『紅の扉』 〜ヴェルエル編 第四回
ゲームマスター:秋芳美希
いらっしゃいませっ! ようこそ『バウム』の『緑の窓』へ。 ヴェルエル世界へ行かれる方ですねっ! 足元もおぼつかない暗闇の中、案内役のウェイトレスであるヤヤの明るい声が響く。ヤヤの指し示す世界は、 −−−−−−−−−−−−−−−−−−− 『ヴェルエル』世界の3勢力圏セントベック・ユベトル・エルセムは未だ、それぞれが鎖国状態が続いていた。その鎖国理由とは、見慣れない者が出没した後に「住人が消える」という異常な事態が頻発したからによる。こうして理由のいかんを問わず、見慣れない異国の者たちが捕らえられている3勢力圏。その中で、変わらずのんびりと構えていたのは、セントベック統治者のフィルティ・ガルフェルト。体調が思わしくないのが、ユベトル統治者ミシュル・アルティレス。そして気分は安定してきたものの、どこかまだ危うさがあるエルセム統治者ソルエ・カイツァール。そのエルセムでは、未だモンスターの脅威はおさまらなかった。 この状況下で、多くの異世界人たちがあらぬ疑いがかけられたまま各地の異国人収容所へと送られている。 そんな中、各地で信用を得つつ、活動する異世界人たちがいる。その中でも、統治者と謁見できる機会を得ている異世界人は、セントベックにて未確認飛行物体扱いを受けたリュリュミア。エルセムでは、二度目の会見となるクレイウェリア・ラファンガードである。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−− ……というものだった。 『ヴェルエル』世界に向かうには様々な制約があり、冒険者たちにとっては難儀な世界であるといってよかった。けれどその制約を乗り越え、ヴェルエル世界に向かおうとする来訪者たちはいたのだ。そんな彼らに、 ××おじゃましますぅ。『バウム』フロアチーフのララですぅ×× という毎度おなじみな声がかけられる。その声の方向に向かった彼らに、ララの声が届けられる。 ××ヴェルエル世界にご来訪中の皆様のご活躍によりましてぇ、『バウム』でも調査不能でした各勢力圏の情報がさらに明らかになってまいりましたぁ! 礼を伝えるララは続ける。 ××そしてぇ、「指定座標の鍵」をお任せできる「ポイント付与」が、いよいよ開始されましたぁ×× ララの示した「指定座標の鍵」とは、ヴェルエル世界の特定座標に関る理解度を測るものであった。すなわちヴェルエル世界の特定の地域をより理解することで、この世界における他世界の干渉を排除できるというものなのだ。その理解度判定に応答しようとする者たちにララは言う。 ××整備不足もございまして申し訳ないですがぁ、今後、さらに改善させていただく予定ですぅ。ぜひこれからもご活用くださいですぅ!!×× そうして来訪準備を整えた者たちに、ヤヤが声をかけた。 「それでは、これですべての用意が整いましたねっ! ヴェルエル世界へ向かわれますか?」 頷く者たちに、少女の声が緑色にゆれるヴェルエル世界へと導いてゆく。 「お気をつけて、いってらっしゃいませっ!!」 少女の声と同時に、それぞれが目指した場所。緑の深い世界が目の前に広がった。 ○セントベック首都ベック_ベック飛行場《E22事件中心地/7の月24日/12:00》 「こんにちわぁ、約束どおり遊びにきましたよぉ」 快晴の正午。セントベックの飛行場に、突然花々が咲き乱れる。その花々を両手に抱えきれないほど抱えて、乙女が来訪の挨拶をした。 「今日はご馳走してくれるって言ってたんでぇ、お礼にいっぱい花を用意したんですよぉ」 タンポポ色の幅広帽子が印象的な乙女の名は、リュリュミアという。かつて、未確認飛行物体としてセントベックに物議をかもしだした異世界の乙女であった。そんなリュリュミアをぎこちない笑顔で迎えたのは、この日を設定した張本人の男である。 「再度の来訪、感謝致します。遠方よりようこそ」 リュリュミアに右手を差し出す男ライアンの言葉に、リュリュミアが小首をかしげる。 「んーと、『バウム』から遠いかどうかはわからないですけどぉ、すぐ来れましたよぉ」 そして、抱えた花束をライアンの胸元に押し付ける。 「お部屋に飾ってくださいねぇ。みんなリュリュミアが育てたんですよぉ」 そんなリュリュミアに向かって、明るい声がかけられた。 「やあ、素敵な花だな。俺の部屋にも、少しわけてもらっていいかな?」 リュリュミアが声の方向に首を向けると、そこには赤い髪の青年がいた。 「あ、赤い髪の人だぁ、この間はお仕事の邪魔をしちゃったみたいでごめんなさいですぅ。お花は、もちろんいいですよぉ」 相手を確かめながら謝るリュリュミアに、赤い髪の青年はさらに表情をやわらげる。 「別に仕事をしていたわけじゃないから、謝ることなんかないさ」 『バウム』を通じて異世界を行き来する人外生命体であるリュリュミアに、青年は迷わず右手を握る。 「俺は、フィルティ・ガルフェルト。セントベックの統治をやってる奴だ。よろしくな!」 「んーと、始めましてになるんですかねぇ? わたしはリュリュミアと言いますぅ。今度はゆっくりお話できるみいですねぇ。嬉しいですぅ!」 喜ぶリュリュミアに、セントベック統治者フィルティも笑顔で応えていた。 この時より3ヶ月前。リュリュミアとのファーストコンタクト後、セントベックでは総力をあげて各世界よりの情報を集めていた。けれど、鎖国中のこともあり、情勢の正確な把握にはいたってはいなかった。 「どの勢力圏にも、“バウム”なる異国は存在しないようです」 セントベックの諜報機関からの報告受けて、古参の行政官たちが口々に意見を述べ合う。 「ユベトル大陸内の新興小国家なのではないのか。あそこには、魔法という術を行う者があるのだろう? 新しく発見された術者たちがいてもおかしくはなかろう。それでなくても統治力が……」 「エルセム勢力圏では、住人消失事件の犯人も『突然消える』との情報もある。そのリュリュミアなる人物がその犯人の関係者なのではないのか」 「そもそも“バウム”なる異国より来訪している者、とは存在するものなのか? どの勢力圏でもそれらしき報告は出ていないが」 かつて七色に淡く輝く巨大な『しゃぼんだま』に乗ってセントベックを訪れたリュリュミア。そのリュリュミアの言動をセントベックでは徹底的に検証してきたのだ。それらの報告を聞き飽きたフィルティは言う。 「せっかくまた来てくれるっていうんだからさ、ここは直接本人に確認するのが一番手っ取り早いだろ?」 そんなフィルティに、統治者付き護衛長官であるライアンが言う。 「では、その任はわたしが……」 けれど、フィルティはそれを許さなかった。 「それはだめだな。セントベック案内をこの俺に、とリュリュミアって娘は言ったんだろ? 可愛いお嬢さんのお誘いをすげなくするようじゃ、セントベックの男じゃないだろ」 「い、いえ。あの娘は、“赤い髪の人”といっただけで、フィルティ様を差したわけでは……」 ライアンの言葉に、フィルティはきっぱりと言う。 「あそこにいた赤髪は俺だけだ。 こういうことは、まずハート、だろ?」 フィルティはライアンの肩をたたきながら言った。 「それに、いざという時の俺の腕は、信用できないものなのか?」 「そんなことはございません!」 一流の射撃術を持つ統治者に、ライアンは敬意を表する。 「なら俺のことは心配するな。それよりもセントベック料理ごときで、あのお嬢さんがまた来てくれるかどうかの方が、俺は心配なんだ」 そうしてフィルティは、リュリュミアとの対面を楽しみにこの日を向かえていたのだった。 そして飛行場の一角に設えられたテーブルには、よりすぐったセントベック料理が並べられていた。どれも素材が大きく、見た目も華やかなものではなかったがリュリュミアには十分であったらしい。 「うん、おいしい料理ですねぇ。おひさまをいっぱい浴びてるからですねぇ」 満足げに食を進めるリュリュミアの感想に、フィルティは照れ笑いする。 「他所者には、大味といわれるセントベック料理をここまでほめてもらえるなんて、俺も嬉しいよ」 過去に幾度か苦い思いをしたことのあるフィルティは言う。 『“うまい料理を食べたいならセントベックに行くな”なんて、ありがたくない諺があるくらいだからな』 ライアンはよく料理を用意する等と言えたものだと、フィルティ自身は思っていたのだ。そんなフィルティにリュリュミアは言う。 「わたしが最初にいた処も花や草でいっぱいだったから、セントベックにこようって思ったんですぅ。他の人たちはユベトルとかエルセムって場所を選んで行ったみたいですけどぉ」 そのリュリュミアの言を聞きつけたライアンの表情が硬くなる。それに合わせて、彼らの周囲を遠巻きに囲む護衛官らが臨戦体制に入った。そんな場の雰囲気が読めていないのか、リュリュミアが彼らにのどかな声をかける。 「あれ、そっちのおおきい人たちは食べないんですかぁ。みてるだけじゃおなかはふくれないし、食事は大勢でした方が楽しいですよぉ。みんなで食べましょぉ」 リュリュミアの誘いに、ライアンが片手を上げてフィルティに合図を送る。 「……やれやれ。彼らは俺たちの邪魔しちゃ悪い、だってさ。それよりも、俺はさっきいってた『他の人たち』っていうのをもっと聞いてもよいかな?」 フィルティの“やれやれ”という嘆息は、リュリュミアからの情報収集をせかされたことによるものだった。 『食事の後でもよいだろうに』 生来マイペースなところに統治者の責任を背負って、フィルティがリュリュミアを覗き込む。 「あのさ、『他の人たち』っていうのも“バウム”ってとこから行ってるんだよな?」 「そうですよぉ。『バウム』からいろんな人が行ってますぅ。でも、どこに何人いってるのかまではぁわかりませんよぉ。本当はララやヤヤも連れて来たかったんですけどぉ、何だか来るのは無理みたいなんですよぉ、残念ですぅ」 リュリュミアの説明する“バウム”。その存在は、フィルティにも理解できないものだった。 『うーん。その“ララ”と“ヤヤ”っていう人物は“バウム”にいる。でも来ることができない? 来る者と来られない者がいる……? 法律か何かの制限なんだろうか』 少なくともフィルティは、現時点では“バウム”の脅威を感じてはいなかった。 『そんなに簡単に行き来できるものなら、このセントベックを陥落させるくらい簡単にできるだろ』 複数の人員を軍事拠点に同時多発的に投入すれば、セントベック程度の軍事力を根こそぎにするくらいわけないことだとフィルティには推測できた。 『それをしないってことは、しない理由があるはずだ。少なくとも、“バウム”の諜報的な役割を、このリュリュミアが担っているとは思えないんだがな』 それはフィルティの率直な感想だった。ただ諜報的役割があるかどうかは、この情報を受け取る者次第だということまでは、現時点のフィルティには知る由もないことであった。 そんな会話の中、食事に満足しきったリュリュミアが立ち上がる。 「そうだ、おみやげに料理を持っていっていいですかぁ」 リュリュミアの言葉に、ライアンたちが動こうとするのを今度はフィルティが制する。 「かまわないよ。持っていくのは、“バウム”までかい?」 笑顔のフィルティに、リュリュミアも笑顔で返す。 「そうですぅ。それじゃぁ、暖かいうちに料理を渡してきますねぇ。あ、料理を渡したらすぐに戻ってきますから、そしたらセントベックを案内してくださいねぇ」 そんなリュリュミアに、フィルティは言う。 「セントベック案内なら、ここより町の方がいいな。案内したいところがあるんだ。来られるかい?」 フィルティの言葉に、リュリュミアが思案顔になる。 「そうですねぇ、場所がここからどっちにどのくらい行けばいいか、わかれば大丈夫だと思いますよぉ。行く場所に目印とかありますかぁ?」 「そうだな。ここから南西方向に馬で2時間ってところかな? そこには、白い大きな建物があるんだ。ベック芸術館というんだけど……」 フィルティの説明を聞いたリュリュミアが頷く。 「それだけわかれば大丈夫だと思いますぅ」 「じゃ、俺はこれからベック芸術館に行くから、そこで2時間後に待ち合わせしないか? 今が14:00だから16:00になるね。馬にゆられるよりもその方が、君もゆっくりできるだろ?」 フィルティの言葉に、リュリュミアが納得する。 「それじゃぁ、そうさせてもらいますぅ」 リュリュミアが疑うことなく応じる言葉を聞きながら、フィルティは思う。 『可愛い娘との会食だったのに、これじゃおいしくもなくなっちまったな』 リュリュミアの消えた飛行場で、フィルティは軽く足元の土を蹴り上げた。そしてライアンたちが今後を検討しあう声を聞きながら、良心が痛むのを感じていた。 セントベック首都ベック_ベック芸術館《E21事件中心地/7の月24日/16:00》 ○ユベトル異国人収容所《N24/5の月25日/22:30》 ユベトルの首都ユーベルから遠く離れた異国人収容所。その施設に、異世界の少女と少年が捕らわれていた。脱出は可能なものの、収容所での情報収集を優先したのは可憐な少女アリューシャ・カプラート。そのアリューシャ救出を優先したのは、大人びた少年アルヴァート・シルバーフェーダだった。 ◆ 二人は、一度『バウム』に帰還したのを好機として、得た情報の検討を始めていた。 「緑色の肌?……以前に繋がった世界で、そんなような連中のことが出ていた気がするな」 「……どうでしょう?」 記憶があいまいな少年アルヴァートに、困惑顔になるのは婚約者のアリューシャだった。可憐な容姿をしたカップルが話し込むのは、『バウム』の中でもヴェルエル世界に程近い『緑の窓』である。 「……確か、魔族だっけ?」 「あの、ララさん……ヤヤさんでもよいのですけれど、聞いてみてはどうでしょう?」 珍しく自信なさげなアルヴァートに、アリューシャが提案した時、 ××おじゃましますぅ×× と、『バウム』特有の声が反応する。 ××フロアチーフのララですぅ。何かお困りですかぁ?×× 「あの……確認させていただきたいことがあるのですけれど、うかがってもよろしいですか?」 遠慮がちなアリューシャに、ララの声は“どうぞですぅ”と歓迎の声を届けていた。 「かつて『紅の扉』がつながったというムーア世界での出来事や魔族についての知識などが必要になっているのですけれど……どうしたらその知識を得る事は出来ますか?」 ××以前につながった世界のご確認ですねぇ。それは『バウム』においでいただけましたらぁ、『黄色の扉』という扉から、いつでも過去の情報をご確認いただけますぅ×× ララは、『黄色の扉』とは過去につながった世界の情報を閲覧することができる図書室であると紹介した。特に『緑の窓』よりつながった情報は、この場所に保存されているのだという。 ××今回の場合はぁ、過去の関連世界のようですのでぇ、ヴェルエルからもつながっていますですぅ。『バウム』においでいただける方は、どなたでも確認できる情報になりますぅ。必要な情報がございましたらぁ、探してみてくださいねぇ×× ララからの案内を受けて、アルヴァートとアリューシャは過去につながったムーア世界の魔族情報を確認する。 「わたしはムーア世界に行った事がないけれど、ムーア世界に現れた魔族についていろいろわかるものなのですね」 アリューシャが率直な感想をつぶやくと、アルヴァートが頷く。 「そうだね。でも、どいつもこいつも厄介な能力や常識外れの力持ってるな……」 魔族の諸情報に黒髪を左右にふったアルヴァートはため息をついた。 「できれば捕まえて背後関係を確認したいけど……」 手の届かない過去の世界情報を眺めるアルヴァート。その隣で、懸命に情報確認していたアリューシャは言う。 「あの、アルバさん。ムーア世界に現れたどの魔族の中にも肌の色が“緑”、という魔物はいないみたいですよ」 「あれ? 本当だ」 アリューシャの言葉で、アルヴァートは過去にさかのぼって魔族たちの肌の色を確認する。 「じゃ、ヴェルエル世界に魔族が来ているとしたら、違う魔族ってことか。よけいな被害を出さないためにも一撃必殺を狙いたかったんだけどな……」 アルヴァートは、自分の横でゆれるアリューシャの白ネコ耳につぶやきながら思う。 『アリューシャの前であまり殺伐としたことはやりたくないけど……そのアリューシャの安全には変えられない……いざとなったら……』 アルヴァートは、携えた聖剣「ウル」の柄を強く握った。 こうしてアルヴァートとアリューシャは、徹底的に魔族について調べてから、決意を新たにして出発する。そんな二人の前には、ヴェルエル世界の夜の大地が広がったのだった。 ◆ ユベトルの首都ユーベルから遠く離れた異国人収容所。アルヴァートが自分の房を脱出しアリューシャと再開した直後、それは二人がヴェルエル世界を先に離れた時刻だった。 「早くお逃げ! 今の声は、尋問を担当する収容所係官の一人だよ!」 二人に逃亡を勧める女性たちの前で、ほんの一瞬二人の姿は消えていた。 「な、何が……一体?」 自分たちも一度は同じ経験をした女たちがざわめく。我が目を疑う女たちの前に、用意を整えた二人は現れた。そんな二人に、女たちは口々に言う。 「いやね、今、あんたたちの姿が消えたみたいに見えちまってね」 「……男の子の方、さっきまでそんな格好してなかったよ! まさか……!?」 寛大な者もいれば、二人に恐怖を覚える者もいる、そんな中、老婆がつぶやいた。 「どうせなら、消えちまってた方がよかったかもしれないねぇ……もう……間に合わないよ……可愛そうにねぇ……」 老婆の悲しい声と同時に、収容所係官が乱入してきた。 「女たちはいるか!?」 現れたのは、ひ弱そう男であった。飛び出すほど大きな目に、緑の肌。細身というには痩せすぎた男が、ぎょろりと辺りを見回し、怒声を張り上げた。 「これは何があったんだ!!」 収容所係官の男が見たのは、アルヴァートによって崩壊した檻であった。けれど、収容所係官が破られた檻の中を確認しようとする時、辺りに陰うつに奏でられる笛の音があった。 「何だこの笛の音は!?」 アルヴァートが吹く葬送曲によって、相手の視野が暗くなる。その隙をぬってアルヴァートは物陰に隠れるつもりだった。けれど、その姿は収容所係官に見とがめられてしまう。 「何で男がいるんだ! さては貴様か、この騒動の張本人は!!」 収容所係官の咆哮が上がり、闇をまとうアルヴァートにつかみかかってくる。 「闇の力が効かないのか? しかたない。怪しい収容所係官はもう一人いるからな……悪いけど手加減はできないよ」 収容所係官に向かって、アルヴァートが勇ましい歌声を歌い始める。 「は、カラ元気だけは、認めてやろう! おまえは……」 勝ち誇った収容所係官の手がアルヴァートに伸びる。その手はアルヴァートへ向かい、爪が鋭利に伸びてゆく。 『こいつの武器は、この爪か! やはり人間ではないな!』 相手が油断しているとはいえ、直接対峙してしまえば相手の攻撃の間合いが自然とわかる。 『こっちの攻撃は間に合わないか!』 アルヴァートの剣が、小刻みな振動を伝えてくる。アルヴァートが切り裂かれると思った瞬間、男の視界の中に深紅の光が瞬いた。 「う?」 光に目を奪われた収容所係官が急激な眠気に襲われる。収容所係官を眠りへと導く力を使ったのはアリューシャだった。隙を作った男に向かってアルヴァートが聖剣『ウル』を振り上げた。 「教えてやるよ。さっきの『戦いの歌』は、カラ元気じゃなかったことをな!!」 『魔法のチョーカー』で自身の潜在能力を最大限に引き出したアルヴァート。アルヴァートが握る剣に力が高まってゆく。 キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィン 「もっとも、考える頭があれば……だけどな!!」 「ごがあっっ!!」 アルヴァートが狙いをつけた首を中心にして、収容所係官であった男の体は四方に飛び散っていた。 一方、アリューシャはその惨状を、収容所の老婆たちには見せまいと、『眠りのルビー』の力を房内の心弱い者へ使っていた。 緑の体液が、強烈な匂いを放って辺りに充満する。その中、眠りの効力のない者たちが、ひそひそとささやきあっていた。 「……収容所係官、やっぱり人間じゃなかったね」 「それよりもさ……あの青年……少年かい? あたしゃ、あの力の方が恐ろしいよ」 「さっき一度消えてるしね。あの娘も、きっとただ者じゃないよ。さっきもブローチが灯りもないのに光ったりしてさ」 アリューシャは、女たちの声のいくつかにいたたまれないものを感じる。 『眠りの効力が効かせられたのは、この収容所係官の他におばあさんともう二人だけ……誤解されるのもしかたないですよね』 アリューシャは胸がふさがれる思いを感じながら、ふと気づくことがある。 『もしかして……この収容所の人たちは魔法を見るのが始めてなのでしょうか……? 皆、ユベトル以外の地から来ているはずですし』 アルヴァートの姿を追いながら、アリューシャは様々に考え始めていた。そのアルヴァートは、倒した男の体が蘇生しないように収容所内を物色していた。 「鎖でもあれば、飛び散った両手両足をぐるぐる巻きにできるんだが……」 「あ、あのっ、わたしも探します。『眠りのルビー』での効果時間も、もうそう長くは続かない気がしますから。急ぎましょう」 万が一にも男が蘇生したならば、アリューシャはこの収容所係官からいろいろ情報を引き出したいと思っていたのだ。 「じゃ、一緒に探してくれる? ここまでバラバラになってるから、用心しすぎな気もするけど……ここは俺の常識が通用するとは限らない世界だしね」 そしてアリューシャは、アルヴァートから離れて別の方向に向かいながら言った。 「この収容所係官……魔族なのでしょうか……」 「わからないな……それ以前にこの相手が、このヴェルエル世界の常識からかけ離れてる存在だしね」 収容所係官の存在を様々に仮定しながらも、アルヴァートはまだ確信が得られずにいた。 「くそ! どこにもみつからない!」 アルヴァートが施設の壁を思わずたたく。 「……拘束できそうなものが、何もないですね……」 アリューシャは、震えあがっている女たちから拘束具のありかを含めこの収容施設の設備などを聞こうと振り向いた。その時、アリューシャの耳に、男の発するいびきらしき音が聞こえてくる。 「ぐおおぉ……ぐおぉぉ」 音を発していたのは、ころげおちた男の頭だった。 「ア、アルバさんっ!!」 かろうじて鼻から上が残った頭部から、鼻息らしきものが発されていたのだ。アリューシャの悲鳴と同時に、男の頭部がアリューシャに向かって転がってくる。 『こ、怖い!!』 よどんだ緑の体液が、アリューシャの靴にまとわりついて広がってゆく。つい先まで、収容所から尋問室に連れて行った若い娘たちはどうなったのか、噂の通りに殺されてしまったのかを確認したかったアリューシャ。そのアリューシャの体から急激に力が抜け落ちてゆく。 「ア、アル……バ、さん……」 「アリューシャ!!」 アリューシャの危急にアルヴァートが駆け寄ろうとした瞬間、二人の姿はヴェルエル世界から消えていた。 異世界人の二人ならば、一時帰還も可能なユベトル異国人収容所。 異世界人の危機は、一旦『バウム』に帰還することで解消する。表出場所も、アイテムも、その能力すらも、『バウム』を通じて新たになるのだ。異世界よりの来訪者が選ぶ道は、まだこれからだった。 《N24/5の月26日/0:30》 ○エルセム勢力圏マノメロ異国人収容所《K14/5の月30日/14:00》 可憐な容姿をした青年ジニアス・ギルツと、一見ごく普通の可愛い少女ラサ・ハイラル。二人は、ヴェルエル世界のエルセムにおいて本来ならば『モンスター退治の英雄』であって当然の活躍をした異世界人である。しかし二人はエルセムで暴れているモンスターに関る者との疑いをかけられ、エルセムの異国人収容所へと送られる。強く薬の香りが漂う収容所で、二人はさらに厳しい尋問を受けるという。 ◆ 「収容所に薬品がいっぱいなんて絶対おかしいよ!」 薬の種類まではわからないものの、薬が一種だけのものではないとラサには経験上わかっていた。 「もしも、あそこで何か研究がされてて……しかも実験対象が“人”だったらほっておけないよ!!」 すぐにでも収容所に捕まっている人を解放してあげたいと主張するラサに、ジニアスは言う。 「事を起こすにはそれなりの確証を得てからじゃないとな……勘違いで一国家敵に回しましたなんて……笑えないだろ?」 たしなめるように言うジニアスに、ラサは自分の手を握った。そんな二人が話し込むのは、『バウム』の中でもヴェルエル世界に程近い『緑の窓』である。 「そりゃそうだろうけど……でも許せないものは許せないよね」 「だから、今回はまだ穏便に事を進めよう。そのためにこうして相談してるんじゃないか」 不満を口にするラサをなだめながら、ジニアスはラサとの共同計画にも思考をめぐらせる。 『むぅ、もう少し平和的に交渉を続けようと思っていたんだが……のんびり交渉なんてラサが納得しなそうだしなぁ。ああ見えて頑固だから。仕方ない行動を起こしますか』 ジニアスは、そんな風に考える自分が大人になったものだとしみじみと感じる。 『これもラサのおかげかな』 一方、ラサはジニアスの言葉で、何とかはやる気持ちを抑えていた。 「そうだよね。ジニアスが言うようにいきなり騒動起こすのは、マズイかも……」 そうして気持ちを切り替えたラサが立ち上がる。 「うん! まずは、マノメロ異国人収容所で何の研究が行われているのかこっそり情報収集する!」 「情報収集は任せた! 俺はフォロー役をやらせてもらうよ」 計画を実行に移せる算段を整えたところで、ジニアスが辺りに呼びかける。 「あとは出かける前に、確認しときたいことがあるんだけどな……ララかヤヤっている? 座標移動について確認したいんだけど」 そんなジニアスの声に反応した者がやってくる。 「えっと! 座標移動の件でしたら、担当は私、ヤヤですっ! ご質問をどうぞですっ!」 力いっぱい緊張しているらしいヤヤに、ジニアスは肩の力をぬきながら確認する。 「あのさ、同じ座標ではあるが微妙に場所が異なる所に、『バウム』からの来訪者がいた場合、次回移動する時そっちを座標指定する事は可能なのか?」 ジニアスの質問に、しばし間があってからヤヤが答える。 「えっと、システム的に可能ですっ。具体的にはっ、現在ヴェルエル世界での“事件中心地”そのものが皆様のいらっしゃる場所になりつつありますっ。なので、対象の来訪者を指定していただければ、問題なく移動できますですっ」 ヤヤの回答を確認して、ジニアスがラサに笑いかける。 「よかった。これでラサと別行動しても、大丈夫だ。ラサには重要そうな所で待機してもらえばいいし」 「やったね!」 「幸いラサはネコ状態しか見られてないわけだし……ここは、二手に分かれるか」 二人の言葉を聞きつけたヤヤが、慌てた声をあげる。 「あのっ、『バウム』との行き来は、連続してできるものではないことはご存知ですよね。それとアイテムはっ、所有者の方のみがお持ちいただけるというのは、大丈夫ですかっっ?」 「うん! 反省会は一度で十分だよ」 ラサが元気よく応える一方で、ジニアスの方が考え込む。 「それって……ちょっとだけ計画変更は必要になりそうだな」 そうして計画を再調整した彼らの前に、ヴェルエル世界の緑の大地が広がった。 ◆ ジニアスが捕らわれの房に現れた時、その胸にはしっかりとぬいぐるみが抱きしめられていた。 『情報収集するとはいっても、俺等が収容された部屋から姿を消すと脱獄扱いされて騒ぎになるからな』 この時、幸いにして一秒ほど消えたジニアスたちの姿に注意を払う者もいなかったのである。 『もしかして、まだ仲良くなる収容者とかいなかったからかな? ヘタに騒がれなくて助かった』 その時、胸の中のラサが微かに動き、少女の姿がぬいぐるみから抜け出してくる。その姿を、自分がジニアスが背中で皆から死角を作って隠していた。その半透明な少女の姿がつぶやく。 『あーあ。どうせなら、別の場所に現れたかったなぁ。けど、変わり身になるボクのアイテムは、一緒じゃなきゃ移動できないっていうんだからしょうがないよね。じゃ、ジニアス、がんばってね!!』 ジニアスが“大丈夫だ”と親指を上げてみせる。そうして触れることのできない体に戻ったラサが、ジニアスから離れてゆく。房には檻があったのだが、精神体の彼女を多少は困らせるものの大きな障害ではなかった。その姿を見送って、ジニアスは不在となったラサのぬいぐるみを、今までと変わりなく抱きしめていた。 そんな風変わりなジニアスに興味を覚えたのは、房に収監された者たちだった。 「おい。さっきまでそのネコ、動いていただろう?」 気味悪く思っていた生物だが、動かないとなると安心感を与えるものらしい。彼らは小声でジニアスに話しかけてきた。その疑問に、ジニアスはのんびりと応じる。 「こいつは、今眠りの時間なんだ。こうなるとしばらくは、何しても動かない。こいつの事はそっとしといてくれ」 そんな彼らに、房を監視する係官が抑揚のない声をかけた。 「……どうした」 その係官に、房の収容者たちがネコの異変を告げる。 「いや、このぬいぐるみみたいなネコが、急に動かなくなっちまったからね」 その言葉を確認した係官が、動かないネコに視線を向ける。 「ネコが動かない……」 事象を確認したのち、しばしの間をおいて冷たく応じた。 「…………問題ない」 その言葉で、収容者たちが納得する。 「どうせそのネコも得体の知れない“生物”なんだ」 「そういうこともあるんだろうさ」 そんな係官と収容者たちのやりとりを、ジニアスは不思議に思う。 『係官と収容者たちの関係って……何なんだ? これって、絶対普通じゃないぜ』 そしてジニアスは一つ仮説が成り立つ可能性を考える。 『……これまであくまで予想だったけど……確かゲイルって奴は『生体機械工学』の第一人者だったよな。なら、生物を使った実験を行っている可能性が高い……最悪、捕まっている人を人体実験とかに使ってないか?』 ジニアスは、動くぬいぐるみであるラサを不思議に思わなかったエルセム兵を思い出す。 『あの時は、兵も気が動転していたからだって思ってたけど……この収容所の係官には、ぬいぐるみのラサを不思議に思わない“何か”がある!』 予想が現実化してゆくのを感じながら、ジニアスは収監されている者たちに声をかけてみる。 「あのさ、あんたたちどこの人なの? ここに収容されて気づいた事、とかないか?」 収容所でラサの調査をただ待っているだけというのは時間の無駄と考えたジニアス。そのジニアスが声をかけると、その声の届く範囲の者たちが自分の出自を口々に話し出す。 『うっわ、よっぽど今まで暇だったのか??』 あまりの勢いに、ジニアスの方が圧倒されてしまう。 『それにこの収容所って、いわゆる強制労働とかはないみたいだな。皆、元気がありあまってるみたいだ』 こうしてジニアスが確認したところによると、出自の方はエルセム以外の者がほとんどであった。だが、中にはエルセムに住人であるにもかかわらず、嫌疑をかけられた者もいた。 「わしは、エルセム住人じゃというのに、信じてもらえんで困っとるよ。わしの土地には、別の住人が住んどるし……」 気落ちしているのだろう老人の声を聞きつけて、ジニアスは少し混乱する。 『エルセム住人なのに?……どうしてなのかな』 そこまで考えたジニアスは、この騒ぎの中を平然としている収容所係官を不信に思う。 『……それにしても、これだけ騒いでいるってのに、ここの収容所の係官は、止めようともしないよな。よっぽど寛大なのか、この係官が不真面目なだけなのか……どっちだろ』 いくつかの疑問点を考えるジニアスの前に、『赤いカプセル』が運ばれて来た。カプセルを手渡す係官は、それを飲めとジニアスと、ネコにうながした。 「飲み終わってから、尋問を始める」 係官は無表情のまま言った。 「おまえたちは腕がたつそうだから、係官も腕の立つ者を集めている。……逃げられるなどとは思わぬことだ」 ジニアスが見る限り、身体的には普通の人間と変わりはない係官。その係官の差し出すカプセルの意味を考え始めた時、ジニアスの姿はヴェルエル世界を離れていた。 一方、ジニアスと離れたラサはマノメロ収容所内をひそかに調べようとしていた。 『ずいぶん人の多い収容所だよね。みんなエルセム風の白衣だから、収容者じゃないし。……ボクって、完全に姿が消えるわけじゃないから、みつからないようにしないとね』 精神体に戻ったラサが、憑依の技の一つである『完全同化』で手近な扉に同化する。その技を使いながら、自分が使うのに丁度よい人間を物色を始めた。そんなラサの観察目によると、エルセム風白衣の中でも管理関係者は圧手の白衣、研究者らしき者は薄手の白衣を着用している。 『なんだかみんな無表情だよね。でも力は強そうには見えないから……憑依してみても大丈夫かな?』 精神体であっても、実体が薄く透けたほどの存在感を持つラサ。そのラサの体は、無機物を透過させて移動するには負担が大きいものだったのだ。安全に収容所の情報を集めるには、憑依の一技である『完全支配』によって、依り代になる体を得る必要があった。 『うーん、どの人も憑依するには決め手にかけるよね。……誰でも一緒、ってカンジかな?』 ターゲットが絞りきれないラサの同化した扉が、一人の研究員によって開かれる。 『ラッキー! どうせだから、こいつにしちゃお!』 深く考えずに、ラサはまず相手を脅かす方法を実行に移していた。 研究員が扉から手を離した瞬間、扉が勢いよく閉まる。 「……何だ」 研究員は驚くことなく、冷たい視線を扉に固定する。 『え? 何か調子狂うな。脅かし方が足りなかったかな?』 ラサは同化した扉を不自然に開閉してみる。その様子を眺めた研究員がつぶやく。 「申請……2FA−23研究室……扉故障……」 『え? 何、今の??』 不信に思いながら、ラサが透ける体を扉から現してゆく。 「……こぅの扉は故障じゃないよぉぅ……ボクの呪いがかかっているからねぇぇぇ……」 “幽霊”のふりをしたラサが、恐ろしげな声を作って研究員に呼びかける。 『ボクって、幽霊みたいなものなのだしね』 勢いに乗って髪を振り乱すラサを前にして、研究員の反応が固まる。 『今だ!!』 研究員が腰を抜かしたと思ったラサが、研究員を支配しようと憑依する。しかし、次の瞬間、ラサは電気にはじかれたかのような衝撃を覚える。 『一体、何!? この研究員って、何者なの!?』 そして、ラサの体そのものがヴェルエル世界から離れていた。 エルセムにおいては異端の者として周知されてしまっているジニアスとラサ。二人が捕らえられているのは、元研究所であったというエルセムのマノメロ異国人収容所である。この収容所で、それぞれの特性を生かして様々な情報を集めた二人。彼らが次にどう動くのかは、まだ誰も知らない。 《K14/5の月30日/16:00》 ○エルセム首都セム宮殿《J06事件中心地/6の月10日/9:00》 エルセム統治者ソルエ・カイツァール。その統治者と二度目の会見の機会を得た異世界人がいた。その異世界人とは、竜の角と翼、そして尾をも持つ異形の乙女クレイウェリア・ラファンガードであった。 エルセムにおいては“モンスター”と判断されるほどの容貌を持つクレイウェリアが、かつて訪れたセム宮殿に現れたのは約束の時刻であった。 「ようやっと、念願叶ってソルエとの面会か。いよいよ、正念場だね。」 気持ちを新たにするクレイウェリアを、宮殿に仕える近侍が先導する。クレイウェリアは先と同じように、セム宮殿の廊を悠々と進みながら報告事項等を自分なりにまとめていた。 『ま、今後推定される状況に対応する為と、先の戦闘時の情報を整理しとくのも必要だろ』 クレイウェリアの所見としては、先に現れたモンスターは異世界人または自分を狙ったものだと推測していた。 『自警団と戦っていた時と、あたいが参戦して以降の本気度が違いすぎだよ。あからさまに異世界人狙いだろ。……じゃなければ、あたいに対して狙いをつけてるね』 クレイウェリアが他に報告するべきだと考えていたのは、逃走するモンスターを追跡中に現れた大蛇と思しきシルエットだった。 『その後に跡形無く溶け落ちるモンスター……モンスター襲撃事件に深く関わる何者かが、自らに足がつく事を警戒して行った事だろうね』 そんな推論立てたクレイウェリアは、ソルエとの会談の席ではあえて推論は語らず、起こった事実のみ報告することに決めた。 クレイウェリアが案内された部屋は前回の部屋とは違っていた。前回は赤い絨毯の敷き詰められた巨大な『謁見の間』だった。だが、今回はそれほど広くはない部屋へと通されたのだ。前回との決定的な違いといえば、部屋の四方に二人づつ衛兵がひかえていることだった。 『随分な歓迎だね。それだけ、このあたいを警戒してるってことかい?』 部屋の壁の白さだけは変わらない部屋へ、一人の少女を中心とした数名が入ってくる。書記官が二人、そして三人の側近に伴われた少女であった。少女は、初対面の時と同じ暗い表情をしていた。 「久しぶり、ソルエ。あいかわらず、辛気臭い顔してんじゃないか。そんなんじゃ、あんたの明るい髪だってくすんじまうよ」 ソルエの右手を差し出しながら、クレイウェリアは言う。 「無礼は承知の上だが、あたいも堅苦しいのは性にあわないんでね。失礼させてもらうよ」 このクレイウェリアの言葉を受けて、四方の衛兵たちが銃を構える。それを制したのはソルエだった。 「銃をあげて。この人はエルセムの大事な客人だよ」 ソルエの言葉で、兵たちは銃口を上に向ける。それを確認してから、ソルエはクレイウェリアに向き直る。 「こちらこそ、失礼でごめん。安全上の問題で、彼らの同席は許してもらえるかな?」 「前ん時には、ほっぽらかされてたあんたを守れ、と言ったのはあたいだしね」 改めて握手しながらクレイウェリアは思う。 『それにしたって、今度は物々しすぎだけどね』 この会見が無事に進められるのかを警戒するクレイウェリアは一つの確認をする。 「この会談、ソルエとの単独面会ってわけにはいかなそうだね。エルセムの機密的な情報をもってきてるんだが」 「うん。側近の方は下げられるけど、書記官と衛兵は下げられないんだ」 ソルエの言葉で、少女の義弟を警戒するクレイウェリアは言う。 「それじゃあ、会談中の誰かの来室だけは禁じてもらえるかな。この前のように、中断にならないようにな」 「うん。わかった」 素直に了承するソルエが、側近たちに“会談中の入室禁止”を告げて退出させた。そうして部屋に残ったのは、ソルエとクレイウェリア、書記官二人、衛兵八人の十人のみであった。 『このメンバーの中に、あたいの動向を探り会談内容を探る輩が混ざってんだろうね……』 クレイウェリアは、その輩がソルエの義兄ゲイルの差し金であることは予測済であった。腹をくくったクレイウェリアは面会の席につきながら、ソルエにも席を勧める。 「じゃ、そろそろ始めようか? 報告したいことが山ほどあるんだよ」 こうして、エルセム勢力圏の統治者ソルエと異世界人クレイウェリアの二度目の会談は始まったのだった。 無機質な白い部屋に響くのは、クレイウェリアの張りのある声と、その言葉を書き記す書記官の筆の音。時折、ソルエの小さい声が入るものの会談は支障なく進んでいた。 事象の報告をすませたクレイウェリアは、最後に大蛇の件を挙げて推論をつけ加える。 「もしかするとモンスターの襲撃には、大蛇の存在が鍵を握っているんじゃないかと思うんだよね」 この情報こそが、クレイウェリアが計画を進める突破口となるはずだった。 「もしこのエルセムに大蛇に関する伝承神話や歴史があるようなら、事件解決の糸淵を見つけたいんだ。だから大蛇に関る資料があったら閲覧させてくれないか。……できれば、書庫とか、公文書とか閲覧できたら猶よいのだけどね」 この言葉を聞きつけた衛兵たちがクレイウェリアに銃口を向ける。 「尻尾を出したな! モンスターめっ!!」 兵たちは口々に言う。その喧騒の中で、筆記に専念していた書記官も立ち上がる。 「やはりゲイル様のおっしゃるとおりであったな!! 異世界からのモンスターたちは、我々勢力圏を踏みにじり、その隙に情報を得ようとしていると!」 書記官の言葉に、兵が呼応する。 「そして、その目的は、我々勢力圏の制圧なのであろう、とな!! 来い、おまえを連行する!!」 その時、“会談中の入室禁止”の告知にも関らず飛び込んでくる者がいた。 「連行するまでもない! ここまで情報がそろえば、射殺もやむなし! まずはソルエの安全を確保しろ!」 その声に一同の注意が向いた瞬間、ソルエの小さな胸から血しぶきがあがる。 「え……?」 胸から血を流すソルエにも、自分に何が起こったのかまったくわからなかった。 「なに?……私……死……ぬの?」 混乱するソルエをクレイウェリアが思わず支える。それを待っていたかのように、飛び込んできた男ゲイルが声高に言う。 「わたしは見たぞ! そこのモンスターが、早業でソルエの胸を突いたのを!!」 ゲイルの言葉を証明するかのように、クレイウェリアの手は紅い血で染まっていた。 『あたいとしたことが、はめられたのか!』 歯がみするクレイウェリアに向かって、容赦のない銃弾が放たれる。それと呼応するかのように、クレイウェリアの姿はヴェルエル世界から消えていた。 エルセム勢力圏の統治者であるソルエ・カイツァール。そのソルエを害するという無実の罪を被せられたクレイウェリア。そのソルエの生死は未だ不明のままクレイウェリアの姿がヴェルエル世界から消えた。次にクレイウェリアが現れる時、エルセムはどのような様相となるのか。その後の行動は、クレイウェリアだけが決められる。 《J06事件中心地/6の月10日/12:00》 ○エルセム村落《I05(郊外)/6の月10日/10:00》 緑深い森が続く大地。その土地に、新たな異世界人が現れていた。 現れたのは、黄の肌に紫の髪をした異世界の青年ホウユウ・シャモンであった。 「んー? 何だか、カンタンに来れたな。ここってどの辺りだろ」 白抜きの模様がある侍装束をたすき掛けにした常の服装でホウユウが辺りを見回す。ホウユウが見たところ、森の木々は自分のいた世界と変わらない自然美を見せている。木々で陰るうっそうとした地はやや肌寒く、上を見上げれば木々の緑が日をうけて黄緑色に輝いていた。人影はなく、聞こえてくるのは鳥のさえずりばかりであった。 「ずいぶん平和そうなとこだよね。俺が見聞きしてきたとこと違う場所に出ちゃったかな?」 ホウユウはしばらく辺りを確認してみて、自分は確かにヴェルエル世界に来ていることを確認する。 「この不自然に焼けた跡……何だか爪あとまであるしね。間違いない……っと?」 普段ならばもっと早く気づくはずの気配を感じて身構える。 「足音に殺気はないし、問題ないよね」 気持ちを切り替えて、ホウユウは足音の方に向き直る。そこに現れたのは、素裸に近い姿をした少年だった。少年は、ホウユウの姿を見たとたん、恐怖にゆがむ。 「ひ!!」 腰を抜かしてはいずったまま逃げ出そうとする少年。その少年に、ホウユウが呆れ顔で話しかけた。 「おまえ、この土地の子なのか?」 「……う、うん」 少年は見知らぬ衣服を着た青年を怖がりながらも応える。その間も、少年は少しづつ後退るのを忘れなかった。 『なんだ、なんだ? 俺ってそんなに怖い顔でもしてるのかな』 少年の反応を見たホウユウは、顔の眉間あたりの筋肉を意識してゆるめながら言う。 「俺、道に迷ったんで一日泊めてくれるところを探してたんだ。シラセラ村とかって、この近くにあるのか?」 少年は、自分の知る村の名前を聞かれてわずかに安心する。 「……オマエは、『はちみつ色の少女』、の仲間なの?」 「仲間……っていったら仲間だよ。それって、トリスティアって娘のことだろ?」 ヴェルエル世界に限らず様々な世界で関ったことのあるトリスティア。そのトリスティアのエルセムでの活躍は、ホウユウもよく知っていた。 「よかった! なら安心だ!!」 少年は喜ぶと、ホウユウから逃げるのをやめる。 「オマエは、何しに来たの?」 邪気のない青い大きな目で問われて、ホウユウは素直に目的を言う。 「情報収集だよ。エルセムの情報と最近起こった事とか知りたいんだ」 「どうして?」 少年の問いに、ホウユウが真顔で即答する。 「悪・即・斬! モンスターなど、恐るるに足らず。我が斬神刀に……断てぬものなし!!」 少年に鞘を抜かない刀を見せて、ホウユウが笑顔になる。 「だから、まず下調べは必要なんだ。みんなが困ってる原因を調べたいんだよ」 その説明を聞いて、少年がホウユウの腕をしっかりと握った。 「なら、オレの村で泊まればいいよ! オレの村は、シラセラ村の隣村なんだ! ニカラ村っていうんだよ!」 少年は、自分の村の用心棒を見つけたつもりになっていた。ホウユウがいてくれれば、またモンスターが現れても誰も傷つかないと思ったのだ。その少年を『赤兎馬』に乗せて、ホウユウはニカラ村に向かっていた。 そのままホウユウは、ニカラ村で歓待されることとなる。 「いやいや。これはモンスター退治に来られたとか? 一泊といわず、ずっと滞在していただいた方がこちらとしても助かります」 痩せぎみの体格をしたニカラ村の村長は、少年から事情を確認してホウユウを自分の家でもてなしていた。 「お口にあいますかどうか。まあ、どうぞ」 そう言って振舞われる食事は、野菜を中心とした質素なものだった。それでも、ここまで歓待されると思っていなかったホウユウは丁寧に頭を下げる。 「かたじけない。ところで、少年にも言ったのだが、エルセムの情報と最近起こった事が知りたいのだが……」 聞かれた村長は、困り顔になりながらも真実を告げる。 「実は、この森の住民は中央の情報はほとんど届いておりません。森の村々はそれぞれが自治区のようなものなのです。我々もこれまでは、できる限り中央とは関らないようにしてきたのですが……」 自然を愛する彼らは、セム宮殿を中心とした組織を総称して“中央”と呼ぶらしい。そして村長は言った。 「けれど頻発するモンスター襲来で、その自治も手放さなければならないかもしれません」 肩を落とす村長は言う。モンスター襲来の度にエルセム兵が押し寄せる度、彼らは自分たちに従うよう強要されたのだといった。 「客人に身内の恥を話すようで、申し訳ございません……それでも、最近は『はちみつ色の少女』のおかげで、兵が森に入ってくる機会が少なくなってきたのですが……」 ニカラ村の村長は、『はちみつ色の少女』が渡してくれた缶を大事そうに持つ。それでも村長は自分の心配事まではホウユウに告げなかった。そして、その晩の村はモンスターの襲来を受けることもなく、一泊の恩義を受けたホウユウであった。 ホウユウが情報収集をしているのと同じ頃、エルセム“中央”では統治者ソルエ殺害に関る事件が進行中であった。その影響は今後どうニカラ村に関ってくるのか。その情勢の中を、ホウユウはどう動くのか。動く世界を知る者はまだ誰もいなかった。 エルセム村落ニカラ村《H04/6の月11日/9:00》 ○エルセム村落《I05(事件中心地)/6の月10日/9:00》 シラセラ村を中心にモンスター退治を続ける異世界の少女の名はトリスティア。鮮やかなはちみつ色の髪が印象的なトリスティアは、『はちみつ色の少女』の異名を持ち、エルセム勢力圏においてモンスター退治の救世主として敬意をもたれ始めていた。そのトリスティアが、モンスター襲来前には大蛇が出没するらしいという噂を耳にしたのはシラセラ村でのことであった。 噂をトリスティアに伝えた若者は、トリスティアの表情を確認しながら言った。 「参考になるかな?」 自然を愛する彼らは、夜目が利き、視力もとてもよいのだと若者は伝えた。そんな若者の話を聞いたトリスティアは、喜んで若者の手を握る。 「うん! 助かるよ! なら、大蛇の正体を確認しなければならないね!」 そこで、まずは大蛇とモンスター襲来の関連を調査することに決める。そのために必要なのはエルセムに住む人々との協力だとトリスティアは考える。 『ボクが一人でエルセム中を探しても、しょせんたった一人の力では見つけられる可能性は低いよね』 具体的な方法は、シラセラ村の住民たちに手伝ってもらって、エルセム各地の人々に懐虫コネジ缶を配ってもらうというものだった。 「モンスターに襲われたとき、これを使えば、『はちみつ色の少女を呼べる』って、メッセージ付きで懐虫コネジ缶を配ってもらったらどうだろう」 すでにエルセム村落の各地に信号弾変わりになる懐虫コネジ缶を配ったトリスティア。トリスティアは、自分の計画を若者に語ってみる。しかし、若者はトリスティアの案に首を振った。 「よくわからないけど、このエルセムって、とっても広いんだよ……それに懐中コネジ缶で確認できる距離って、オレたちでもこの森の村落内がせいぜいなんだ」 そんな若者とトリスティアたちの話を聞きつけたシラセラ村の村長が、心配顔でトリスティアに耳打ちする。 「あの……わたしたちは“中央”のことはよく存じませんが……トリスティア様は、“変な疑いがかかってる犯人みたいだから、また兵士に捕まらないよう森に潜伏する”とおっしゃってらっしゃいませんでしたか?」 クニミは、トリスティアがこの村落から一歩出てしまえば、捕縛されるものと理解していた。エルセムでの指名手配犯といえば、エルセム軍はもとより自警団に至るまで情報が行き渡るシステムがある。さらに重犯罪者ともなれば、リアル画像も伝達されるという。 「それにトリスティアさんは、“エルセム一般市民の間には、例え相手が『モンスターから自分たちを守ってくれた者』であっても、それが異国人なら信用しないという、かなり強い『異国人に対する不信』が蔓延しているみたい”とおっしゃっていらしたのも耳にしておりますよ」 クニミの語る記憶力のよさに、トリスティアの方が驚いてしまう。 「えっと、よく覚えててくれたね! でもそれって、ボク、シラセラ村で言ったわけじゃないと思うんだけど?」 「だてに村長をやっているわけではありませんよ」
「もちろん、わたしはあなたを信用しております。ありがたく思ってもおります……でもエルセム中がすぐに同じ気持ちになるには……かなりの時間と……」 そこまで言ったクニミは重い息をついた。 「“中央”があなたを信用するだけの条件をそろえないといけないと思うのですよ」 クニミの言葉で、トリスティアは自分の力の限界を感じてしまう。 「でも、ソルエが指揮するモンスター討伐隊は、あまり高い移動速度を持っていないようだし……」 考え込むトリスティアは言う。 「高速移動できるエアバイク型AI『トリックスター』を持つ自分なら、より素早くモンスター襲来現場へ駆けつけられるし。そうなれば、モンスター討伐隊だけでモンスター退治をしていたときより、ずっとエルセムの被害は減ると思うんだけどな」 「本来はその通りなのですけれど……“中央”の考えは……」 クニミもまた、他の村長と同じ心配事を抱えていた。トリスティアを信用するクニミは、その心配事の一つを口にする。 「“中央”は、モンスター襲来は自分たちに都合がよいと考えているのではないでしょうか……」 そして、クニミは“中央”とは、現統治者のソルエのことを差すのではないいと言う。クニミの言う“中央”とは、エルセムにセキュリティシステムを構築したソルエの義兄にして『生体機械工学』の第一人者、ゲイル・カイツァールを中心とした組織を差すのだと。 トリスティアがクニミと様々な情報の確認をし、ホウユウがニカラ村で情報収集をしているのと同じ頃。エルセム“中央”では統治者ソルエ殺害に関る事件が進行中であった。その影響はシラセラ村にもどう関ってくるのかわからない。その情勢の中を、トリスティアはどのように行動するのか。動く世界の先を知る者は、まだ誰もいなかった。 エルセム村落シラセラ村《I05/6の月11日/9:00》 様々な土地で、様々な人々、そして様々な事象に出会う者たち。 彼らはまた『バウム』へと帰還する。 彼らが次にヴェルエル世界に現れる時、時間が連続する同じ場所を選ぶのか。 はたまたまったく違う場所を選ぶのか。 すべての選択権は、訪れる者にゆだねられている。 |