発かが黄金羊の頭に叩きつけられた。
 火花を散らして、悪霊羊のエネルギードレイン光線が標的を外れる。
 ビリーのエネルギードレインがまっすぐ悪霊羊に命中。相手の身体を一回りしぼませた。
「マニフィカ!」
「リュリュミアさん!」
 アンナとビリーの声が挙がる。
 満月を背景に、リュリュミアを抱えたマニフィカは竜の翼を広げ、屋根の上に浮いていた。
 リュリュミアの身を離す。
 緑の服の淑女は屋根に降り立った。
「間にあった様ですね。……ビリーと同じ姿のその禍禍しい羊が本命ですわね」
 マニフィカは状況を瞬時に把握した。
 リュリュミアと共にモータの町に戻ってみれば、そこは白黒二頭の巨竜の決戦場になっていた。
 白金色のドラゴンがジュディの化身だという事は知っている。
 と、すると黒いドラゴンが自分達の敵のはずだが、そちらは既にジュディによって調伏されていた。
 それでは、と他の仲間達を探して、この黄金光が眩く爆発しているここへ見参したのだ。
「戦いを見てたらぁ、そちらの幽霊みたいな羊は通常攻撃が効かない様子ねぇ」
「ならば、こちらも幽霊となりましょう」
 リュリュミアの感想に対し、マニフィカは一冊の本を取り出した。
 魔術書『錬金術と心霊科学』。
 満月の明かりでそれを速読みしたマニフィカの身体からすぅと影が失われ、月の光を透かす半透明体となる。
 マニフィカは三叉槍を構える霊体となった。
「お前も敵かメエ!?」
 悪霊羊がエネルギードレインをマニフィカへと放った。
 『ブリンク・ファルコン』。槍を構えてのマニフィカの突撃は多重残像で黄金光を回避する。本当は『狛犬』も呼びたかったが、時間がない。
 魔竜翼が羽ばたく。地上の悪霊羊とマニフィカの刃が交錯する。
 霊体であるマニフィカの攻撃は霊体の敵に有効だった。黄金羊の胸に深深と三叉槍が突き刺さる。
 だが、悪霊羊が自分の懐に入ったマニフィカに直接、両前足を触れさせる。「直触りのエネルギードレインは強力なんだメエ! 一瞬でテメエを干からびさせてやるメエ!」
 羊の前脚が黄金に輝こうとする。
「別に、退治したい訳じゃない、成仏してほしいだけ、ですわ」アンナは叫んだ。「きっと、あなたはピーターの事が、好きだったのだと、思いますわ。だから、全てなかったかの様に振る舞う、町の人達が許せなかった、のですわ。でも、皆、忘れてなんか、いませんわ。そんな事、ありえませんわ」
 アンナの説得は人狼に変身しての耳まで裂けた口での発言だったので正直、聞き取りにくい。
 だが、悪霊羊にはニュアンスが伝わった様でその動きが一瞬止まる。
 その時。
「させない!」
 瞬間、姫柳未来!
 完璧な成功を行う為にじっと身を潜めていた最後の一人がとうとう動いた。
 彼女はこの全てが静止する絶好の機をずっと待っていた。
 失われた活力を回復しようと隠れて戦いを見守っていたミニスカJKは、完全な隙が生じた一瞬を突いて、悪霊によりそって宙に浮いている魔法の拡声器の傍へと瞬間移動したのだ。
 その唇は、拡声器のマイクの位置へと完全に合っていた。
 息を吸う暇もなく、その受話器へ叫ぶ。
「こんな拡声器なんて、何の役にも立たないポンコツだよ!」
 増幅されたその声と同時に、幾つものシャボン玉が宙に吐き出された。
 しかし、それらは生じたのとほぼ同じく壊れて消えた。
 拡声器の玩具の様な奇妙なフォルムが更に奇妙に歪んだ。
 未来は嘘をついた。
 拡声器は役に立たない、と。
 その嘘を実現するべく拡声器はパワーを発揮した。
 だが、それは嘘を真実にする拡声器は嘘をつけないという嘘、自己矛盾の発現だった。
 拡声器に大きなひびが幾つも走る。
 パラドックス。自分自身を否定するかの様に爆発、自壊した。
 拡声器の外形が壊れて、中で部品として使われていた嘘つき少年ピーターの舌が皆が見る前に露出した。
 その舌は生きている時の如く生生(なまなま)しかったが、まるで陽を浴びた氷みたいにあっという間に蒸発する。
「メエーッ!?」
 羊が叫んだ時にはもう遅い。
「ありゃりゃ!」
 拡声器の力が失われたらしく、黄金の羊だったビリーの姿は元の座敷童子に戻る。
「わたくしも……」
 アンナの姿は灰色の人狼から元のブラウンヘアの少女に戻る。
 町の夜景から、黒と白の二頭の巨大ドラゴンの姿が消える。きっとジュディもサイモンも元の姿に戻ったのだろう。
 拡声器のパワーは完全に失われ、全ての嘘の実現は無効となった。
「やり〜☆ マジ卍☆」
 未来は再テレポート。屋根の上のリュリュミアに両手を差し出した。
 リュリュミアは不器用なハイタッチで応えた。「やりましたわねぇ。未来さぁん」彼女の記憶も戻っていた。
 黄金の羊から勝気が消えたのは誰にも解った。
 屋根から『魔白翼』で飛翔した未来は制服のスカートから『マギジック・レボルバー』と『イースタン・レボルバー』を取り出し、炎弾と雷弾の二丁拳銃で追撃する。
 それは羊の頭部に命中し、炎と雷の爆発光を薄暗い夜景に瞬かせる。
 さすがに逃亡に移ろうとした悪霊へと、マニフィカはそのものを刺し貫いているトライデントの柄を捻った。
 霊体となっている武器が、霊体の敵の傷を大きく引き裂く。
「これであなたの悪事もおしまいでございますわ!」
「メ、メエェ〜!!」
 苦悶の悲鳴。これが悪霊羊の断末魔となる。
 半透明の黄金の羊が爆発した。肉片が飛び散るむごたらしい爆発ではなく、黄金の光の塊としての爆発、四散だった。
 周囲の宙に飛び交っていた山羊の霊も夜空の何処かへとバラバラに逃げ去っていった。

★★★
 満月の下。
 瓦礫として半壊したモータの街並み。
 元の姿に戻ったジュディは一人、立っていた。
 彼女はもう一人、今起き上がったばかりの男を相手が気づくより先に見つけた。
 濃い灰色のローブを着た男が、黒い杖を支えにして立つ。
 黒魔術デザイナー・サイモン。
 ビリーにエネルギーを吸い取られたその男は明らかにぜいぜいとした声を出し、やつれている。
 サイモンが走り寄るジュディに気づくのは明らかに遅かった。
「黒い雷撃……」
 声と同時に手の杖を向けるが、発動よりも早く駆け寄ったジュディがフィールドゴールよろしくその杖を蹴り飛ばした。
「ドント・ムーブ! 観念しナサイ!」
 怪力でその身を地面に押し倒し、動けない様にホールドする。
 元より接近戦では歯が立たなかっただろうが、今や生命力まで吸い取られたその細い身は少しも抗う事が出来なかった。
 こうしてオトギイズム王国に混沌を拡げようとした計画は、水泡に帰したのだ。
「OH! ザッツ・ア・バレル、アレは!」
 サイモンを押さえ込みながらジュディは瓦礫の中に一つ、大事な物を見つけた。
 金色の反射。『バハムート殺し』。
 金紙で飾られたその樽は瓦礫の中にあっても無事な様子で、己の存在感をアピールしていた。

★★★
 昨夜の戦いからほとんど時間を置かずにアンナは瓦礫類の清掃を続けている。
 モータの町に朝が来た。
 夜通し行われた救助作業で、町民には死者がいない事は明らかになり、行方不明者も家族の元へ帰る事が出来た。
 巨獣同士による町の破壊は戦闘規模の割には最小限だと言えた。
 町民が町の建て直しを早速始め、観光客もそれを手伝うといった光景があちこちで見られる。
 捕らえれたサイモンが縄で縛られて、彼はオトギイズム王国の来る衛士に引き渡される手筈が整えてある。
 そして取り調べの後、パルテノンの監獄へ収監されるのだ。
 今回の事件で明らかになり、広く周知された事がった事が一つある。
 嘘つきの羊飼い少年ピーターが山羊の群と共に、狼に追われて死に、町民全員がそれを見殺し同然にした事だ。
 この醜聞は今回の事件のせいで国内へ広く知れ渡る事となり、モータ町民に肩身の狭い思いをさせる事になった。負の歴史となるだろう。
 しかし、それでも『大嘘つきコンテスト』は最後まで実行される事になった。元はといえば、羊の悪霊と混沌信者サイモンが起こした企画なのだが、それでも最後まで行い、けじめをつけようというのが町民大多数の意志だった。どうせなら膿は出し切った方がいい。誰かがそんな事を言ったとか。
 と言ってもコンテストの残りは優勝者発表と賞品の贈呈だけだが。
 簡易の表彰台。右足を折ってギプスと松葉杖姿の町長が、バハムート殺しの樽の横でメガホン(今度は厚紙を丸めた普通の物だ)を使って、大声で優勝者を発表する。
「今回の大嘘つきコンテストの優勝者は……!」
 比較的瓦礫の少ない大広場で町長が声を張り上げる。
 大勢の町民や観光客が固唾を飲んで見守っている。
「自分が『嘘の守護者』だと告白した、ビリー・クェンデス! おめでとう!」
「ええ!? ボクなん!? てっきりジュディさんが優勝やと思ってたのに!?」
「嘘の派手さとスケールはバハムートになったジュディ・バーガーが一番だったが、黄金の羊になって今回の事件の裏側を全て暴きだした君の『嘘』の方が優勝にふさわしい。おめでとう!」
 かくして優勝賞品のバハムート殺しの樽はビリーに贈呈された。
 町民や観光客の万雷の拍手。その中にはジュディの姿もあった。
 こうしてオトギイズム全体を巻きこみそうになった大嘘つき騒動は終わった。
「噂によると、オトギイズム王国のあちこちに生えた『タンポポ』は全部、速やかに枯れて消滅したそうねぇ」
 歓声や口笛の中でリュリュミアはそう呟いた。植物については情報が早い彼女である。タンポポ全滅が魔法の拡声器消滅と同時であるというのは、皆は簡単に推測出来た。
 魔法の拡声器破壊によって真実になっていた嘘は全て解除された。
 ヌラヌラネトネト伸び縮み人間になっていた者達や他の参加者も無事に元に戻る事が出来た。
「それにしても元に戻ったんはええけど、出来れば任意に羊の姿になれた方がよかったなあ。あれはあれでプリティやったし」
「ジュディもデース。バハムートにメタモフォシス、変身出来る力が残ってればヨカッタのに」
「でも、ピーターの舌はあれで呪術から解放されたんだよ。ん〜、何ていうか、仏教的に言うなら彼もやっと成仏したって事なのかな」
 未来の言葉に、ジュディとビリーは何となく「それなら仕方ないか」という気持ちになった。
 もうこれ以上、悪意ある混沌を増やすわけにはいかない。
 あの嘘つきタンポポが消えた事で、オトギイズム王国の全域に効果を及ぼしていた確率異常や「ひどい願い事だけが叶う」という事象は消えたそうである。
「ああ、やっぱりお陽様は奇麗ねえぇ」
 リュリュミアは何事もない太陽を見上げて、平和そうに呟いた。

★★★