「誰がための物語」

第五回(最終回)

ゲームマスター:秋月雅哉


●それからの日々
 王弟、フィリエルが世界を救うために、自身が世界を滅ぼさないために天の国へと幽閉されることを選んだのは、ドラスの暦で三年前の春だった。
 そしてカインが凶行にはしった二年間。召喚され、ひそかに故郷に送り返された落ち人は五十人を超え、火刑に処された民は千を超えた。
 そんな荒廃したドラグニールに落ちてきた、意図的に召喚された最後の落ち人たちは八人。
 時に力を合わせ、時に違う派閥につき、最終的に国王サイドとレジスタンスサイドの足並みをそろえることに尽力した彼らは、今新たな選択を迫られようとしている。
 すなわち、ドラスにとどまるか、それとも本来の自分の世界に戻るか、だ。
 とりあえずのごたごたは片付いたし、よかったらフィリエルの帰還パレードに参加してほしい。そんな国王カインの申し出で落ち人たちは王宮の客棟に滞在していた。
「この王宮、あまり人がいないんですねぇ。とっても広いのに、なんだががらんとしています」
「王族に妻帯者や子供がいないからね。妃が何人もいると、女官の数は何十倍にもなるんだけど。僕の圧政について逝けないって野に下った官吏も結構いるし、そうだね、人は少ない方なのかもしれない」
 リュリュミアに今後どうするのかを聞きに来たのはカインで、素直な感想に少し苦笑いをこぼす。名君だ、などと言われている割に人がついてこない王だな、と自分で自分を笑ったようだった。
「リュリュミア君はなにか希望はあるのかな、これからのことについて。あまり人にかかわろうとしないように見えたけど」
 会議の場にも、最初は訪れるつもりはなかったと報告があった。それでも来てくれたし、訪ねれば迎え入れてくれるのだが。
「みなさんとも知り合いだったとは驚きですぅ。……それで、これからどうするか、なんですけどぉ。そうですねぇ、最初に目が覚めた森にいきたいんですよぉ」
 緑がたくさんあるところのほうが落ち着く、という彼女の希望で中庭に出られるようになった客室。だが、正直に言えば中庭に出ているだけでは落ち着かないのかもしれない。
「最初に、というと国有林か。うん、構わないよ。君なら勝手に木を伐採したりはしないだろうし。あそこで暮らすのかい? それなら、食べ物を毎日届けさせるくらいのことはするけど」
「あとのことはあんまり考えてないんですけどぉ、足の向くままあちこちおさんぽしたいですぅ」
 戻りたくないわけではないが、リュリュミア自身には特に急ぐ理由はないので、という答えを聞いて、旅に出たくなったら声をかけてくれれば旅券を発行しよう、とカインは請け負う。
「ドラグニールの各地と、聖龍国を歩くなら持っていても損はしないよ。邪龍国と黒龍国では見せない方がいいけどね」
「ありがとうございますぅ。せっかくだから、のんびりさせてもらいますねぇ」
「うん、散々な目に合わせてしまったけれど、ドラスでのひと時が君にとって思い出になればうれしいな」
 そう言いながらカインが取り出したのは、神龍のアミュレットに似た、けれど放つオーラの違うアミュレットだった。
「これはね、土と水に反応する。植物が好きな君は、きっと種子を育てるのも好きじゃないかと思ってね。痩せた土を肥やし、適度な水分を与えてくれるんだ。褒賞といえるほど大したものじゃないけど、もしどこかで花畑を作るときは使っておくれ。地面に置いて手で触れればそれで発動する」
「ありがとうございますぅ。便利なものですねぇ」
「うん、じゃあ僕はほかにも用事があるから。なにか欲しいものとか困ったことがあったら女官か侍従か……ランスかセレンかフィルか僕に行ってくれ」
 できるだけいいように取り計らうよ、というとフロックコートを着た国王はお茶を飲み干して立ち上がった。

「世界を巻き込んだ、はた迷惑な兄弟げんかと言えなくもない話でしたわね」
 アンナ・ラクシミリアの言葉にフィリエルとセレンが肩をすくめる。魂の色が似通っているのか、フィリエルとセレン、二人の面立ちは目や髪の色、性別をのぞけば瓜二つだ。
「パレードに参加してもらえないのは、少し残念だな。ドタバタ続きで観光とかもしてないでしょう?」
 落ち人が自由に歩き回れる世間になったのに、と別れを惜しむセレンをとりなすのはフィリエルだ。
「カインが許可もなく勝手に連れてきたんだ、落ち人の皆にも皆の生活がある。オレたちが引き留めていい時間は過ぎたということだろう。……縁があればまた会えるさ。えにしは結ばれてしまったからな」
「問題ないと思いますけれど、この国で生活している人たちの様子を確認したら、元いた世界に戻りますわ。わたくしにも留学生としての生活があるのですから」
「留学生か……外国に文化や学問を学びに行く制度だったか? 道草を食わせて申し訳ない」
「構いませんわ。異世界というのも他を学ぶにはいい場所でしたもの」
 ここにカインはいなかったが、カインがからかい、フィリエルが機嫌を悪くし、ランスが茶化してセレンがそれを見守る。そんな美形の兄弟の戯れというのは薄い本みたいでちょっとドキドキして、それをもう見られなくなるのは少し残念かもしれない、とアンナはフィリエルが聞いたら頭から湯気を拭きながら怒り出しそうなことを内心で考える。
「まぁ、パレードに参加してからになりますかしらね、帰るのは。笑顔で締めくくられたなら、旅をしたかいもあるというものですわ」
「あ、そうだ、忘れるところだった。これ、報酬。そんなたいそうなものじゃないからお土産って言った方がいいかもしれないけど」
 セレンが取り出したのはうっすら紅の色を帯びた鱗のアミュレットだった。
「火と、風を起こすことができる魔法グッズなんだ。寒いところに行っても暖かい風をあたりに吹かせたり……あとは、のろしを上げたりするとき便利かも。よかったらもらってくれる?」
「まぁ、ありがとうございます。どうやって使えばよいのかしら?」
「アミュレットに手をかざしてどのくらいの熱量や風量が欲しいかをイメージすれば大丈夫」
「役に立てばいいのだが。はるばる異世界からきてもらったのに何も持たせずに帰すのはな。骨を折ってもらったし」
 とりあえず拒まれなかったことに安心した様子のフィリエルとセレンに挨拶すると、アンナは火と赤銅亭に顔を出してみることにした。

「ところでこの国の民は、寿命と資産の反比例でバランスがとれているというが、人生の途中で裕福なものが落ちぶれてしまった場合はどうなるのであるか? 落ちぶれた分、寿命が延びるというわけでもないのではないのだろうか」
 カインの退位はなかったがいつか民主制になった場合はどうなるのだろうか、と萬智禽・サンチェックはランスに問いかける。地位や財産を失うが寿命は短いまま、というのはあまりに気の毒すぎると思ったらしい。
「今まではいつ死ぬか、なんで落ちぶれるかとかも予言に強要されてたからなぁ。平民よりは短く、貴族よりは長生きしたはずだぜ」
「血族に伝わる遺伝のようなものであるか? つまり、短命な元王族の子孫は短命なままなのであるか?」
「血縁ってのが、王族にはねぇんだよなぁ。髪と目の色で決まっちまってたし。そういう意味では呪いみたいなもんかね。他の世界にゃ王は転移に背かない限り不老不死、なんてところもあるらしいが」
 すくなくとも俺はあんまり長い気はしたくねぇなぁ、とランスは広い肩を軽くすくめた。
「なぜか聞いてもいいであるか?」
「飽きるから。平民とか毎日畑仕事を何百年ってやるんだぜ。頑張っても不作の年は飢える。実際に暮らしてみりゃ、日々の生活に手いっぱいで飽きる暇もねぇんだろうし、身分がないからこそできる自由とかもあるだろうし、貴族ってのは肩こるけどさ。景気良く咲いて景気良く散りたいんだわ、俺的に」
 サンチェックはドラスの民に多様な世界のありようを示す一環として、自身が知っている世界の知識を書物にしておいた、とランスに告げる。
「いってみれば架空世界事典みたいなものだ。もしかしたら予言書になるかもしれないが」
「コンピューターに鉛筆に消しゴムねぇ。いやぁ、懐かしい異世界の匂いだな」
「しっているのであるか?」
「昔、カインとフィリエルとセレンと俺で、世界を渡り歩いたことがある。フィリエルと死神やったり、世界の脅威と戦ったリな。これでもそれなりに働いてるわけですよ」
 口の端だけで笑った後、ランスはここに来た目的を忘れるところだった、とサンチェックにアミュレットを差し出す。風に揺れる水面が景色を映しているように、様々な色に変わるものだった。
「目玉の姿だと不便だろ。これに念じれば、他の連中から見たときに望みの姿に見せてくれるまじないがかかってる。いろいろやってもらったことと、この世界に来てくれたことへの土産のかわり。あんたらがいなかったらカインとフィリエルはすれ違いっぱなしだったからな。あいつらなりに感謝はしてるんだ」
「頂戴しよう。感謝する」

「よかった……フィリエルにも心があるってことを、ようやくみんなが認めてくれたんだね」
 姫柳 未来はそれだけでもここに来た理由にはなった、と銀髪の少年に微笑みかける。
「どう? 三年ぶりのドラグニールだって聞いたけど、やっぱり変わった? 懐かしい?」
「墓が増えたな、と。あと、内乱があったから仕方ないがやはり昔より空気が荒んでいる。復興までにはまだかかるし……カインが奪った命は、戻らない」
「そうだね……でも、過去を振り返るのは大事だけど、前を見ることも大事だよ?」
「あぁ……わかってる。でも苦手なんだ」
 オレには壊す未来しかないと思っていたから、とフィリエルは少し困ったような顔をして。
「そういえば、土産に皆にあれこれ渡しているんだ。よかったら君にも送らせてほしい」
「風と雷にまつわるもの、お願いできるかな?」
「あぁ」
 フィリエルが羽根を一枚引き抜くと、何かを念じるように古代語で呪文を唱える。
 透き通った緑に金が舞うアミュレットが出来上がった。
「雷雲を起こすことのできる魔法グッズだ。風だけ使うなら……役に立つのは船旅かな。凪の時に風よふけ、と念じればいい。雷は落とす対象を見つめて念じればいい。雷雲は呼べるだろうが……起こす規模に気を付けて。制御が難しいだろうから」
「ありがとう。これから先、誰かを守るために役立てさせてもらうね」
 そうしてくれると嬉しい、とフィリエルはようやく笑顔を浮かべたのだった。

(これで本当によかったのでしょうか……)
 マニフィカ・ストラサローネは予定調和の社会システムが役目を終え、新たな変化が生まれようとしているドラグニールの城下町をセレンと一緒に歩いていた。
「一般論として停滞の解消にはクラッシュ&ビルドという手順……つまり破壊と再生が欠かせないと思うのですけれど……セレン嬢はどう思います?」
「うーん、破壊はあったよね。破壊っていうか犠牲。たくさんの人が死んだし、傷ついた。だからこそ、その人たちの死が無駄にならないように変えていかないといけないと思う」
(フィリエル卿が世界を滅ぼすという予言が、予定調和の旧世界を終わらせるという解釈だったなら。なぜこのドラスの、光の象徴である神龍がなにも反応を示していないのでしょうか)
 黙認するつもりなのか、神への反逆に天罰を持って報いるのか。それとも、神の世界は遠く離れてしまったのか。
 可能であれば神龍の意志を図ってみたいと思いつつも、それはパンドラの箱を開けることになるかもしれない、と思うとフィリエルに問うこともためらわれた。
 マニフィカはかねてより願い出ていた通りセレンに弟子入りして日々を過ごしていた。セレンはあまり国政にかかわらないらしく、そのかわり医療施設の充実や福祉施設の拡張などの慈善活動を取り行っているらしい。
 ちなみにランスは近衛騎士団長として国の治安維持や王族の護衛を取り行い、フィリエルは邪龍国や黒龍国が攻めてきたときに迎え撃つ軍事総長としてランスより強い軍事特権を持つ。
 国王であるカインは軍事に介入する権限を持たない代わりに文の長として民の細かな陳情に耳を傾け、収穫物や貿易で得た利益を国に還元している。
 マニフィカはそんな四人の補佐をしながら、セレンだけでなくカインやフィリエルからも魔法を教わっていた。
(でも……生きる時間は違うのですよね)
 隣を歩く少女は、長生きしても二十年程度の余生だという。ランスやカインに至ってはその半分に満たないのかもしれない。
 長命の種族であるマニフィカにとってはそれほど長くない……否、短い月日を、一緒に過ごしてから故郷に帰る道を選んだのだった。
「そうだ、これ、今までのお礼。ボクと初めて出会った時、結界の張り方に興味を持っていたでしょう? あれの応用で周りの植物に干渉したり成長速度を速めたりすることができるんだ」
 植物が必要とする光を生み出すこともできるんだよ、とセレンがマニフィカに手渡したのは木漏れ日を見上げたかのように煌めくアミュレット。
「一期一会、って昔旅した世界の言葉であったんだけどね。ボクたちは、長く生きられないから。えにしを交わしたことを、残していく人たちに覚えていてほしいなって」
 まだまだやることあるから死ねないけどね、と明るく笑うセレンに、よろしくお願いしますね、お師匠様、とマニフィカも穏やかな笑みを返すのだった。

「記憶を戻すのは当然だけど、返品するなら多少の改ざんや修正をしてくれた方が、よっぽど気が利いていたかもしれないわね」
 ジェルモン・クレーエンが生きていたことはシェリル・フォガティにとっては嬉しいけれど、二人の距離は苦しい。
「いじった記憶は、いずれ破綻するよ。その時に文句を言おうにも、ボクはその頃には墓場だからね。それに……ありのままの記憶を返せ、今までの自分を返せ、勝手に奪うな。それは落ち人の総意だと思っていたけれど?」
 シェリルの言葉に動じることもなくカインは目を細めて茶器をソーサーに戻した。
「それとも、いじってほしいのかい?」
「……やめておく。人をモノのように扱うのはサイテーだわ」
 感覚も感情も、情熱も情愛も、手足をはじめとするからだも。自分だけのものだから。
「大切な人が傷つけば苦しみ、失えば悲しみ、蔑まれれば怒る。もう終わりにしない?」
「……何がいいたいかは、向かい合っている時にきくことにしているんだ。お前は独断専行が過ぎる、と身内に諫められてね」
「もう終わりにしたくない? すくなくとも、自分の後は」
 大切に思う相手を守りたいと願い、その願いがまだ手遅れでないなら争いに持ち込まないのが一番いい、とシェリルは紅茶に視線を落として告げる。
「……邪龍国の側にとっても。彼らが護りたいものは、在るはずでしょう」
 予言に縛られない世界を作る戦いには着手した。王と民の溝も、少しずつ浅くなっていくだろう。
「思い余って自分の国を滅ぼしても構わないと考えられるような事態に追い詰められないとわからない理不尽……強要されている自分自身の生まれや生き方に、ドラグニールの民は気づいてしまったわ。知らずに過ごせた方が楽だけど、もう遅いの。他方が生きる限りもう一方は生きられない? それが何?」
「ふぅん……ところで隠密とか興味ある?」
 邪龍国や黒龍国の内情を知る、腕の立つ人を探してるんだけど、とカインは底の読めない笑みを浮かべて軽く首をかしげた。
「報酬は?」
「お望みのままに。これは土産。もう会えない人に、夢で逢うまじないのかかったアミュレット。迷惑をかけたからね」
 彼とは、言葉を交わさないの。その言葉はあえて無視した。目をそらした先に、ジェルモンの姿。複雑な思いを抱きながらしばし見つめ合い……そしてそらした。
 なされたこと、つまり過去は覆らないし、シェリルを赦さないのは彼女自身。自分の元々の世界を離れても、シェリル自身が許さない限り罪の意識は影法師のようについてくるのだ。
 視線を外されたジェルモンはまぶしいものを見るような目でしばらくシェリルを見つめていた。
 カインがシェリルを見送った後ジェルモンとフィリエルのもとに歩いてくるのを見て、フィリエルが口を開く。
「声、かけないのか」
「あぁ……無事な姿を確認できたのだ。それだけで、過分に過ぎる」
 王よ、神龍主よ、とジェルモンはシェリルが立ち去ったことを確認してフィリエルとカインに向き直った。
「二度と過ちは犯さない。その誓いは今までに何毎回破られたのであろうな。だが、それでも誓いを求めたい。単なる詫びが、人に命を賭けさせ、ある者には死すらもたらした行為に対して十分に釣り合いがとれていると考えているなら、無理強いはせぬが」
 雇われた記憶もなく呼びつけられ、それなりの働きをした自分たちに何を持って報いる、という言葉に兄弟は一度視線を交わし合い。
「まず、処刑した人たちの家族への援助。ドラグニールを見限るというなら出国の許可。次に、知識の底上げ。識字率は低くはないけれど、国政についても学んでもらい、王が倒れたときに、そして世継ぎがいなかった時に……あるいは王が無能だった時に国を治められる人材の育成」
 ドラグニールが抱える問題を一つ一つ挙げ、それにたいして現状とることのできる対応をカインが提案していく。
 フィリエルが時折それを補い、これが自分たちにできる償いだ、と告げるのを聞いてジェルモンはうなずいた。
「それと、これはシェリルにも渡したものだ。夢の中で、もう会えない人に会えるまじないを施したものだ。せめて夢でくらい、会えた方がお互い安心するのではないかと思ってな」
「しかし……」
「会えるのが今の彼女とは限らない。僕たちが知らない、君たちの過去からも知れないし、未来を夢見ることはだれにも止められない。いつか君たちの道が交わることを、個人的には願ってるけどね」
「……受け取らねば、気はすまぬのか?」
「善意は押し付けるものだからね」
 わかった、とカインの推しの強い笑顔に負けてアミュレットを受け取るジェルモン。
「君はどうするんだい? 彼女はこの世界にしばらく残るそうだけど」
「帰るさ。役目は終えた。……ドラグニールの民は、予言が絶対ではないということを理解し始めているとはいえ、認めたくないようだな」
 彼らにとっては世界の根幹が揺らぐ出来事なのだから、無理もないが。
「フィリエルの出自や周辺のことについて、いかに予言が合致してこなかったのかを示してやればどうだ? 実例や証拠をあげれば予言に縛られることの愚を悟るきっかけになろう」
 理として定められていたもの、予言として絶対に思われていたことで変えられることは何度もあったはず。食い違ってきたこともたくさんあったはず。
「人が自分が望まない人生の選択をせねばならない事態に直面する可能性を最小にするためには、可能な限り事実を知ることだからな。それでも情に流され判断を誤ることがあるとしても」
「そうだね、少しずつ広めていくよ」
 この世界がどれだけ、理不尽だったのかを、いい加減に知らなくてはいけないときが来た。ぬるま湯のような、けれど地獄から、出る時が来たのだ。

 ビリー・クェンデスは国王とレジスタンスが和解してから、少しずつ、はじめて城下町を訪れたときに感じた辛気臭さが薄れていくのを感じていた。
 セレモニーやパレードを、財政が疲弊しない程度に開催することを積極的に手伝い、この世界で唯一の不老不死であるフィリエルが始まりと終わりを司る調停者としてドラグニールに好意的に受け入れられるよう日々奔走している。
「笑う門には福来る、や!」
 そういって商品の売買に顔を出すはだしの少年に、商人たちはその口癖が気に入ったらしく笑顔で商談を持ち掛ける。
 神様の見習いであるビリーはまだ未熟で、ゆえに大勢を救う力はない。けれど歩み続ければどこかにたどり着くし、悔しさと同時に無力さを感じたことで先の長さを知る。
「すこし、構わないだろうか」
 救えるものは、救いたい、と。渇望にも似た使命感と存在意義を持って、どこの世界、どんな時代においても社会的な大きな変化は痛みや犠牲を知っているビリーは、自前の飛空艇でドラスを見て回ろうと決意する。
 そんな声がかかったのは荷物を積み込んだ時。
 最後のパレードの日、王族の四人が演説台に立つ待ち時間だというのに、王弟はビリーを探していたらしい。
「晴れ舞台やのに遅刻はあきまへんで」
「あぁ、すぐに戻るつもりだ。カインに、ずいぶん心を砕いてくれていたようだ、とランスとセレンから聞いている。それと、マニフィカも言っていた。一番救われるべきなのは、カインじゃないか、ともらしていた、と」
 よくあの圧政を見ていえるな、と感心した、と調律者は小さく苦笑するとアミュレットを差し出した。
 どこまでも澄んだ、鋼の色をしたそれは触れると微かな振動を感じる。
「君は商人だと聞いている。そのアミュレットはそうだな……なんといえばいいだろう。人がごまかそうとするとき、振動が止まるんだ。不適正な価格で商談を持ち掛けられても、ドラスの価値観は不慣れだろう? 感謝を込めて、君に」
 自分自身で本質を見出したいときは、袋にでもしまっておいてくれ。そういって演壇へと駆け戻っていく。
「忙しいやろに……一つ一つ考えたんかなぁ、落ち人たちへのお礼。律儀な人や」
 すこしざわついていた広場に、フィリエルが柔らかく澄んだ、けれど張りのある声が響く。
「神龍主として未熟な自分を、それでも迎え入れてくれた皆に感謝したい。そして、ドラグニールの平和のために尽力してくれた、異界の朋友(とも)に言葉にできないほどの感謝を捧ごうとおもう……」
 誰かのためを謳いながら自分のために紡いだ物語。自分のためでありながら、それでも誰かを想ったからこそ歪んだ物語は、幕を閉じる。