『紅の扉』 〜ヴェルエル編 第六回
ゲームマスター:秋芳美希
『緑の窓』サポートへようこそっ! 『ヴェルエル』世界へのご来訪ですねっ! 今までと特に変化のない暗闇の中、案内役のウェイトレスであるヤヤの明るい声が響く。 ただ一つ、今までと違うのは、可憐なヤヤの顔立ちがはっきりと見えるところである。 緑がかった金色の髪を持つ少女ヤヤは、異世界人リュリュミアたちの要望によって顔を見せられるようになったと喜んでいた。 そんなヤヤの指し示す世界は、 −−−−−−−−−−−−−−−−−−− 『ヴェルエル』世界の3勢力圏セントベック・ユベトル・エルセムは未だ、それぞれが鎖国状態が続いていた。その鎖国理由とは、見慣れない者が出没した後に「住人が消える」という異常な事態が頻発したからによる。こうして理由のいかんを問わず、見慣れない異国の者たちが捕らえられている3勢力圏。 そんな中、倒れるセントベック勢力圏の統治者フィルティ・ガルフェルト。その原因が異世界人の乙女リュリュミアであるという疑いがかけられてしまう。一方、エルセム勢力圏の統治者であるソルエ・カイツァールを害するという罪を被せられたのは、異世界人クレイウェリア・ラファンガードだった。“ソルエ誘拐”という形で、クレイウェリアの手によって、ソルエは一命をとりとめる。そんなエルセムでのモンスター騒ぎの根源も、ソルエの義兄ゲイル・カイツァールに仕組まれたものだということは、異世界人ジニアス・ギルツとラサ・ハイラルとによって解明されつつあった。他方、ユベトル勢力圏のスフォルチュア国に存在する異国人収容所では、異形な者との戦いが繰り広げられている。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−− ……というものだった。 『ヴェルエル』世界に向かうには様々な制約があり、冒険者たちにとっては難儀な世界であるといってよかった。けれどその制約を乗り越え、ヴェルエル世界に向かおうとする来訪者たちはいたのだ。そんな彼らに、 ××おじゃましますぅ。『バウム』フロアチーフのララですぅ×× という毎度おなじみな声がかけられる。その声の方向に向かった彼らに、ララの声が届けられる。 ××ヴェルエル世界にご来訪中の皆様のご活躍によりましてぇ、『バウム』でも調査不能でした各勢力圏の情報がさらに明らかになってまいりましたぁ!×× 礼を伝えるララは続ける。 ××そしてぇ、「指定座標の鍵」をお任せできる「ポイント付与」が、開始されておりますぅ×× ララの示した「指定座標の鍵」とは、ヴェルエル世界の特定座標に関る理解度を測るものであった。すなわちヴェルエル世界の特定の地域をより理解することで、この世界における他世界の干渉を排除できるというものなのだ。その理解度判定に応答した者たちにララは言う。 ××今回にて、鍵ゲットの方がいらっしゃいますねぇ。おめでとうございますぅ!×× この回の来訪において、高い理解度を示した来訪者たち。その来訪者たちの中でも、協力者を得ることでさらに高いポイントを得た者が鍵を獲得していたのだ。ララは、鍵を得た人には、「鍵をかける・かけない」の選択ができるシステムを用意中なのだと言った。そして、 ××まだ鍵をゲットしていなくても今回でゲットできるぅ!!……と思われる場合はぁ、鍵の開け締め申請を「行動予定」の中でお知らせいただくことも可能ですぅ。ぜひご活用くださいですぅ×× と、ララは今後の利用方法についても伝えていた。 そうして来訪準備を整えた者たちに、ヤヤが声をかける。 「それでは、これですべての用意が整いましたねっ! ヴェルエル世界へ向かわれますか?」 頷く者たちに、少女の声が緑色にゆれるヴェルエル世界へと導いてゆく。 「お気をつけて、いってらっしゃいませっ!!」 少女の声と同時に、それぞれが目指した場所。緑の深い世界が目の前に広がった。 ○セントベック首都ベック_ベック芸術館《E21事件中心地/7の月25日/12:00》 重厚な造りをした白い大きな建物。その前に広がる緑の芝は、点々とオブジェが置かれたベック芸術館の庭園であった。その中でも一際目を引くのは、純白の巨大オブジェ『風の魔法使い』だった。その巨大オブジェからさほど離れていない位置に、たんぽぽ色の幅広帽子をかぶる乙女は現れていた。 「ふわあぁぁ。まだちょっと眠いですかねぇ」 ◆ リュリュミアがセントベックに現れる前の刻。 ヴェルエル世界にほど近い『緑の窓』で、リュリュミアはぐっすりと眠っていた。 「よほど消耗したのですねっ」 リュリュミアのおかげで顔立ちをはっきりとみせられるようになったのは、くせのある髪をポニーテールにまとめたウェイトレス、ヤヤだった。そのヤヤが、暗闇の向こうに声をかける。 ××一度帰還することで、すべての体力はもどっているはずなのですがぁ……×× ヤヤに応える声が、消耗数値は測定不能と苦慮する。 「では、精神的なものかもしれませんねっ!」 ヤヤの意見で、応える声の主はリュリュミアの脳内数値を様々に測定したらしい。 ××……そうですねぇ。精神的なものとするならば、リュリュミアさんの無意識下に存在する睡眠欲求が満たされていないからなのでしょぉ〜×× 測定結果を聞いたヤヤが、今後の案内方法も考えて確認する。 「あのっ! リュリュミアさんの眠りに対する時間的制限・能力的制限などは発生しますかっ?」 ××時間的・能力的制限は発生しませんがぁ、あえて体力に制限が発生するならばぁ×× 『バウム』を空間維持するフロアチーフは言った。 体力制限は、“寝過ぎ”……であると。 この後、目覚めたリュリュミアは、『緑の窓』内では何もできないことを確認して旅立っていたという。 ◆ 寝ぼけ眼をこするリュリュミアが辺りを見回すよりも早く、力強い男の腕がしっかりとリュリュミアの腕を捕まえた。と、同時に、突然警報が周囲に鳴り響く。 「え、え、え、え〜?? どうしたのでしょお〜??」 困惑するリュリュミア。その周囲は何重にも屈強な男たちが取り囲む。リュリュミアは、フィルティ昏倒の調査をする警備隊員たちの中心に現れたのだ。 「えーと? この制服には、覚えがありますよぉ。何だか、ライアンさんが着てたのと似てますよねぇ」 どんな状況に陥ってもマイペースなリュリュミアの言葉に、リュリュミアを捕まえた男が声を荒げる。 「この者は、統治者付護衛長官ライアン様を知っているぞ!!」 男の声に、周囲の者たちが銃を構える。 「えとえと。フィルティの処に連れて行って貰えますかねぇ」 険悪な雰囲気に飲まれないリュリュミアは言う。 「フィルティにはお見舞いに、苦いけど飲むと気分がすっきりする草の汁を作ってあげたいんですけどぉ」 本来ならば、『緑の窓』内部で花束も用意して持っていきたかったリュリュミアである。しかし、今回ばかりは「時間的継続性の付加された原材料」や「異空間移動のための調整要素」がなかったのだ。しかも、現地で用意する時間的余裕も今回ばかりはなかったらしい。そんなリュリュミアに、厳しい表情をした男は言う。 「見舞い? フィルティ様がお倒れになった後、目覚めないのか知っているのか?」 「“草の汁”だって怪しいぞ! もしやとどめをさそうとしているのではないのか?」 「やはり、この者はユベトルの魔女なのか!?」 騒ぎの中、リュリュミアの前に黒い馬に乗った屈強な男が彼らに声をかける。 「静かに! 尋問ならばこちらがする!」 男の声で、周囲の揶揄する声が静かになる。その中、馬から下りた男は周囲の敬礼の中をリュリュミアの側に足早に歩み寄る。 「昨日は失礼を致しました。部下たちのご無礼もあわせてお許しいただきたい」 リュリュミアの前で片ひざをついたのは、これまで以上に厳しい表情を浮かべるライアンだった。 「あ、ライアン〜! フィルティが目覚めないって本当ですかぁ?」 そんなライアンの登場に、リュリュミアの表情が明るくなる。 「フィルティのところに案内してくれる人にはおとなしくついて行くし、言うことも聞きますけどぉ。直接でなくても、お見舞いを渡せたらいいんですけどねぇ」 このリュリュミアの言葉と素直な変化を見たライアンは、 『確かにこの娘は、フィルティ様も言われていたように害はなかろう。フィルティ様昏倒の原因とも思えん』 と、これまでの自身の考えに修正を加える。 『だが、“バウム”の正体がつかめない以上、すべてを鵜呑みにするわけにはいかん』 そうして、やや穏やかな表情になったライアンは、リュリュミアに言う。 「ではその前に、貴殿には我々の尋問を受けていただきたい」 「えっと、それはかまわないですけどぉ」 「了解いただけて何より」 昨日、リュリュミアの消失する瞬間を身をもって体験したライアンは、リュリュミアに寄り添うように、ぴたりと立つ。 『完全消失までのタイムラグは0.5秒。それだけの時間があれば……』 不穏な動きがあれば即座に対応できる位置に立ったライアンは言う。 「では次に、貴殿が消失される時刻がわかれば、配慮させていただくが」 幾度かのリュリュミアの行動パターンを解析したのは、ライアンを含めたセントベックの国防機関である。消失時間は、多少ならばリュリュミアの自由になることは理解していた。そんなライアンの言葉に、リュリュミアが困り顔になる。 「えっと、ここに居られる時間は決まってるみたいですけどぉ、わたしにはわからないですぅ」 リュリュミアにも実際のところ、自分がいつこの世界を離れてしまうのかわからなかったのだ。 「なるほど。では、次に現れる場所と時間は?」 「わたしが消える前に約束してくれれば、その時間と場所に来ることができると思いますよぉ。あ!場所は、この場所からどっちにどれくらい、とか。目印とかもわからないとダメみたいですぅ」 リュリュミアの説明で、“バウム”なる場所からセントベック勢力圏内へ自由に来られないことをライアンは再確認する。 「では、消えた位置に再びもどることは?」 「それはぜんぜん大丈夫ですよぉ」 リュリュミアの言葉に、ライアンが即答する。 「では先に約束させていただこう。次に消えた位置と同じ場所に、1日後に来てほしいのだが」 「わかりましたぁ。1日後の同じ時間でいいですかぁ?」 リュリュミアの提案に、ライアンは頷いた。一日あれば、消失地点を中心にある程度の警備網をしけるとライアンは読んでいたのだ。 『……そうはいっても、いつ消えるかわからんのでは警備のしようもないのだが』 未知の能力に出会って、打開策に苦慮するライアン。そのライアンは、リュリュミアを捕らえた時の尋問場所を、セントベック勢力圏の異国人収容所と決めていた。だが、リュリュミアの話を確認して、その移送計画にも修正を加える。 『異国人収容所は遠い……飛行機での移動時間中に消失されては、戻る位置すら確保できん……』 こうしてリュリュミアは、馬に乗せられて移送されることとなる。緑の平野を走り続けた警備隊員に囲まれて進むリュリュミア一行。 「えーと?? どこまで行くのでしょうぅ?」 長時間の馬での移動にも大人しくしていたリュリュミア。そのリュリュミアが、背後のライアンに確認する。 「セントベックの異国人収容所という所だ。貴殿にはここで尋問を受けていただきたい」 隠し事をしても意味はないと、ライアンが端的に応じる。すると、リュリュミアから奇声があがった。 「えーっっ!? じゃ、そこはユベトルみたいに、魔族の人が管理してる場所ですかぁ? もしかして魔族のお食事場所だったりしますかぁ??」 リュリュミアの言葉に、ライアンは走らせていた馬の速度をゆるめる。その馬の動きに合わせて、一隊の動きも遅くなった。 「どういうことだ!?」 未確認の情報に驚くライアン。そのライアンに、リュリュミアは自分の知る異国人収容所の情報を口走った。 「えと、それともエルセムのマノメロ異国人収容所みたいに、人をモンスターにしているんですかぁ? だったら困りますぅ」 リュリュミアの言う内容の真偽は不明なものの、得がたい情報であることはライアンにも理解できた。即座に、“一隊、止まれ!”の号令を下すと、あらためてリュリュミアに向き合う。 「その話、詳しくうかがいたい。収容施設ではなく、あらためて当セントベック勢力圏の統治者官邸にご同行願いたいのだが」 自分が何をしたのかわからないものの、異国人収容所に行くのではないことに、リュリュミアは喜ぶ。 「んー? いいですよぉ。その官邸というのは、どこにあるのですかぁ?」 「ベック芸術館の近くにある赤茶色の大きな建物……方角的にはベック芸術館南側の位置に」 突然態度をひるがえしたライアンの説明に、 「わかりましたぁ。じゃ、そこに一日後のこの時間ですねぇ」 とリュリュミアが応じた時、リュリュミアの体はヴェルエル世界を離れていた。 《E21事件中心地/7の月25日/16:00》 倒れたまま意識の戻らないセントベック勢力圏の統治者フィルティ・ガルフェルト。その原因は異世界人の乙女リュリュミアであるという疑いは、統治者付護衛長官ライアンとの対話によって払拭したかにみえる。そんなリュリュミアは、セントベック勢力圏の統治者官邸への来訪を請われることとなる。だが次にリュリュミアが現れる場所はまだわからなかった。 ○ユベトル異国人収容所《N24/5の月26日/2:30》 ユベトルの首都ユーベルから遠く離れた異国人収容所。その収容所は、ユベトル統治者の出身地スフォルチュアにあるという。その施設で、人ならざる者と、異世界の少女と少年とが戦いの中にいた。異世界の者は、可憐な少女アリューシャ・カプラートと大人びた少年アルヴァート・シルバーフェーダ。婚約者同士の二人は、再び離れた世界に戻ろうと動き始めていた。 ◆ アルヴァートは再度『バウム』に帰還したのを好機として、アリューシャに言った。 「今なら脱出するのは容易かもしれないけど……このままじゃここに残っている人たちに危害が及ぶかもしれない……アリューシャを危険に晒すのは本意じゃないけど……」 「わたしなら、大丈夫です。アルバさん」 気丈に応じる婚約者に、アルヴァートは微笑む。 「アリューシャなら、そう言ってくれるって思ってたよ。ここでこの人たちほっていて二人だけで逃げようなんてこと受け入れるはずないしね」 「はい!」 高貴な雰囲気をかもしだすアリューシャは強く頷いて言う。 「あのっ、そうと決まれば早く行きましょう。可能ならば尋問室に近い位置に出られたら良いのですが……」 「ああ。体の位置を聞き込んで把握してるし、この空間の鍵をオレ自身が所持してるから尋問室に直接向かうことが出来ればいいよね」 アルヴァートがすでに『バウム』において得ていたのは、スフォルチュアの収容所周辺地域における異世界干渉を排除できる鍵であった。そしてこの地域への干渉は、アルヴァート自身によって、排除されていた。 「ララはいるかい?」 すんだアルヴァートの美声が、闇の中に響いてゆく。 ××おじゃましますぅ×× と、間をおかず、『バウム』特有の声が返ってくる。 ××フロアチーフのララですぅ。尋問室に近い位置へ移動とのことですねぇ?×× 「はい。可能ですか?」 アリューシャに問われたララの声が謝る。 ××すみません〜、尋問室の顕著な特徴がわかれば、可能なのですがぁ……例えば、尋問室の扉の色が他の部屋と違うとかですねぇ×× それを聞いたアルヴァートは、長居は無用と動きだす。 「うん。今回は無理なようだね。じゃ、元いた場所に再度出現してそこから直接尋問室を目指そう」 「はい!」 そんな二人に、ララが声を届けていた。 ××位置的には、男女の房の中間ですねぇ。もう間近なところまで到達していると思われますぅ×× この言葉を聞いたアリューシャが、納得する。 「では、あの低く唸る音が魔物のものかもしれないのですね……」 「階は違うが、位置としてはオレが一度通り過ぎてるところだよな。でも、その時はあんな唸り声はしなかったな……」 そうして『緑の窓』にてできうる限りの情報を整えた二人は、再び戦いの場へとおもむいていた。 ◆ 二人が現れた場所の闇は深かった。 「看守も含めて……人の気配が、あまりない気がします……」 アリューシャが声をひそめて言う。尋問室までの道に見張りがいたら『眠りのルビー』で眠らせようと身構えていたアリューシャだったのだ。一方、堂々と歩くことに決めたアルヴァートも頷く。 「そのようだね。皆、逃げた男性の異世界人たちを追っていったのかもしれないよな」 他ならぬアルヴァート自身が逃がした男性収監者たち。彼らが、現在も彼らの陽動役になっている可能性は高かった。 「……そうすると、残ってるもう一人、人間じゃない尋問担当の収容所係員っていうのも……外に出ているのか?」 かつてアルヴァートがこの位置を通過した時、収容所の係官らしき者たちが巡回していた。アルヴァートはその幾人かに女性係官らしい挨拶をして抜けている。 「でも……この位置だけ暗さが深い理由も気になりますよね」 アリューシャも自分なりに分析する中、二人が消えた瞬間と同様に、低く唸る音は今もそのまま響いていた。 「音の出所は、このもう少し先か?」 そして、アルヴァートは笛を手に取ると、涼しげな音色を奏で始める。すると、二人の周囲に風の膜が張られていた。それは、飛び道具を警戒するアルヴァートが自分とアリューシャの周りに風の精霊を召喚したゆえである。 「何があってもおかしくないからね」 一曲を吹き終えたアルヴァートは、アリューシャに笑顔を向けた。 音の発する部屋の前に立った時、問答無用で殴り込みをかけたのはアルヴァートだった。 「腕の1本ぐらい斬りとばす!!」 聖剣『ウル』に魔曲演奏で力を加えたアルヴァートが、魔法のチョーカーの力も加えて扉を叩き割る。扉が跡形もなくふっとぶ中、アリューシャもまたアルヴァートの後ろから飛び込んでゆく。 「眠りなさい!!」 真っ先に『眠りのルビー』の力を解放して、尋問室に存在するアルヴァート以外を眠らせようとするアリューシャ。しかし、その手ごたえは、アリューシャの予想していたものとは違っていた。 「あの……もしかして……もともと眠っていましたか……?」 「……そのようだね」 恐ろしいほどの唸り声が響く尋問室内。肩をすくめて互いの顔を見交わす二人に笑いがこぼれる。その二人の前にいたのは、爆音の中でも豪快に眠る巨漢の男であった。 「これじゃ、攻撃してこないのも頷けるよな」 「はい。でも、却ってよかったのかもしれませんね。これだけぐっすり眠っていてくれれば、こちらも助かりますから」 深夜に、魔物のような異形の係官と収容施設内で戦いを繰り広げたアルヴァートたちである。彼らの戦いの最中に、他の誰も現れなかったのはそれなりの理由があったのであった。そして、今も目覚める様子のない男を確認したアリューシャが室内の調査を始める。 「……本当にこんな場所で尋問が行われていたのでしょうか?」 尋問室とは聞いていたが、この男の仮眠室でもあるのか巨大なベッドが半分を占めていた。そして、残りの部分に申し訳程度の机と椅子とが置かれている。 「尋問室といっても尋問の記録ノートのようなものも見当たりません」 素朴な疑問が、アリューシャを支配する。 『若い娘たちは、この場所からは出てこなかった……いなくなる理由があるはずですよね』 収容所の他の建物と壁の質など変わったところはないか、アリューシャはつぶさに確かめる。そして血痕など、暴力的な形跡がないことにアリューシャは少し安心した。 『どうやら、いなくなった人たちは虐殺されているわけではないようですね。でも、先の戦いでわたしの力が抜けた例もありますし……』 魔物のような外見を持つ男の熟睡する間に、アリューシャは壁のあちこちを軽く叩いてみる。すると、寝台と机とのわずかな間の壁の音だけは違って聞こえてくる。 「この奥、空洞があります」 アリューシャの発見を確かめたアルヴァートも言う。 「本当だ。ずいぶん先まで続いているような空気の流れる音だね」 「でも……この狭さは、人が往来できるものではないですよね」 アリューシャが微妙に動く壁を幾枚かパズルのようにずらしてゆく。すると、そこにあったのは、大人が腹ばいになればようやく通れるほどの狭い空洞だったのだ。 「……いなくなった人たちは、ここから連れ去られているのでしょうか……」 「結局のところ、引き渡されたものがどうなったかはわからないしな」 アルヴァートの言葉に、微かな希望を見出したアリューシャ。しかしアリューシャは空洞の角に布地の糸がはさまっている場所を見つけてしまう。 「この空洞の角にも何かスペースがあるようです……」 悪い予感にさいなまれながらも、アリューシャが角の壁を動かしてみる。果たしてそこから現れたのは大量の女性の服。そして、服にからまっていたのは、ひからびた皮と人骨であったのだ。 「あ……あ……」 言葉を失ってしまうアリューシャ。その藍色から流れる涙を、アルヴァートが受け止めてくれていた。 アリューシャが落ち着くのをアルヴァートもゆっくり待つうちに、長い夜が明ける光が届いてくる。そして尋問室の戸外からは、男性収監者の幾人かが捕らえられたのだろう係官らのざわめきも聞こえてきていた。 「……アリューシャ、そろそろ落ち着いたかい?」 「はい……それに、急がないといけませんよね」 気を強く持とうとするアリューシャに、アルヴァートは頷く。そして当初の目的のとおり、生かして情報を得るべく眠り続ける男をふっとばしていた。 「ヴッ! ギャギャ、ワキャキャ!!」 体調2メートルの男は、壁に全身を打ちつけて悲鳴を上げた。 「目は覚めたかい? いきなり燃やしたりはしないから、安心しろよ。ちょっと聞きたいことがあるんだ」 アルヴァートは、男に体液をかけられて力を奪われたりしないよう、風の結界は張りながらいった。そんなアルヴァートに守られながら、アリューシャが矢継ぎ早に男に聞く。 「今までここに呼ばれて消えていった娘達をどうしてあんな姿にしたのですか? それと、あなたはどこから何故この世界に来たのですか? そもそも、あなたたちを収容所の係官に任命したのは誰なんですか?」 不明であった娘たちの消息は、聞かずともわかってしまったアリューシャ。哀しい気持ちの晴れぬままに、尋問役に回っていた。 一方、状況がまったくわかっていない男がきょときょとと彼らを見比べる。 「なんダ? オマエら、ダレ、ダ?」 明らかに人には見えない収容所係官の喉元に、アルヴァートが剣をつきつける。 「そんなのはどうでもいいだろ」 「質問に答えてくだされば、命を奪うようなことはしません」 アルヴァートと呼吸をあわせるようにアリューシャが言う。すると、 「ヒハハ! ダレが“シツモン”、答えルかッテ!?」 外国の者が話すかのようなカタコトの言葉を男は口にした。そして突然、男の手刀がアリューシャに襲い掛かる。 「ダレに言ってル? ヒハハ、こノオレ様ニ!?」 『もしかして、この男の知性は低いのかもしれません!』 とっさにアリューシャは、残っていた『眠りのルビー』の力を放つ。すると、眠りの力で男の動きが鈍る。 「アリューシャ、下がって!!」 アルヴァートがつきつけたままの剣を男の喉元にかけると、緑の体液が飛び出してくる。 「そんなの予測済だよ!!」 男の体液は、アルヴァートの張った風の結界にかかって、あらぬ方向へと飛んでゆく。 「こいつも前の奴と同じようにスライム化するなら、炎で焼き殺すしかないようだな!」 そうしてアルヴァートが奏でるのは、『召魔召神の笛』。その妙なる笛の調べによって呼び出された炎が、男の全身を被った。 “ボゥゥ……ボゥゥゥボゥゥゥゥゥゥゥゥゥ” 「グキャグオゥオゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」 男の断末魔の声が響き、その巨漢が燃え尽きるまで炎はその場に留まっていた。その最後の瞬間を二人が確認した時、その体はヴェルエル世界を離れていた。 ユベトル統治者の出身地スフォルチュアにあるユベトル異国人収容所。その収容所には、異形の収容所係官たちが存在していた。彼らによって尋問された娘たちは、ひからびた皮と骨になりはてていたのだ。それをつきとめたアリューシャとアルヴァートの手によって、魔物のごとき収容所係官たちは葬られる。 数々の謎を残したままのユベトル勢力圏のスフォルチュア。異世界よりの来訪者が選ぶ道は、まだこれからだった。 《N24/5の月26日/4:30》 ○エルセム勢力圏マノメロ異国人収容所《K14/6の月20日/16:00》 エルセムにおいては異端の者として周知されてしまっているジニアス・ギルツとラサ・ハイラル。そんな二人が捕らえられていたのは、マノメロ異国人収容所。元研究所であった収容所は、実はモンスター製造施設であった。それを確かめたのは、半透明の姿をした少女ラサ。一方、ラサの援護のために陽動役となったジニアスは捕らえられてしまう。そしてジニアスは、エルセム統治者の義兄ゲイル・カイツァールによっていずこかで研究されていた……はずであった。そんな彼らは、エルセム勢力圏マノメロ異国人収容所の施設内部に二人一緒に現れたのであった。 ◆ 可憐な容姿をした青年ジニアスと一見普通の少女ラサ。そんな二人が話し込むのは、恒例の『バウム』の中でもヴェルエル世界に程近い『緑の窓』内である。 「あ〜もう! だからジニアスを一人にするのは嫌なんだよ」 開口一番にボヤくのは、たった一人で数十日をモンスター製造施設で過ごしてしまったラサであった。 「本当に心配したんだから」 ジニアスが捕らえられた後、ラサはたった一人で設内を隅々まで彼を探して回ったのだ。 「次からは絶対一緒に行動するんだからね!!」 涙目で念を押すラサに、ジニアスは、 「わかった。次は絶対、一緒に行動させてもらうよ」 と、約束する。ジニアスも今度ばかりは、 『ラサにはこんなに心配かけて……悪い事したな。よっぽど一人が心細かったんだよな』 と反省していたのだ。そんなジニアスの腕を、ラサはしっかりと握ると闇に向かって声をかける。 「『バウム』の人、誰かいる? ちょっと、調べてほしいことがあるんだけど」 ラサは、ジニアスが捕らえられていた時に、何かされていやしないかも心配していたのだ。それでなくてもモンスター製造には、得体の知れない『赤いカプセル』が使われていたのだ。ジニアスに投与されている可能性は“0”とは思えなかったのだ。 ××おじゃましますぅ×× と、すぐに『バウム』特有の声が返ってくる。 「もし、可能なら『バウム』でジニアスに異常がないか調べてもらいたいけど無理かな?」」 どこまでもジニアスを心配するラサ。そのラサに、『バウム』のフロアチーフであるララの声が反応する。 ××ご心配はいりません〜。今回のヴェルエル世界との行き来は、特別仕様になっていましてぇ、『バウム』に一度戻ってくることで、すべての能力は初期値に戻っていますぅ。それは、身体的にも同じことになりますぅ×× 「ほんと!? じゃあ、瀕死の重傷になっても、『バウム』に戻って来れば元通り、ってコト?」 喜ぶラサに、説明する声が曇る。 ××ただしぃ、ヴェルエル世界そのものが未知の異世界干渉下にありますのでぇ、未知の異世界の影響によるものでしたらぁ、『バウム』でも初期値には戻せないと思われますぅ×× 「えー?? じゃ、絶対、心配無用ってわけにはいかないよ。じゃ、その“未知の異世界の影響”っていうのはジニアスにあるの?」 ラサの確認に、ララの声が小さくなる。 ××……すみません〜、身体的に元通りであることは確認できますがぁ、“未知の異世界の影響”というものは測定不能でしてぇ×× 「んー、無理ならしょうがないけど」 ララの説明を聞いたラサがジニアスに向き直る。 「だったら、やっぱり心配だよ! 何があったっておかしくないもん! 万全を期す為にも『浄化の印』は絶対使ってよ!」 と、ラサはジニアスに強く念を押していた。 一方のジニアスは、自分が消失するまでのやりとりを思い出しながら考える。 『ゲイルの口調からして、まだ研究対象として価値があると言った感じだったから、赤いカプセルは使われてないと思うけど』 そうかといって、それをラサに説明しても納得してもらえる自信はなかった。 「わかったよ。『浄化の印』で毒素の浄化をしとくって」 ラサの見守る中を自身に力を使いながら、ジニアスは思う。 『……どちらかというと、発信機とか能力測定とかされてそうだけどな』 その発信機がつけられていたとしても、『バウム』に戻っていることで消えているはずであった。 『もっとも、その発信機が“未知の異世界の影響”で、造られたものならわからないけどな』 様々に思考を巡らす中、健康な体に『浄化の印』を使ったジニアスがラサに笑いかける。 「これで、安心したか?」 「うん。まぁ、ちょっとはね」 完全に納得はしきれていないまでも、ラサも落ち着いてくる。それを確認してから、ジニアスはおどけたように軽く言う。 「さてと、予定が多少ずれたけど鍵で異世界干渉不可にしたし、収容所内の大蛇が何してるのか確認するとするか」 ジニアスは、すでにマノメロ異国人収容所周辺における異世界干渉を制御する鍵を手に入れていたのだ。 「収容所の地下に何かあるんだろうから、こりゃ行ってみるしかないよな」 ジニアスの余裕のある口ぶりは、ラサをさらに安心させることに成功する。肯定ばかりになったラサに、ジニアスがたたみかける。 「それじゃ、手順とか、とっとと決めておこうか。今度は、“絶対一緒”に行動するんだろ? 前回は、囮ってことで手を抜いてたけど、今回は遠慮なく全力で攻撃させてもらうよ♪」 そんなジニアスの言葉にラサが強く頷き、これからの相談を練りこんでいた。 ◆ 実際にはモンスター製造施設であるマノメロ異国人収容所。ジニアスとラサとが一緒に現れたのは、ラサが先に消失した施設の地下であった。 「俺たちの出現は、捕捉される可能性がある。急ごう!」 「うん!」 慎重かつ大胆に、ラサの案内で大蛇が移動していたという場所に向かう。そんなラサが案内するのは、大蛇がいた巨大な地下の空洞だった。 「……この空洞から、大蛇が体の中にモンスターを取り込んで移動してったんだよ」 ネコのぬいぐるみに完全に同化したラサ。ラサはジニアスの上着についたフードの中から、声をひそめて説明する。 「もちろんモンスターになってもね、研究員や収容所係官には、とっても従順な様子だったよ。みんな大人しく、大蛇の口から中に入っていってたし」 ラサの説明でジニアスが納得した。 「あの時、雷を使い果たした後の戦いで見えなかったけど……兵に混じって現れた大蛇の中には、モンスターがいたんだよな」 それと気づかないまま、モンスターごと倒していたジニアスは思う。 『ゲイルも言っていたが、あれで相当の数は減らしていたことになるのか』 そして、“基本、大蛇の後をばれないようにこっそり尾行”と考えていたジニアスは、気配を消しながら空洞の端へと降り立つ。 「……もしかしたらこの地下から大蛇を何らかの機能を利用し各地に転移しているのではないと思っていたんだけど」 ジニアスが空洞の材質を手で確かめる。と、突然警戒音が響いてくる。 「ジニアス、慎重に進めるって計画したよね」 「はいはい。まずは地下で何を行っているか、こっそりと確認、だったよな」 白いぬいぐるみ姿のラサがたしなめられながら、ジニアスは肩をすくめる。 「とにかく、確かめておいてよかったよ。空洞は弾力のあるゴム素材でできてるみたいだ。まるで、チューブのような空洞だよ」 確証は得られないものの、ジニアスは一つの答えを得られた気がする。 『このチューブに高速移動の理由がありそうだな。そうじゃないと俺が一日でセム宮殿に到着するのは不可能だと思うんだよね……』 そんなジニアスたちの前に、収容施設の警備要員らしい者たちが無表情で現れた。その白衣を見たラサは言う。 「この白衣、厚い人と薄い人がいる! 施設の管理関係者と研究者だから、戦闘は素人だよ!」 情報を伝えたラサが、ジニアスのフードから飛び出してゆく。 「攻撃は任せた♪」 「了解!!」 軽く請合うもののジニアスは、戦闘が大蛇相手でないのを残念に思っていた。 『これじゃ、手加減してやんなくちゃいけないじゃないか!』 まずは全員を気絶させる程度の雷を、『サンダーソード』より放つジニアス。そのジニアスを狙う警備要員たちの持つ武器を、ぬいぐるみ姿のラサが魔銃による“あわせ撃ち”ではじき落としていた。 ジニアスたちがすべての警備要員が気絶するのと同じ頃、施設の周辺を警備する軍の兵らが到着する。 「もう、次から次へと!! 次はモンスターでも連れてくる気!?」 「望むところかな?」 ボヤくラサにジニアスが応じた時、今度はチューブから轟音が響き渡る。 「うっそ! ホントに!?」 ラサの悲鳴も耳をつんざく音にかき消される。そして現れたのは、真っ赤に熱くなった大蛇であったのだ。その口が大きく開かれ、中からモンスターたちが現れる。その口に向かって、巨大な雷が閃いた。 “カッッッッッッッッッッ” その雷は、青く光る雷をまとう剣から叩き込まれたものだった。 「全員ゆっくり出てくる暇なんかやらないさ!」 高温の大蛇は、雷を受けて黒焦げになる。その攻撃は、中にいたのだろうモンスターもろともに有効だった。 「大蛇が何匹来ようと、結果は同じだ!!」 大蛇を撃破したジニアスは、警備兵らに声をかける。 「俺の雷をくらいたいなら、前に出ろ! くらいたくないなら、即刻、この収容所から逃げ出すんだな!」 この時、ジニアスの全力の力を目の当たりにした警備兵が震え上がる。誰もが悲鳴を上げて逃げ出したのだ。その様子を、隠れて見ていたラサが笑う。 「うわ。拍子抜けってヤツ?」 「全員気絶させないですんで、俺としても助かるかな?」 この後、ジニアスたちがあらためて周辺捜査をしようとした時、ラサは建物の異常に気がついた。 「ジニアス……ここのランプ……ボク、光ってるの見たことないよ」 長い時間をこの施設で過ごしてしまったラサは、建物の微妙な変化に敏感だった。不安を訴えるラサの反応を見て、ジニアスの胸中にも苦い記憶が蘇る。 『俺が出会ったゲイル……もし、俺がゲイルなら……収容所が敵に占拠された場合、どうする?』 この時ジニアスは、とっさにぬいぐるみのラサをつかむと、施設内を地上へと駆け上がる。 「しまった! 奴なら、証拠隠滅を図るに決まっている!」 「それって、ヤバすぎっ!」 収容所内を走る中、ジニアスはモンスターにされる予定であった者たちの檻をも壊してゆく。 「逃げろ! この場所はきっと破壊されるぞ!」 けれどジニアスの言葉は、モンスター化の進む人間の誰一人理解することはできなかった。 「くそ!」 長居はできない以上、説得はできないとジニアスが諦める。この時、ジニアスに連れられていたラサは、とっさに手に触れたものを抱え込んだ。 『証拠隠滅っていったら、全部、壊されちゃうってコトだよね!!』 この異国人収容施設がモンスター製造所であった証拠が残れば、と思ったのだ。そうして、そのラサがとっさに抱え込んだものとは、『赤いカプセル』の入った小ビンであったのだった。 そして、彼らが収容所の空を見た瞬間、その場所は爆音に包まれていた。 《K14/6の月20日/17:00》 モンスター製造施設であったエルセム勢力圏のマノメロ異国人収容所。この収容所において、多くの情報を得たのは異世界人ラサとジニアスの二人だったが、収容所そのものは何者かによって破壊されてしまう。この施設の真実を示す『赤いカプセル』だけは、ラサによって持ち出すことに成功していた。その二人がヴェルエル世界に現れる時はいつになるか、そしてどの場所に現れるのか。その行方はまだ誰も知らない。 ○エルセム首都セム宮殿《J06事件中心地/6の月20日/12:00》 エルセム勢力圏の統治者であるソルエ・カイツァール。そのソルエを害するという無実の罪を被せられたのは、異世界の乙女クレイウェリア・ラファンガードであった。クレイウェリアの手によって、瀕死のソルエはエルセム首都郊外にあるエル街の住人宅にかくまわれることとなる。命は取り留めたものの、未だソルエの命は、義兄ゲイルによって狙われていた。 ヴェルエル世界を離れる瞬間まで、捕まるか捕まらないかといったギリギリの追跡劇を展開し、ソルエの命をつなぐ時間を稼いだクレイウェリア。そんなクレイウェリアは、追っ手たちの前から一瞬だけかき消える。 「何があった!」 「先の逃亡の際も、目標は一度消えている!」 「こいつも、“消失事件に関る重要危険人物”なのだろう! 油断はするな!!」 クレイウェリアを追跡する兵たちから、様々な報告と号令とが飛びかう。その声の中、クレイウェリアは彼らを見下ろしながら軽く笑う。 『ご苦労なことだね……ひとまず懸案事項だったソルエの命の灯は、つなぎ止められたようだしね。まずは一安心、っていうところだね』 体力を取り戻したクレイウェリアは、『竜珠』の力も元通りであることを確認する。 『これでソルエとかくまってくれているエル街の安全が確保された訳じゃないけどね』 すでにSAクラスの手配網をしかれたクレイウェリアである。クレイウェリアの外見を含めたあらゆる情報が、“生体索敵装置”を通じて兵たちに共有されていた。しかし、情報を共有する彼らでも、まだ知らないクレイウェリアの情報は多数存在していた。その一つが、今、彼らの前に露呈する。 「ソルエをやったのはゲイルだ! あたいを追ったって、真犯人の方はのうのうとしたもんさ!」 クレイウェリアの言葉に、追っ手の兵たちから罵声が上がる。 「何を馬鹿な!! 貴様の戯言に惑う我らではない!」 「ゲイル様を愚弄するとは、許せん!」 激昂するばかりで、クレイウェリアの言葉に耳を貸そうとしない兵たち。そんな兵たちに、クレイウェリアは肩をすくめる。 「は、こりゃずいぶんな心酔ようだね! それじゃ、鬼ごっこの鬼には、まだまださまよってもらおうじゃないか!」 クレイウェリアは、自身の竜の翼を力強く羽ばたかせる。 「何だ!? 急に動きがよくなったぞ!」 「スピードが速い! 目標はペースダウンしていたのではないのか!?」 数十人体制で追手をかける兵の方が大きく疲弊している中を、飛行するスピードを上げたクレイウェリア。クレイウェリアは、 「それじゃ、次はどこに現れようかね。なんなら、あんたらリクエストするかい?」 と、挑発する笑い声をあげて、彼らの前から飛び去っていた。後に残された兵たちは、じだんだを踏みながら目標ロストの報告を出していたという。 その後も、クレイウェリアによる神出鬼没で挑発的なゲリラ行動は続くこととなる。 「頭に角のあるモンスター発見! ……照合……ボディデータ……SAクラス指名手配犯……手配NO.3クレイウェリア!」 「奴は、炎を使うぞ! 防護服を着用せよ!」 クレイウェリアが追跡される時、決まって軍は分厚い防護白衣を用意しているらしい。ただでさえ動きのよいクレイウェリアには、それらをかわして姿を消すことは、たやすいことであったのだった。 そんなクレイウェリアが、エル街の近辺でも同様に神出鬼没の挑発活動を行った時だった。夜半の時刻に、エル街にほど近い食堂から、クレイウェリアに向かって光を投げかける者がある。その手には、クレイウェリアが見知っていた虫が握られていた。 『あの光る虫には覚えがあるね……確か、懐虫コミネジとかいったか?』 警戒しつつクレイウェリアがその食堂に近づくと、食堂の扉が開かれる。 「お疲れさまです、クレイウェリアさん。ソルエ様の意識が戻られました」 その言葉で、クレイウェリアは食堂の中へと滑り込んでいた。その食堂で、久しぶりに美味しい食事をふるまわれたクレイウェリア。そのクレイウェリアは食事代をとろうとしない店のカウンターにいくばくかの金銭を残していた。そんなクレイウェリアが、ソルエの見舞いがてら密かに、エル街へと向かったのは、この大分後のこととなる。 『十分各地に出没しておかないと、あたいやソルエ捜索の為のローラー作戦に、まとまった人員が投入されかねないからね』 それは、クレイウェリアが挑発によって分散させた兵力が、万一にもエル街に到来しないための配慮であった。 「お帰りなさいませ。そろそろこちらにおいでになるかと思っておりました。あなたのおかげで、エル街には軍関係者の手はまだ及んでおりません」 常に軍の動向に戦々恐々としていたエル街住人代表のゼフ。そのゼフに歓待されたクレイウェリアが室内に入る。すると、かつて自分が使っていた部屋には、現エルセム統治者が休んでた。青白い顔の少女統治者ソルエは、クレイウェリアを見ると弱く笑う。 「……なんだか、私、助けてもらったみたいだね。信用してなくて……ごめんね」 すっかりまた気落ちしてしまった様子のソルエに、クレイウェリアが自分の頭をかく。 「あー、あんたまた、それかい? 気にするこたぁないよ。よっしゃ! あとはこのクレイ姐さんにド〜ンと任せておきな」 豪快に言うと、 「あんたまだ体が十分じゃないんだ。ゆっくり休んどきな!」 と、ソルエの肩をたたいていた。 そんなクレイウェリアは、これから行動を行う際に有効かつ鍵となる手段は“生体索敵機”の存在だと読んでいた。早速、ゼフに生体索敵機のデータから追っ手の配置情報を引き出してもらうことにする。クレイウェリアは、その情報をもとに追手を分散させる上で有効に動ける位置を割り出したのだ。現在も、ソルエの情報は遮断されている中、追っ手の情報は筒抜けであったのだ。 「ただ、申し訳ないのですが……そう何回もこちらに来ていただくわけには……」 いつのまにか白髪が増えたゼフが、クレイウェリアに深謝する。クレイウェリアの帰還そのものが、ソルエ発見の脅威につながりかねない状況は変わらなかったのだ。情報のリークには、食堂を使わせてもらうにしても、その頻度等に細心の注意が必要であったのだった。 また別の手段として、クレイウェリアは追っ手と遭遇する度に「ソルエをやったのはゲイル」だと言い続ける事はやめないでいた。追っ手の中にわずかでも猜疑心が芽生えてくれば追っ手の士気も下がるはずと予測していたのだ。その一方で、このやり取りを見聞きした地元住人がいればそこからまた噂も広がっていく事と期待したのだ。そんなクレイウェリアが教則を取るのは、いつも街から離れた森の中であった。外見をどうとりつくろってもエルセム勢力圏においてはモンスターのレッテルを張られてしまうクレイウェリア。その姿がわかっていても騒がないのは、エル街住人と森の住人だけであったのだ。 『……それにしても森の住人は、あたいの姿を見ても軍の方に連絡とかしないでくれて助かるよ』 エルセム住人の中でも、森に住む人々は素裸に近い姿をしている。彼らは、クレイウェリアの姿をみかけると遠巻きに見るばかりで、特に警戒はしていないようであった。 「森の住人にゲリラ行動をしかけたこともないしな。今のところ、あたいのこと、観察してるってカンジかな?」 それが居心地がよいとはいえなかったが、クレイウェリアにはこの森の地は貴重な安息の場所となっていた。そんなクレイウェリアにある時、森の住人が声をかけてくる。 「……ソルエ様を傷つけた犯人は、ゲイル様って本当?」
エルセム勢力圏の統治者であるソルエ・カイツァール。そのソルエを害するという無実の罪を被せられたクレイウェリア。そのソルエはクレイウェリアによって、エルセム首都郊外にあるエル街の住人宅にかくまわれている。そのソルエの命を守ったクレイウェリアは挑発と陽動の活動を続ける中で、エルセム村落で活動するトリスティアに出会うこととなっていた。 《I05事件中心地/7の月20日/12:00》 ○エルセム村落シラセラ村《I05/6の月12日/12:00》 シラセラ村を中心にモンスター退治を続ける異世界の少女の名はトリスティア。鮮やかなはちみつ色の髪が印象的なトリスティアは、『はちみつ色の少女』の異名を持ち、エルセム勢力圏においてモンスター退治の救世主として敬意をもたれていた。そのトリスティアがシラセラ村村長クニミと様々な情報の確認をさらに進め、モンスター対策の準備を整えていた。 そのトリスティアは、「ニカラ村とも協力関係を構築したい」とクニミに告げる。 「襲来するモンスターと戦うのにも、中央から自治権を守るためのにも、森の村落がみんなで力を合わせたほうが絶対いいよ!」 そんなトリスティアの意見をクニミは歓迎する。 「もちろん、シラセラ村はあなたの意見に賛成ですよ!」 「うん! クニミなら、すぐそう言ってくれると思ってた! すぐに戻ってくるからね!」 はちみつ色の髪で頷くトリスティアは、クニミに固く約束する。 「もしシラセラ村がモンスターに襲撃されても、超高速の『トリックスター』に乗って、すぐに帰ってくるから大丈夫だよ!」 クニミを安心させたトリスティアは、 「それじゃ、ニカラ村の村長とスムーズに会見ができるように、ニカラ村の村長宛てに手紙を書いてもらえるかな? また、誤解とかされちゃうと嫌だし……」 かつてモンスター退治を始めたばかりの頃、かなり強い『異国人に対する不信』にさいなまれていたトリスティアだったのだ。他の村では、誤解によってモンスター扱いされたこともあったのだ。そんなトリスティアにクニミが微笑む。 「もう、その心配はないと思いますよ。森の住人ならば、『はちみつ色の少女』であるあなたを知らない者はいませんよ」 「……そうなのかな?」 それでもまだ自身の噂に自信の持てないトリスティアにクニミは言う。 「もちろん手紙は、喜んで書きますよ。内容は、どうしましょうか……?」 「えーと、村長さんに、ボクを信用してもらえる内容だったら何でもいいんだけどな」 明るく言うトリスティアに、少し考えたクニミは応じる。 「そうですね……『はちみつ色の少女』であるトリスティアさんは、モンスター退治の英雄です。ですから、トリスティアさんを信用して協力してください……という内容でよろしいですか?」 「うん! それだったら、協力関係をもちかけるのにも都合がいいと思うよ!」 その後もトリスティアは、村長クニミと様々な確認を行う。そうして紹介状をたずさえたトリスティアは隣村のニカラ村に向かったのは、夕刻になってからであった。 木々で陰るうっそうとした森の地は、夕日をうけてオレンジ色に染まり出す。その中を、エアバイク型AI『トリックスター』に乗るトリスティアが駆け抜けていた。はちみつ色の髪を鮮やかに輝かせるトリスティアの姿は、森に住む誰もがすぐ『はちみつ色の少女』だとわかる恒例の姿であったのだ。ただ今回いつもと違うのは、いつも山ほどバイクに乗せている缶の姿がないことのみであった。 トリスティアが目標とするニカラ村には、すぐに到着する。すでに幾度が訪れているトリスティアにとって、この村は顔見知りも多く、慣れた村の一つといってもよかった。トリスティアが村に現れると、子供たちが集まってくる。 「『はちみつ色の少女』だ! 今日も光る缶をくれるの?」 「違うよ! モンスターをやっつけに来てるんだよ!!」 そんな子供たちの頭をなでながら、トリステイアは言う。 「今日は村長さんに用事があって来たんだ。村長さんはいる?」 トリスティアの訪問理由を聞いた子供たちが、争って村長の家へと案内しようとする。その輪の中でトリスティアは、クニミに忠告された内容をニカラ村の村長に話してよいものかどうか、悩んでいた。 村長宅につくと、痩せぎみの体格をしたニカラ村の村長が戸口に現れる。 「いやいや。わざわざこちらまで出向いていただいて、ありがとうございます。お顔を直接見るのは初めてですが、いつもお世話になっております」 深々と頭を下げるニカラ村の村長に、トリスティアは思う。 『ホントだ! クニミが言ってたとおりだ! ボクって、そんなに有名人だったんだ』 改めて驚きながらも、クニミに書いてもらった手紙を村長に手渡す。 「まずはボクを信用してくれる? そうしたら、じっくり話し合いたいことがあるんだ」 真剣な表情で語るトリスティアに、ニカラ村村長は手紙を読むまでもなく快諾していた。 トリスティアが持ちかけた会談の内容とは、『モンスターに対抗するための協力』と『中央から自治権を守るための協力』という二点についてであった。 「ボクがモンスター退治を迅速に行うため、モンスターが現れたら、すぐコネジ缶で連絡してほしいのは知ってる?」 「いつも村民一同がお世話になっておりますから。もちろん知っております」 トリスティアの確認に、村長は一も二もなく頷いた。 「じゃ、話は早いよね。一点は、今まで通り、モンスターに対抗するために協力してほしいってことなんだけど……」 「それは、こちらからお願いしたいくらいです」 村長は、トリスティアの申し出を身を乗り出して歓迎する。かつてこの地を訪れた異世界の者もいたのだが、彼はすぐにどこかへ消えてしまっていたのだ。村を守る力が及ばないモンスター相手では、不安の種はつきなかったらしい。そんな村長に、トリスティアは二点めの協力を持ちかける。 「それでね、今、中央に不穏な動きがあるみたいだから、できればニカラ村も中央からの自治権放棄要求には応じないでほしいんだ」 トリスティアの計画する『中央から自治権を守るための協力』には、他村の協賛は不可欠であったのだ。 「“中央の不穏な動き”……というのは、どういったことでしょうか?」 ニカラ村村長は、気になる内容を確認する。その詳細は、トリスティア自身も話すかどうか悩んでいた内容だった。 エルセム統治者ソルエが義兄ゲイルによって暗殺されかけ、クレイウェリアがソルエ殺害の濡れ衣を着せられたこと。そのソルエはクレイウェリアによってセム宮殿から救出されたこと。さらには、今、村を襲っているモンスターはマノメロ異国人収容所で、ゲイルの支持によって製造されているということ。 この件については、「遠くにいる仲間から教えてもらったんだ」と言ってクニミにも話したトリスティアである。クレイウェリアやジニアスといった仲間たちが、いまエルセムでゲイルやモンスターと戦っていることや、その仲間たちとトリスティアは連絡が可能なことなどもクニミには説明していた。だが、クニミは、トリスティアの言うことだから自分は信用するが、他村も同じ反応をするとは限らないと言っていたのだ。逆に誤解され、今までの信用を失墜されかねない、と言った。 『クニミがそう言うからには、そう思う理由があるんだろうな……』 自分が育った世界とは明らかに違うヴェルエル世界の文化風習。それらを理解するには、まずその土地の人の意見が重要だとトリスティアは考えていた。そうして土地柄の本質まで理解していたトリスティアだからこそ、シラセラ村周辺の異世界干渉を排除する力をも得ていたのだ。そのトリスティアは、ニカラ村の村長に対しては、できるだけ彼らが理解しやすい真実を選んで語る。 「遠くにいる仲間から教えてもらったんだけど……エルセム統治者ソルエが義兄ゲイルによって暗殺されかけたんだって。しかも、それをボクの仲間に罪をなすりつけたんだよ」 “中央”に相対する者ならば容易に想像できる内容に、ニカラ村村長が納得する。 「そうですか! いよいよゲイル様はそんなことまでして!」 合点がいったと頷く村長は、トリスティアの手を握る。 「わかりました! ニカラ村は、“中央”が何を言ってきても、決して自治権は手放しません」 初の会談を成功させたトリスティア。そのトリスティアが森の中の各村に協力を呼びかけて歩く中、一人の異世界人の乙女がシラセラ村を訪れていた。 緊迫する情勢の中を、森の住人たちと対話しながら、自然に“中央”に対抗する意識と団結力とを育てていたトリスティア。そのトリスティアが、この後どのように行動するのか。動く世界の先を知る者は、まだ誰もいなかった。 《I05事件中心地/7の月20日/12:00》 様々な土地で、様々な人々、そして様々な事象に出会う者たち。 彼らはまた『バウム』へと帰還する。 彼らが次にヴェルエル世界に現れる時、時間が連続する同じ場所を選ぶのか。 はたまたまったく違う場所を選ぶのか。 すべての選択権は、訪れる者にゆだねられている。 |