ゲームマスター:高村志生子
無事に詩歩が戻ってきて、意外にも割合素直に喜びを表現したのは武神鈴だった。素直と言っても根本的にどこか偉そうな雰囲気を持った鈴だったから、その表現の仕方がややひねていたのはご愛嬌だろう。崩れたゲートを難しい顔でにらみつけたあと、詩歩に向き直って頭をわしわしと撫で回した。 「……まあ、無事でよかった。完成版のゲートを作るためにはお前さんのデータも必要だったし、教師として生徒が拉致されたままって言うのを見過ごすわけにもいかなかったしな」 わしわし、わしわし。力強く撫でられて詩歩の頭がぐしゃぐしゃになる。しかし口調とは裏腹に、その力強さに鈴の本心を感じ取って、詩歩が嬉しそうに笑った。今までにない明るい笑顔に、その場にいた一行の心にも喜びがわきあがってくる。レイシェン・イシアーファが喜びのままに詩歩の肩をぎゅっと抱き寄せて、精霊のティエラに頭をぽかすかと殴られていた。 学園に戻った詩歩は、交流の手始めとして、己の専攻を心理学から次元交流学へと変更を申し出た。心理学での専攻過程への昇級はなくなったが、詩歩の能力を考えれば妥当な線だった。修学しなおしながら、詩歩は鈴の研究に協力していた。それは完全版のゲートの作成だった。 「未完成品を放置しておくなど俺のプライドが許さんからな。今度こそ完成版を作るぞ。それこそ詩歩がいなくても通路を開けるような奴をな。ふぁはっはっは」 「はい」 次元交流学の教師の中には、詩歩のような能力者の研究を行っている者もいて、彼らの協力の下、鈴は新しいゲートの作成に没頭し始めた。 その間、その世界との交流をどうするかについて話し合いが持たれた。詩歩が己の能力をコントロールできるようになったことで、少なくともある程度は自由に行き来できるようになったことを受けて定期的な懇親パーティーを提案しているのはアクア・エクステリアだ。その第1弾として、まずはSアカデミア内でのパーティーの企画を持ち出して、学内新聞を利用したり手作りのチラシを配布したりして参加者を募っていた。 「お金に糸目はつけませんよぉ。あちらからも客を招いて盛大にやりましょうねぇ。お互いに良く分かり合えばきっと仲良くやれますよぉ。ぜひとも参加してくださいねぇ」 ひらひらと舞うように空き時間を使ってチラシを配布している妻を微笑ましげに見守っているのはファリッド・エクステリアだ。ファリッドはファリッドで自分なりの交流方法を考え付いていた。どうやら同じ考えを持っている人間もいるようで、彼らと一緒に学長室へと向かっていた。協力者としてミナを誘うことも忘れていなかった。 「一悶着あったばかりですしね。一両日中に賛同が得られるとは思いませんが、やはり異世界交流は大切でしょう。まずは向こうの世界の人たちを留学生として迎え入れることはいかがでしょう。あちらの世界の人たちはここでの生活を知らないでしょうから、まずは学生としてアット世界での生活を学んでもらうんです。いかがですか」 一緒にやってきたホウユウ・シャモンが口を挟んできた。 「それなんだがな、向こうの住人を留学生として受け入れるだけでなく、こっちの生徒も向こうに留学させるってのはどうかな。交換留学って奴だな」 「それはわたしも考えておりましたわ」 アリューシャ・カプラートも言葉を添えてきた。 「片方だけが知るのではなく、双方が相手の世界について知ることが交流には大切だと思うのです。これまでの怪異が詩歩さんの未発達な能力によるものだとわかって、今まで得体の知れないものへの恐怖を感じていた生徒たちにも心境の変化が訪れている頃でしょう。詩歩さんも専攻を次元交流学に変えたことですし、一緒にまずは短期間の交換留学から、長期間の留学になるまでいろいろやってみてはいかがでしょうか。認めていただけるなら、わたしも行ってみたいと思っておりますの。きっと向こうにも独自の民俗音楽があると思うのです。それに興味がありまして」 ふふと笑みを浮かべる。ファリッドがふむと考え込んだ。 「交換留学か。それもいいかもしれないな。費用面でも助かるだろうし」 「完全な和解にはまだ時間がかかるだろうからなあ。互いをよく知るってことでそれは解消されると思うぞ。学長、ガウ先生、いかがですか」 ホウユウの問いに学長が鷹揚にうなずいた。 「費用面では心配しないように。Sアカデミアは国家予算から学園運営の費用を出してもらってますからね。新しい世界との交流となれば追加予算も考慮してもらえるでしょう。幸い戦いは回避されたようですしな。そうですね、ガウ先生」 「はい。ラングリアさんがあちらの世界と交流を保つということで納得してもらっていますので、彼女を中心に交換留学を持ち出せば納得されると思います。こちらで預かりの身となっている異世界人が、向こうの世界ではかなり高い地位にいる存在のようですし、彼からも説得してもらえたら良いのではないでしょうか」 「そうですな。彼もいい加減、あちらの世界に帰してやらないといけませんな。その前に話し合いをして見ましょう。留学制度の具体的な案については生徒会に任せます。ガウ先生が顧問になってください。よろしいですかな」 「わかりました」 「生徒会には俺から報告書を提出しておきます」 ファリッドが胸を張って言った。アリューシャが楽しそうに笑った。 「実現が楽しみですわ。ああ、どんな音楽が待っているのでしょう。詩歩さんを美しいと表現するのですもの、素晴らしい音楽があるのでしょうね」 「さっそく希望者を募らないとな」 ホウユウが締めくくった。 オリジンの元にはテオドール・レンツとリオル・イグリードがやってきていた。交換留学の話は聞いていたが、いきなり未知の世界に放り込まれても困るだけだ。まずは向こうの世界についてよく知ろうと話をしに来ていた。 テオドールは相変わらず表情の読めないつぶらな瞳で、座り込んでいるオリジンを見上げていた。 「オリジンちゃんは詩歩ちゃんを巫女として奉ろうとしていたみたいだけど、それってどういう風になのかなぁ?オリジンちゃんの世界での巫女の役割ってなあに?」 「通常は神聖なる者として、信仰の対象となるものだな。詩歩の場合は、どうやら我らがこちらで力を増すように、詩歩の力も増し、ひいては世界の力も増してくれるようだが。それだけにいっそう特別な存在と言えるのだが」 「世界の力?もしかしてオリジンの世界にも精霊がいるのかな。って、そういえば、君の世界に名前はあるのかい」 「私たちはラーグと呼んでいるが。月を象徴とする言葉だ」 「なるほど。詩歩の力も月に大きな影響が与えられるもんな。似合いの名だな」 誉められて悪い気はしなかったらしい。オリジンが目を細めた。 「今でも詩歩ちゃんを巫女としてラーグに連れて行きたい?」 「ずっといて欲しいとは、正直、思う。しかしそれは詩歩のためにはならないのだろう?詩歩から話を聞いたのだが、姫巫女としてときどきは来てくれるそうではないか。つながりを持っていてくれるというのなら、逆らうことは出来ないな」 「姫巫女って呼ぶんだねえ。普通の巫女とどう違うの?」 「私はその場にはいなかったが、力を増した詩歩はまるで神のようだったそうではないか。人々はそのように見ていたと聞いている。常にいてくれと望むことは出来ないが、祭りのときなどにいてくれると皆喜ぶだろうな」 「祭りがあるんだ。詩歩が神みたいだったって言っていたけど、ラーグの神ってどんなの?精霊信仰とかあるのかな?」 「精霊という概念は良くわからないが、精神エネルギーを元とした力は、多くの民が持っている。その力の大小によって戦士になったり、巫女になったり神官になったりする。そして時々生まれる強大な力を持ったものを生き神として祭るのだ。今はいないが、詩歩がそうなる可能性があった」 精霊がわからないというオリジンのために、リオルが相棒の光の精霊レイフォースを見せてあげたりしたが、そういう存在がいると納得しても概念についてはあまり理解しなかったようだった。 「精霊は万物に宿るんだ。どうやらラーグにはいないようだけど、せめて自然が豊かになるといいね」 ある意味、自然発生するものだ。自然が豊かになれば精霊も生まれるかもしれない。その期待を込めてリオルが言うと、オリジンはなるほどとつぶやいた。 ラーグについての情報はそのまま学園や詩歩に伝えられた。学園からは交換留学の話がオリジンにもたらされた。詩歩が来てくれると言う話に、オリジンの目が輝いた。そしてその意向についての説得を請け負ってくれた。 「時に、ラーグの人を招いてパーティーをやろうという案が出ているだけど」 ファリッドが告げると、オリジンはそれなら神官や巫女など、留学生候補として存在するものをよこそうと約束した。 正式な交換留学はまずはラーグ側の了解も必要ということから、オリジンをラーグに帰す際に、詩歩も含めた数人を短期留学という名目であちらの世界に行かせることになった。交渉役はミナが請け負ってくれた。 ラーグへの通路は詩歩でも開くことが出来たが、そこへゲート完成の報を鈴が持って来た。他にも紹介したいものがあるというので、ミナを筆頭にオリジンや詩歩などラーグへと行くというものたちがぞろぞろと校舎からは少し離れた場所にある研究所に連れ立って行った。そこで皆が見たものは。
感嘆の声を漏らしたのはミルル・エクステリアだ。ゲートの前に立って誇らしげに鈴が紹介したのは、詩歩そっくりのロボットだった。 「このユニットは次元連結指令管制型改良ドールという。正式にはディメンジョン・コネクト・コマンド・コントロール・カスタム・ドールだ。ま、長いので頭文字を取ってD2C4、略してC4(シーフォー)と呼んでくれ」 C4はにっこり笑ってスカートの裾をつまみそっと挨拶した。その滑らかな動きに、誰もが絶句した。鈴は得意気ににやりとした。 「これはゲートの管理ユニットと護衛ユニットを兼ねる傑作だ。エネルギー源は次元エネルギー。つまりこのゲートから放出される次元エネルギーが供給される限り、無補給で稼動するぞ」 大きさは詩歩にあわせたため、人型とは言えかなり小柄だ。そのフラットな曲面にいかに苦労したか、またコンパクトな内部に高性能AIやらゲート維持のための魔力調節回路、両手両足に組み込まれた重火器の数々、それらを軽々と扱うための起動系システムの工夫にいかに苦労したか、鈴がとくとくと話し始めた。話している間、詩歩がまじまじとC4を見つめていた。C4も詩歩と同じ顔でどこかおずおずと詩歩を見つめ返していた。鈴が気づいて説明に捕捉を入れた。 「これの性格設定は、詩歩の性格分析データを元にしているんだ。だが重武装しているからそう簡単には拉致されないぞ。その辺はちゃんといじってあるしな」 「もう無理には連れて行かないが」 オリジンがちょっとむっとしたように言い返した。鈴はそれを軽く受け流した。 「あんたがどれだけ向こうで偉いのかわからないが、誰もが同じ考えとは限らないだろう。だから念のためだ。せっかくのゲートを破壊されても困るしな」 オリジンが黙ると、鈴の得意げな説明が再び始まった。 「いや、これだけのシステムをこの小さくて凸凹の少ないフラットなボディに組み込むのは、この天才を持ってしてもさすがに苦労したぞ。大型ならまだ簡単なんだが、これは詩歩とそっくりでないと意味がないからな。ある意味、象徴だからな。だが、やったぞ。ついに成功したんだ!さあ、諸君!その成果をとくと試したまえ。この間のように壊れてしまうことはない。安心して使ってくれ」 「……天才のこだわりってよくわかんないなぁ」 ぼやきながらミルルがてきぱきと必要物資を運び込む算段を始めた。今回の留学は顔見せの意味合いをかねて1週間ほどを予定していた。なのでさして荷物は多くない。食料や宿はオリジンが手配することになっていた。そこへアクアがぱたぱたと走りこんできた。 「あのですねえ。向こうに行かれたら、パーティーの件、宣伝してきてくださいねぇ。文字が違うだろうからチラシはまけないのでえ。できたら人数とか連絡ください。準備が必要ですから」 「わかった。神官とか巫女とかが留学生候補になっているそうだから、その人たちが来るんじゃないかな。わかったら連絡するよ」 答えたのはリオルだ。ミルルが荷物を手渡しながら少し心配そうに言った。 「リオルのことだから、無茶はしないと思うけどっ。けんかとかしないようにね」 「莫迦だなぁ。僕はラーグの世界に精霊がいないか調べたいだけだよ。自分の考えを押し付けるつもりはないから、心配しないで」 「わかってる!……帰り、待っているから」 すねて横を向いてしまったミルルに、リオルが軽く頭に手を乗せた。 淡々と準備をしているのはミナだ。その脇でアンナ・ラクシミリアがはしゃいでいた。 「ねー、ガウ先生♪わたくし、思うのですけど、先生の普段は優しいけれど言うべきことはずばずば言うメリハリの効いたところを異世界人に浸透させたらいかがでしょう。そのためにはあちらの世界の人たちのことをよく知ることが大切ですわね。直接、触れ合えば、考え方や精神構造も良くわかると思うのです。そうすればガウ先生が感じてらっしゃる違和感も少なくなって、よりいっそう仲良しになれますものね。わたくしはどこまでもガウ先生についてゆきますわ。頑張りましょうね」 「私になつくなんて変わった子ねえ」 ミナがややあきれた顔になる。アンナはぐっと拳を握り締めて力説した。 「わたくし、ガウ先生と行動することで、先生の持つ反発の力を身につけたいんですの。いろいろと役に立ちそうなんですもの。本当は姫巫女になる詩歩がその能力を身につけたらいいんでしょうけれど、そうでないからこその姫巫女なのでしょうから。先生と学説で対立していたラングリア夫妻の娘らしいといえば娘らしいですけれど。まあ、なくても心配はないのでしょう。かわりにわたくしが頑張ります!」 「そうしてちょうだい。後継者がいるのは案外心強いわね」 ミナが苦笑した。 詩歩のそばについているのはテネシー・ドーラーだ。テネシーはメモ帳を開いてあれやこれやと調査内容について詩歩に言い聞かせていた。 「詩歩様が先に連れて行かれたところは特殊なところだったのでしょう。今回は世界そのものについていろいろと調べられたらいいですわね。生活様式であるとか技術レベル、歴史も大切ですわね。巫女ならば当然知っておかなくてはならないでしょうから。それに授業にも必要ですし」 「この間とは違う街にも行って見たい。オリジンさん、できますか?」 「歴史を知るなら私の住まいがある町にいくのがいいでしょう。大きな町ですし、その分、神官たちも多い。他の皆さんの勉強にも役立つことでしょう」 詩歩には丁寧にオリジンが答える。政志と一緒に準備をしていたライン・ベクトラがその言葉に振り返った。 「そこは最初に詩歩さんが連れて行かれたところからは遠いんですの?あそこは聞けばちょっと特別な場所らしいではありませんの。どういう風に特別なのか知りたいのですけれど、調査は出来まして?」 「あそこはいわば聖地だな。祭りごとのためにある町だ。なれないうちからあまりうろうろしては欲しくないのだが……」 「そうですの、わかりましたわ。わたくしはラーグの文化について特に知りたいと思っておりますので、オリジンさんの言うことに従いますわ。いいですわね、政志さん」 「ああ。詩歩はオリジンの住んでいる町に行くんだろう。それについて行ってやりたいし、あの町でないといけないってことは僕にはないからね」 ラインの問いに政志がうなずく。ラインが小声でつぶやいた。 「ラーグの人たちはどういう愛情表現をなさるのでしょうね……そういったことも知りたいですわ」 「え、なんでだい?」 「な、なんでもありませんわ!純粋に知的好奇心ですのよ」 独り言に返事が返ってきて、ラインが慌てて赤い顔を横に向けた。 張り切っているものは他にもいた。ジニアス・ギルツだ。ジニアスは支度を手早く済ませると、オリジンの周りをうろちょろしながら話しかけていた。 「勝手には動かないけどさあ、町の人たちと交流することは出来るだろう!?相互理解には実際に一緒に行動するのが一番だもんな。いやあ、それにしても未知の世界かあ。わくわくするぜ。うー、血が騒ぐ!さっきテネシーが歴史がどうのって言ってたけど、そういう話も聞かせてもらえるのかな」 「それについては宮殿のものが詳しいだろう。話が出来るよう取り計らっておこう」 「やったね!頼むよ!あー、これで遺跡とかあったら最高なんだけどな」 ジニアスがうきうきと言った。 若干もめているのはアリューシャに手を引っ張られているアルヴァート・シルバーフェーダだった。留学制度に乗り気なアリューシャと違って、アルヴァートはラーグ人たちへのこだわりを捨てきれていなかったからだ。 「本気で行く気かい」 「アルバさんだって向こうの民俗音楽には興味がおありでしょう?」 「それは……ないとは言わないけれど」 オリジンの前に来るとどうしても顔がこわばってくる。アリューシャが天使の微笑をアルヴァートに向けた。 「アルバさんは、怪我をさせられたわたしたちへの謝罪がないと怒ってらっしゃるようですけれど、オリジンさんはこの間、ちゃんと力が乱れてしまったことを謝ってくださったではありませんの。お気づきになっていらっしゃいませんでしたか?ですからもう怒りは捨ててくださいませ。このままではアルバさんが損をしてしまいますわ」 「あ……」 指摘されてようやくアルヴァートがはっとする。オリジンがわずかに目を伏せた。ミナが追い討ちをかけるようにずばっと言った。 「でもそうね。オリジンは謝ってくれたけれど、他の連中が謝ってくれたわけじゃなし。けじめはつけてもらいたいわね」 「こちらに来ていたのは向こうの戦士たちだ。彼らも戦う意志は無かったのだが、やはり力が暴走してしまったのだろう。聖都にいるはずだから、彼らからも謝罪させよう。本当にすまなかった」 「あ、いや……わかったよ。それならいいんだ」 素直に頭を下げられて、ようやくアルヴァートの心のしこりが溶けた。 「それでは、準備がよろしいようでしたらこちらへどうぞ」 いきなりC4が話し始めた。片手がゲートに差し向けられている。オリジンがすくっと立って前に進み出た。寄り添うように詩歩が歩いていく。すぐ後ろをラインと政志がついて行った。ミナやアンナ、ジニアス、リオルもそれに続く。見送りのミルルは、後ろからぎゅっとリオルの手を握って励ました。 C4が首のスイッチを入れると、ゲートがぶうんと鈍い音を立て始めた。風がさあっと吹き込んでくる。通路が繋がったことを詩歩や政志は肌で感じ取っていた。オリジンが最初に向こう側に姿を消し、詩歩も一歩を踏み出す。今回は穏やかな気持ちでミナたちが続いた。 幾度か試運転をして調整しておいてあったらしい。以前は空中に通路が開いたが、今度はちゃんと大地に足を踏み出すことが出来た。最初に出たのは、詩歩が捕まっていた街だった。通路が開いたことを感じて町の人たちが集まってくる。オリジンの無事な姿や、詩歩の笑顔を見て場が和んだ。戦士たちはミナたちの姿を見て一瞬警戒したが、オリジンがそれをいさめた。 「彼らはわれらの世界への大切な客人だ。無礼は許さない」 それからアット世界にやってきたことのあるものたちを呼び出し、力の暴走によって迷惑をかけたことをわびさせた。悪いことをしたという気持ちは多少なりともあったのだろう。それには戦士たちも素直に応じた。やがて世話役だった女性や身分が高いと思われる人物がやってくる。オリジンが手短に事情を説明した。詩歩も言葉を添えると、たちまち町は歓迎ムードになった。 オリジンの不在が長かったので一行はすぐさまオリジンの宮殿がある町へ出発しようとしたのだが、姫巫女である詩歩がやってきたので半ば強制的に休憩を取らされた。それならばと滞在期間中に祭りを行えるようにオリジンが長老たちと話をしている間、世話役の人々と一行は、始めは戸惑いながらも(と言っても主に戸惑っていたのは、明るい来訪者たちへの対応をどうしようか考えているラーグ人たちだったが)、詩歩と政志を輪の中心にすえ話をしていた。食べ物や飲み物が出され、お互いの世界について会話が弾む。ラーグ人はけっこう好奇心が旺盛のようで、アット世界の話を興味深げに聞いていた。交換留学については反応は様々だったが、パーティーにはそれなりに心がそそられているようだった。 やがてオリジンが一行の元に戻ってくる。急な話だったので、略式の祭りになるようだが、一行が去る1週間後にこの町で姫巫女の誕生を祝う祭りを行うことが告げられた。詳しく話を聞いてみると、祭りというより祝いの宴と言った方が正しい感じだった。とはいえそれなりに手順が必要になってくる。詩歩はオリジンについてその作法を学ぶことにし、他の面々はそれまでの間、客人として宮殿のある町で過ごすことになった。 「宮殿ということは、こういう天幕ではなく、建物があるということかしら?」 ラインが聞くと、オリジンが答えた。宮殿のある町はラーグの中で唯一草原地帯になっているところで、山などもあるらしい。石造りの建物が立ち並び、水も豊かだという。古くからある町で、近くには古代の遺跡などもあるらしく、ジニアスを喜ばせた。 その晩は歓迎の宴が開かれ、オリジンの帰還も祝われた。楽器は砂漠に生える細くて硬い植物の茎を笛にしたものが使われていた。自分のフルートと似たような楽器にアルヴァートが関心を示す。祝いの曲ということで、曲調は明るく優しいものだった。ひとしきりラーグ人たちの演奏が終わると、アリューシャがアルヴァートを誘って自分たちも喜びを表現した音楽を披露した。ラーグ人は基本的に素朴で単純らしい。音楽のお返しに盛大な拍手が送られた。巫女や神官たちが次々に立ち上がって2人に頬を摺り寄せてきた。一瞬ぎょっとしたアルヴァートだったが、それは彼らの親愛の情を示す行動らしかった。それに気づいたアリューシャが自分からも頬を寄せていった。それにちょっとやきもちを焼いてしまったアルヴァートだったが、アリューシャが微笑んだままアルヴァートにも頬を摺り寄せてきたので、機嫌はたちまちに直った。 出立は早朝と決まり、宴は長く続かなかったが、余韻は誰の心にも残った。そう、ラインの心にも。 夜も更け静まり返った町のはずれは見渡す限りの砂漠に囲まれていた。日中は暑い砂漠も夜は冷える。ラインがぶるっと肩を震わせると、そっとショールのようなものがかけられた。ラインが見上げると、そこには政志が立っていた。政志はかすかに微笑むと、ラインの隣にすとんと座った。 「やはり砂漠の夜は寒いわね」 ちょっと期待を込めてラインが言うと、心の機微にはいまいち鈍い政志が笑って肩を叩いた。 「日中暑いからって、そんな薄着で座っていると風邪を引くよ。明日は早いんだし、もう戻って寝たほうがいい」 そしてラインの手を引いて立ち上がらせる。ラインはしばし迷ってから、政志の両肘に手をかけて半分怒鳴りつけるように言った。 「いいこと!一度しか言わないからしっかり聞きなさい!」 「え?あ、ライン……」 一度言葉をとぎらせて、ラインは手を政志の首に回した。 「わたくしは、あなたのことが……」 そっと顔がより、唇が重ねられる。一瞬は驚いた政志も、しっかりとラインの体を抱きしめ返した。口付けは互いの気持ちが落ち着くまで長々と続けられた。 2人の関係が変わったことは、誰の目にも明らかだった。ラインが澄ましているのはいつもと変わらないようだったが、その横に、それまでは詩歩のそばについていた政志が立つようになったのだ。ちょっとした加減のアイコンタクトなども親密度を増している。だが詩歩がそれを見て嬉しそうだったので、誰もあえて突っ込みは入れなかった。 そして1週間の留学期間が始まった。最初の街からオリジンの街までは空間移動能力のあるものが飛ばしてくれたので、すぐについた。石造りの宮殿は素朴ながらも立派なもので、風通しもよくなかなか快適だった(ただ、砂埃だけはどうしようもないらしく、アンナの掃除意欲を掻き立てていた)。帰ってきたオリジンは、たまった仕事は後回しにして、客人たちの要望を最優先にしてくれた。また最後の日の祭りの話をして、その準備に取り掛かるよう部下たちに命じた。詩歩はオリジンに祭りの作法を学び、政志とラインがそれを見守っていた。アリューシャとアルヴァートは、祭りで演奏される曲を教わっていた。アンナとミナはアット世界に来る人員の選出に立ち会っていた。街中に飛び出していたのはジニアスとテネシーだ。さすがに文字は読めなかったが、言葉には不自由しなかったので付き添いの人と一緒に生活状況を観察したり遺跡見学をさせてもらったりしていた。リオルは単独でラーグに精霊がいるか調べていたが、この世界にはリオルの故郷のような精霊の気配は感じられないでいた。その代わり、生きている人間の強い力を感じていた。どうやらこの世界の人間たちは、誰もがいわゆる魔力に相当するものを持っているようだった。ただ力に大小はあるらしい。それが身分の差となっているようで、その辺が少し興味深かったリオルだった。 1週間はあっという間に経ってしまった。その間にすっかり仲良くなった一行は、名残を惜しみながら最初の町にやってきた。アメルダというその町では、すっかり祭りの準備が整っていた。日が暮れ丸みを帯びた月が空に昇る。噴水広場に赤々と火が灯され、たくさんの町の人が集まっていた。組まれたやぐらにオリジンと詩歩が上がる。教わった作法に従って舞うような動作で前に進み出る。薄絹を重ねたようなふわりとした衣装が詩歩が動くたびに揺れ動く。月が詩歩の銀の髪を輝かせ、光が周囲に飛び散る。やがて舞い終えた詩歩が壇上で両手を挙げるとわーっと言う歓声が上がった。 やぐらから降り、仲間たちとともにラーグ人の間に加わると、次から次へと食べ物や飲み物が手渡される。中心になっているのは詩歩とオリジンだったが、政志たちやラーグからアットに向かう神官や巫女も集ってわいわいと騒いでいた。 夜更けに留学生たちは一箇所に固まっていた。見送りに来たオリジンが、別れを惜しむように詩歩に頬を摺り寄せていた。詩歩が通路を開くと、アット世界のゲートも連動して作動を開始したらしい。留学生たちが戻ってくると、ゲートの前でC4や鈴、待機していたミルルらが迎え入れた。アクアがすかさず人数チェックをしてファリッドに伝える。ファリッドはあらかじめ許可を得ていた寮の空き部屋を開きに行った。詩歩の力とゲートの力でラーグ人たちも今回は暴走しないでいられるようだった。やがてやってきたファリッドに案内されてそれぞれの部屋に落ち着いた。 1週間の間に、ラーグ人の迎えいれ体制は整っていた。こちらの期間は特に設けられていなかったので(テレビが気に入ったらしいオリジンからも、よく学んでくるよう言いつかっていた)、普通の留学生として扱われるようになっていた。ひとまずは生活習慣に慣れてもらうために、生徒会のメンバーが中心になって寮生活を教え込んでいた。その間、パーティーの準備は着々と進んでいた。 チラシをまいていたアクアのほかに、トリスティアがエアバイクで学園中を走り回って、出会う人毎に料理部で作ってもらったお菓子を配りつつ声をかけていた。 「これはパーティーの余興で使うから大事に取っておいてね!ちゃんとパーティーでも美味しいお茶やお菓子がでるから楽しみにしてて。受け取ったからには必ず参加すること。ラーグの人たちも来るから、みんなで騒ごうね」 ちなみにトリスティアが配っていたのは、棒状の焼き菓子にチョコレートを塗ったものだった。電飾できらびやかに飾り立てられたバイクにまたがったトリスティアは、ビビットカラーの派手な衣装を身にまとっていた。それと素朴なお菓子との対比が面白くて、みんなの笑いを誘っていた。受けが良いことに気をよくしたトリスティアが明るい笑い声を残しながら走り去って行った。臨時に開かれた学生集会でも、ラーグ人たちの紹介とパーティー開催が伝えられ、学園の雰囲気はお祭りモードになっていった。 そしていよいよパーティー当日になった。ラーグ人が留学生だけじゃさびしいと、トリスティアは詩歩に頼んでラーグに渡らせてもらってあちらの人員を集めていた。おかげで最初はささやかな懇親会のつもりだったアクアが驚くほど、パーティー会場は盛況になっていた。飛び入りでルシエラ・アクティアが生徒たちを誘導して演劇部の出し物を見せたりしていた。懇親パーティーと言うにはいささか派手な純白のドレスに身を包んだルシエラがナレーションをしている。劇の内容は異世界交流を円滑にするためにルシエラが考え抜いたもので、出演の部員たちにも気合が入っていた。おかげで劇は大成功をおさめた。 やんややんやと拍手が贈られる中、かたわらで様子を見守っていたディスが声をかけてきた。 「いいんですか。勝手にこんなことして」 「しれっと言うわね。どうせ知っているんでしょう?ラーグ人にこちらの世界のことを教えるためにって口実で、劇をやることを承諾させたのは」 「ばれましたか」 「ところでアレには参加しないの?」 「アレですか?相手がいないですからねえ」 「私では不足かしら?」 「おや、いいんですか?では喜んで」 思わせぶりな会話に取材していたレイミーが不審そうな顔になった。 「なんの話ですか?」 「このパーティーの余興だよ」 「はあ。ま、無茶はしないでくださいね。止めるのも面倒なんですから」 「それはアクティア先生しだいだな」 「先生?」 ルシエラはふふと笑っただけだった。 劇の最中忙しく立ち働いていたのはアメリア・イシアーファとアルトゥール・ロッシュだった。アルトゥールがポットを運びお茶の支度をする。その側でアメリアは料理部で焼いてきたスコーンを皿に盛り付けていた。途中ですれ違ったトリスティアに声をかける。 「そういえばあの焼き菓子はみんなに行き渡ったのかなぁ?」 「食べちゃった人もいるみたいだけどね。肝心な人たちはちゃんと持っているみたいだから大丈夫だよ。アメリアたちももちろん参加するよね」 「え!?ええと」 「当たり前だろ」 口ごもったアメリアとは対照的に、のりのりの口調で返事したのはアルトゥールだった。赤くなったアメリアがちらっとアルトゥールを見上げる。アルトゥールがにこりと微笑を返してよこした。 「一緒に参加してくれるよね?」 「うん……喜んでぇ」 恥じらいながらアメリアが素直にうなずいた。多少は緊張していたのだろう。アルトゥールがほっとしたように息を吐いた。 劇が終わるとティータイムだ。学生も教師も入り混じって雑談を交わしている。怪異に遭遇して詩歩をいじめていた生徒たちは、今度はちゃんと姿が見えるラーグ人たちと、始めは緊張しながら話をしていた。アクアが緊張をほぐそうと歓喜の舞衣で踊り始める。それで緊張がほぐれ、次第に場は和やかなものになって行った。 アルトゥールの入れたお茶はとても美味しく、次々に杯が空けられていった。おかわりのリクエストにアルトゥールが一生懸命に応じている。アメリアはスコーンを手渡しながらラーグ人とのんびり話をしていた。お菓子配り係にはアリューシャも協力していた。わだかまりが解けたアルトゥールはアクアの舞いのBGMを演奏していた。曲目はアリューシャに選んでもらった明るく楽しいものだ。場はますます盛り上がってきた。 「んーと、どこにいるのかなぁ」 「アメリア?誰を探しているんだい」 「レン」 「彼なら詩歩のところにいるよ」 アルトゥールが指差した先では、レイシェン・イシアーファが詩歩の隣に立っていた。側には詩歩の両親もいる。詩歩はいろいろな人に声をかけられていた。生徒もラーグ人も分け隔てなくだ。それに詩歩は笑顔で応じていた。両親はそんな娘の姿をどこか寂しそうに見ていた。 「さて、宴もたけなわとなってまいりました。ここでさらに親交を深めるために、ゲームをやりたいと思います。皆様、トリスティアさんに渡されたお菓子はお持ちでございますわね」 ビン底眼鏡を指で押し上げながら声を張り上げたのはミズキ・シャモンだ。その声に誘われるようにルシエラとディスが、アルトゥールとアメリアがやってくる。途中でのんびりお茶をすすっていたラインと政志も拾ってきた。詩歩が焼き菓子を取り出してレイシェンを見上げた。レイシェンは黙って笑っていた。 「なにするのかしらねえ?リオル、知ってる?」 「さあ」 やはり人の輪の中から引っ張り出されてきたミルルとリオルが首をかしげあう。ミズキはわざと生真面目な顔で出場者が集まるとゲームの説明を始めた。 「これは歩津季依遊戯というものでございます。2人1組になって見つめあい、この焼き菓子を両側から食べ進んでいき、先に口を離した方が負けとなります」 「……食べきっちゃったら?」 「そのときの結果は1つでしょう」 ミルルが一気に赤くなる。ミズキは平然としていた。 意外にも緊張した様子を見せていたのはアルトゥールだ。アメリアのほうが赤くなりながらもリラックスした様子でいる。意味が通じなかった詩歩は、やや強引にレイシェンと向き合わされていた。 アリューシャとアルヴァートが場を盛り上げようと陽気な楽曲を披露しだす。ルシエラがディスと向き合いながら、ちらっと視線をレイミーのほうへ流した。レイミーはただあきれたような顔をしていただけだった。 「さて勝者は誰でしょう。みなさま、頑張ってくださいませ。スタート!」 ミズキの掛け声とともに、意味の通じたもの通じないものそれぞれが菓子を食べ始める。レイミーの反応につまらないものを感じたルシエラは、さっさと食べ進んでいいところでよろけた振りをして菓子を折ってしまった。ディスがにやにやしていた。 「おおっと。アクティア先生、まさかの敗退です。惜しかったですね、ディスさん」 「ま、こんなもんだろ」 淡々と食べ進んだのはラインと政志だ。勢いは政志の方がやや弱かったが、ラインがつんつんしながら食べ進め、最後にキスで締めくくった。政志も大人しくそれを受け入れた。 ぎょっとしたのは詩歩だ。キスを間近で見て、意図をようやく理解する。食べる口が止まる。その間にも相手のレイシェンは食べ続けていた。精霊のティエラのほうが驚いたようにレイシェンに呼びかけていた。 「きゃ〜ちょっと待ってよ〜このままじゃ、レンってば、詩歩と」 「うるふぁい」 食べたままくぐもった声でレイシェンが応じる。詩歩が固まっていると、食べ進んだレイシェンがそっと唇に触れようとした。そこで詩歩が口から菓子を放してしまった。 「ご、ごめんなさい」 もごもごと詩歩が謝る。赤い顔でうつむいた頭にレイシェンの手が乗せられた。ティエラが安堵の息を漏らした。 がちがちになりながら食べているのはアルトゥールだ。アメリアもゆっくり食べ続けている。顔の距離が近づいて行ってアルトゥールの緊張がいっそう高まる。一瞬とまってしまったことに気づいて、アメリアが菓子をくわえたままにっこり笑った。OKのサインにアルトゥールが口の動きを再開させる。アメリアは途中で食べるのをやめて目を閉じていた。アルトゥールはそれにも気づかない様子で食べ続け、最後のひとかけらを飲み込むと同時に優しく触れるようなキスをアメリアに贈った。チョコレートの甘さがどこかほろ苦かった。 似たような反応をしていたのはミルルとリオルだ。立場は逆だったが。思いっきり緊張しているのはミルルの方だった。リオルは伺うような視線を送りながら菓子を食べ続けていた。こちらはキスには至らずに、ミルルが菓子から口を離してしまった。 「やっぱり、こんな面前でキスは嫌〜」 「2人っきりだったらいいのかい?」 何気ない突込みを受けてミルルが目を白黒させた。 キスの習慣はないのか、ゲームに放り込まれたラーグ人たちは、キスが愛情表現だと教えられて、それぞれの反応をしながらゲームを楽しんでいた。カップルでやってきていた者もいるらしい。楽しげな雰囲気の2人もいた。ラーグ人と組まされて困惑したまま固まっている生徒などもいた。ミズキはあくまでも真面目な態度を崩さないまま実況中継をしていた。離れた場所で会場の様子を伺っていたテネシーが、空中から降りてきて調子に乗っているミズキをたしなめた。 「やりすぎなのでは」 「あ、ゴスロリ番長……っと、テネシーさん」 番長と呼ばれたとたん、殺せそうな冷ややかな視線が送られる。ミズキはごまかすようにこほんと咳払いをして、会場を指し示した。 「受けているからいいのではありませんか。親愛の情を示すにはもってこいの遊戯なのでございますよ。親密度も上がりますしね。ほら、見てくださいませ」 テネシーが無言で会場を見回すと、ゲームを終えた面々がそれまでとは違った親密さで話をしていた。もちろん世界を越えてである。テネシーもその効果は認めざるを得なかった。 余興がすんで、パーティーの佳境は過ぎたらしい。今はどこか落ち着いた雰囲気に場は満たされていた。詩歩に寄ってくるものもいなくなり、詩歩は甘えるように両親にもたれかかっていた。その様子を見ながら、梨須野ちとせがレイシェンにひそひそとささやいた。 「もうじきご両親もいなくなってしまいますわね。あなたはこれから詩歩さんを支えていこうとなさるのでしょう。さっそくこのあとしていただくことになりますわよ」 「それって、どういう意味……」 レイシェンが問い返すと、ちとせは意味深な笑いを浮かべた。そこへシエラ・シルバーテイルがお菓子のチョコで酔っ払ったのか、機嫌よくやってきた。 「初めまして。今回は無事にことが終わってよかったですね」 霊は苦手なはずのシエラだが、チョコのせいかラングリア夫妻の見た目が生きた人間と変わらないせいか、相手がすでに死んでいる人間だと気づいていないらしい。ごく普通に話しかけてきた。毅が立ち上がって握手を求めてきた。 「ありがとうございます。これも皆さんのおかげです」 「まぁ、まだ知らない、繋がってない世界はあるんでしょうけど。それで今回みたいな、ううん、それ以上に危険なことがあるかもしれないし、そのときうまくやれる保証なんて何処にもないけど。今の詩歩なら心配ないですよ。自分はいらないなんて思わない。前向きに対処できると思うんですよね。だって独りじゃないって気づいたんだものね。そうでしょ?」 手を握り返しながら(まだ気づいていない)さらっとシエラが言う。詩歩がにこっと笑った。がばっと口をあけて笑い返しながらシエラが言葉を続けた。 「全然心配ないって言えたらいいんですけどね……。でも、ま、そのときはそのとき考えればいいことです。って言っても、親が子供の心配するのは当たり前ですけどね〜。でも、いつまでもそうしていると、今度は詩歩のほうがお2人を心配しますよ。子供はいつか巣立つものです。だから安心して逝ってくださいな。……あれ?」 ぴくんと耳が動き、口が閉じられる。シエラが戸惑ったように詩歩を見た。 「逝ってくださいって……そういえば詩歩の両親って、確か……」 詩歩がこくんとうなずく。シエラがシーンとなった。 「シエラ殿?」 猫間隆紋がぽんと肩を叩いてみた。 「……気絶している」 「だ、大丈夫?」 さすがに詩歩が慌てた声を出した。隆紋は軽く肩をすくめた。 「シエラ殿ならそのうち気づくであろう。問題ない。問題なのは」 両親に擦り寄っている詩歩を痛ましげに見たあと、決意を秘めた目で隆紋が詩歩の両親に視線を向けた。 「ラングリア殿、詩歩殿はもはや一人ぼっちではない。気がかりであったであろう異世界人とも交流を持てるようになったし、この世界での大切な仲間も見つけた。それは理解できますな」 「そうですね。こんなにたくさんの友達が出来るなら、私たちも逃げていないで詩歩の能力をもっとよく調べるべきでしたね。親ばかもいいところです」 毅がさびしそうに言った。それには頓着せずに、隆紋が質問を続けた。 「あなたがたはすでに生者ではない。この世界に魂が残っていたのは、娘のことが気がかりだったからだ。それももう無くなったはず。まだ、生に未練はありますか?」 詩歩がはっとしたように両親の顔を見上げた。母親がうっすら笑いながら首を横に振った。 「いいえ。もうこの子は私達がいなくても大丈夫なのでしょう。行くべきところへ行くときが……来たのですね」 「ちょっと待った!本当にそれでいいのかね」 ストップをかけたのはエルンスト・ハウアーだった。自慢の髭を撫でながら両親に向かって言った。 「確かに、一番の心配事だった娘のことがほぼ解決したんじゃ。この世に対する執着が薄れて、存在を維持できずに消え去るのは自明じゃが……しかし、本当にそれで満足かね?いいかね、君たちは今、霊体として、かつて追い求めた『真理』の入口にいるんじゃぞ。霊の存在があることを、自ら証明しているではないか。探求するものとしての誇りがあるならば、あとに続くもののために、存在を維持する努力をするか、現在の自分たちに可能な限りの研究成果を上げることこそが本懐であると、ワシは思うんじゃがね」 「ハウアー先生、しかしそれは自然の摂理に反しています!」 隆紋が反論する。ひよっこを見る目で隆紋を眺めてから、エルンストはちっちと指を一本立てて振った。 「なにに遠慮することがあろうかね。この世に奇跡など存在せん。あるとしたら偶然か誰かがなした結果。何事も「為そうとしなければ、為らん」ということさ。詩歩君が召還師としての成長を遂げたようにのう。別にいつまでもとは言うてはおらんのじゃぞ。ただ、この世に残るための方策も、研究として試してから逝くのも悪くはなかろうということじゃ。どうじゃね?」 もともと霊の研究者であった夫妻だ。エルンストの言葉にはいたく心を打たれたらしい。顔を見合わせて互いに様子を伺っているようだった。 「それにの、詩歩君に関して1つ心配事もある」 「なんだっていうんだ。こうしてラーグとアットはうまくやっているじゃないか。ゲートがあれば詩歩がいなくてもラーグと行き来できるし、詩歩を連れ去る意志はもう向こうにはないんだろう。なにが心配だって言うんだ」 いざとなったら力ずくでもラングリア夫妻をあの世に送ろうと思っていた隆紋がエルンストにかみついた。エルンストは存外真面目な顔で言い返した。 「ラーグに対する詩歩君の影響力を考えると、将来的に詩歩君は公私に分けて人付き合いする必要があると思わんかね?今の詩歩君の周りは、ラーグ人たちにとっては「神のように敬愛する者に、馴れ馴れしくしている者がいる」と言う状態じゃ。接する人数が説得可能な数の今はまだ良いが、交流が進むにつれ必ず歪みは生まれよう。ワシが見るに、詩歩君の周りは良くも悪くも場を選ばずに友達感覚が強すぎるようじゃからなのう。そういったことを考える大人が、しばらく身近にいるべきではないのかな」 「それが死者である必要がどこにある。アカデミアの教師陣だっていいじゃないか。詩歩殿だってもう1人で歩いてゆける。霊の存在を否定するつもりはないが、死者が死者の国に行くは、次なる生への準備のため。それが自然の流れだ。とどめればそれこそ歪みが生まれるぞ」 「じゃからいつまでもとは言うてはおらんじゃろう。心残りをなくしてからでも遅くはないんじゃないかと言うておるんじゃ。ワシに従属する形なら、存在を保つためのエネルギーを、時間を与えてやれる。いかがかな?」 不意に消えてしまった存在。二度と取り戻せないと思っていた温もりや笑顔。それが思いがけず再び与えられて、詩歩の心も揺れ動いていた。例えわずかな時間でも、またともに過ごせるならばと思っても仕方はないだろう。毅たちもエルンストの申し出に迷いを見せていた。彼らの気持ちは隆紋にも痛いほどわかっていたが、だが己の学んできた道を信じるためにも、たとえ他者に非難されようと、残ると申し出たならば力ずくであの世に送り出すつもりでいた。 「研究のこととかはよくわからないけど……」 話し出したのはレイシェンだ。 「少なくとも、詩歩には、たくさんの仲間がいるから……大丈夫。確かに、これからもいろいろあるだろうけど……詩歩は、絶対に、おれが守る。だから、安心して」 「レイシェンさん」 肩をぎゅっと抱かれて、詩歩がレイシェンを見上げる。レイシェンの顔には固い決意が浮かんでいた。と、2人の背後からジュディ・バーガーががばっと抱きついてきた。 「猫間先生の言うコト、もっともネ!出会いと別れは、必然デス。出会いはウレシく、離別はカナシイ。デモ、必然ならどちらも大切にシナイと。ハウアー先生みたいなアンデットが例外中の例外なんデス。わかりますカ?辛くても、未来のために、ミンナ歩き出しまショウ」 ジュディの暖かく大きな温もりに包まれて、詩歩が決心したように両親に目を向けた。 「今まで……見守ってくれてありがとう。お父様もお母様も大好きよ。会えなくなるのは本当に悲しい。けれど、それはお父様たちのためにもならないのよね……?だったら、ちゃんとお別れを言います。ハウアー先生の気持ちも嬉しいけれど……導き手には、ハウアー先生もなってくださるでしょう?だから、自然を捻じ曲げないで、行くべきところへ行かせてあげてください。私は本当に大丈夫だから。自分のやるべきこと、わかっているから。心配しないで」 「むう」 詩歩に甘えるような笑顔を向けられて、エルンストがうなる。強くなった娘を見て、毅たちも迷いが吹っ切れたようだった。目線で隆紋に合図した。隆紋がすかさず呪文を唱えだした。 「名残は尽きぬとも、疾く、逝け!ご夫妻の命も御霊も、詩歩の中にある。……勅!」 ラングリア夫婦の体が光りだした。光の中に体が透けていく。ジュディが歌を歌いだした。 大いなる光 優しき言葉…… あなたは 苦しみの中にいた私に 光を投げかけてくれた 失望の中で生きてきた私は 光に希望を与えられた だから 閉ざされた心は いま光に満ちている 恐れを教えてくれたのも 恐れから立ち直るすべを教えてくれたのも あなた…… あなたを信じたとき 私の心に光が宿りました…… いつ、どんな時代に生まれても あなたと出会い 涙した日を思い 私は太陽のように輝いて 永遠にあなたのことを歌い続けます…… ジュディの朗々とした声が響く中、ラングリア夫妻の体は微笑を浮かべながら静かに消えていった。ジュディは歌いながら力いっぱい詩歩とレイシェンを抱きしめていた。顔と顔が近づいて、詩歩が赤らむ。珍しくレイシェンも赤らんでいた。歌い終わると、ジュディは2人を解放して励ますように背中をばちんと叩いた。 「人生の半分が悲しみナラ、もう半分は歓びで満ちてイルネ!だからこそ人生は素晴らしいんデス」 ぱちんとウインク1つ。レイシェンがそっと詩歩の手を握った。隆紋が立ち去り際、詩歩に言葉を投げかけた。 「知っておるか?人は、きちんとした死を描くために、生を受けるんだ。それに、詩歩殿が心にとどめ置く限り、父君母君の命が途絶えることはない……必要とあらば、死者の気配を感じる方法を教えよう」 「ありがとうございます。でも、大丈夫です」 詩歩がレイシェンの手を握り返してはっきり言った。ジュディの体に押しつぶされていたティエラが文句を言い始めた。ティエラを背後から抱きしめたのはちとせだった。 「ちょっとー!なにするのよっ。離して!」 ちとせは手の力は緩めずに、笑顔を詩歩に向けた。 「逝ってしまわれましたね」 「うん……心配してくれてるの?ありがとう……大丈夫だから」 詩歩が気丈に笑い返した。ちとせが緩やかに首を振った。 「もう、いいんですのよ。泣いてしまっても。悲しみというものは、ためこむよりもいっそ表に出してしまう方がいいのです。辛くないはずなどない……ご両親を思ってらした分の思いがあるはずですわ。大事に思っていた分、思いっきり泣いてしまってくださいませ。だれも責めはしませんわ……それに、あなたを支えてくれる人がいらっしゃるのですよ」 ぐいっとティエラを引っ張ってレイシェンの肩から浮遊バスケットに乗り移らせる。ティエラがなおもわめいていると、ちとせがめっと叱った。 「このままここにいるのはヤボというものですわよ」 「あ〜ん、レンの莫迦〜幸せにならないと許さないんだからね〜〜〜!」 ティエラの叫びが遠ざかっていく。それを背に、レイシェンが詩歩を抱きしめた。 「まだ、問題とかはたくさんある……。でも、最初の一歩が一番大事だから、こうしてみんなが平和にいられる時間をもてたことは、素直に喜ぶべき、だと思う。詩歩はこれからいろいろたいへんだろうけど……だからこそ、ずっと側にいて、一緒に頑張りたいって思う」 「レイシェンさん……」 「レンって呼んで?……これからのことは、ゆっくり、少しずつ、頑張ればいい……と思う。だから、ちとせが言ったように、今だけは無理しなくていい。無理して我慢しても、ずっと辛さが残るだけだから……お父さんもお母さんも喜ばないよ。それよりは、きちんと泣いて、悲しみとか苦しみ、全部吐き出してしまおう。それから前を向いて、頑張っていこう」 抱きしめた手に力を込める。詩歩の目に涙が浮かんできた。 「おれじゃ、頼りないかもしれない、けど。でも、詩歩が泣きたいとき、辛いとき、こうやって詩歩のこと、守るから。側にいるから……詩歩のこと、好き、だから」 「レン……うん、私も、レンが好き……ずっと一緒に……」 あとは泣き声にかき消された。レイシェンは優しく頭を撫でながら詩歩を抱きしめ続けた。 やがてシエラがはっと気づいた。 「あ〜びっくりした。驚いて心臓が止まって、うっかり一緒に逝ってしまうところだったわ。って、あれ?あの2人は?」 「天国に行ったよ。笑いながらね」 レイシェンが説明すると、シエラがう〜んと悩んだ。 「天国ねえ」 「シエラは、霊の存在、認めていないんじゃなかったっけ?」 「……認めるわよ。自分の目で見たことまで否定しないわ。……ああ!恐怖のあまり全身が真っ白になっている!」 「それ、もとからだし」 混乱したシエラの台詞に、レイシェンの容赦ない突込みが入る。泣いていた詩歩がレイシェンの腕の中でくすくすと笑い始めた。泣いていた詩歩に気遣っていた周囲ががやがやとまたにぎやかになりだす。それを離れた場所で見ていたちとせが空に向かって呟いた。 「詩歩さんは大丈夫……レイシェンさんがいます。私やみんな、たくさんの友達、ラーグの人々がついています。もう詩歩さんは孤高ではありませんわ。ですから安心してくださいませね」 空では月がまばゆい光を放っていた。 |